王太子とゆかいな影たち
「ですからぁ、サンドラ様とセドリック様では、釣り合わないっていうかぁ」
「ええと…」
冬と呼ぶには少し早い、肌寒い日の午後。
ここは、王侯貴族の子女たちが通う上級学院。
時期の過ぎたバラの庭の四阿で、女子生徒が2人、なにやら話をしている。
その距離や表情から、友人のような気安さは感じられない。
「もちろんサンドラ様は何も悪くないんですよぉ?ただセドリックの…、あ、やだ、フフ。…セディが華やかで美しいのが悪い、みたいな」
「はぁ…」
よく口が回る、間延びした話し方の女生徒はアリスという。
父親が叙爵されたことにより、半年ほど前から学院に通うようになった、元平民の生徒だ。
フワリと柔らかそうな桃色の髪に、アクアマリンのような澄んだ薄青色の瞳。高位の人間に対して気安く振る舞うのが物珍しいのか、他の生徒達の関心を引いている。それが華やかな外見と相まって、何かと目立つことの多い女性だ。
「地み……いえ、おとなしいサンドラ様がおかわいそうで。よりによって、あんなにキラキラの素敵な王子様が婚約者じゃあ……ねぇ、お察ししますぅ」
「…そんなことは」
サンドラ、と呼ばれた令嬢は目を伏せて、持っていた扇で口元を隠す。
彼女は、この国の王太子セドリックの婚約者だ。
アリスが何度も地味だのおとなしいだのと言っているのは、サンドラの外見のこと。
黒寄りの焦茶の髪はサラサラのストレート、アーモンド型の瞳は、焦茶よりも少し明るめの金茶色と、確かに地味な見た目だというのは否めない。
しかしながらサンドラは、その事を特に気にかけていない。
それよりも『内面から滲み出る美しさが大切』という考えで、洗練された美しい所作を学び、人に優しく自分に厳しく努めて来た。
結果、聖母のようだと他の生徒達から敬愛の眼差しを向けられる、とても慕われている女性なのだ。
それを知ってか知らずか、アリスは押し黙ったサンドラに畳み掛けるような勢いで捲し立てる。
「遠慮しないでいいんですよぉ?私とセディは、初めて会った時からお互いに惹かれているんです。大丈夫!…後は私に任せて、どうぞ安心して婚約を破棄なさってくださいね!」
「婚約を?破棄……ですか?セドリック様はなんと?」
「セディはお優しい方だから、サンドラ様へ本当の気持ちを伝えるなんてこと出来ません。ですから、私がこうしてお話ししているのです」
「本当のお気持ち…?」
「だって、彼とはいつも一緒です!試験勉強だってみてくれるんですよ。そして、とても優しい眼差しで、私を見守っていてくれます。……サンドラ様には申し訳ないですが、彼は私の事しか見えてないみたい」
扇の中で、うわ言のように呟くサンドラを見て、勝ち誇ったようにアリスが捲し立てる。
その謝意の感じられないお詫びもどきの言葉に、サンドラは前を見据えて微笑んだ。
「そうですか…。どちらにしても、王家との婚約を私の一存で動かす訳には参りません…。ご忠告、いたみいります。では」
サンドラは柔らかい微笑みを浮かべ、優雅に一礼して踵を返した。
余裕とも取れる彼女の背中を、アリスは険のある眼差しでじっと見つめていた。
◇
「やぁ、サンドラ、今日も一段と美しい」
「セドリック様」
自分の教室へ急ぐサンドラは、渡り廊下に差し掛かった辺りで背後から声を掛けられた。
声の主は噂の婚約者。王太子セドリックその人だ。
輝くような金の髪に、知性的なエメラルドのような瞳。すらりとしたスタイルはまさに王子様の見本と呼ぶにふさわしい。
こんなところでお会いするなんて、と、咄嗟のことに内心驚きつつ、表には出さないように、膝を落として忠心の礼を執る。
「美しいが……顔色が良くないな。何かあったのかい?」
「……い、いいえ、セドリック様。大丈夫です」
心配そうに気遣うセドリックに、内心を悟られないようにサンドラが言葉を返した。彼の慈しみがこもった笑顔に、サンドラにも自然な微笑みが浮かぶ。
「……ならいいんだ。何かあったらすぐに言うんだよ?君は僕の大切な婚約者なのだから」
セドリックは彼女の髪を一房とって、優しくキスを落とす。
見慣れたいつもの風景なのに、何かが少し違って見えるのは、サンドラの気のせいなのだろうか。
◇
セドリックとアリスは学院の最終学年、サンドラはそのひとつ下の学年だ。学年毎に棟が離れているために、学内で顔を合わせることなど滅多にない。
「ごきげんようサンドラ様。セディの様子をお伝えしに参りましたのぉ」
「アリス様、ごきげんよう。お気遣いありがたいのですが…」
「サンドラ様も、早く解放されるといいですね。『釣り合わない』というのって、見ているこちらもせつなくなるもの」
今日も変わらず失礼な物言いだ。
しかも今日は、サンドラに対して嘲るような、蔑むような感情が見え隠れする。
――――――彼女は私を怒らせようとしているのかしら
自分へ向けられる悪意をしっかり受け止めようと、サンドラはきゅっと口角を上げて、ニッコリと笑う。
「それで……ご用件は?」
「ええ、今日はぁ、私の名前……愛称を呟いていたんですよぉ。『愛しのアリー』って…、フフ…。ごめんなさいね?」
ひけらかすように、興奮したアリスの勢いは止まらない。
今日の昼休みは共に過ごしたとか、教室の移動もいつも一緒に動くのだとか、ぺちゃくちゃとせわしなく話し続ける。
一方のサンドラは上の空、何か考え事をしているようで、アリスの話は耳に届いていない。
サンドラが自分の話を聞いていない事に気づいて、アリスはイラつきを見せる。
「……サンドラ様聞いてますか?ショックなのはわかりますけど、人の話はちゃんと聞いた方がいいですよぉ」
「…あぁ、ごめんなさい。だけどその…、その愛称は、確かに、貴女に向けて、セドリック様がおっしゃったのですか?」
サンドラにとってこの質問は、嫌味でもなんでもなく、単純な疑問。そう思った根拠はしっかりとある。
しかし、アリスはそう捉えない。
顔を歪めて、サンドラを蔑むような表情を見せた。
「……わぁ、嫉妬って言うんですよぉ、そういうの。みっともない。聖女のようだとか言われてるけど、その程度なのね。彼が私以外の誰をアリーと呼ぶって言うの?」
まるで二重人格のように、突然ハッキリとした感情をぶつけられて、サンドラは目を丸くして弁解する。
「嫉妬なんてしておりませんわ。ただ、そのアリーと言うのは……」
「もういい!せっかくの気持ちをそんな風に言うなんてひどい!セディに手酷くフラれたらいいんだわ!」
アリスは投げつけるように言葉を吐いて、その場から走り去った。
サンドラは呆然と、彼女の背中を見送っていた。
一連の出来事をじっと見つめる、背後からの視線に気付くこともなく。
◇
「アリス様、これは…?」
「も~、あんまり貴女がのんびりしてるから、私達が引導を渡してあげるんですぅ」
普段はあまり使われることのない旧棟2階の階段前のロビー。
教材の運搬をするようにと、教師に呼び出されたサンドラは、それがアリスのついた嘘だった事を知る。
唖然とするサンドラをよそに、アリスはウキウキとした様子で、隣の男性の腕にしなだれかかっていた。
「私はこれから、階段から落ちるんですよぉ。あなたに突き落とされるんです」
「え…?」
「証言は取れる予定ですからご心配なくぅ。あ、言い訳とかしないでくださいね、見苦しいですよぉ」
隣の男性とニヤついた顔を見合わせる。彼が証人になる予定なのだろう。
サンドラは頭の中で貴族名鑑をペラペラとめくる。彼はどこの男爵家の三男だったか……。
眉根を寄せて考え込む彼女を見て、すっかり悦に入ったアリスが、満面の笑みで語りかけた。
「私が王太子妃になるのを、指をくわえて見ていればいいわぁ」
「…何を言っているのですか?なぜこんな事を」
「あんたがいつまでも目障りだからに決まってるでしょ!地味女の癖に!」
機嫌よさそうにしていたかと思えば、急にヒステリックにわめき散らす。初めて話したときよりも、随分と情緒が不安定になってしまった。
あれからサンドラは、セドリックとの事はアリスの勘違いではないかと、事ある毎に伝えて来た。
そのうちにどんどん何かに追い詰められるような様子になり、精神が蝕まれているのではないかと、サンドラは彼女の事を純粋に心配していた。
それが表情に出たのだろう。アリスがまたしても激昂する。
「だから!その顔が気にくわないって言ってんのよ!」
アリスは弾けるようにサンドラに飛びかかってきた。
階段に背を向けて立っていたサンドラが、その勢いに押されてよろめき、大きくバランスを崩す。サンドラの襟元を掴もうとしたアリスと共に、まとめて階段下へと投げ出された。
◇
フワリと宙に浮く感覚が、抱き留められるようなものに変わる。誰かが助けてくれたようだ。
サンドラがおそるおそる顔を上げると、黒い布地が見える。
頭巾のようなもので頭全体が覆われているため、彼(仮)の顔を確認できないが、黒装束に身を包み、サンドラを横抱きで抱えている。
彼(仮)の衝撃的な外見に、思わず目を丸くするサンドラだが、この腕の温もりをよく知っている事に気が付いた。
「誰なのよあんた達!離してよ!」
横抱きのまま階段ロビーへ戻ると、別の黒装束の小脇の辺りに、アリスが荷物のように抱えられている。助けてもらった事に礼を言うこともなく、変わらず激昂していた。
元気にわめき散らしているならよかったと、サンドラが安堵の表情を浮かべる。
証人予定の男も、また違う黒装束が拘束していた。
「君は優しいね。こんなにひどい目に遭ったのに、奴等の心配かい?」
サンドラを抱く黒装束が囁いた声に、サンドラは記憶にある人物だと確信する。
「……助けてくださり、ありがとうございます。でも、その格好は…」
「は?何よ、あんた達知り合いなの?…あたしを嵌めたのね!」
アリスは、サンドラ達の会話を聞いて、ひどい形相で『地味女に騙された!』と騒ぎ立てる。
サンドラを下ろした黒装束その1が、アリスに向かって落ち着いた声で話しかけた。
「君の口がそれを言うのかい?…僕のアリーを罠にはめておいて」
「あ、あんたに関係ないでしょ!あたしは被害者なのよ!その地味女が悪いの…よ…、は?……アリー?」
「そうかな?僕は当事者の1人で、君はれっきとした加害者だ。あとアリーは地味ではない」
そう言うと黒装束その1は、顔を覆う布をめくり上げ、後ろへ流した。
黒い頭巾の間から、美しい金色が見え隠れする。ふぅ、と息を吐くと、そのエメラルドの双眸に、静かな怒りを滲ませる。
「セドリック様……」
呟いたサンドラは少々呆れ顔で、婚約者の姿を見ていた。
王族の、ましてや次期国王となる人間が、こんな危険に首を突っ込むとは…あとでお礼とお小言だ。
目を大きく見開いて固まっていたアリスが復活し、黒装束に抱えられたまま、媚びるような目つきでしなを作り出した。
「セディ、私、サンドラ様に突き落とされたの!」
「へぇ」
「あなたとの仲を誤解して、こんなこと……!私、怖くて」
「君、だれ?」
口調は柔らかで、表情だってにこやかなのだが、目の奥には相手の自由を奪うほどの威圧が込められていた。
普段、彼があまり表に出すことのない、権力者の顔だ。
「君さ、こんなに影くん達に囲まれてるのに、これがどういうことかまだわからない?察しが悪いなぁ」
「…セデぃ……?」
「君がアリーを陥れようとしていた事は全てここにいる影くん達によって記録されている。今日のことだけじゃなく、これまでのこともね」
ニヤリと笑った顔は邪悪そのものだ。
少しずつ状況の悪さを理解しはじめたアリスは、カタカタと小刻みに震えている。
そんなアリスを気にかけることなく、セドリックは黒装束達の方へ満面の微笑みを向ける。
「ありがとう!影くん達!これでやっとアリーの憂いを潰せるよ!」
黒装束、もとい影達は、王族に仕える隠密である。
主君を護ることを生業としているが、他にも情報の収集や風評の操作なんかもお手のもの。人目につかないように動くときには大変重宝する人材だ。
王族はもちろん、その伴侶となる者にも、その存在が明かされている。
セドリックからの感謝の言葉に、影達は小躍りして喜んでいる。比喩ではなく、実際に跳び跳ねて、拳を突き上げたり、ステップを踏んでいる者もいる。
『ヒャッホー!』『ヒューヒュー!』という歓声が聞こえてきそうな盛り上がりだ。
ちなみに影達は一切声は出していないし、黒い布で顔を覆っているため、表情も見えない。
だいたい落ち着いたところで、セドリックが話を再開させる。
「全く、何の許しも得ないで変な愛称で呼ぶとか、いろいろ思い込みが激しいし、何より君がアリーより優れてると思っているのが頭おかしい」
うんうんと若干大げさな動きで、納得するようにうなずく影達。詳細なジェスチャーと大きい動きは、感情を伝えてる大切な手段だ。
「一応、アリーに誤解されると困るから言うけど、君と僕が2人で行動したことなんて一度たりともない。他のクラスメイト数人で行動している。勉強を見たこともない。君の事を見つめるなんてことは万に一つもあり得ない。……あと…なんだっけ?」
ススス、と影の1人が近づいて、こそこそと耳打ちをする。
離れるときには親指を立てるハンドサインをセドリックに送っていた。激励のつもりだろうか。
「…愛称ね。こればっかりは僕の油断もあった。しかし、学園の僕の私室に忍んで、聞き耳を立てるのはとっても良くないな」
「…そうよ!聞いたのよ!セディは確かにアリーと…」
「アリーとはサンドラの、アレクサンドラのもうひとつの愛称。僕とアリーだけの秘密の呼び名だよ」
アレクサンドラ・ウィルコックス侯爵令嬢。サンドラの正式なフルネームだ。
幼い頃、彼女の名前をうまく呼べずに、悲しい思いをしていた友人に、自ら提案した愛称が『サンドラ』
それを見ていた婚約者が、自分にも2人だけの愛称が欲しいとせがみ、捻り出したのが『アリー』なのだ。
「僕は公的な場では、アリーの事はサンドラと、皆と同じ愛称で呼んでいる。ただ、私室にいるときは別だよね。愛しの女性の姿絵を見て、ため息くらいつくさ」
「あ、アリーとは、アリス。私の事でしょう…?」
事実を受け止めきれないのか、手が震え、顔色が真っ青になってしまってもなお、アリスは希望の言葉を口にする
「アリーは何度も君に勘違いの可能性を伝えていた。それを聞くどころか、こんな蛮行に出るなんてね。連れてって」
「い、いや!あたしは王妃になるのよ!せっかく貴族になれたのに、このままのしあがってやるんだからぁぁ!」
いつの間にか背後に控えていた騎士たちに引き渡され、連行される。
夢を見すぎたアリスの絶叫は、建物を出るまで続いた。
◇
「セドリック様、彼女達には、是非寛大なご処置を…」
「王太子妃である君を害そうとしたのに?」
「まだ婚約中ですわよ。勘違いが行き過ぎてしまったのです。命まではお取りになりませんよう…」
「むぅ…わかった。考える」
少しだけ口を尖らせるが、セドリックは彼女の言葉に従順だった。影達は、彼を励ますように肩を抱き、ポンポンと叩く。
サンドラの危惧していた所はここだった。
困ってしまうほど重たい彼の愛情は、常にまっすぐにサンドラに向けられているため、サンドラの事となると見境がなくなってしまう。
度を越した罰が与えられないように、不敬かと思いながらも、上申するのだ。
パチン!という音の方を見れば、セドリックと影達がハイタッチをしているようだ。
重ねて言うが、表情は見えない。しかし、皆とても嬉しそうだ。
あまりにも元気なはしゃぎっぷりに、サンドラはかわいい子供を眺めた時のような、ホッコリとした気持ちになる。
そしてふと、もうひとつ言わなければならないことを思い出した。
「そういえば、なぜセドリック様が影さんの格好をしているのですか?危険な事はダメですとあれほど」
「だって、…僕の大事な人だもの、自分で助けたかったから…」
「むぅ…」
しょん、としたセドリックに、そんな風に言われては、サンドラは何も言えない。
横を見ると、影達が思い思いに手で『ハート』を作って、サンドラに見せつけてきた。そのうちペコペコと頭を下げて『許してやって』みたいな動きをする。
そんなに必死にならなくても、サンドラだって彼に負けないくらい、愛は重たいのだ。
サンドラはふぅ、とため息をつくと、セドリックの腕を取る。
「もう…リックに何かあったら、アリーは泣きますよ?」
「アリー!」
影達はいつの間にか消えていた。
どこからともなく、白い紙吹雪がヒラヒラ舞いはじめる。
ぎゅうっと抱き締められたサンドラ、もといアリーは、(セド)リックからの重量級の愛を一身に受けるのだった。
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