11 人とエルフの恋
チエリーさんの話だと、彼女の母親フランチェルは流民だったという。
その理由は、チエリーさんに語られることは無かったそうだ。
戦災や災害による難民だったのかもしれないし、何かしらの罪を犯して逃亡生活を送っていたのかもしれないが、いずれにしてもフランチェル本人にとっては話したくない内容だったことは確かだろう。
そんなフランチェルは放浪の末、大森林に迷い込んで抜け出せなくなったそうだ。
彼女は何週間も彷徨った末に、ついには倒れた。
むしろ数週間のサバイバル生活に耐え抜いたその力は、賞賛に値するだろう。
それでもそのままでは、飢えるか獣に襲われるかで、終わるであろう命だった。
そんなフランチェルを救ったのが、たまたまそこを通りかかったエルフの男──後のチエリーの父となるリーリスである。
それは人間を見下しているとされるエルフにとっては、珍しい行為だったと言える。
普通のエルフならば、フランチェルに近づくこともなく、見捨てていたことだろう。
しかしリーリスは、好奇心の強い男だった。
あえてフランチェルに近づき、彼女を助けたのである。
とはいえ、他のエルフは人間を嫌っており、彼らに彼女の存在を知られたら、どんな仕打ちを受けるのか分かったものではない。
だからエルフの里で、人間を保護するという選択肢は無かった。
結果、リーリスが取った行動は、フランチェルを比較的安全な場所へと運び、そこに食料などを届け、生活の為の小屋を建てる等の支援だった。
そこから2人の関係が始まる。
フランチェルにとってリーリスは命の恩人で、好意を持ってしまうのは当然だったし、リーリスにとってもフランチェルは、自身が今まで知らなかった価値観を教えてくれて、狭いエルフの里しかなかった彼の世界を広げてくれる存在だったのだ。
そんな2人が恋に落ちるまでには、さして時間はかからなかったが、それは他のエルフには秘密にしなければならないものだった。
──が、そうも言ってはいられない事態が生じる。
フランチェルが妊娠したのだ。
森の中の小さな小屋では、薬も無ければ、産婆もいない。
こんな場所での出産は、自殺行為だと言える。
こうなると2人はもう、エルフの里に頼るしかなかった。
リーリスと里との間でどのような話し合いが行われ、支払った代償が何だったのかは分からない。
しかし少なくともフランチェルは、里での出産を許可され、無事にチエリーさんは誕生した。
そして出産を終えたばかりフランチェルと、生後間もないチエリーさんは、さすがに里の外では生きてはいけないということで、一時的に里で生活することになる。
ただそれは、エルフ達からの監視下に置かれた虜囚のようなものであり、リーリスとの面会も制限されていた。
そこでの生活は、決して扱いがよかった訳では無いし、チエリーさんにとってもあまり良い思い出はなかったようだ。
それでも自身と娘の命を守る為に、フランチェルは甘んじてそれを受け入れ、娘にも我慢をさせた。
そんな苦しい生活は、チエリーさんが8歳になるまで続いたそうだ。
その時点で、最早生命の危機は無いと判断され、母娘は里から追い出されることとなる。
里から出る母娘を見送る者は殆どおらず、いたとしても母娘に罵声を浴びせる者すらいる始末だ。
「二度と来るな」
と──。
その中でリーリスは、母娘に対して心底済まなそうに頭を下げる。
「私はこれから、大きな仕事をしなければならない。
再びお前達に会いに行くことができるのか、それは分からない。
だから私のことは、もう忘れてくれ」
そんなリーリスの言葉に、フランチェルは従わなかった。
彼女はチエリーさんを連れて、リリースが建てた小屋へと戻り、そこでの生活を始めたのだ。
再び彼が、ここに訪れると信じて──。
「どのみちオラには、もう帰る場所も行ける場所も無いだよ。
だからここで、あの人を待つだ……」
と、フランチェルは、その場所でリーリスを待ち続け、結局そのまま再会も叶わずに寿命を終えた。
それはチエリーさんを、この場所に繋ぎ止めておく理由が無くなったことを意味している。
彼女には父への執着は無かったし、森の中に独りだけで生きることに寂しさも感じていた。
そんな彼女は、人間の町を目指して旅立つことを決める。
ただ、ハーフエルフであるチエリーさんでは人間の町に入ることは難しく、一時期は森の中にある獣人の集落に身を寄せていたという。
そこでは彼女の植物を診る能力は重宝され、獣人達からの扱いは悪いものでは無かったらしい。
おそらくそこに留まった方が、人間の町へ行くよりも平穏な生活を送ることができただろう。
それでもチエリーさんは、人間である母が生きていた世界を知りたくて、人間の町での生活を夢見ていた。
その後私がランガスタ伯爵に頼んだことで、亜人種の町への出入りが緩和され、それをを切っ掛けにして、ようやく彼女は領都に入ることができるようになる。
そして現在に至ったという訳だ。
「……オラ、おっかぁに会いにこなかったおっとうには、一言文句を言いたいだよ……!」
そう呟くチエリーさんは、食べ終えた夕食の食器をじっと見つめていたが、実際にはここにいない誰かを見ているかのようで、その視線は揺らがなかった。
そこには静かな怒りが、込められているように見える。
「そっか……。
言いたいことは、言えるうちに言った方がいいね」
「そうだな……」
私達姉妹は、もう両親には何も言えないからね……。
以前の私はまだ弱かったから、親に対して言いたいことも言えなかったなぁ……。
もっと話し合えていれば、前世の知識を活用して、もっと楽な生活ができていたかな?
もしかしたら貧しい農民の生活から脱して、別の町へ移住して……。
そうなっていれば、あるいはオークの襲撃に出会うことも無く、2人ともまだ生きていたかもしれない。
……その場合、ティティ達を助ける機会が失われていたかもしれないので、難しい問題ではあるけれどね……。
どのみち、私が『百合』を手に入れた後にようやく、お母さんとお姉ちゃんが私の話を聞いてくれるようになったことを考えると、その前にいくら話し合っても、どうにもならなかった可能性は高い。
だけどそれで納得して、後悔が無くなるかというと、やっぱり違うんだよね……。
諦める為には、実際に行動してみたという、事実は必要なんだ。
「それじゃあ、お父さんの病気が悪化する前に会えるよう、明日は急ごうね」
「んだな……」
明日は、いよいよエルフの里に最接近する。
奥歯に違和感を覚えて、また歯医者へ……。




