第9話 オセアニア・アマチュアゴルフ選手権へ
-1-
≪ギィ〜ヨ ギィ〜ヨ ギィ〜ヨ≫
≪ギヒョッ ヒョッ ヒョッ ヒョッ≫
春爛漫。キラキラと眩い陽光を浴びた波の上を、カモメたちが翼を揺らしながら気持ちよさそうに滑空していく。ニュージーランドに到着したボクは、オークランドから湾を隔てて向かい側の半島に行くフェリーの甲板に立っていた。ちなみに日本でよく見かけるウミネコは南半球にはいないそうだ。だから≪ミャ〜♪ ミャ〜♪≫という聞き馴れた鳴き声は聞こえてこない。
それはともかく、ボクもカモメに倣って頬をなでていく海風に向かって腕を目いっぱい広げると大きく息を吸い込んだ。
「ふわ〜気ぃもちいい〜!」
海風にサラサラなびく長い髪が頭皮を心地良く刺激する。と、その時、
「Lady, You are an angel?」
後ろから声をかけられた。君は天使なのかい?だって。翼を広げているから天使の真似をしている様に見えたのかもね。
「Me? I'm not an angel...but...have wings...some kind of devil, I am, maybe」
振り返りながらそう答えると、ボクは小首を傾げながら両手の人差し指を頭の上に突き出して見せた。
「A ha ha ha ha ha! Great! You have a lot of fun!」
えへ、褒められちゃった。真っ白なあご髭を生やした老人が深く刻まれた皺だらけの顔を一層皺くちゃにして大笑いしているよ。ボクの英語のコミュニケーション力も捨てたもんじゃないね。
『ありがとう。オジさん』
『ジジイで構わんよ。旅行者のようだが、どこから来たのかい?』
『日本です』
『ほう、日本からね。観光旅行かい?』
『いいえ。ゴルフの試合です。オセアニア・アマチュアゴルフ選手権に出場するんです』
『なに、君はゴルフの選手なのかい?』
と言うと、しげしげとボクを見つめる。
『わしも、その会場に行くところさ』
『そうなんですか! オジイちゃん、まさかの出場者だったりして?』
『ハハ、試合には出んよ。そんなことより女の子の君に、出場資格があるのかね?』
『え?あ、そうか。こんな姿ですもんね。実はこう見えてボク、男なんです』
と言いながら、髪を揺らして天使の輪をキラキラさせた。
『本当かね?胸もあるし腰もくびれとる・・・どう見ても可愛い女の子にしか見えんが』
『じゃあ、パンツ脱ぎましょうか?』
『ハハハ!面白い子だね、君は。それには及ばんよ』
『パスポート見てみます?』
ボクは肩にかけていたポシェットからパスポートを取り出すと、写真のところの性別欄に印字されている「M」を指先で示した。
『なるほど、写真で見る限りは女の子だが・・・確かに男じゃな。ふうむ、アラシ・キリュウ君か・・・会場で見かけたら声をかけるよ』
『はい。またお会いできるのを楽しみにしてます』
老人は目尻の皺を深く刻んでウィンクすると、軽く手をあげて船室の方へと去って行った。
「アラシ、いまのジイさんは?」
向かい側からデッキを歩いて来た美咲が興味深そうに尋ねる。
「単なる通りすがり。だけど、あのオジイさんもオセアニア・アマチュアゴルフ選手権の会場に行くんだって」
「ふ〜ん」
-2-
「アラシ君、さっそくで悪いけど君に取材依頼が来ているんだ。受けてもらえるかい?」
選手権会場となるキーウィ・スプリングス・ゴルフ倶楽部のクラブハウスに着くなり、先乗りしていたチームアラシのディレクター菅井さんが待ちかねた様子で言った。
「アジアアマチュア選手権に比べるとあまり認知されていない大会だけど、地元ニュージーランドはじめ南半球ではちょっとしたビッグイベントなんだよ。日本から鳴りもの入りの有力選手が来たというので、是非インタビューをという申し入れなんだよ」
「はあ、まあ、ボクは構いませんけど」
「・・・なんか反応薄いね。アラシ君の夢を実現する為には米英ゴルフ界の重鎮たちや世界中のゴルフファンの耳に、君のことが届くまで気を抜かずに頑張らないと」
「そっか。ボクを見てみたいと思わせることが重要なんですよね」
「そう。だからアラシ君、ニュースの受け手にしっかり伝わるよう、君の魅力をどんどん振り撒いておくれよ」
「はい!」
案内されてテラスに出てみると撮影機材がセットされてすでに準備ができていた。取材は地元のテレビ局だった。
「Welcome to NewZealand. How about the first impression?」
収録が開始されると早速インタビュアーが尋ねてきた。エメラルドグリーンのゴルフジャケットを上品に着こなす壮年男性で、喋り終わると口元を軽く曲げて作る笑みが個性的だ。
『お国は初めてですが、空気が澄んでいて緑豊かなところだと思いました。それと羊がと〜っても多い!』
こういう時の定番質問、訪問先の第一印象なのでボクのことを好感して貰えるように返す。海外訪問の会見は惑星ハテロマで慣れっ子なのだ。
『アハハ!人間よりも多いからね。500万のニュージーランド国民に対して羊は3000万頭いるよ』
『どうりで!』
ボクはいつもより少し大きめに目を見開くと瞳に光を意識して顔中の表情筋をコントロール。惑星ハテロマの王立スポーツ研究所で身に着けた王室の女性としての完璧な営業用スマイルを浮かべた。
『ほほぉ・・・君は思っていた以上に美しいし魅力的だ。本当に男性?』
『ええ、もちろん』
『信じられないよ。そんなグレイウォーブラーの囀りみたいな甘い声で言われても』
『ぐれいうぉ・・・何ですか、それ?』
『ああ、こっちの野鳥で実に素晴らしい歌声で鳴くんだ』
『なるほど。声はともかく、性別男性のパスポートでこうしてちゃんと入国審査はパスしました』
ボクはキッパリ答える。
『それはそうと、今シーズン君は世界大学オープンゴルフ選手権に準優勝して、日本の女子プロゴルフツアーでも優勝しているんだって?』
『はい、そうです』
『すごいゴルファーなんだ』
『はい、すごいです』
『アハハ、はっきり言うね』
愉快そうに言いながらも、疑問符でいっぱいの表情をしている。
『この大会は始まってまだ日の浅い新しいトーナメントだけれど、結構注目を浴びていてね、腕に自信のあるアマチュア選手が世界中から集まって来るんだ。ずば抜けている体格の選手もいるし、4日間72ホールの長丁場、君のその華奢な身体で互角に渡りあえるのかい?』
『慣れているので大丈夫です』
ボクはグッと腕を曲げると力瘤を作って見せた。
『アハハハ!こいつはいい!』
その時、周囲でもいっしょに笑い声が起こった。見渡すと少し離れたところで大会関係者らしい女性たちが囁きながら取り巻いていた。このインタビュアーは地元では結構有名人らしい。
『むさ苦しい男子の大会に君のように美しいひとが花を添えてくれると、観戦する側としても楽しみが増えて嬉しいよ』
『花を添えるために来たわけではありません。勝つためにです』
ボクはムッとして応える。
『そ、そうか。では、私も君に注目することにしよう・・・それにしても・・・頬を膨らまして怒ると、また違った魅力があるよ』
『皆さんそうおっしゃいます』
ボクはサラリと言ってのけた。インタビュアーはポカンと口を開けたまま固まってしまった。
-3-
そして大会初日の朝をむかえた。
「練習ラウンドでみっちりコースをチェックしたから、後は天気だけだな」
オレンジ色に染まりはじめた早朝のダイニングルームで、窓から覗く朝日を見やりながらボクの相棒、桜田美咲が言った。チームアラシ発足以来ずっとボクの専属としてやってくれている掛け替えのないキャディーだ。
「うん。ボクとしては少し天気が荒れているくらいの方がやりやすいけどね。キーウィ・スプリングス・ゴルフ倶楽部は長いホールが多いから」
飛距離にハンデがあるから技術でカバーできるシチュエーションの方が差を縮められるのだ。
「とは言ってもこの週末は絶好のゴルフ日和で風も強くなくピーカンらしいぜ。地元のキャディー連中が言っていた」
「あっそ。んじゃ淡々とマイペースでやるよ」
ボクはひと切れミディトマトを口に入れると言った。
「だけどさぁ、アラシの朝飯って日本でも海外でも、どこに行っても果物と野菜なんだな?」
ボクの食べている皿の中を覗き込みながら言う。
「だって、起きがけはあまり食欲がないんだよ。そういう脂っぽいの、ボクは勘弁だな」
テーブルの向かい側に座っている相棒の大盛りの皿を見ながら応える。ソーセージとベーコンに卵、そしてフライドポテトの山だ。
「こんくらい食っとかなきゃ一日持たないってぇの」
「分かってるって。美咲はボクの重いキャディーバッグを担いでくれているんだからしっかり食べてよ」
と、その時キッチンから島野彩さんが出てきた。
「食べ過ぎは絶対に駄目だからね!」
「え?」
「美咲君、君の体型が変わったりしたら用意したウェアが着れなくなるでしょ?」
ボクのヘアメイクと衣装係をやってくれているコンピタンスポーツ社員なのだが、今回の遠征からはキャディーの衣装も担当することになっていた。
「アラシ君のウェアとお揃いでイメージした特注デザインなのよ?だから食べ過ぎは絶対に厳禁!少なくとも大会期間中はその体型を維持してちょうだいね!」
「・・・ウグッ」
大口開けて頬張っていたので喉に詰まったらしい。目を白黒させている。
「それとね、お寛ぎのところ悪いんだけど、ふたりともそろそろ着替える時間よ。君たち、自分では男の子のつもりかも知れないけど、うら若きパジャマ姿の小娘たちにダイニングでウロウロされては、男の人たちが食事出来ないでしょ?さあ、それを食べ終えて着替えた着替えた!30分後にミーティングだからね!」
今回チームアラシが借りている邸宅は大会の開かれるゴルフコース近くの2階建てだ。上が各自の寝室で1階はリビングと今いるキッチンとダイニングになっている。そうか、ボクたちが居たので菅井さんたち男性メンバーは遠慮していたんだ。どうりでダイニングに入って来なかったわけだ。ボクたちは残りの朝食を急いでかき込んだ。
「“I don't come here to add graceful pose. I come to win!”」
リビングルームの大型テレビの中で、少し怒った口調で話すボクが映っている。
「“『と言うわけなんだ。見事にキリュウ選手に切り返されちまったよ!ハハハ』”」
「“『そうでしたか!キッパリ優勝宣言でしたね!それにしても凄い美形。声も甘くてとても澄んだ響きですし、なんと言っても立ち居振る舞いが優雅!女性の私から見ても溜め息が出ちゃいますわ。この子って本当に男の子?』”」
「“『ああ、見かけは清楚で上品な感じのハイティーンガールだけど、中身はとても負けん気の強い男の子だったよ』”」
「“『アラシ・キリュウ選手か。話題の出場選手はいるけれど、このトランスジェンダーの男の娘選手にも注目ね!』”」
例のインタビュアーと女性キャスターが、今日から始まるオセアニア・アマチュアゴルフ選手権の見どころとしてボクのことを話している。大会注目の選手として一応紹介されたみたいだが・・・。
「と、言うのが昨夜放送されたアラシ君のインタビューなんだ」
ビデオコントローラーの停止ボタンを押しながら菅井さんが言った。
「これじゃあ完全に色モノ扱いですよ!ボクの見た目ばかり強調して紹介するんだから!」
「いやいや、これを見た人は誰もがアラシ君がどういうプレーをするのか興味を持ったはずだよ」
「そうね、確かに。男子アマチュアの大会ということで関心の無かったゴルフファンも、アラシ君が出るなら見てみようって思ったかも!」
と言って島野彩さんもうなずいている。
「彩さん、ボクの着る服に注目が集まるだろうと思って喜んでるでしょう!」
「それはそうよ、私のお仕事だもの。こうなったら思いっきり腕をふるわなきゃね。ミーティングが終わったら、そのウェアをもう1度チェックするから。もっと腰高にベルト止める方が、絶対アラシ君の綺麗な足が引き立つわ!となると美咲君もか!」
「うっ」
-4-
予選ラウンド初日のボクは10番ホール、インコースからのスタートだった。
「やっぱりインスタートは気楽でいいや」
「ん?」
ボクがちょっと呟いただけでも直ぐに反応してくれる美咲。プレー中に刻一刻と変わるボクの精神状態をつかむ為、コースに出ると常に傍にいてモニタリングしているみたいだ。
「1番ホールからだと、スタートホールのアナウンサーがいてスタンドのギャラリーに紹介するじゃない。あれって結構プレッシャーなんだよね」
「へえ〜アラシでも気圧されるんだ」
「そりゃあそうでしょ。早口の英語は聴き取れるか自信ないし、ギャラリーが沸いたりすると意味が分からないから不安になるんだよ」
「なるほどね。でも、アラシの場合悪く言われることはないと思うぜ」
「どうして?」
「オマエみたいな正統派お姫様キャラをイジメたりしようもんなら、アナウンサーの方が大ブーイングだよ」
「そかな。でもそれだけじゃないんだ、インスタートでよかったのは」
「?」
「今日は彩さんのおかげで、こうしてバッチリ女の子仕様にお粧しさせられているじゃない?一番緊張するその日最初のティーショットを打つ時、自分では恥ずかしいと思っている姿を晒すわけだから、ギャラリーは少ないに越したことないもん」
「だな。オレは、アラシの引き立て役だからいいようなもんだけど、確かにお揃いのカラーコーディネーションだと目立つよな、やっぱ」
と、言いながら美咲はボクと自分の着ているウェアを見比べる。今日のボクたちがどういう姿なのかって?
ボクのゴルフウェアはいつも通りミニのワンピース、美咲はキュロットスカート風のサロペット、お揃いの生地で仕立てている。サーモンピンク地に白のピンストライプなので、離れて見ると淡い桜色に見える。ワンピースは細い白色ベルトで腰高に留めてあるので、ボクはいつも以上に太腿を露出しているのだ。まあ、下にアンダースコートをしっかり穿いているので、股ぐらを見られても問題ないと言えば問題はないのだが「アラシ君はお尻がちっちゃいからボリュームを持たせないとね」っと言って美咲さんが用意したのはレースのヒダヒダがお尻の部分にいっぱい付いている可愛いものなのだ。これを見られると思うと相当に恥ずかしい・・・。
「やっぱ、視線が気になるかも」
「でしょ?」
「だけどアラシ、おまえはギャラリーなんか気にするな。ニコニコ手を振ってあげればいいんだって。それさえしていれば皆満足なんだから」
「そんなもんかなぁ」
「そんなもんなの」
「What are you talking about?」
同じ組でスタート待ちをしている選手が、ボクたちに声を掛けてきた。
「We are talking about golf psychology」
「What?」
何をお喋りしてるのって言うから、ゴルフ心理学だと答えたらびっくりしてしまった。
『君たちが?ウソだろ!そんな可愛い顔して心理学だなんて!』
『ウソじゃありません。スタートホールでアナウンサーに紹介されると緊張するって話していたんです』
190cmを超えていそうな背の高い男だ。ボクは下から見上げながら言った。
『ふうん。てっきりガールズトークで恋バナでもしているのかと思ったぜ』
『それはお生憎さま。こう見えても、ボク、男ですから。“ミスター”キリュウ、日本人です。よろしく』
と手を差し出した。
『そうなんだってな。テレビで言っていたから。俺はウィル・マクガバン。ニュージーランド人だ。それにしても細くて小さな手だ』
『女みたい、ですか?』
『ああ』
『俺にも握らせてくれ』
もう一人の同伴プレーヤーが握手して来た。
『ぐっ・・・』
いきなり強烈な力で握られた。痛みに慌てて手を振りほどく。
『痛っ!な、なにするんですか!』
『アハハ!オマエ、男なんだろ?これでも手加減してやったんだぜ』
『いきなり卑怯な!』
ボクは睨みつけながら言った。
『怒るなって。俺はハンス・フォン・マイヤー、オーストラリア人だ。昔からカマ野郎には虫酸が走るってだけのことさ』
『カ、カマ野郎・・・くそっ!』
『くそ?レディがお下品ですわよってか?アハハハ』
「こ、この野郎!グルゥゥゥ」
「アラシ抑えて。ここは我慢だ」
ボクがパンチを繰り出そうと拳を固め腕を引いたところで美咲にしっかりホールドされてしまった。
ボクは、好きこのんでこんな身体になっている訳じゃない!地球に帰還する為にどうしても女の身体にならなければならなかったんだ!悔しさに目の前が涙で霞んできた。
『ハハハ!オマエ、やっぱりカマ野郎だな。直ぐにメソメソ泣きだしやがって』
『その辺にしておけ』
ウィル・マクガバンと名乗ったニュージーランド人がボクたちの間に割って入った。
『勝負はグリーンの上でしろ。キリュウも気にするな』
美咲に抑え込まれているボクとハンス・フォン・マイヤーは、相手の出方を伺いながら睨みあった。
「Players,tee off please」
その時、大会役員からスタートするように指示が出た。
『よし、ふたりともそこまでだ。勝負するならスコアで決めろ』
『いいだろ』
『OK。勝負だ』
『ハンデやろうか、オカマのお嬢ちゃん?』
『要るもんか!フン』
予選初日のスタートはマクガバン、マイヤー、そしてボクの順だ。マクガバンはボクらの険悪な雰囲気などまったく気に止める様子もなく、ティーペグの上にボールをセットすると後方線上に下がって方向を見定める。
『それじゃあ、お先に』
そう言うと構えに入り滑らかな動きでクラブを振り上げた。
≪パシーーーーーーン≫
なかなか良い球を打つ。飛距離も出ているしフェアウェイ中央にしっかり停止した。
『見ておけ』
マイヤーがボクを睨みつけながらスタンスに入る。意外と小柄だ。背の高さはボクとそう変わらないかも。だけど厚い胸板でがっしりした足腰をしている。
≪スパーーーーーーン≫
鋭く振り下ろしたクラブから打ち出された球は、左に旋回しながらフェアウェイに落下し勢いよく転がって左サイドのファーストカットを越え、ラフで停止した。
『くっ・・・思ったより曲がりやがって!』
距離は出ているが、マイヤーはコントロールに少し難がありそうだ。
「最初のホールは410ヤード、パー4。風は右から左で少しフォローウィンドだ」
「それでか、アイツの球の曲がりが強くなったんだ!」
「ああ。あの男、ティアップするなり風も読まずに打ったから。ここは短いミドルだから気張らずフェアウェイキープでOKな、アラシ」
「うん。ゴルフは上がってナンボ、飛ばせばいいという訳じゃないからね」
美咲は、頭に血がのぼっていたボクを少しでもクールダウンさせようと気遣ってくれたみたいだ。相棒に感謝しながらひとつ息を吐くと、ボクはティーマークの後方に下がって水平の位置をチェックした。多少前下りの傾斜だったので、いつもより少しだけ高めにティーペグを刺し球をセットする。いつものルーティンをなぞっていくうちに、ザワついていた気持ちもおさまっていく。
「ありがとう、美咲。んじゃ、今日一日よろしく!」
と言い終わるなりゆったりとしたスイングで振り抜いた。勢いでミニスカートが捲れ上がり太腿が露わになったみたいだけど気にしない。
≪カシーーーーーーーーーン≫
クラブフェースの中心、スイートスポットでしっかり捉えた球は、長く引っ張るように打球音を響かせながら綺麗な飛行線を描いてフェアウェイ中央に落下した。
「グッショ!」
「Good shot!」
「Pretty shot!」
「Lovely shot!」
美咲だけじゃなくマクガバンや他のキャディーさんたちもいいショットだと褒めてくれた。ボールじゃなくてスイングの方を褒めているみたいだけどね。ところが、
『まっ直ぐ行ったようだが、全然飛距離が出ていないぜ!』
マイヤーが、さもバカにするような口調で言った。
『そこそこ出ていますぅ!球をコントロールできる分ラフから打つより狙いやすいんですぅ!』
ボクも負けじと言い返す。
『ならば寄せ合戦だ!』
『よし、受けた!絶対寄せてやる!』
皆ボクたちのやり取りに呆れてる。
「もういいから。行くぞ、アラシ」
美咲に促されてボクは第1打の落下地点へと歩き出す。
ボクの球はフェアウェイのど真ん中、ピンまで残り130ヤードでグリーンまで花道が使える絶好の位置で停止していた。左前方のラフにマイヤーの球が見える。
「あそこからだと、残り90ヤードくらいか」
「40ヤードの差なんかアラシにはへでもないだろ」
「まあね」
とは言え、同じ距離でもボクとマイヤーでは、クラブの番手が2つは違うだろう。マイヤーの方がロフトのあるクラブを使える分、止まる球が打ちやすいのだ。だけど、スピンが強く掛り過ぎるのも良し悪しだ。
「さてと、美咲。どう読む?」
「まわりの木の揺れ方を見ると追い風だが・・・ピンフラッグはこっちに旗めいてる・・・微妙なところだけど距離感は132から3ってところかな」
「うん。左傾斜だしフェードボールでぶつける感じだね。よし!」
ボクはピンと球を結ぶ線上を確認すると、少し左方向に狙いを定めた。軽く素振りしてクラブフェースに球が触れてスピンが掛かる瞬間をイメージする。そう、この感じだ。いつも通りゆったりしたバックスイングでクラブをトップポジションまで引き上げ、そして体を振り解く。
≪スパーーン≫
高い弾道で左方向に飛び出した球が、途中からククッと右に曲がり始める。そしてグリーン上空で落下。
≪トン ツツーッ≫
ピンの左手前に着地した球は、1度バウンドすると右に跳ねて停止。ピン横1mにつけた。
≪パチパチパチパチパチパチ≫
グリーン周りで観戦していたギャラリーから拍手が起こった。
「どんピシャ!バーディーチャンスだ、アラシ!」
「サンキュ、美咲」
「∝¥£√<λ∂∈!」
ベタピンにつけたボクを見て、マイヤーが何か罵り声をあげた。
≪カシーーン≫
ボクより35ヤード前にいたマクガバンがフェアウェイセンターから第2打を打った。もの凄く高い弾道だ。
≪トーン ツッ ギュルギュル≫
ピン奥1mに着地した球は、強烈なバックスピンでこちらに戻ると、ピンの左を通り過ぎ傾斜に乗って勢いよく転がるとグリーンエッジで停止した。残り5mだ。マクガバンは筋力に優れているようだけど、その分スピン量のコントロールは苦手みたいだ。
『俺のスーパーショットを見ておけ!カマ野郎!』
マイヤーが怒鳴った。ボクに向かって手まで振り上げている。
「熱くなっちゃって」
「ホントだ。あんなんで打つと、ロクなこ」
≪カツーーーンッ≫
「あ〜あ」
「やっちゃったぁ!フライヤーだ」
明らかに打ち急いだマイヤーの球は、ラフから低めに飛び出すとグリーンを大きく越えて視界の向こうへ消えた。クラブフェースとボールの間に芝が入り込んでスピンが掛からなかったのだ。
結局、最初のホールはボクがバーディーでマクガバンはパー、そしてマイヤーはダブルボギーだった。自分自身に激怒して冷静さを失ってしまったマイヤーは、3オンしたのにそこから何と3パットもしてしまったのだ。ゴルフは自然との戦いと言うが、自分との戦いでもある。揺れ動く感情をどうコントロールするかで勝負が決まるのだ。
ボクの夢、オーガスタ。それを実現する為の大事なゲーム、オセアニア・アマチュアゴルフ選手権。ニュージーランド遠征試合はこうして始まった。