幕間 姉の気持ち
今回は姉のアルル視点。
あたしはアルル。
貧しい農民の子として生まれたあたしは、この生活に不満を持っていた。
農作業だけで終わる日々はむなしく、だからこそ昔話の中にあるような英雄になることを夢見ていたんだ。
何か特別なギフトを手に入れることができれば、あたしの夢は叶うかもしれない。
しかしギフトを得られる12歳になるまで、まだ数年の時間がある。
だから現状では、ただの農民としての生活に甘んじるしかなかった。
ただ幸いなことに、妹のマルルが大きくなってきて農作業を手伝えるようになると、あたしにも少し余裕ができた為、山で動物を狩る機会が増えた。
昔話の英雄にはまだ遠いけど、動物との戦いの中で自分が着実に強くなっていることが実感できたんだ。
だからこの機会を作ってくれたマルルには、感謝している。
だけどそのマルルについては、心配していることもあった。
この子はいつもぼんやりとしていて、自分で考えることが苦手だったのだ。
まるで魂が無い抜け殻というか、言われたことはやるけれど、それ以上のことができない。
あまりにも危なっかしいので、あたしは口うるさくマルルを躾けた。
本人にとっては迷惑だったかもしれないし、あたしも嫌われていたかもしれないけれど、このままだと大人になっても生きてはいけないのではないか──そんな危機感から、あたしはマルルに厳しく接することをやめなかった。
そしてそんなあたしの危惧は間違いではなかったようで、ある時マルルはやらかした。
それも命に関わるような、特大のやらかしだ。
それは騎士様が、この村の視察をしに来た時だ。
騎士様が通りかかったら、あたし達平民は地にひれ伏して、通り過ぎるのを待つ。
そうしなければ、無礼打ちにされて命を奪われても文句は言えない。
それが身分差というものだ。
最下級とはいえ、騎士様は貴族の一員なのだから──。
だけどマルルは、ぼんやりと棒立ちのまま、騎士様を見送ろうとしたのだ。
当然その姿は騎士様の目に留まり──、
「なんだぁ、貴様ぁ……?」
因縁を付けられようとしていた。
あたしは慌ててマルルを引き倒し、
「申し訳ありませんっ!
この子、ちょっと頭が足りないものでっ!!
どうかお許しをっ!!」
平謝りをした。
しかし騎士様は、
「ぬう?
しかし……」
騎士様はまだ納得していないようだった。
そこであたしは、
「この子は、あたしが罰しておきます!!
騎士様の手を、煩わせるまでもありません!!」
と、近くにあった棒を拾い上げて、マルルを殴りつけた。
「ふぎっ!」
「この馬鹿者っ!!
騎士様になんて無礼をっ!!
こうされないと分からないのかっ!!」
と、殴り続けた。
それはもう、騎士様が引くほどに殴った。
マルルは血だらけになって、悲鳴を上げられない状態になったが、それでも続けた。
「む……むう。
そこまでせずともよい。
そなたの謝意はしかと受け止めたぞ。
以後、気をつけるがよい」
「ありがとうございますっ!!」
なんとかマルルの命だけは、助けることができた。
だけど、この時からマルルはおかしくなってしまう。
あたしは気絶したマルルを家に連れ帰ったが、それからマルルは丸1日眠り続けた。
もしかして打ち所が悪かったか?……と心配になったが、中途半端な演技をして騎士様に見抜かれたら、あたしの命すらも危なかったし……。
そしてようやく目覚めたマルルは、明らかに様子がおかしかった。
自分が今どこにいるのか、あたしや父さんと母さんが誰なのか、そして自分が誰なのかすらも分からないようだ。
それでいて、以前よりも明らかにハッキリとした意思を感じる。
それはまるで、抜けていた魂がようやく入ったかのようだった。
……強く殴りすぎたか?
とにかくそれからのマルルには、別人かと思える言動が増えた。
今までは不平不満を言わなかったのに、それが目立つようになったのだ。
どうやら今の彼女にとって、あたし達の生活はかなり劣悪だと感じられているらしい。
それにあたし達にとって常識的なことを知らない一方で、マルル独自の常識というものが生まれたようで、あたし達との認識の齟齬が酷い。
たとえばあたし達にとって水は貴重なもので、無駄遣いなんかできないのだが、マルルにとってはそれを大量に消費してでも、身体や衣服を洗って清潔さを保つ方が大切なことらしい。
それで病気を予防することができると、考えているようだ。
しかし川から水を汲んでくるのは重労働で、そんなに大量には使えない。
使いたいのなら、自分で水を汲んでこい……とマルルに言ったら、それは嫌なのだという。
マルルは我が儘になり、以前とは別の意味で手のかかる妹になった。
だからあたしは以前よりもマルルに厳しくしたし、マルルもあたしのことを苦手だと感じていることも分かっているが、甘やかしてもロクなことにならないと思って、態度は変えなかった。
この時のあたし達姉妹の心は、かなり距離が離れていたのだと思う。
ところがそんなあたし達姉妹の関係が変わったのは、マルルが「百合」という謎のギフトを手に入れてからだ。
その時からあたしは、マルルに対して素直に言えなかったことが、素直に言えるようになった。
厳しく躾けなければという想いを押しのけ、妹に優しくしたいという気持ちが表面に出てきたのだ。
それにマルルとの会話が増えると、彼女の言っていることが案外理にかなっていることも分かってくる。
勿論まだ現実を見ていないところも多いけど、少なくともこの子はあたしよりも余っ程頭がいいということだけは分かった。
スキルの存在を教えてくれたのもマルルだ。
それを意識的に使うことで、狩りの効率が大幅に上がった。
それだけでもマルルは、あたしや家族に大きな貢献をしてくれたことになる。
そしていつの間にかマルルは、あたしにとって自慢の妹になっていたのだ。
それからはマルルのことが愛しくて愛しくて、あたしは彼女のことを可愛がった。
するとマルルもあたしのことを信頼し、慕ってくれるようになった。
マルルに甘えられると、物凄く幸せな気持ちになる。
あたしにとってマルルは宝だ。
絶対に何があっても、守らなければならないと思っている。
そんなあたしのマルルへの想いは、最早家族の──妹へのそれを大きくはみ出していることは自覚していた。
女同士で──姉妹で、おかしいことだとは分かっていたけれど、ついにはその想いを抑えきれなくなり、一線を越えてしまった。
けれど後悔はしていない。
悔いも無い。
だから命を懸けられる。
マルルを生かす為ならば、あたしはすべてを捨ててもいい。
あたしは襲撃してきたオークから逃げながら、戦い続けている。
かなりの数は倒したが、まだ追ってきているな……。
さすがに多勢に無勢で、あたしもかなりの怪我を負っている。
……もうスキルを使う余力も無い。
だけどオークの追跡は続いている。
もしかしたらオークを全滅させるまで、これは続くのかもしれない。
しかしあのオークの親玉を倒すことは、現状では不可能だ。
……このまま逃げ切るのが先か、それともあたしが死ぬのが先か……。
現状では最悪の結末も、覚悟しなければならない……。
でもあたしは、もう1度マルルに会いたい。
だからまだだ!
まだあたしは、戦える。
最愛の人の笑顔を頭の中に思い浮かべながら、あたしは死力を振り絞った。
次回から第2章です。