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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

GBA MOTHER 3

GBAのレトロゲームをやってみた感想文です。

これは奇跡の名作とも云えるし、クソゲーと紙一重とも云えると思います。

あまりにもいろいろ詰め込まれ過ぎていて、単一の評価が出来ません。まあ、それだけ革新的で『凄い』ゲームだという事だけは分かるのですが。

まず凄いのがこのゲームの容量の多さです。例えばSFCのMOTHERS 2が24メガビット、スターオーシャンでも48メガビットなのに、このMOTHERS 3は256メガビットという当に桁違いの容量で出来ています。N64のスーパーマリオ64ですら64メガビットな訳ですから、いかに凄いかお分かりでしょうか。しかし、その当時としては大容量の殆どはサウンドに使われています。セリフは文字ですが、BGMの楽器の音や足音、犬やセミの鳴き声、ドアを開ける音やオナラの効果音など、多くの音が圧縮音源ではありますが生音で鳴ります。夏にこのゲームをプレイしていると、外のセミの声かゲームの中のセミの声か分からなくなるような臨場感は『凄い』の一言です。

このMOTHER 3 に関しては、おそらく、サウンド面以外のところが皆が言う低評価なんだと感じました。

私も感じた低評価な部分をまず羅列するなら、画面が見下ろし型になってしまったこと、RPGなのにスクロール画面になってしまったこと、戦闘でのサウンドリンク連続攻撃がほぼ活用できないこと、世界が前二作と比べ極狭になってしまったこと、全住民に個別の意思を持たせてしまったこと、くらいでしょうか。一般に言われている、あまりにも鬱展開なことと、主役達にあまりにも華が無いという点は、MOTHERならアリなのかなと私は感じました。

前半は最愛の妻と息子を殺された男と、ワキガで足の不自由な泥棒見習いのニート中年が主人公という、ゲームでは有り得ないようなストーリーなので、賛否両論分かれるのは分かります。MOTHER 3 ではストーリー全体が一つの町(島)の中での話になりますが、町の人たちの意見も本当に現実的でバラバラ。妻と息子を失ったフリントに対して最初はみんな同情して慰めてくれますが、徐々にフリントがおかしくなって妻の墓と息子がいなくなった森とを行き来するだけになってくると町の女性たちはフリントのことを『怖い』『近付かない方がいい』などと言うようになります。泥棒見習いのダスターもフリントのために自分の泥棒技術を使ってフリントの手助けをしているだけなのに、あらゆる人から『臭い』『お前、ドロボーだろ?』などと言われバカにされます。どちらも操作キャラの主人公なのにこんな扱いです。別の章の主人公猿サルサに至ってはオープニングで恋人(恋猿)を人質(猿質)にとられ、奴隷として主人に言われた通り動かなくてはなりません。操作に失敗すれば電流を流され、しかも最弱なのでNPCの主人がいないと戦闘には勝てないため服従しないとストーリーが進まないという鬱展開。ハッキリ言ってゲームとして『楽しい』ものではないです。

誰も『がんばって』とか『期待してるぞ』なんて言ってくれる人がいないのですから。

では、ストーリーとして何が救いになるのかと言えば、このオムニバス形式で進んでいく各章の虐げられた主人公達が徐々に出会って、この主人公達だけが仲間としてお互いに助け合ったり励まし合ったりしてラスボスに挑んでいくという収束に尽きると思いました。

物語全体は3年半の間での話です。始めにフリントに同情していた村の人たちも徐々にフリントの事など気に留めなくなっていき、最後のほうになると、みんな都会に憧れて故郷の村を捨てて隣町に引っ越してしまうなど、主人公達の動向など最早空気みたいになってしまいます。

主人公達、仲間達が一緒に悩んだり戦ったり、どんなに苦しい戦いを続けていても世間は自分の幸せにしか興味がない無関心。結局、世の中、同じ目標を持った人間なんてごく限られた数しかおらず、自分が大変だと思っている出来事もごく小さな仲間うちの中で起きているだけで、世間一般の人たちにとっては気が付かないくらい小さな出来事、よその家で奥さんが殺されたなんてことがあっても、3年も経てばみんな忘れて大概の人は自分の事しか考えなくなるというメッセージを感じます。

中には、殺されたフリントの元妻ヒナワの父アレックなど、フリントを明るく励まし続けてくれる人や、1万年の命に終止符を打ってくれた主人公にお礼を言ってそれぞれ死んで(消えて)いくマジプシーという7人の陽気なオカマなど、真摯に良い人も絶妙に配置されているので、全てが鬱展開になるという訳ではないところなど、上手いなぁと感じる部分も多々ありますが。

ゲームの世界設定やストーリーの全体像は第8章の冒頭でリダという長身の男が長いセリフでほぼ全部語るので、一度最後までプレイすれば誰でも分かりますが、一応、以下のようになります。

ゲームスタート時の少し前、世界は人間達の環境破壊と戦争によって崩壊し、海面の急上昇によって陸地が全て海に沈んでしまっています。しかし、近い将来そんな状態になってしまうことを予測していたマジプシーと呼ばれる7人の妖精?賢者?ハードゲイ?達が、島ほどもある巨大なドラゴンを目覚めさせ、そのドラゴンの力を使って自分達が暮らしていけるだけの小さな陸地を確保していました。その陸地(島)が、このゲームの舞台である『ノースウェア島』です。ただ、ドラゴンの力は非常に強大で、一度暴れ出せばノースウェア島などあっという間に崩壊してしまうため、マジプシー達はドラゴンが寝ている隙にそれぞれ一本づつ特殊な針を刺してドラゴンが目覚めないように封印し、それぞれ針を抜かれないよう監視しながら平和に暮らしていました。そんなマジプシー達の島ノースウェアにある日、一隻の白い大きな船が漂着しました。その船はノアの方舟で、崩壊した世界から免れた人間達が乗っていました。白い船から島に上陸してきた人間達というのが『元々の』村人達となります。この時点での彼らは『世界が崩壊してしまった原因は自分たち人間にある』と思っており、人間がまた今までのような生き方を繰り返せばこの島もいずれ崩壊への道を辿ると悟っていました。ノアの方舟に乗れた人達なので基本真面目で頭の良い人達です。彼らはどうしたら島が崩壊しない生き方が出来るのかを長い時間話し合い、その結果、この島で暮らしていく幾つかの『ルール』を決めて『台本』を書き、その台本に沿って役を演じながら生きてみる事にしました。それが『タツマイリ村』です。

どういった手法を用いたのかは語られていませんが、白い船から島に降りた人達はそれまでの記憶を消し、タツマイリ村という舞台でそれぞれの役を演じながら、そこの住民として生活を始めました。つまり、本人達は過去の記憶も無く役を信じきっているので気が付いていないだけで、フリントとヒナワは元々は夫婦ではなく、リュカとクラウスの本当の親でもなんでもない訳で、保安官も大工もドロボーも役になりきっているだけで、元々はノアの方舟に乗り合わせていただけの人達という真相が最終章の冒頭で明かされます。

ただ、もしもこの生き方が上手くいかなかった時に元の記憶を取り戻せるように全ての人の記憶をバックアップしてある記憶媒体『ハミングバードの卵』というものが存在していて、ダスターには元の記憶が無くなってしまっても非常時になった際にハミングバードの卵を取りに行くよう非常用の深層プログラムが仕込まれており、本編では導かれるようにハミングバードの卵の元に辿り着く事となりました。また、全ての人が過去の記憶や真相を忘れてしまって記憶をリセット出来る事に誰も気が付かなくなってしまっては困るという事で、このリダという長身の男だけは過去の記憶を消さずに村人達の様子や島の状況を常に監視しながら非常時に備えていたという事実が明かされます。

そんなノースウェア島での人々の生活(演技、舞台)は台本に書いた通り、争いも悲しみもなく平和そのもので、全てが順調に進んでいましたが、ある日、そんな島にポーキーが現れます。

ポーキーはMOTHER 2の主人公ネスの友人であり、2のラスボスでした。MOTHER 2の物語は、ポーキーが自身の支配欲を満たしたいがためにギーグという悪の意思に肉体を捧げて強力な力を得て、主人公達を下僕にするため戦うというのが大筋の流れで、最後主人公達に負けたポーキーは時空間に逃げ込んで何処かに行ってしまってエンディングとなりました。その後ポーキーは、このMOTHER 3の世界に辿り着くまでにいくつもの時代を転々としてきたようで、かつてネスと同い年だった子どもの姿から白髪の寝たきり老人に変わっています。ポーキーはそんな姿になるまで渡り歩いてきたあらゆる世界で支配を試み、しかし悉く失敗に終わり、嫌われ、追い出され、もう寿命も間近な状態です。MOTHER 3のポーキーはそんな身も心もボロボロな状態ですが、世界がこんな小さな島しか無くなっている時代に辿り着き、これくらいなら簡単に支配できると考え、この島に住み着いて、この島を支配して自身も終焉の時をこの世界で迎えようと思っていました。ただ、このポーキーの『支配』という感覚は子どもの考え方そのもので、悪趣味と言われてきた自分の好みの玩具や、一日中テレビを観て過ごす生活スタイルなど、人々の暮らしを自分の好みと同じようなものに統一する事が支配だと考えていました。

そんな、『ノースウェア島の台本』に無いポーキーがいきなり現れた事で、タツマイリ村の人々の生活の中にも台本には無かった悲しみや争いが生じ始めますが、記憶を失って役になりきっている人達はそれを回避する術を思い出す事も忘れ、ただ現状を受け入れるしかない状態になっています。元来タツマイリ村は、あえて高度な文明を全て忘れ、牧歌的な穏やかな時代、文化レベルという『設定』にした舞台のため、ポーキーの科学力には太刀打ち出来ません。そん中、ポーキーはかつていた時代から自分の下僕だった豚仮面達を呼び寄せ、ノースウェア島を自分のオモチャ箱のように改造していきます。

ただ、ポーキーがこの島でやったことの全てが悪いことではないというのもミソです。

動物たちを機械化して自分の意のままに動くオモチャのように改造した事は、一部が暴走してヒナワやクラウスを殺してしまったため当然悪いことですが、粘土人などのロボットは人間の代わりにキツい肉体労働を担ってくれ、粘土人を製造する工場は人々に働く場所を提供する事となり、娯楽施設が出来た事で人々は遊ぶ場所を得て、村人達にテレビを無償で配布したり鉄道や高速道路作った事で村が飛躍的に近代化したり。それは本来、村人達が望んだ事とは逆の道ではありますが、過去を忘れた人達にとって『生活が豊かになった』と思ってしまう事もポーキーは沢山やっています。

すると、人々の生活を一変させるような力を持ったポーキーに興味を持ったロクリアというマジプシーの一人がヨクバという人間の姿に化けてポーキーの行動に協力し始めます。ロクリアの本当の目的が何だったのかは最後まで分かりませんが、ヨクバのセールスのおかげでノースウェア島は一気に都会化し、ポーキーが連れてきた豚仮面達とタツマイリ村の人達が仲良く豊かな生活を謳歌する世界というのも出来上がってきました。まあ、そんな中で何か違和感を感じて、現状に抵抗していくのが主人公達、このストーリーの大筋となるわけです。

ストーリーの途中でロクリアがポーキーに、この世界の成り立ちについて話してしまった事でポーキーはこの世界、人類の終焉と共に自身も終焉を迎えようと思うようになり、マジプシーたちがドラゴンに刺した針を抜ける力を持つ人間を捜し始めます。

これも原作段階で何故なのか明確にされていませんが、ドラゴンに刺さった針を抜ける能力を持った人間というのはリュカとクラウスという二人の少年。その二人のうちクラウスは機械化されて暴走したドラゴという恐竜によって殺されてしまいますが、そのクラウスが針を抜ける能力を持った人間だったと気が付いたポーキーはクラウスの遺体を機械化して復活させ、ドラゴンを封じている針を全て抜くよう命じます。

ここで、ドラゴンは針を抜いてくれた者に従順になる性質があるという設定があり、要は主人公のリュカが先に全部の針を抜いて島を守るか、クラウスが先に全部の針を抜いてポーキーの思惑通り島と人類を崩壊させてしまうかという戦いが後半のストーリーとなります。ここではマジプシーたちも既に一万年も生きてきたことで針や自分たちの生活の場を守る事より『早く死んで楽になりたい』という思いの方が強くなっており、別にどっちが勝ってもいいから早く誰かが針を抜いて、針を守り続けるという自分たちの役目を終わらせてほしいという考えで、どちらの応援をするという訳でもない存在になっています。

最終の8章になるまで、主人公達は自分たちが何者で、この世界が何なのか曖昧なまま、このマジプシーたちの『助言』の下に物語を進めていく事になります。

結局ポーキーは8章で主人公達との戦いに敗れ『絶対安全カプセル』というカプセルに逃げ込むのですが、この絶対安全カプセルというのが、どんな攻撃を受けても絶対に壊れないのですが一度入ったら外からも中からも絶対に開けられず、しかも生命維持装置が付いているため中に入った人は永遠に生き続けるというカオスな代物で、そこに入ったポーキーは何も無い狭いカプセルの中でそこから永遠に出る事も出来ないまま永遠に生き続けなければならないという最悪な罰を受ける事になります。

そしてラスボスは主人公リュカの兄であり、もう一人の主人公フリントの子でもあるクラウスです。クラウスはポーキーによって機械化されているため、リュカやフリントを認識できなくなっている上、機械化されているため非常に強いです。しかも、主人公達は過去の記憶を捨てて今演じている役に疑いを持っていないため、思い入れのある家族であるクラウスに攻撃を出来ず、ひたすら防御するしかありません。しかし、主人公達が全滅する直前、父のフリントが『もう楽になれ。母さんのところに行って、向こうで母さんと一緒に楽しく暮らしていけ。』とクラウスに死を諭すと、クラウスにフリントの息子だった役の記憶が戻り、クラウスは穏やかに死にます。

その後、リュカはクラウスが抜こうとしていた最後の針を抜き、画面が真っ暗になって『The end』の文字が出て終わりとなりますが、果たして目を覚ましたドラゴンがどんな行動をとって、その後、ノースウェア島やタツマイリ村の人々がどうなってしまったのかは明確に語られず『あなたなら分かるでしょ?』みたいな言葉でエンディングが終わります。

ストーリーとしては悪くないと思います。ただ、プレーヤーがどんな結末を想像しても、ヒナワやクラウスは生き返る事はない訳ですし、主人公達がやってきた事をノースウェア島の全ての人達が賞賛するというような事も無いと思います。全てがハッピーエンドではないというのも、これもMOTHERシリーズの特徴といえば特徴なので、これはこれで良いのかなとも思えますが。

ただ、ここまで前二作品と世界観が違ってしまった事で、MOTHERシリーズとして象徴的だった『いつも不在だけど電話すればいつでも励まして助けてくれる優しい父』と『家に帰るといつも大好きな料理を作ってくれる優しい母』という二大キャラが登場しなくなってしまったのは非常に残念な点であり、他のMOTHERシリーズとは決定的に違うなと感じた部分でもありました。

名作であることは間違いないと思いました。

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