終幕
春。
田舎の町の裏山の奥、あの悠然と立つ一本の桃の木の下に、一人の男が立っていた。
毎年花が満開になる時期、この男がやって来ることは、知る人ぞ知るお決まりの風景であった。
いつもと違うのは、その手に花束を大切そうに抱えた点である。
「本当に、ずっとここに居たとは思わなかった」
貴方が行方知れずとなって十五年経つ。僕の特別な場所を教えてあげると言って、待ち合わせをした君に会いに行った時から。
当時、母親から貰った五百円の交通費を駅前で落としてしまった。
何度も会いに行けなかったことを後悔した。うっかりしていた己を幾度も呪った。
いくら慌てていたとはいえ、すぐ家に帰って親に事情を話すなりすればよかった。
そしてあの時、硬貨を失くしたことに気づき、後ろを振り返った先に居た少年を、あの目をキラキラさせて、僕が落としたであろうそれをまるで宝物を見つけたように拾い、走り去って行った少年を呼び止めてさえいれば――。
君の消息が分からなくなってから三年、僕が十五歳の時。周囲は相も変わらず、淡々と廻っている。いつもの学校からの帰り道に、ふと、笑い声が耳に入ってきたので、気まぐれにそちらへ目をやった。背が伸びたとはいえ、あの頃と変わらぬ面影を残す少年が楽しそうな笑みを浮かべ、彼女であろう女の子と待ち合わせていた場面を見かけた時、何とも言い表せない感情が沸き上がった。
彼のせいではない。何度もそう言い聞かせたが、あの光景が頭から離れず、日に日に思いは積もっていく。
このような気持ちのままでは、いけない。
春、いつもの場所へと向かう途中、気分を変えるべく寄り道をした。最寄りの駅へ向かう道を大きく外れるが、そこそこ大きな川の流れる場所がある。この醜くドロリとしたものを、少しは洗い流してくれるのではないだろうか。
川のそばに一人しゃがみ込む女の子を見かけた。よく見ると、あの少年の彼女ではないだろうか。周囲には僕と彼女以外誰もおらず、町から少し遠いためか監視カメラも見当たらない。偶然にしては出来すぎているが、その時の僕は、そう、これは神の思し召しだと思った。
僕は自然と彼女のそばへ行き、優しげなお兄さんの体を装って話しかけるふりをして、素早く殴って気絶させ、川に流した。躊躇なく、後に手の震えもなく日々の一作業のように行った己を、軽く嗤った。
その日見た桃の花は、より一層美しく咲き誇っていた。
彼女を失ったと知った後、彼はどんな顔をするだろうか。
「如月ぃ、お前俺を置いて行くなよ。せっかく酒持ってやってるんだからさ」
「ほとんど綱目さんが飲む分でしょう。それに、花見に丁度いいからと勝手についてきたのは貴方ですよ」
「いいじゃねえか。一人より二人のが盛り上がるだろう」
「私は一人の方がよかったですよ。全く、あなたって人は」
「しっかし前にも思ったが、こんな綺麗な場所があるとはなぁ。桜じゃなくて桃ってところがまた乙な」
「いいから、もう始めますよ。ほら、缶開けましたから、さっさと飲んで帰りますよ」
「なんだよ、つれねぇな。んじゃ、」
「「乾杯」」
彼女と最後に待ち合わせた、僕の一番のお気に入りだったこの場所で。
今日もまた、花のような笑みを浮かべる、小さな貴方を想う。