第15話〜数珠丸
寝息を立てているユウキを一瞥して、クニツナは立ち上がった。
音は、ない。
特殊な歩方を使っているため、草の上であろうが固い地面の上であろうが物音ひとつ聞こえない。
いつの間にか森は静寂に包まれている。
虫はおろか木々のざわめきすらなく、風すらも身を潜めていることが分かる。
前触れもなく唐突に森の奥、深い闇に満たされた空間から白刃のきらめきがクニツナを襲った。
彼は瞬時に三回抜刀すると、音もなく太い木の幹すらも切断して迫る白刃を相殺する。
「………何の用だ、【数珠丸】」
すでに鞘に収められた鬼丸の柄に手をかけたまま、クニツナは白刃がきた方向とは″真逆に向かって″声をかける。
囁くようにして放たれた問いかけは闇に飲み込まれたように消え、ともすれば何事もなかったかのように静寂だけがこの場を支配する。
しかし瞬きの間に、まるでコマ送りしたかのようにそこに幽鬼が立っていた。
いや、よく見ればそれは完璧に気配を消しただけの人間。
クニツナは、そんな視界に入っていたとしても見落としてしまいそうなほどに隠形している男の存在を始めから認識していた。
男の見た目は二十代中盤ほど。
クニツナよりも僅かに若い見た目をしている。
目をほとんど閉じている糸目の優男、それがその男、【数珠丸】に抱く第一印象だろう。
「何の用だ、じゃないですよ【鬼丸】さん。いつまで経っても【五剣】の集まりに来ないから、わざわざぼくが探しにきたんじゃないですか。【童子切り】さんは怒ってどこかへ行ってしまうし、【三日月】さんは満月だから忙しいとか言って来ないし、【大典太】は飽きて帰るし。唯一いつもは参加してくれる鬼丸さんまで来ないとさすがのぼくでもイラッときますよ」
「………野暮用でな。しばらく【五剣】の活動からは外れる」
「はい?」
心底意外だ、とでも言うような男の顔。
そして閉じられた目蓋の下、ほとんど窺うこともできない視線が少し離れた位置で眠るユウキに向けられる。
「いつの間に子供なんて作ってたんです?」
「殺すぞ」
「冗談です。迷い子でも拾ったのですか?それなら近くにある街の門兵に渡せば問題ないでしょう。しばらく活動から外れるってことは、その子と旅にでも出るってことでしょうか」
「そうだ」
心底驚いたように、初めて男の瞳が露になった。
「正気ですか?その子に何があるのか知りませんが、あなたがわざわざ旅に同行させるなど………」
「………こいつは珍しい能力を持っている。鍛えてみたくなった」
「………。」
男は驚愕の度合いが閾値を越えてしまったのか、逆に冷静になった表情でクニツナを見やった。
「………独断専行がモットーみたいな【五剣】の中でも、とくに単独行動の貴方が、よりによってそんな童女を鍛えると?確かに【鬼丸】さんに打ち消されながらも、なお発せられるものがありますが………」
男はモンスターと共に眠る幼子に一瞬だけ目線を向け、
「………まさかそれだけで【五剣】を抜けるなんて言うんじゃないですよね?ぼく、【鬼丸】さんを始末するなんて、嫌ですよ?」
瞬間、辺りを濃密な殺気が満たした。
音は一切ないのに、森の木々が、悲鳴を上げる。
男を中心に不可視の″何か″が辺り一帯を覆い尽くそうとする。
しかしそれもユウキを含め、クニツナの周りには何ら影響を与えることなく霧散する。
一触即発の空気は、しかし呆気ないほど突然消失する。
男はやれやれといった感じに肩をすくめて、クニツナに背を向けた。
「なんて、冗談です。ぼくじゃ鬼丸さんには勝てませんからね。活動休止の件はぼくから皆さんに伝えておきます。童子切りさん辺りは怒り狂いそうですけど、それは鬼丸さん自身がどうにかして下さい」
「………悪いな」
「ま、しばらくは大きな仕事もないですし、【五剣】全員が必要になるような事態もそうそう起こり得ないでしょう」
そういって男はゆったりとした足取りで森のさらに奥へと消えていった。
「………」
その気配が完全に消えると同時に、ようやく先程白刃に両断された大木が切口からずれていく。
滑らかな断面を覗かせる大木は重々しい音と振動を立てて地面にめり込んだ。
「んぅ………」
ユウキの寝惚けたような声が上がる。
どうやら目は覚めなかったらしい。
ユウキの周りには鬼丸によってドラゴンが暴れても小揺るぎもしないほど強固な結界が張られている。
ユウキを含め″未だに姿を見せない妖精″も先程までのやり取りに気付いた様子はない。
クニツナは男の去っていった先をしばし眺めていたが、興味をなくしたように元の位置に腰を下ろし、意識をうっすらと残したまま眠りについた。




