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歴史は繰り返さない―悔い改めの城壁―

作者: エレミヤ・大阪ソウル

<SDGs近未来小説>とは、<文学の新ジャンル> 実在と架空の織り成す2015年国連決議SDGs協働の先を目指す<ユートピア実現小説>です。

実在名(敬称省略)や実在資料の引用描写で、フェイク・誤報も飛び交い内と外の両面があり「絶対的真理真実はそうでない」「わが心そこにあらず」、内外の完全・完璧の表現は人間に限界がある前提配慮に立ち<絶対真理を求める虚構・小説>です。

 従って、引用の既存実在現存の地位名誉権利を尊重しつつ共に<真に安全安心平和《理想の地球社会》>に向け<#宇宙からみればもっとよくみえ賢くされる><#限りなく透明に近い白い人>に変革する主人公たちの登壇小説です。

ITベースの2020年<第二期ルネッサンス><SDGs0学>α<地球は一つ、人種は一つ、法令は一つ宇宙自然の法則《愛》>ω新型コロナウイルスを克服した新しい地球文明の始まりです。



<プロローグ>『Passport・New《愛》』日記検定の善と悪―三日天下


榊原郁生さかきばらいくおは、二つの原子爆被害の終戦直後の1945年、昭和20年12月、京都山陰の城下町<三日天下>で汚名を着る明智光秀の築城とされる城跡の実家で生まれた。もう帰省できる実家はない。


竹馬の友、知人が日記を書くために、郁生も日記に関心をもって、日記の在り方を調査し始めたのが50歳台であった。それは、また「よい日記からよい自分史」のライフストリーに発展していった。


その流れで、自分史にも関心を深め、過去の歴史的人物の<生き方=自分史>としての記録資料、日記があれば日記に注目することになっていった。

特に、自分の誕生、旧日本の国家終末時、明治から形づくられた旧日本の国家体制の崩壊に向かう、戦争について、明治生まれの父親から戦争の悲惨さについて聞かされたことは記憶にない。

日本神道と仏教の両方の祭壇を家におき、その祈りと行事に参加する父から聞かされたことは多額の<戦時国債>が無価値になったことは何度かあった。


2018年3月、自分と同年代の<新しく生まれた日本>で、国際世論が人類の闇、核や紛争や経済など、日本もその中、民主主義国、日本の根幹を国会論議する時期であった。

郁生は、自分が生きる毎日のニュース報道も含めて、自分の命と生活がどこに運ばれているか自分が影響を受ける<外部の7つの環境世界>を、自分の日記帳『Passport・New《愛》』の曜日別の関連分野に記すのを習慣にしていた。


特に重要なことは、自分とそれら7つの外部環境の未来、時空を超えて自分と家族など「あしたの命」《愛》<希望>{未来}を予測し、今、日本を覆う、ある識者らが特定する≪日本教≫という日本全体を覆う<空気>の流れを分析する。

日本における広島、長崎に続く<第三の被爆:福島第一原発の爆発>があった、3.11の≪日本教≫の安全な場所空間の居場所はどこにあるのか、<自爆国日本>の新しい週間の出来事による1週間の<日記検定>をしていくのである。


挿絵(By みてみん)


そして、その月間一か月を通しても<日記の月間検定>をする。

2018年3月も多くの驚くような大きくぶれる変化に富んだ事件報道に、危うい沈没する未来『日本沈没』を予示している確信のもと、混迷沈下の日本とともに「それら事件出来事報道の主人公と周辺家族親族友人知人集団組織他の末路…」を自分への波及とともに思い煩った―


・リニア中央新幹線工事をめぐる談合事件で、独禁法違反(不当な取引制限)容疑、大成建設の元常務執行役員と鹿島の部長を逮捕。


・神戸製鋼所は、アルミ・銅製品などの品質データ改ざんの責任を取り、川崎博也会長兼社長(63)が4月1日付で辞任すると発表した。アルミ・銅事業部門長の金子明副社長(63)も辞任。


・学校法人「森友学園」(大阪市)への国有地売却で財務省の決裁文書が書き換えられた疑惑。同学園への国有地格安売却問題に関わった前財務省理財局長の佐川宣寿国税庁長官が辞任。


・東日本大震災から7年。政府主催の追悼式が営まれ、地震発生時刻の午後2時46分に合わせて、黙とうをささげた。


・政府は、成人年齢を20歳から18歳に引き下げる民法改正案を閣議決定した。飲酒や喫煙の禁止年齢を20歳未満に据え置くなどの関連法案22本と合わせて今国会に提出する。今国会で成立すれば、2022年4月1日に施行される。


・米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設をめぐり、訴訟の判決が那覇地裁であり、森鍵一裁判長は県の請求を却下した。


・東京電力福島第1原発事故で、東京などに避難した17世帯47人が国と東電に約6億3400万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が東京地裁であった。水野有子裁判長は津波対策を怠った国と東電の過失を認め、42人に計約5900万円を支払うよう命じた。


・平昌パラリンピックが閉幕。日本のメダル総数は10個(金3、銀4、銅3)となり、14年ソチ大会の6個(金3、銀1、銅2)を上回った。


・日本年金機構は、年金受給者約500万人分の個人情報の入力を委託した東京都内の情報処理会社が、契約に違反して中国の業者に業務を再委託していたと発表した。


・13人が死亡、6000人以上が負傷した1995年の地下鉄サリン事件から23年。東京メトロ(旧営団地下鉄)霞ケ関駅では駅員が犠牲者に黙とうをささげ、遺族らと共に冥福を祈った。


・河野太郎外相は、ロシアのラブロフ外相と東京都内で会談した。北方四島での日ロ共同経済活動の具体化を協議。安倍晋三首相が5月に予定する訪ロの際に一定の成果を出せるよう調整を加速する方針で一致。


・自民党憲法改正推進本部は全体会合で、憲法9条改正について今後の対応を細田博之本部長に一任した。細田氏ら執行部は、戦争放棄を定めた1項と戦力不保持を定めた2項を維持し、「9条の2」を新設して自衛隊を明記する方針。


・長野県の八ケ岳連峰・阿弥陀岳(2805メートル)南稜付近で、登山中の30~60代の男女7人が滑落。3人が死亡した。


・衆参両院で、「森友学園」との国有地取引に関する財務省の決裁文書改ざんをめぐり、当時の理財局長だった佐川宣寿氏の証人喚問が行われた。佐川氏は改ざんについて「首相官邸の指示はなく、財務省理財局で対応した」と説明。改ざんがだれの指示で、どのような動機で行われたかについては証言を拒否した。


・天皇、皇后両陛下は3日間の日程で沖縄県に入り28日は日本最西端の与那国島を初めて訪れた。沖縄訪問は即位後6回目で通算11回目。来年4月末の退位を前に、在位中としては最後の訪問になる見通し。


・2018年度の政府予算が参院本会議で可決、成立した。一般会計総額は過去最大の97兆7128億円。


郁生は、その一か月、三面記事的な事件事故をも含めて、人類世界の日常的な外部世界の出来事を、さらに過去の人類の営みの功罪を、<宇宙自然の法則><地球を覆う空気の原理原則>とともに重ねたり結合させたりして、<その結果の時:行方>を待つ…。


特に、自分の職業的世界観だけでなく、さらに小市民的に自分が居住する自治体“住みよいまち”とのかかわり、市民住民観で考えることも重要である、と志向する。


大阪府茨木市は、隣町高槻市の城主戦国大名高山右近の統治にあった結果、茨木市忍頂寺地区に確認された世界でも稀有な存在<隠れキリシタン>の存在で、ローマ教皇庁からも視察団が来たといわれる<隠れキリシタン資料館>が設営された経緯がある。

また日本初ノーベル文学賞受賞作家、川端康成は、幼くして両親を亡くし祖父母の実家茨木で中学まで過ごした故郷であり、川端が文学に目覚めた暮らしの原点、自治体の市営<川端康成文学館>もある。


郁生は、『Passport・New《愛》』の日記、土曜日は<「地域の日」として地元に社会的貢献、ボランティアなどを行う日>として、関わるようになった。

茨木市の市民活動センターの「地方創生まちおこし:市民大学」の自治体行政と市民が一致して<住みよいまちつくり>に参加協力する市民感情・空気がまちの流れとして、『茨木童子』の<鬼伝説>の恐れとともに覆っていた…。


文豪たちの戦争―『わが心そこにあらず』―


川端康成が幼少期から青年期を過ごした大阪府茨木市は2018年に市制施行70周年を迎えること、また、同氏のノーベル文学賞受賞50周年にもあたることから、これらを記念し“青春”をテーマとした「川端康成青春文学賞」を創設し、同年6月30日の締め切りで国内外に向け公募した。応募ジャンル、年齢も問わない応募規定だった。テーマが青春であればジャンルは不問。SFでもミステリーでも純愛でも、どんな内容でもOKだ、とした。


関連して、川端文学の図書紹介、小説原作の映画公開『伊豆の踊子』『古都』などイベントがあった。郁生は、川端文学は好みではなかた。ただ一つ、著者の自殺によって未完の遺作となった『たんぽぽ』だけは、最期の著作として単行本で発刊され購入し読もうとして本棚においたが、ほんの少し読んで古本屋に売却した。

その償いもあり、市営「川端康成文学館」を近くの用事と時間があれば訪れ、名誉市民第一号となった<自殺した文豪:米国ノーベル文学賞作家ヘミングウエイ>とともに、その<自殺した作家>としての信条・本音を理解し慰めが必要だったのだろうと、文豪としてよりも<人間川端康成>としてその胸中、本心に関心があった。

72歳にして、あらためて市政協力地元市民として「川端康成青春文学賞」に重大な関心が沸き上がった。


かつて、青春時代、西洋哲学、欧米文学、それらの原点、『聖書』や、直木賞作家の五木寛之や、石川達三、松本清張他、ベストセラーの大衆文学にも幅広く関心をもった。郁生の本心は<森羅万象>宇宙自然への関心である。「地球上のすべては空しい」「なぜ神は地球ごと人類すべて、森羅万象、を塵にしないのか」と思うようになったのはいつのことだろうか。ロシアの文豪ドストエフスキーの主人公、『世界が終わってもいい』という究極に理解を示すようになった。そして「求め、求め、求め、…やはり、すべてが空しい」との日々の中に見えた明かり、トンネルの先にたどり着いたのが、「ある真理のことば、永久に輝く光」であった。

もしかしたら「アインシュタイン科学者らの悲願世界連邦政府」の極点かもしれないと、理解するようになった。

 

郁生が今書く日記『Passport・New《愛》』こそ、自分の命に係わる世界を7つの分野に区分し<新羅万象>を求め深層のつながり考え記録する『死なない日記帳』と称されるものであった。


その流れを<近未来SDGs小説>として「川端康成青春文学賞」に応募した。表彰式は2018年12月15日(土)、茨木市役所内で行われた。当日は福岡洋一茨木市長をはじめ、川端康成記念会東京事務所代表・理事の水原園博氏が列席し、選考委員3名とともに、受賞者をたたえた。

選考委員は次の著名人3人であった。

・津村記久子 小説家。2005年、「マンイーター」(単行本化の際「君は永遠にそいつらより若い」に改題)で第21回太宰治賞を受賞し、デビュー。2009年、「ポトスライムの舟」で芥川賞、2013年、「給水塔と亀」で第39回川端康成文学賞受賞。その他の著作に『カソウスキの行方』『ミュージック・ブレス・ユー!!』など。

・羽田圭介 小説家。高等学校在学中の2003年、「黒冷水」で第40回文藝賞を受賞し、デビュー。2015年、「スクラップ・アンド・ビルド」で芥川賞を受賞。その他の著作に『「ワタクシハ」』『成功者K』など。

・大野裕之 脚本家・プロデューサー、日本チャップリン協会会長。川端康成ゆかりの茨木高校卒。2014年、映画『太秦ライムライト』のプロデューサーと脚本を担当。ファンタジア国際映画祭最優秀作品賞、ニューヨーク・アジアン映画祭観客賞など国内外13の賞を受賞。


選考外になった郁生は「空しい、空しい、すべては空しい」と<永久に輝く真理>に焦点を合わせた。この後、『Passport・New《愛》』からみた文学の世界の行方の先は、その想定結果同様、同賞は一回限りとなった…。郁生は、この後、川端文学の限界、「すべてのものは定められた時がある」という、永遠に正しい方向に向かう真理の原則・力を<川端康成文学館>の<秘められた論説資料>に感じ取った。川端文学を「やはり魔界だ」と感じ探求をおそれた地元版画家と知り合いになった。


「この世の復活を願う『アンネの日記』とは異なる」と郁生は思った。行先は自滅、自死に通じる。その象徴になるかもしれない、茨木市の市制70周年記念事業として、茨木市が全面協力で製作された映画『葬式の名人』が翌年2019年9月20日上映された。川端の『葬式の名人』他、『十六歳の日記』『師の棺を肩に』『少年』『バッタと鈴虫』『片腕』などの短編小説をモチーフに散りばめられた群像コメディ。制作費の一部は、ふるさと納税を利用したクラウドファンディングによって負担された。目標額は1000万円であったが、1500万円以上になったという。そおれらが川端文学の弔いになったといえるかもしれない、と郁生は思った。


弔いもされず海の藻屑もくずとなった若者たちへ流せない涙。

川端は、従軍記者として満州に行く。そして<神風の国日本>の敗戦が濃くなった終戦前に、海軍省の記録者として、ある作家の辞退と推薦で、鹿児島県の特攻機の基地にも赴いたのである…。(以下フリー百科事典 ウィキペディア Wikipedia抜粋)

その作家とは、1907年1月11日 生まれで、 1978年9月30日に没した、川端より一年短い71歳の生涯で、歴史小説を中心に活躍した山岡荘八である。本名は藤野庄蔵、従四位勲二等瑞宝章叙勲。自由党元衆議院議員の山岡賢次は養子、孫も衆議院議員として国政に関与。


山岡の歴史小説に一般になじむ名前の作品が多い。郁生は自分の記憶にある人物の名前を付した山岡の小説名を追った、たとえば―

『千葉周作』東方社 1952-1954 のち山岡荘八歴史文庫、

『日蓮』東方社 1952 のち講談社文庫、山岡荘八歴史文庫、

『徳川家康』全26巻 大日本雄弁会講談社 1953-1967 のち文庫

『若き日の千葉周作』河出新書 1955

『風流版大岡政談』桃源社(新撰大衆小説全集) 1955

『女難・開眼の千葉周作』河出新書 1955

『織田信長』全8巻 大日本雄弁会講談社 1955-1960 のち文庫、山岡荘八歴史文庫

『坂本竜馬』東京文芸社 1956 のち山岡荘八歴史文庫

『山田長政』同人社(昭和名作選書) 1956 のち山岡荘八歴史文庫

『源頼朝』全3巻 桃源社 1957-1960 のち講談社文庫、山岡荘八歴史文庫

『水戸黄門』同光社出版 1957 のち春陽文庫、「水戸光圀」山岡荘八歴史文庫

『小説岸信介』第一世論社 1959

『随想徳川家康』講談社 1963

『少年徳川家康』全5巻 講談社 1964

『毛利元就』東都書房 1964 のち山岡荘八歴史文庫

『柳生一族』桃源社 1964 「柳生石舟斎」山岡荘八歴史文庫、光文社文庫

『少年織田信長』秋田書店(少年少女小説文庫) 1965

『太平洋戦争』全9巻 講談社 1965-1971 「小説太平洋戦争」山岡荘八歴史文庫

『黒船懐胎』文藝春秋新社(ポケット文春) 1965

『異本太閤記』全7巻 講談社 1965 「豊臣秀吉」講談社文庫、山岡荘八歴史文庫

『高杉晋作』講談社 1966 のち山岡荘八歴史文庫

『徳川家康名言集』講談社 1967

『明治天皇』全3巻 講談社 1968 のち山岡荘八歴史文庫

『吉田松陰』学習研究社 1968 のち山岡荘八歴史文庫

『伊達政宗』毎日新聞社 1970-1973 のち山岡荘八歴史文庫、光文社文庫

『春の坂道』日本放送出版協会 1971 「柳生宗矩」山岡荘八歴史文庫

『徳川家康 歴史対談』桑田忠親 講談社 1972 のち文庫

『少年版・太平洋戦争』全5巻 少年少女講談社文庫 1973

『徳川家光』全3巻 毎日新聞社 1974-1976 のち山岡荘八歴史文庫、光文社文庫

『徳川慶喜』全5巻 講談社 1974 のち山岡荘八歴史文庫

『前進か死か 樋口俊夫の超常識商法』フェイス出版 1974

『破天荒人間笹川良一』有朋社 1978

『善の巡環 世界のファスナー王吉田忠雄伝』正続 千広企画出版部 1980-1981


郁生は、山岡の作品名から、その多彩な知識欲と創作に感嘆した。しかし、山岡に限らず、そこに書かれた何であれ歴史上の人物、その思い、行動、理想の<真実はその記録の中にはない>と思うのは<絶対正しい真理>と理解する。

<『わが心そこにあらず』―そこにいても心は別のところにある―>という郁生が体感会得した<小説化された歴史上の人物>に対する同情心、絶対的真理の心の叫びである。


止まない戦争の心の傷跡は続く―「学徒出陣」大学の血の叫び―


30歳の郁生は、結婚し高槻のマンションに住んだ。35歳で<マンションの未来>を想定し、茨木市の駅近戸建住宅に転居し、茨木市で37年間住んでいた。

少し離れた近隣の87歳になるが仕事に励む一人住まいのA氏から、戦後の農地解放で自殺した地主がいたことを、聞く機会があった。人間の命の資産、といえる食べ物を生み出す大自然の土地。それを国家が奪い小作人に分配された大地主の悲嘆と未来はどのようなものがあったのか。


郁生は「お孫さんがおられるなら『孫たちへの証言』」のテーマで戦争関係の体験記を募集している出版社があります」と新聞記事を紹介した。

孫は京都のキリスト系大学、同志社の大学生とのことだった。


郁生は前年、京都を訪れ、ついでに同志社大学を見学した。創立者、新島襄と大学の教育理念を知った。

新島襄が残した名言の一つに、「アメリカ人の言葉に『時は金なり』とありますが、むしろ『 時は金よりも尊し』と述べた」というものだ。すでに心臓病に苦しんでいる新島は「明日は死ぬかもしれない」と思って毎日を充実させて生きていたのだろう…。


..新島は国家近代化の先導者になろうと、21 歳の幕末1864(元治元)年、函館から国禁を犯して翌年アメリカのボストンに着いた。9年間の欧米生活でキリスト教、特にプロテスタントが文化や国民に与えた精神的感化の巨大さを体得し帰国 。そのひとつが「良心」。<良心とは「人間の目」ではなく「神の目」>を意識して 初めて芽生える。 つまり宗教をベースにした教育で有効に 触発されると考え教育理念とした。同大学は「神学部」の歴史がある。


郁生は<良心とは「人間の目」ではなく「神の目」>との一文に、関心をもち、『聖書』の中で実際に<神の目>がどんなものかを調べた。<神はすべてをご存知>。その目は<人間の心=内なる心>を必ずあぶりだす。


この<神の目>については、同志社大学神学部として存続する。そのホームページを郁生は訪問後追った。(以下郁生要約)

<神学部>とは、宗教を通して世界の動向と人間精神の内面を洞察する。

2011年3月11日、東日本を襲った大震災は、その直後から、神学部の学生が現地の教会を拠点としてボランティア活動に取り組んだ。「神を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい」―聖書に記された隣人愛の精神を社会において実現する。人類の長い歴史の中で、人が生きていくことに方向と力を与え、励ましてきたのが宗教です。人類史上、宗教を伴わなかった時代や社会はありません。その宗教を内側から深く理解し、研究するのが、神学という学問です。

キリスト教神学は、西洋では中世以来、大学の歴史とともに歩んできた伝統のある学問で、長い歴史のある大学には必ず神学部・神学研究科が設置されています。その一方で、神学は時代の変化に対応して、人々に新しい考え方を提供する柔軟性も兼ね備えています。たとえば科学や医学の分野において、環境破壊や生命倫理などの問題に対して、「人間に命が与えられていることにはどのような意味があるのか」という視点から問い掛け、課題を提起しています。

宗教への深い理解を育て国際情勢を正しく見据える視点を養う

私たちは、もう一つの「11日の惨禍」を知っています。2001年9月11日、アメリカで発生した同時多発テロです。この事件の背景をなす大きな要因の一つとして、宗教的な価値観の相違が挙げられました。宗教は、現在も世界のあらゆる地域において、プラス・マイナス両面で大きな役割を果たしている。

テロや戦争だけでなく、政治・経済の問題なども含め、現代の国際情勢を把握するためには、宗教についての知識と理解がこれまで以上に求められています。同志社大学神学部は、同志社設立以来の伝統あるプロテスタント・キリスト教の研究に加え、他の宗教も視野に入れつつ、宗教現象の学際的・総合的な研究に取り組み、2003年度からは、キリスト教研究の一層の充実を図りながら、イスラーム研究とユダヤ教研究を積極的に導入し、研究対象を中東生まれの「セム系一神教」へと拡大した。

現在では、ユダヤ教、キリスト教、イスラームという、世界の文明の共存に死活的な役割を果たす3つの宗教を同時に、かつ本格的に学ぶことのできる、世界でも貴重な教育・研究機関となっている。


郁生は以前、訪れた同じ京都で金閣寺が近くにある大学を思い出した。立命館である。「学徒出陣」など二度と繰り返してはいけないと、同校衣笠キャンパスでは、人類の戦争の歴史を展示した「国際平和ミュ―ジアム」を併設し、郁生は二度ほど訪問したことをA氏に話した。そこには<宇宙誕生から人類の現代文明までの時間表>がある。

宇宙人類の誕生と歴史は、24時間1日にたとえるなら深夜0時の<#限りなく透明に近い白い人>になる、見えない瞬間に生まれ死んでいく一瞬間の命。戦地で死んでいった若者の遺品、悲しみの記録など、最期の命の一瞬、絶命の叫びが次々連続で上がった。


立命館の平和ミュージアムと教育理念は、『2度に及ぶ世界大戦で、幾千万もの命を失い、人類未来に、学問研究の自由に基づき普遍的な価値の創造と人類的諸課題の解明に邁進…(中略)…確かな学力の上に、豊かな個性を花開かせ、正義と倫理をもった地球市民として活躍できる人間の育成に努め…地球市民…教育・研究機関として世界と日本の平和的・民主的・持続的発展に貢献する…』とされる。


郁生の地元、茨木市の立命館の大学生のほとんどが<立命館憲章>を知らないと答えるという。多数の留学生を抱え国内外の教育展開を目論む立命館の大高中小の通学者において、京都衣笠の平和ミュージアムとの距離は<月以上に遠い>若者が多い…。いや、きっといるはずだ、祖父母、あるいは両親から聴かされた、先祖、家族、親族の悲嘆や恐怖の叫びに、平和に対して武器をとらずに戦う責任を負った、人類史の文豪作家、…日本にも、…山岡荘八、川端康成らの、子となり生きる<地球人>がいるはず。


<神の目>を持つ教育を指針とする同志社大学生を孫にもつ元地主の家系として戦争被害者は言った。

「もう年で、書くことが難しい…」


郁生は古色豊かな広大な家屋敷を、戦いに明け暮れた戦国の京都、本能寺の変遷をみて「空しい。なんと空しいことか」と、京都を去った心根<究極の真理>に還っていた…。


郁生は「もう年だ…弱っていく…」という返事に「私も老いを感じます」と言った。「生きている命ある今、お孫さんに、ご自分の歴史の未来を伝言できる…」可能性を、あえてもう一度伝えた。

命ある限り、脳と手が動くかぎり人は誰でも、よい日記、よい自分史は書き続けることができる。それは「この世に生き続ける自分のエンディング・ノート」<孫たちへの伝言=人生の決算書>である。

郁生は1週間で<自分の命>を書き残せる、『あなたが死なない主人公で1週間で書く短編小説『あしたの命《愛》』』の本をプレゼントした…。

A氏はページ繰りながら言った「もう一冊手に入りますか、孫におくります。お代はまとめて払います」


終わりなき<子や孫たちへの証言>―戦争中の戦う人の嘆き―


郁生は、以前ネットでも<孫たちへの証言>を検索した。150万件以上がヒットする戦争の巨大な惨禍が描出されている日本国の悲劇を知った。

そこに大阪の出版社が存在し、父親が戦争後帰還した人格変化に<戦争を二度としてはいけない>との純心な平和への動機で記録募集が始まった…。

そのホームページでは-

『高年齢化が進み、戦争も風化しつつある今、一人でも多くの体験を記録しておかなければなりません。戦争がいかに悲惨でおろかしく、無益なものであるかを、しっかり形にとどめ、次代へ語りつぎましょう。あなたの体験をお寄せ下さい』と訴えている。


広島原爆の被害者、戦争、戦火、戦禍…の嘆き、叫び、苦痛、苦悶の描写世界が広がる…。茨木でも郁生は被爆二世の人との出会いがあった。『核平和都市宣言』のまちとして、石碑と庁舎に垂らす巨大な垂れ幕がある。


人には言う。では子や孫がいる自分は?彼らに何を伝えるか。探し求めた歳月の自分の命の問題、自分史…同3月28日、桜が満開の大阪城をよそに傍の「大阪国際平和センター(通称:ピース おおさか)」を初めて訪ねた。


フリー百科事典 ウィキペディア Wikipediaで郁生は概要を確認していた。


平成元年(1989年)、大阪府と大阪市の出資により財団法人大阪国際平和センターが設立され、平成3年(1991年)に開館した。

大阪大空襲など50回を超えるアメリカ軍の無差別爆撃により、一面の焼け野原となり戦争で大きな被害を受けた大阪において、それらの被害を記録し、戦争の悲惨さと平和の尊さを後世に伝えるため大阪府と大阪市が共同で設置した。展示室も設けられており、大阪に落とされた1トン爆弾の模型や写真、満州事変から太平洋戦争終結に至までの戦争や原爆、アウシュビッツに関する展示がある。

開館から2014年8月までに188万人が訪れており、来場者の過半数は課外授業などで訪れる小中学生等である。


訪問前にさらにみたホームページによると―(郁生要約)


ピースおおさかは、1991(平成3)年に平和の首都大阪の実現をめざし、大阪府民・市民の協力のもと、世界平和に貢献することを目的に、大阪における平和の情報発信基地として開館…。戦後70年を迎え、戦後生まれが総人口の4分の3を超えた今日、戦争の記憶を風化させることなく、次の世代に戦争の悲惨さと、平和の大切さを伝えていくというピースおおさかの役割はますます重要になっている。

…来館者にとって身近な地域の出来事である「大阪空襲」を中心に取り扱う。次代を担う子どもたちが、この大阪で起こった空襲の実相や大阪と戦争の関係を通して、戦争の悲惨さ、戦争の背景を理解するとともに、平和を自分自身の課題として考えることができる展示をめざした。


歴史に学ぶことは、過去の時代を追体験することであり、このことを通じて、現在を考え、そして未来の方向性を見定めるヒントを得ることができる。…当時の人々がいかに生きたかを、できるだけ体感し…、当時の国際情勢を踏まえつつ、なぜそのような経緯を辿ったのか…できるだけ明示するように努めた。

また、空襲とともに戦後復興も…大阪の街の発展とともに紹介する。…内外のより多くの人に理解していただけるように努めた。


今なお、世界では戦争や紛争が絶えません。わが国もかつて戦争により多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた。ました。また、唯一の被爆国として多くの尊い命を失った。戦争の悲惨さを知り、体感しさえすれば、それで平和が訪れるものではない。平和とは何か、そのために何をすべきか、何ができるかを、私たち一人ひとりが考え、今できることを地道に実現に移すことが、求められている。

ピースおおさかは今後も、…世界の平和に貢献するための大阪における平和ミュージアムとして、多くの皆様にご利用いただけるよう、努力を重ねます。


2015(平成27)年4月30日


郁生はパンフレットをもらい、設立の目的を展示からも理解していくため、3階建ての各展示室AからFゾーン、特別展示室、図書室・映像コーナーをまわった。

その中、戦時下で厳しさを増すくらしとともに、空襲に備えた当時の様子を伝える展示ゾーンをみた。…女学生の日記や出征する兵士の手紙、戦地からの手紙、臨時召集令状(赤紙)などの実物資料のほか、当時の服装や食べ物、再現された戦時下の民家(実物大)も展示されていた。≪当時の人々の思いを伝える手紙・日記≫・出征兵士が家族一人ひとりにあてた手紙・戦地からの手紙・戦死を知らせる手紙・女学生の日記など、命の声が聞こえてくる。

「戦争と平和」に関する専門書から児童書まで約3万冊を所蔵し、自由に閲覧することができる国内外の書籍文献コーナーでは、郁生は『ヒットラー』と『アンネの日記』と関係書籍を紐解いた。


それら遺品や声や写真記録は、<『わが心そこにあらず』―そこにいても心は別のところにある―>、その真実を聞き分け、見分けるようにと、郁生は、『Passport・New《愛》』の7つの命の分野から仕訳し、自分の心に書き留めていった。

そして、郁生は徒歩で行ける傍の<大阪城>にむかった。


侵入し攻められる大阪城―時空の逆転―


郁生は、スマホで、大阪城を検索した。『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』によると―

「太閤はんのお城」と親しみを込めて呼ばれることもあるが、1583年(天正11年)から1598年(慶長3年)にかけて豊臣秀吉が築いた大坂城(豊臣大坂城)の遺構は、現在全て埋没している。

現在地表に見ることのできる大坂城の遺構は、1620年(元和6年)から1629年(寛永6年)にかけて徳川秀忠が実質的な新築に相当する修築を施した大坂城(徳川大坂城)の遺構である。

1959年(昭和34年)の大阪城総合学術調査において、城跡に現存する櫓や石垣などもすべて徳川氏、江戸幕府によるものであることが判明。


大坂城は、上町台地の北端に位置する。かつて、この地のすぐ北の台地下は淀川の本流が流れる天然の要害であり、またこの淀川を上ると京都に繋がる交通の要衝でもあった。元々は古墳時代の古墳があったと言われ、戦国時代末期から安土桃山時代初期には石山本願寺があったが、1580年(天正8年)に石山合戦で焼失した。『信長公記』によると信長はこの立地を高く評価しており、跡地にさらに大きな城を築く予定であったという。


石山合戦終結後は織田信長の命令で丹羽長秀に預けられた後、四国攻めを準備していた津田信澄が布陣し「千貫矢倉」もあった(『細川忠興軍功記』)が信澄は本能寺の変の際に、丹羽長秀に討たれた。その後、清洲会議で池田恒興に与えられるも、ただちに美濃へ国替えとなり、秀吉によって領有された。そして秀吉によって大坂城が築かれ、豊臣氏の居城および豊臣政権の本拠地となったが、大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失した。徳川政権は豊臣氏築造のものに高さ数メートルの盛り土をして縄張を改め再建した。


その後、江戸幕府が大坂城代を置くなど近畿地方、および西日本支配の拠点となった。文献等にもよるが、日本三名城のひとつ(他の二つは名古屋城、熊本城があげられる場合が多い)に数えられる場合もある。


現在は江戸時初期から後期にかけて建てられた櫓や門、蔵など13棟が現存し、城跡は710,000平方メートルの範囲が国の特別史跡に指定されている。天守は1931年(昭和6年)に鉄骨鉄筋コンクリート構造によって復興された物であるが、現在登録有形文化財となっており、博物館「大阪城天守閣」として営業している。ちなみに、「おおさかじょう」の表記についてであるが、近代以降「大坂」を「大阪」と表記するように改まったため、現在は「大阪城」と表記することが多い。なお「大阪城」は大阪市の町名にもなっている。


郁生にとって、茨木高槻エリアを統治した戦国キリシタン大名高槻築城の城主高山右近の生き方に関心をもった。その情報をネットで追うと、「高山右近」で20万件以上がヒットした。その生き様を年譜でみるだけで、尋常ではない。

それは、最終的に「剣をとるものは剣によって滅ぶ」というイエスキリストが弟子に与えた諭、メシアの本質であり、その後逮捕連行され刑柱にかかり殺される道。その三日後、イエスは復活して、自分が<神の子>であることを実証したという、『聖書』の記録。

右近は、武将という当時の常識、栄達の道から、キリストの道、剣を執らない戦いの道に入っていく。

それは1970年敗戦荒廃の日本の復興を謳う「人類の進歩と調和」の大阪万博、安息の日本庭園の入口に建つ、『聖書』預言者のイザヤの『剣を農具に打ち換える』銅像の礎の成句碑文と調和する。郁生が住む茨木のJR駅から自転車で20分程度の隣まち吹田市の万博記念公園にあった。郁生は何度となく<先見の明の今日と対比>してみるのである。


織田信長に見込まれた高山右近はキリシタン大名として、宣教者から西洋最先端の知恵知識を吸収しようとした織田信長と協働するところがあった。その年譜を追うと―

1543年天文12年 ポルトガル船が種子島に漂着、鉄砲を伝える

1549年天文18年 フランシスコ・ザビエル来日、キリスト教を伝える


(石川県金沢市 高山右近研究【高山右近をしのぶ会】―キリシタン大名高山右近を顕彰する人々のグループ・ホームページより)

和暦     西暦 右近年齢

天文 2115521摂津高山に飛騨守の長子として生まれる。幼名彦五郎。

永禄 7156412イルマン・ロレンソより洗礼を受ける。クリスチャンネームは「ジュスト」。

永禄 11156816信長上洛。右近伏し和田惟政に従い、摂津芥川城を預かる。

元亀 元157018高山氏高槻に移る。

元亀 2157119荒木村重、和田氏と戦い、惟政戦死。右近父子馬塚、糖塚を死守する。

天正 元157321右近父子、和田惟長を討つ。右近高槻城主となり、友祥と称す。荒木村重に属し2万石を食む。

天正 2157422高槻に天主堂を建立。

天正 4157624京都の南蛮寺建立に尽力。

天正 6157826荒木氏の叛に際し、右近高槻城を開城。信長に従い4万石を食む。

天正 7157927父 飛騨の守、北荘に配流。

天正 8158028安土セミナリヨ建設に尽力。

天正 9158129巡察師バリニァーノを迎え、高槻に盛大な復活祭を執行。

天正 10158230本能寺の変。山崎合戦に先陣。4千石加増。安土セミナリヨを移し、高槻セミナリヨを建つ。

天正 11158331亀山城攻略に功あり。また江州各地を転戦。大坂南蛮寺建立に尽力。小西行長一家、黒田孝高、蒲生氏郷、牧村政治らを感化、キリスト教に導く。

天正 12158432小牧山の戦に参加。

天正 13158533根来征伐、四国征伐等に功あり。明石6万石に移封。

天正 14158634ゼズス会準管区長コエリヨを伴い大坂城の秀吉に謁見。

天正 15158735九州征伐に参加。6月伴天連追放令下る。右近また放逐され、行長により小豆島に匿われる。

天正 16158836行長肥後に移封。前田利家、秀吉に斡旋、右近を加賀に引き取る。

天正 18159038小田原役に前田氏に属して功あり、秀吉にも謁する。

文禄 元159240右近、名護屋に赴き秀吉に引見さる。

慶長 元159644父 飛騨守歿。

慶長 4159947前田利家歿。右近遺子利長のため大坂に使わす。金沢城修築。

慶長 5160048関ヶ原役に際し大聖寺を攻める。

慶長 8160351内藤如安を前田氏客将に世話する。

慶長 10160553金沢に南蛮寺を建立。

慶長 12160755宇喜多休閑、前田氏客将となる。

慶長 14160957利長の命を受け高岡城築城。


慶長 19161462家康、切支丹禁令を令し、右近らの国外追放を命じる。右近、内藤如安らとともに金沢より長崎を経てマニラに至り、歓迎を受ける。

元和 元1615632月3日、マニラに病没す。全マニラ市民により10日間にわたる葬儀が執行され、ゼズス会聖堂に葬られる

(慶長20)


「正しいものは死んでも生き返る」これを宇宙自然の法則として信じて日記を書き続けた『アンネの日記』のアンネ…。

右近に直筆の残された「死なない文書、日記」が見当たらない。なぜか「歴史は勝者によって塗り替えられる」という歪められた法則真理…。


郁生は、「正しさとは何か」「真実を求めて」茨木市の隣町、高槻市のカトリック高槻教会のホームページをみた。

<正教分離教育の歴史の教科書>には決して載せられていない「統治者の生き様」の数々。「一つだけでは信じない。二つ、いや三つ、いや四つ…」「…多くの証人、証言、証拠をもって信じられる完全な人」「右近は完全にそろった『聖書』を読んでメシア・キリストを理解し命を懸けて信じたのか」

郁生は、<隠れキリシタン資料館>で探し求めたが、あってはならないものがあり、聖なる力の源『聖書』がない。あった痕跡もない。『消えた『聖書』を追え』

ザビエルとともに訪れた日本人…『消えた『聖書』を追え』と郁生の脳裏で<聖なる力>が駆け巡る。

信じても、裏切り、裏切り、殺人、殺人、強奪、強奪、…神も仏もない戦国の狂乱の中で、信長、光秀、秀吉、家康らに請われながら<正しい生き残りの道>を求め最終的に『剣を捨てた右近』が、大阪万博記念公園のイザヤの預言銅像の傍で、信長、秀吉。家康らの栄光ある征服者として、立つ。


郁生は、近代装備をもつ<偽装の大阪城>を見上げた。


<エピログ>―心が解け合う―


郁生は、外国人、韓国のハングル文字を旗印に大阪城の城門を入っていく、剣をもたない観光客の集団の後を、歩く…ネット(ウィキペディア Wikipedia)を追った…


天下統一した秀吉が次に目論んだ「朝鮮出兵」…

天下人・秀吉は大明帝国の征服を目指し、配下の西国の諸大名を糾合して遠征軍を立ち上げた。秀吉は(明の)冊封国である李氏朝鮮に服属を強要したが拒まれたため、この遠征軍をまず朝鮮に差し向けた。

小西行長や加藤清正らの侵攻で混乱した首都を放棄した朝鮮国王宣祖は、明の援軍を仰いで連合軍でこれに抵抗しようとした。明は戦闘が遼東半島まで及ばぬよう日本軍を阻むために出兵を決断した。

以後、戦線は膠着した。休戦と交渉を挟んで、朝鮮半島を舞台に戦われたこの国際戦争は、16世紀における世界最大規模の戦争であった…


双方に決定的な戦果のないまま、厭戦気分の強い日本軍諸将が撤退を画策して未決着のまま終息したため、対馬藩は偽使を用いて勝手に国交の修復を試み、江戸時代に柳川一件として暴露された。

戦役の影響は、明と李朝には傾国の原因となる深刻な財政難を残した。朝鮮側は戦果を補うために捕虜を偽造し、無関係の囚人を日本兵と称して明に献上せざるを得なかった。豊臣家にも武断派と文治派に分かれた家臣団の内紛をもたらしたので、三者三様に被害を蒙ったが、西国大名の中には多数の奴婢を連れ帰るなどして損害を弁済した大名もあった。


その他、朝鮮出兵の愚挙が書き込まれている

『剣をとるものは剣によって滅ぶ』


郁生は大阪城の天空に輝く天主を見上げて、また思い出す「…空しい、空しい、すべては空しい…」。入場せず、そこから下りのコースをとった…


大阪の街が一望できる秀吉も悦に入ったであろう断崖に立つ。

悪魔サタンが誘惑する。

『この世界をあげよう』と。

『さがれ、サタン! 天主閣の訪問者、地球人の今を見よ』と

郁生は眼下の住民に向けて代弁する。


上がってくる若い男女の日本人に向けて

『Passport・New《愛》』を郁生は開けた。

今日は日曜日で『国際の日:人類愛・福祉』の日である。その空白の頁に

―天下人 さくら舞い散る 城滅び― 

と書いてみせ説明した。


「書いてみます。『Passport・New《愛》』ですね」と二人は答えた。


さらに下っていくと、『Passport・New《愛》』を書いている外国人に出会った。

<#限りなく透明に近い白い人>に会えた。心が解け合った…


(終わりのはじめ)



<あとがき>


<SDGs近未来小説>とは、冒頭で記したように、新しい試みであり、いろんな意味ですんなりとは受け入れられないと想定します。


また本稿小説においても、多くの引用であり、その中で小説とはなりえないとのご批判を想定します。

そうです、ある人々からは「我々はかつてない、知的世界に生きている。誰もが引用、パクリ、の世界生きており、独創の世界は存在しえない。それを、いかにも自分の創造によるものという偽装をしている」との見方もありますか。


「よく調べれば、人類史の中で<新しいものは何もない>」という宇宙からみた<壮大な見解>が存在します。

人類史の偉大な発明発見。それらは<元々宇宙自然の中に存在>していたこと。たとえば、20世紀の大天才とされるアインシュタインの理論も<天地創造の神>からみれば「それは私が仕組んだシステムである」ということになる。

ユダヤ人のアインシュタインは神の存在を否定はしていない。「神はサイコロ遊びをしない」と公言し信じ、つまり<神こそ完璧なシステム設計者>だとの信仰があって、宇宙理論、神の設計の本質を解き明かしたのです。


これら宇宙自然の法則の発見者らの業績を信じれば<#宇宙からみればもっとよくみえ賢くされる>といえるかもしれません。

また、あなたを成長させる考え方として、α<地球は一つ、人種は一つ、法令は一つ宇宙自然の法則《愛》>ωとの宇宙観点こそ、「あなたの未来、自分を大きく成長させる賢い見方、考え方」になるかもしれません。


2020年直前、そして2020年1月、中国武漢で都市封鎖の新型コロナウイルスの世界拡散汚染が「多くの絶対大丈夫」の<不完全な人間過信>の危うい世界を<封鎖崩壊>させていきました…。


日本も結局全土を緊急事態宣言で行動自粛を要請される中

「どうしたら人類社会は元に戻れるでしょうか」

「元ではない。SDGsの遅れが諸悪の根源」という説もあります…。


それらを考えるのは、政治家、企業家、金融家、宗教家、科学者、宗教家、…それら個々の人々、分野でないのは明らかです。それらを統合する「知の統合」の頂点、「サイコロ遊びをしない宇宙自然のシステム設計者のシステム理解の必要でしょう」という説もあります。


「元には戻れないでしょう」

「愚かな歴史の惨劇を繰り返してきた人類社会の営み」

「歴史は繰り返すーそれは傷ついた脳の迷走論理だ」

「そこから抜け出す脳を、その意欲、能力を、生きていて文字や絵が描けるならば…」

そこに『Passport・New《愛》』があります。

本稿、主人公がたどり着いた世界です。


『あなたが死なない主人公で1週間で書く短編小説『あしたの命《愛》』

差別なく望む人は受け取れるはずです。死なない生き方とは何か。

自分を<#限りなく透明に近い白い人>にしていくなら、多分、もっと今以上の《理想の地球》に住む自分になれるかもしれません。


どうか、すべての人が、生き続けられますように。


                          2020年5月5日

                         エレミヤ・ソウル    

<参考資料>

『何でも話せるあなたとー新しい天と地―』

『「地球人のノアハウス」―新しい地への門ーSDGsの上をいく自己超越の道』

『あなたが死なない主人公で1週間で書く短編小説『あしたの命《愛》』

『限りなく「余命なし」に近い末期―Gate to paradise 楽園(ユートピア)への門―』

『「余命一カ月」ソドムと二ネベのまち-Gate to life 命への門』

『限りなく透明に近い白い人になる《循環愛》《人生のパスポート》『Passport・New《愛》                   ーGate to justice  公正への門ー 』

『ニジ色の世界へ行こう タワマンから飛び降りて』

『国摂津の下克上―高山右近と中川清『』 (中世武士選書 中西裕樹 著)

『完訳フロイス日本史〈4〉秀吉の天下統一と高山右近の追放―豊臣秀吉編(1)』 (中公文庫 ルイス フロイス (著), 松田 毅一 (翻訳), 川崎 桃太 (翻訳)

『高山右近』 (講談社文庫 加賀 乙彦 著)

各種日刊紙、週刊誌、月刊誌 他、ネット情報、本稿中に掲載


引用いたしました関係先の皆様のSDGs未来社会でのご発展を願っています。


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