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第2話 天は御主人に二物を与えてくれなかった

 御主人の朝は早い。

 御主人は日の出と共に目覚めると、顔を洗い、上半身裸の格好で庭へと出る。そこで腕立て伏せや腹筋運動をすることから始まり、手製の木でできた模造刀で素振りをして、全身をくまなく鍛えるのだ。

 雨が降ろうが、寒かろうが、御主人はこれを毎日欠かさず続けている。

 勇者たる者、常に鍛錬をしてどんな有事にもすぐに対処できるように備えるのが大切な努めなのだそうだ。

 二時間かけてゆっくりと、そしてたっぷりと鍛錬を行った後は、水浴びをして汗を流し、恒例となっている朝の散歩に出かける。

 この散歩は私の運動も兼ねているため、私も御主人に倣って共に外に出る。

 御主人は相変わらず全身に武器を背負って鎧を着込んでいるため、彼が歩く度に重そうな足音がしている。朝の散歩の時くらいは身軽な格好で外を歩いても良いような気もするのだが、御主人は如何なる時も家の外にいる時は勇者であることをやめようとはしないらしい。立派というか、頑固というか……気が抜ける時くらいは気楽にならないと息が詰まってしまうような気がしないでもないのだが。私が犬だから、人間である御主人の感覚を理解しきれていないだけなのだろうか?

「おや、これはこれは勇者様。おはようございます」

 偶然すれ違った初老の男が、御主人に声を掛けてきた。

 彼は、この街で最も偉い人物である。確か名前はアントニオと言ったはずだが、周囲の人々は彼のことを名前ではなく『町長』と呼ぶことの方が多い。

 白髪の割合の方が多くなった茶の髪に、濃い口髭がトレードマークの人物だ。

 御主人は立ち止まると、彼に向かって軽く頭を下げた。

「これは町長。御丁寧にどうも。おはようございます」

「朝の散歩ですか。毎日精が出ますね」

「ええ、まあ。ブランカの散歩も兼ねてますし、僕も歩くことは嫌いではありませんので」

「はは、そうですか。……ブランキシマも、おはよう。毎日散歩してもらって、君は本当に良い御主人に恵まれたね」

 アントニオさんは笑いながら私の頭を撫でてくれた。

 私はそれにわんと鳴きながら、尻尾を振って応えた。

 ──ブランキシマというのは、私の名前である。

 そう。私の本来の名前はブランキシマというのだが、御主人は名前が長いからという理由で私のことをブランカという愛称で呼んでいるのだ。

 私にブランキシマと名付けたのは他ならぬ御主人なんだから手抜きせずに正式な名前で呼んでくれと思わないこともないのだが、ブランキシマだろうがブランカだろうがそれが私を指している呼び名であることを私は理解できるので、気にはしないようにしている。

 因みにブランキシマとは、今はもう使われていない古い時代の言葉で『白』という意味があるらしい。愛称であるブランカも同じ意味を持っている言葉だ。

 今はもう誰も知らない、古い記録の中にしか残っていないような言葉を知っている御主人は、本当に博識だと思う。

 それだけ知恵者の御主人なのに……こうも何かと残念すぎるのは、一体どうしてなのだろう。

 天は二物を与えず、という言葉がある。人間が時折口にしている言葉だが、まさにそれだ。御主人の体に秘められた『勇者としての力』は紛れもなく本物で戦士としての腕前は誰にも引けを取らないが、それ以外のことがとにかく駄目なのだ。ドジの権化、そう呼んでもおかしくないほどの人物なのである。

 だから、私は御主人から目を離すことができない。

 私が常に傍で見張っていてあげないと、何かとんでもないことをやらかすのではないか。その心配が頭から付き纏って離れてくれないのだ。

 大勢の人に囲まれて『勇者』でいる時は、不思議とやらかすことは……殆ど、ないのだけれど。

 どうして人が見ていないところではこんなにも残念になってしまうのか。それに疑念を抱かずには、いられなかった。


 カランカラン、と扉に吊り下がっていた小さな鐘が鳴る。

 御主人が入店したことを告げる澄んだ音は、店の奥にいた店主を呼び寄せた。

「いらっしゃい……ああ、勇者様でしたか。いつも御贔屓に」

「おはようございます、ポールさん。朝早くからすみません」

「いえいえ、全然構いませんよ。ブランキシマちゃんも、相変わらず良い毛並みですね。よく手入れなされていて。良かったなぁ、ブランキシマちゃん」

 カウンター越しに微笑みかけてくれるポールさんに、私も尻尾を振って鳴いて応えた。

「……今日は何が御入用で?」

「ベンザ草を、五束……と、キサルゲ草を、三束。薬を切らしてしまったので、新しく作らなければならないなと」

「成程。少々お待ち下さい、すぐに御用意しますよ」

 ポールさんは御主人の注文を受けて、店の奥へと引っ込んでいく。

 此処は、薬草や香草を専門に取り扱っている店である。薬草は文字通り怪我や病気を治す薬の材料に、香草は料理の味付けや煎じて茶を淹れたりするために使う植物で、自分で傷薬などを調合している御主人はよくこの店に訪れて必要なものを買っているのだ。

 因みに、怪我や病気に効く薬は既に完成しているものが普通に売られているため、自分の手で薬を調合してそれを使うなどといった手間のかかることをする人間は殆どいない。調合技術を持っている人間は、大抵は完成した薬を売って収入を得るための手段にしている。調合とはそれだけ専門の知識や技術が必要なものなのだ。

 自ら薬を調合しても、材料費は完成品を買うために必要になる経費と殆ど変わらない。むしろ調合の手間と時間が余計にかかる分だけ大変なことなんじゃないかと私は思っている。

 そういう手間をかけてまで、何故御主人は自分で薬を作ろうとするのだろう。私にはそれが分からない。

 まあ、やっているからには何かしらの理由があるのだろうが。自分で作った方が安く済むから得なんだと勘違いしているからであるとは……思いたくないものだ。

 ややあって、店の奥から薬草の山を載せた籠を手にしたポールさんが戻ってきた。

「お待たせしました。ベンザ草が五束にキサルゲ草が三束ですね。個別に包みますか?」

「ああ、一纏めで大丈夫ですよ。……お幾らですか?」

「九十五ノルです」

「九十五ノルですね。……では、はい、これ」

 御主人は財布から純白の貨幣を一枚取り出して、カウンターの上に置いた。

 ……って、御主人。

 ポールさんもそれに気付いたようで、微妙に困惑した様子で御主人が出した貨幣と御主人の顔を交互に見比べている。

「あの……勇者様。白金貨の取り扱いは……うちみたいな小さな店では、流石に……」

「……あれっ」

 御主人が小首を傾げている。

 ああもう、やっぱり勘違いして一桁多く支払ってるよ、この人は。

 人間が買い物をする時に用いている、お金……ノルという名前の貨幣なのだが、全部で五種類あり、種類に応じて単位が変わる。

 貨幣の種類は、それぞれ銅貨、銀貨、金貨、白金貨、霊銀貨に分かれている。銅貨一枚で一ノルとなり、十ノルで銀貨一枚、百ノルで金貨一枚……という風に桁が変わっていくのだ。

 御主人が今出した白金貨は、金額に換算すると、千ノル……つまり、本来ならば金貨一枚出せば事足りるものを、金貨十枚分支払っていることになるのである。

 更に、詳しい事情については私は知らないのだが、白金貨と霊銀貨の二種類に関しては、普通の店では基本的に取り扱っていない種類のお金らしい。もっと大規模な店とか、身分の高い人間しか使わないものなのだそうだ。

 何で、犬の私がこんなことを知っているのかって? それは、御主人が私の隣で散々買い物の時に支払い金額を間違えてその度に店の人に突っ込まれているから、繰り返し同じような話を聞いたせいで覚えてしまったからだ。私はそれなりに頭の回る犬だが、頭の回らない犬だったとしてもあれだけ散々同じことを聞いていたら嫌でも覚えてしまうと思う。それだけこの御主人は、何度も同じことをやらかしているのだ。

 御主人は慌てて白金貨を財布にしまい、金貨を取り出そうと中身を一生懸命に漁り始めた。

 じゃらじゃらと財布の中でお金がぶつかる音が聞こえる。なかなかお目当てのものが出て来ない。一体あの中にはどれだけの金貨以外のものが詰まっているのだか。

 銅貨や銀貨はともかく、白金貨や霊銀貨はこの街じゃ使える店がないのだから、両替商にでも行って使える種類のお金に交換してもらえばいいのに。

 そのうち御主人はうっかり手を滑らせて、財布ごと中身を床にぶちまけてしまった。

 全く……少しは落ち着いて行動しなさい、御主人。

 私は犬だから、人間と違って物理的にできることとできないことがある。貴方のやらかすことを全部フォローできるわけじゃないんだから。

 私は床に散らばったお金を、前足で一枚ずつ踏みつけて手繰り寄せるようにして集め始めた。それを見ていたポールさんも、流石にいたたまれないと思ったのかカウンターの奥から出てきて一緒にお金を拾い集め始める。

 御主人は笑って頭を掻きながら、足下に落ちている金貨を一枚拾ってカウンターの上に置いた。

 ちょっと、暢気にお会計してる場合じゃないでしょ。自分がやらかしたことくらい自分で責任を持って片付けなさい。

 貴方は勇者なんだから。世界中の人たちから尊敬されている、偉大な人物なんだから。

 少しはそれを自覚して、もっとそれらしく振る舞ってほしい。事ある毎に私を呆れさせるのはやめてほしいものである。

 私は財布を咥えてそれを御主人に差し出しながら、胸中で深い溜め息をついたのだった。

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