第7話 ハヤテの悩みとアラシの異変
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「ハヤテ、学校に行きたくないんだって?」
「・・・」
優勝祝いのサプライズパーティーを終えて帰宅したボクは、風呂あがりに弟の部屋を訪ねていた。ドアを開けたときにチラッと目が合ったものの、下を向いたままで返事をしない。
「中学の時より高校の方が校則とかも自由だし、楽しいだろう?」
「・・・」
反応がない。これでは会話にならないので、ハヤテが座っている勉強机とは反対側の壁に置かれたベッドに腰を下ろした。手をとってこちらに椅子を回転させ、ハヤテの目をまっ直ぐ見つめる。
「・・・!」
「?」
ハヤテはなぜか真っ赤になって一層うつむいてしまった。
「なんだって言うんだ?」
ハヤテは何も言わずそっとボクの胸を指差した。ん?
「あ!そっか」
自分の姿を見下ろすと、薄手のサッカー生地のパジャマから乳首のポッチが小さなジェリービーンズの形にくっきり二つ突き出ていた。ボクは、頭に被っていたタオルを外して首にかけると胸の膨らみの一番高いところが隠れるように垂らした。
「これでいいかい?」
ハヤテはこくりと頷いた。こうして改めて向かい合ってみると、ハヤテも身体つきが男らしくなってきたものだ。まだまだ線は細いけれど、背もボクと同じくらいあるし首も太くなってきている。さっき触ったら腕回りだって骨太で筋肉質になっていたものなあ。ボクにはついに完成段階が訪れることの無かった男の第二次性徴・・・まだまだ子供だとばかり思っていた弟のハヤテ・・・こうして姿に男の性が現れていることに気がついて、ボクは複雑な気分になった。まあ、それはともかく、
「お父さんたちが尋ねても何も答えなかったんだって?ボクは現役だから、ティーンエイジャー男子の気持ちは分かるつもりだよ。まあ、身体はこんな風になってはいるけれど、中身はハヤテの兄貴のまんまだから」
それでもハヤテは下を向いたままだ。はは~ん、そういうことか、
「女の身体」
「・・・」
「興味ないわけ、ないよな?」
「え?」
ほら、やっぱり顔を上げた。
「知ってのとおりボクは、運命のイタズラで男でありながら女の身体になってしまった。だけど、そのお陰で男の性も女の性も両方分かるようになった。ハヤテ、さっきボクの胸の膨らみから突き出ていた乳首を見て、チンチンが勃起したんだろ?だから慌てて下を向いて顔をあげないんだ」
「あ・・・いや、ちが」
耳まで真っ赤になってしまった。
「いいんだって。男なら当然の、自分の意思ではどうすることも出来ない生理現象なんだから。そんなことよりハヤテ、ちゃんとオナニーしているのか?」
「えっ・・・」
びっくりした様子でボクを見た。ようやくこれで目を見ながら会話ができる。
「若い男ならごく当たり前のことなんだから、全然恥ずかしいことじゃないぞ、こう言うのは」
と言いながら手で上下にシゴく仕草をしてみせたら、目を見開いてますます赤くなった。
「ゼミの先輩たちから聞いたんだけど、TENGAっていうスッゴくいいのが出ているんだって。これを嵌めてやるのと手でシゴくのとでは、気持ちよさが全然違うんだってさ。パッケージがオシャレで贈り物にもできるらしいから、今度の誕生日にプレゼントしようか?」
「ええっ?アラシ兄ちゃんのゼミって、確か男ばっかりだったよね?学校でそんな話なんかするの?」
「見た目はともかく、中身は健全な男子大学生なんだから、他のゼミ生と同じに扱わなかったらシバキますって最初に脅したんだ」
「あははは。先輩たちも困ったろうね?」
おっ!声をあげて笑ってくれたぞ。この勢いで悩みを聞き出そう。
「そう、はじめの頃はね。何せこの声でこの姿だろ?ボクの方は全然平気なんだけど、先輩たちは猥褻な言葉を話すのをもの凄く躊躇っていたっけ。だけど人間っていつかは慣れてしまうもんなんだよね。段々平気になってきて、下ネタでもボクの前で普通にするようになった」
「そうなんだ。アラシ兄ちゃんはちゃんと自分で自分の居場所作っているんだ・・・強いんだね」
自分の居場所?う~む、ハヤテの悩みは学校で居場所がないっていうことなのか?まあ、ともかくも会話しはじめているのは良い傾向だ。射精ネタで笑っているくらいだから、異性を意識した悩みではなさそうだ。となれば意識しているのは同性の目かも・・・。
「う~ん、じゃあ包茎が気になっているとか?」
「ええ?」
「水泳の授業で着替えるとき同級生に見られそうで恥ずかしかったり?だったら包皮の剥き方を詳しく伝授するぞ。ウチは家系的に仮性包茎だから、心配しなくても大丈夫。そもそも赤ん坊のとき男の子は100%包茎だし、日本人の3人に2人が包茎なんだって」
「違うってば・・・」
悩みが包茎ではないとすると、あれだな。
「ひょっとしてハヤテ、大きさを気にしているのか?」
「ち、違う!」
「いいから見せてみろよ。恥ずかしがることはないだろ?・・・じゃあ、お兄ちゃんも出すから、比べっこしようか?」
「!」
ハヤテが、ボクのパジャマの股間を凝視ししたまま固まってしまった。高1の男の子には刺激的過ぎたかもしれない。これは気持ちを解しておかないと。
「そうそう。男の記号、女の記号ってあるだろ?あれって両性の特徴をシンボライズしたものなんだ。男のマークがなぜ矢印なのか分かるかい?」
「・・・矢印?」
「ビンビンに勃起したときの亀頭って、コブラの頭かスペードみたいだろ?その形を図案化すると、どうなる?そう!男は下半身に矢印をもっているってわけさ」
「そうか・・・そうだったんだ」
知らなかったことが分かってきた時、人間は瞳に光が宿って表情が輝き出す。少年の面影を残す柔らかな頬にうっすらと朱がさした。どうやらハヤテにとっては得心できる新発見だったようだ。最初は思い詰めた様子をしていたけど、ボクと話して気分転換になったようだ。さてと、そろそろ寝ないといけない時間だ。
「だけどさ、学園祭のクイーンに選ばれたこともある美人の“姉”と、男のセックスについて会話出来るんだから、ハヤテも幸せもんだよ。さあて、湯冷めしそうだ、行くね?じゃあ、おやすみ」
と、男っぽい仕草で言いながらハヤテを見つめた。あれ?なんだか寂しそうだ。急に可哀想に思えてきた。
「おいで、ハヤテ。ギューしてあげる」
ボクは、小首を傾げながら表情筋を総動員して慈愛溢れる聖母のように最高に無垢な微笑を浮かべると、両腕でハヤテを包みこんだ。
「アラシ兄ちゃんが卒業しちゃったから、ボク独りぼっちなんだもん・・・」
ボクの胸に押しあてた顔からくぐもった声が聞こえてきた。ボクは、とんでもない冒険をする羽目になったので普通とは違う不安を抱えてミドルティーンの時期を過ごしてきたけれど、自分の行く末、将来への不安がどんなに切実なものなのかは理解できるつもりだ。どうやらハヤテは自分の居場所、存在意義で悩んでいるのかもしれないと思った。
-2-
「それじゃあ、行ってきます」
「あら?アラシ、そんな格好で出かける気なの?」
何か着るのを忘れている?久しぶりに男の時の服を引っ張り出してきたからな。もう一度自分の服装をチェックしてみよう。撥水コーティングしたツバ広のサファリハットを被っているから紫外線やにわか雨対策よし、長袖のデニムシャツにバンダナで襟元を被っているから害虫対策よし、ハイウェストのジーンズに綿ソックスで下半身の肌露出なし、あれから女体で成長したので、胸と尻がちょっぴりパツパツでウェストがガバガバだけど、これで長靴を履いたら完璧だ。
「何も問題ないけど?」
「ありありよ。そんな男みたいな格好で」
「今日は桜庭ゼミのフィールドワークなんだから汚れちゃうんだよ?男の服でも仕方ないでしょ。一日中薮の中で発掘作業なんだよ?」
「だからと言って、そんな可愛くない服を着て!」
「じゃあ、どうしろって言うの?」
「こっちいらっしゃい」
「さあ、これでよし。何だって井上沙智江さんが用意してくれているんだから。それじゃあ、行っておいでアラシ」
姿はモデル体形の女の子でも、ボクはボクのまま自然体で行くって宣言したときからの約束だから、母さんの言われるまま、されるがまま着替えさせられて、遅刻寸前だったこともあって、姿見で自分の格好がどうなっているのか確認することなく家を出た。
「おお!」
桜庭ゼミでフィールドワークを行っている不知藪に到着してカーキ色のボタンレスコートのベルトを外して脱いだら、ゼミの先輩たちから響きが上がった。
「?・・・おはようございます。なにか、ご不審な点でも?」
全員が一斉に首を横に振った。それでも、なぜかボクから視線を離そうとしない。
「先輩がた、そんなに見詰められると、緊張してしまいそうなんですけど。何か問題ありますか?」
やっぱり一斉に首を振る。おや?鼻の穴を押さえている先輩もいる・・・何だろう?ボクは改めて自分の服を点検してみた。あれ?アウターは確か長袖のピンク色のツナギだったはず・・・だけど太陽光を浴びて透けている・・・これって、シースルーの特殊な生地じゃないか!ということはその下に着ているものがみんな見えている・・・あっ!黒地のキャミソールだ。“princess ran”仕様だから豪華なレースで縁取りされているし、トップスだけど絶対に下着だと思われている!足の方はどうなんだろう?・・・あっ!黒地のローレグショーツが透けて見えてしまっている!黒レースの縁取りから白い太股が艶かし気に伸びている!ツナギだったし井上沙智江先生デザインの“ワークウェア”だと説明されたので、まったく警戒していなかった!・・・やられた。
「あは・・・先輩がた、ちょっぴり刺激的過ぎましたよね?」
ボクは照れ笑いしながら慌ててコートを羽織ると腰ベルトをきつく締めた。そう言えば、髪も束ねて何かされていたっけ。あっ、頭全体を大盤のシフォンスカーフで巻かれている。まるでアラブの女性みたいだ。ツナギのズボンの裾が鳶職の人が履いてるのみたいにダボダボに広がってるし・・・そうか!母さんはアラビアンナイトのイメージで着せ替えさせたんだ。絶対に面白がってやっている!母さんにも困ったものだ。
「キリュウ、暑くないのか?」
「コート脱いだ方がよくないか?」
「そうだ、休憩のとき野球拳やらないか?」
などと、ゼミの先輩たちからさんざん囃されたけど、ボクは絶対に脱がないと誓った。まあ、薮の生い茂った中なので、虫に刺されない為にも羽織っている方が安心だったこともある。
桜庭ゼミの作業場は、市から発掘許可が下りた石造の座布団みたいな形の古代遺跡のある一帯だ。その石造の座布団を取り囲むように様々な計測装置が取り付けられている。そこから何本もケーブルが伸びて仮設テントの中のパソコンに接続されている。
「おや?微細だがセンサーに動きがあるようだ。位置や大きさが変化している可能性がある。計測してみよう。それじゃあキリュウ君。キミにお願いしよう」
モニターの画面を見つめていた桜庭教授から指示が出た。
計測を任されたボクは、メジャースケールを手に座布団石に近づく。朝露に濡れた石盤を覆っている苔が木漏れ日を浴びてキラキラ輝いている。改めて前に立ってみると、本当にこれが外惑星に繋がる星間ゲートなんだろうかと不思議に思えてくるような、何の変哲もない古くさい石だ。これが機能するときにはオゾンの臭いがして石盤の中心から虹色に変化しながら伸び縮みする光を放出していたっけ。でも、今は何の変哲もないただの石。ボクはメジャーを伸ばすと石盤の直径に渡るよう翳す。そして手が石に触れた。その瞬間、指先から強力なエネルギーが入り込み一気に腕を駆け上がると頭の中でスパークする。
「まぶしいっ!」
視界が真っ白になり思わずギュッと目を閉じた。体がふわっと浮いた感じがしたと思ったら、意識が遠くなって・・・
-3-
「・・・ランさん・・・ランさん・・・目を覚ましてください」
・・・この声・・・温かい声・・・懐かしい声・・・聞き覚えがある声だ・・・え?まさか?
「ベル?ベルなの?」
「もちろんベルですよ」
目を開くと、ぼんやりした視界の中から声の主の姿が次第に像を結んでいく。
「ベル!」
惑星ハテロマから帰還した日、サンブランジュ公爵の宮殿エントランスで別れてから2年、あ、そうか惑星ハテロマの時間だったら5年か、目の前にボクの侍女ベルが立っていた。
「どうやって地球に・・・」
「はあ?ランさん、なに寝ぼけているんですか。そんなことより、直ぐにお召し替えを!」
有無を言わさずベルに引き起こされると、ボクは肩から上が丸出しのビスチェドレスに、髪を飾るティアラという王室女性の最正装に着替えさせられた。
「さあ、皆さまお待ちかねです。ランさん、お急ぎを」
「皆さま?お待ちかね?ベル、いったい何があるの?」
「まあ!こんな大事な日だというのに、お忘れなんですか?」
ボクは急き立てられるようにして宮殿の廊下を進むと、大きな扉の前で立ち止まらされた。
≪ゴゴゴゴ~ッ≫
高さが20mはありそうな扉が開くと、巨大な空間が現れた。ボクの前には純白の絨毯がまっ直ぐ奥へと伸びていて、その両側には膝を曲げて会釈する大勢の人々がいた。まるでヴァージンロードだ。
≪パンパパパーン♪ パラララッパパーン♪ パラララッパパーン♪≫
金管楽器の厳かな重奏ファンファーレが響き渡った。
「“これより古より伝わりし授法に則り処女転生の儀式を執り行います”」
処女転生・・・処女?いったい何の儀式なんだ?聞いてないよ。
「“ラン・ド・サンブランジュ姫、御祭神の御前へお進みを”」
いったいこれは何だ、と躊躇っていたら声に促された。何万もの目がボクの一挙手一投足に集中している。仕方なく長いドレスの裾を両手で摘まむと、ボクは純白の絨毯を進み始めた。
両側に居並ぶ群衆の中に見知った顔がいる気がしたのでそっちの方を見てみる。あれ?あの制服・・・パフスリーブの白いブラウスにワインレッドのフード付ジレとスキニーなサブリナパンツって・・・そうだ、王立女学院の制服だ!って言うことは・・・あ!金髪をお下げにしたソバカス!ミーシャだ!隣はベリーショートの明るい茶髪のパメルだ!その隣の焦げ茶のナチュラルウェーブのグラマーはサリナ!懐かしさでいっぱいになって来る・・・ん?・・・何であいつら王立女学院の制服着ているんだ?・・・だって、ハテロマ時間であれから5年、まだ卒業していないなんてことが?
不思議に思っていると、反対側からの温かい視線を感じた。振り向くとブロンドの髪を腰まで伸ばした色白の綺麗な女の子が目を輝かせながら微笑んでいた。ローラだった。その傍で女の子の肩に手を置いているのは父親でカメラマンのルブランだ。思えば、ボクが姫としての公務を放り出し逃避行をしたとき巡りあった、この惑星で唯一ボクを男として好きになってくれた女の子だ・・・ローラ!・・・あれ?・・・名前を叫ぼうとしたが、どうしても声が出てこない・・・ボクは、泣きそうになりながらローラに向かって頷き返すと、さらに先へと進みはじめた。
居並ぶ人々の隊列が終わるところまで来ると、一番前に豪華な衣装を身につけた人たちが列席しているのが見えた。左側には国王陛下と王妃殿下、そして皇太子殿下ご夫妻、その隣には弟君フランツ殿下とその婚約者・・・あ、レアだ。レアがボクに向かって何か囁いている。口の動きは・・・「こ」「れ」「で」・・・これで?・・・「ほ」「ん」「と」「の」・・・本当の?・・・「い」「も」「う」「と」「ね」・・・妹ね!・・・どういう意味なんだろう。
右側の席には、わが義父サンブランジュ公爵、鋼の宰相セナーニ閣下とリシュナ公爵とその息子ユージン・・・あ、ユージンだ。なぜか嬉しそうで期待にワクワクしている様子だ。そして、ボクの女性化プロジェクトの責任者、ボクにとっては忘れることの出来ない男性器切除の執刀医師、ヴェーラ博士がいた。
「“それでは、誓いの詞を導師倪下に倣い神像にお捧げください”」
「よろしいかな?ラン姫、続いて神に誓われよ」
「わたくし」
「わたくし」
「ランは」
「ランは」
「神の御前で」
「神の御前で」
「生涯」
「生涯」
「女に」
「女に」
「なることを誓います」
「なることを・・・ええ?」
「何を躊躇っておられるな。お誓いなされよ」
「わ、わたくしが、お・・・女になる?」
「さよう。ほれ、それを御覧なされ。祭壇にラン姫が神に捧げられた誓いの品がありますぞ」
祭壇の上を見ると、磨きあげられた大理石の台に透明の瓶が恭しくのせられていた。満たされた液体の中に肉塊が3つ浮遊しているのがみえる。あれ?これって・・・もしかしたら・・・ウズラの卵のようなのって睾丸?2つあるし・・・だとすると、棒みたいなのは陰茎だな・・・え?いま、確かラン姫が神に捧げたって言ったぞ?・・・ヴェーラ博士に手術で取られたのはタマ2個・・・サオはそのまま残ったはず・・・じゃあ、この瓶の中のぺニスは誰のだ?・・・まさか!
「どうなされた?お顔の色がお悪いですぞ、ラン姫」
振り返ると右側最前列のセナーニ宰相が意地の悪そうな笑顔でヴェーラ博士に目配せするのが見えた。ボクが見ているのに気がついたヴェーラ博士が人指し指と中指でチョキチョキとハサミを使う仕草をしてみせる。ってことは・・・ボクは、ドキドキしながら股間に手を当てる。
「な、ない!無くなってる!うわーーーーーーーーっ!」
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「気がついた?」
目を開くと、ボクを覗きこんでいた顔が心配そうに言った。
「ここは・・・?」
「大学保健センターのベッドよ。随分うなされていたけど大丈夫?」
「・・・はあ、はあ、夢だったのか・・・とっても大切なものをなくしてしまう夢を見て慌てていたようです、ボク。身体の方は・・・」
そう言いながらボクは指先から一つ一つ身体のパーツを動かしてみた。どうやら問題ないみたいだ。
「大丈夫。どこも痛くありません」
「それはよかった。君は学園の大切なシンボルなんだから、何かあったら大変なのよ」
「あの、先生は・・・?」
ボクは、白衣を羽織った女性に尋ねた。
「ああ、私?私は校医の三村。健康診断のときに会ってるでしょ?」
改めて三村と名乗った女医を監察してみる。無造作に髪をポニーテールに括り化粧っ気のない顔、カッターシャツにサブリナパンツという飾り気のない格好だ。若造りしているけれど40代くらいだろうか。記憶にない人物だ。
「そ、そうでしたか?あの時は・・・女子学生たちの視線を集中的に浴びていたし、まわりを見回す勇気もなかったので、あまり覚えていないんです」
「ふふ、そうだったね。君、いい身体していたもの。ほかの女の子たちがタメ息吐いていたわよ」
「たはは・・・」
ボクが男であることは誰もが知っていることなのだが、女子の方の健康診断に入れられても、どういうわけか女の子たちは気にせず・・・いや、物凄く注目してボクが脱ぐのを見ていたっけ。
「そうそう、君のことだけど、高校保健室の水沢先生からよくよく頼まれてさ、私が引き継いでいるんだよ」
「水沢先生が・・・高校保健室から・・・ボクの引き継ぎを?」
「そう。君ってある意味、と~っても特殊じゃない?気持ちは男の子のままでも身体はか弱い女の子なんだから、決して無理させないよう見守ってあげてくださいって言われているの」
まさか保健室間で引き継がれているとは思わなかった。過保護と言うか、ちょっと干渉が過ぎる。もう大学生なんだから放っておいて欲しいものだ。
「へえ、そうなんですか」
「気の無い返事ねぇ。キリュウ君。君ねぇ、君はまだ1年生だけど桜庭学園長先生のゼミ生になっているんだよね?」
「はい。ボクがこんな身体になった切っ掛けの藪不知を調査できる唯一の研究室ですから」
1年で研究室に入れてもらえたのはボクだけなので、胸を張って答えた。
「それが危ないっていうの。君のその綺麗な身体に傷でもついたらどうする気?」
「そりゃあフィールドワークですからね。擦り傷や虫刺されくらいありますよ。それを気にしていたら研究なんてとても出来ませんよ」
「擦り傷や虫刺されねぇ。だけど、こうして意識を失ってここに運びこまれているじゃないの。これって君が危険なことをやったからでしょ?」
今回のことで桜庭ゼミを出入り禁止にされては堪らない。ボクは必死で言い返す。
「ボク、遺跡を測定していただけです!危ないことはしていません!」
「ま、いいわ。ゼミで君が一番下級生だものね。考えてみれば、君には拒否権ないもの。この件は桜庭学園長先生に、私が直接お話しします。さてと、君が運びこまれたとき学園長先生がとっても心配してらしたから、ここにお呼びするわね。だけど、そのコート着ておいた方がいいかも。それにしても・・・意外と扇情的な格好が好みなのね、君。抜群のスタイルとその綺麗な顔でゼミの男の子たちを悩殺しようってわけか。やるわね、女子力高いよ、君」
「あ、いいえ。こ、これは自分で着たくて着ているわけじゃないんです!母さんが・・・」
ボクは、慌てて否定したけれどまったく無視されてしまった。
「ああ、無事でよかった」
身繕いしてベッドに腰掛けていたボクを見て、桜庭学園長は安堵の息を洩らした。
「いやあ驚いたよ、キリュウ君。どうやら、君には藪不知遺跡、君の言う“星間ゲート”と非常に同期しやすい生命波動があるらしい。三村先生にも注意されたが、これからは君にあの遺跡に直接触らせるような真似は決してさせないからね」
遺跡に触らせない?三村から何を吹き込まれたのか、桜庭学園長が恐ろしいことを言った。それでは星間ゲートの謎を解明できなくなってしまう!
「そんなこと仰らないでください。ボクも研究者の端くれですから、真理を探究する以上は危険も覚悟しています」
「うむ。キリュウ君の気持ちはよく理解しているつもりだよ。実は、今回のことで1つ分かったことがあってね、それを分析調査すれば君に触らせることなしに石盤の変化を計測できるかもしれないんだ」
「石盤に触らずに・・・・計測を?」
「そう。キリュウ君の生体反応の方の変化を調べるんだ。君が藪不知遺跡に近づいて、普段と違う数値が現れたら星間ゲートにも何か変化が起きていることになる」
「なるほど・・・確かにそうなりますね」
「言ってみるなら坑道のカナリアのようなものだが、生物での異変検知はどんな計測装置より正確で間違いのない方法なのだよ」
「坑道のカナリア・・・」
ボクは篭の中のカナリアになって有毒ガスや酸欠の検知役をしている自分を想像してみる。思わずブルッと身震いしてしまった。そう言えば、ヴェーラ博士もボクから地球人由来の女性ホルモンを抽出して、美容薬を作ろうとしたことがあったっけ・・・あのときの想像は確か・・・鏡張りの部屋に閉じ込められているガマ蛙だ!ボクはもう一度ブルッと身震いしてしまった。ともあれ、桜庭ゼミは続けることができるようなのでホッとした。