第5話 アラシの保健体育講座
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欅並木のトンネルの中をサワサワ気持ちよい風が通り抜けていく。
「ああ~リフレッシュする~」
長い髪をキラキラ風になびかせながら、ボクは木漏れ日のなかで大きく伸びをする。今日は月曜日。昨日の夜、最終の東北新幹線で仙台から戻ったばかりでまだ疲れが残っているのだが、今ので身体中の細胞に酸素が行き渡った感じだ。と、その時
≪カシャッ カシャッ カシャッ カシャッ≫
シャッターを切る音がした。グーを握っている両腕と背を伸ばしたまま爪先立ちで振り向くと、大きなレンズの一眼レフを構えている男がいた。
「な、なんなんですか勝手に!断りもなくひとの写真撮るなんて!」
ツカツカっとストラップパンプスのヒールを響かせフレアスカートの裾をひるがえしながら歩み寄ると、ボクはレンズを両手で塞いだ。
「ごめんごめん、あんまりマーベラスな光景だったもんで勝手に人差し指がシャッターボタンを押しちゃったんだよ。それにしても恐ろしいくらいビューティフルになったもんだ。久しぶりだね、ボクッ子ちゃん」
男がファインダーから目を離して顔を上げた。ん?どこかで見かけた顔だ。
「ひょっとして、おじさんは・・・あの時のカメラマン?」
このチョイ悪で軽い感じのオヤジ・・・やっぱりアイツだ!地球に帰ってきて高校の元のクラスに戻るための実力試験の日、入学案内パンフレットのモデルにさせられたときのカメラマンだ!
「覚えていてくれたのかい?マイプリンセス」
日に焼けた顔がニヤッと歪んだと思ったらウィンクされてしまった。
「ま、マイ、ぷ、プリンセス!馴れ馴れしい!」
「俺の被写体になってくれたんだ。恋人みたいな間柄だろ?あの時セーラー服の君は、纏っていたすべてをボクの前で脱ぎ捨ててくれたじゃないか」
ボクたちのやり取りに何ごとかと立ち止まっていた学生たちが一斉にのけ反った。
「ぬ、脱いでません!」
ボクは真っ赤になりながら慌てて否定する。
「写真家はモデルの身体だけを撮るんじゃない。モデルの心のなかに潜む心象風景までも引き出すんだ。その点、君は実にいい被写体だったよ」
「誤解されるような言い回しはしないでください!」
「だけど、写真はいい仕上がりだったろ?」
「た、確かにあの年の麗慶高校の受験案内パンフレットは大好評だったそうだけど・・・」
「だろ?プロフェッショナルだからな、俺は。君が顔を少し傾けて上目遣いに『いいですよね? セ・ン・パ・イ?』って甘えるように言ったあの表情は、あの日のベストショットだったな」
その写真が思い浮かんで背中を嫌な汗が流れていく。ボクはイメージを振り払うように頭を振った。
「そんなことはどうだっていいですけど、いま撮った写真は絶対認めませんからね。入っているフィルムを廃棄してください!ボクは了解していないんですから!」
「そうカリカリしなさんなって。怒っている表情までそんなに華麗なんじゃ、またシャッターを切りたい衝動に駆られるじゃないか」
「ううっ」
「いまの写真、見てみるかい?ほら」
と言うとレンズの円筒部分を持って一眼レフのボディー背面をボクの目の前に差し出した。液晶モニターに撮ったばかりの画像が表示されている。
「あ、これデジタル一眼レフだったんだ」
てっきりプロが使うのはフィルムカメラだとばかり思っていたからビックリした。
「ちがう。一眼レフじゃなくミラーレス一眼だ。俺は新し物好きで最先端のカメラは何でも試すんだ。こいつは電器メーカーが開発中の試作機。テストしてやってるのさ」
ホントだ。カメラの正面に有名な家電メーカーのロゴがある。ボクは男の子だから新しいメカ物には興味津々なのだ。
「ほら、この画面をよく見てごらん」
「き、綺麗・・・」
さすがにプロが使うだけあってスゴい解像度だ。
「その時のアングル、その時の光の加減、そして被写体の幸せを予感させる微かな表情、絶妙な瞬間だろ?」
確かに腕はいい。でもこのカメラだ、こいつ相当な性能に違いない。ミラーレス一眼?知らないうちにフィルムからデジタルの時代になっていたんだ。夏休みに入る前、吉祥寺駅前の三越跡にヨドバシがオープンしたんだっけ。よし!帰りがけにデジタルカメラいじりに行こうっと。
「実は広報から案内パンフレットの写真を頼まれていて、キャンパスの様子をいろいろ撮っていたんだ」
「え?」
放課後の楽しいプランを練っていたら、チョイ悪オヤジと話していることをすっかり忘れていた。さっきまで怒っていたのが急に大人しくなって微笑みまで浮かべているので、自分の撮った写真を見てボクが感動していると思ったようだ。
「麗慶学園と言えばやっぱり欅並木だろ?光の加減もいいし写真をと思ったところに絶世の美少女がポージングしていたんだものこれは撮らないわけにはいかなかったろ?使うか使わないかはクライアント次第だからまだ分からないけど、いい写真だろ?」
そこに写し出された被写体は自分なので嫌なのだが、冷静に写真として見ると背景の緑と輝くような白い肌、秋を目前にした木漏れ日とのコントラストがとても美しい。
「ま、まあ・・・」
「なあ、写真集出さないか?」
「写真集?・・・麗慶学園の?」
「違う。人物の」
「人物?・・・誰の?」
「君の。決まってるだろ」
「なんで?」
「見事に胸も育っているし」
「む、胸!」
慌ててボクはロングカーディガンの前を掻き寄せた。
「なあ、花の盛りは短いぞ?若さで輝いている瞬間を切り取っておけって。婆さんになったら昔の自分の姿が大切な記念になる」
「ば、婆さん!失礼な!」
爺さんならともかく、いや爺さんでもよくない。
「人生の先輩の意見は聞くもんだ。ともかく名刺渡しておくから気が向いたら連絡くれ。こういう稼業なんで深夜でも明け方でも構わん」
と返事も待たずに一方的に言って、カメラバッグの外ポケットから名刺入れを取り出すと、男は1枚引き抜いてボクの手に握らせた。
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≪キリュウ君、優勝おめでとう!≫
≪プロに勝つなんてすごい!≫
≪パチパチパチパチパチパチパチパチパチ≫
学生課に入った途端、職員の人たちが一斉に立ち上がって拍手で向かえてくれた。試合に出場するため欠席届を提出していたので、今日から復帰することを報告しに行ったのだ。
「ありがとうございます」
「テレビ中継で『霧生嵐[麗慶大学]』って画面に紹介されるたびに誇らしかったよ。これでまた受験生が増えるに違いない」
学生課長さんも満面の笑みだ。
「次に出場するトーナメントはいつかな?学生課は総力あげて応援するからキリュウ君は安心して試合に出ていい。そしてどんどん女子プロに勝って麗慶学園の名前を知らしめてもらおうじゃないか!」
「は、はあ、まあ講義も受けたいので・・・それに、ボクもまだ自分の予定がどうなるか聞いていないんですよ」
前のめりになっている学生課長を両手で制しながら言った。
「それと、もう女子プロトーナメントには出場したくても出られないかも知れないんです」
女子プロたちが、ボクのゴルフはカテゴリーが違って女子をはみ出してるって言っていたことを説明した。
「あっ、そうか。あれだけプロ選手と差がつくとなると、いくら姿がそうであっても戸籍の方で判断されてしまうのか、ううむ残念な」
「それはともかく、単位落としたら大変なんです。留年したらゴルフはさせないぞって親が言っていますから。あ、時間だ。遅刻しちゃうので1限目行きますね。それじゃあ皆さん失礼します」
≪コンキンケンカ~ン♪ カンケンキンコ~ン♪≫
学生課を出て少し速足になりながら5号館の階段教室に入っていくと始業のチャイムが鳴った。一般教養課目なので他学部の学生がいっぱいいた。
≪あ!≫
≪キリュウだ!≫
≪アラシ君よ!≫
ザワついていた教室の中が急に静まった。教壇のある底面から出入りする構造なので、階段状になった席からは丸見えだ。
≪プロに勝ったんだぜ!≫
≪昨日優勝したばかりよ!≫
≪履修いっしょだったんだ!≫
≪後期が楽しみになってきた!≫
一身に視線を浴びることになってしまった。どうしよう・・・どこに座ればいいんだろう・・・。
「ランちゃ~ん!」
「こっちこっち!」
「先生が来ちゃうよ!」
聞き覚えのある声がした。この微妙にキーがずれた三声はアイツらブーフーウー、もとい龍ヶ崎サヤカ、羽矢瀬クルミ、早乙女ユカリ、高校時代同級だった3人娘だ。階段教室を見回すと左奥最上段で手を振っているのが見えた。
「あ、3人ともこれ履修していたんだ」
ボクは壁際の階段を急いで上がると3人のいる列に身を滑り込ませた。
「後期から始まる学部共通講義だから、誰かはいるだろうと思ったけど・・・」
「まさか、3人ともいたとはって?」
「理工学部のランちゃんといっしょに勉強できる機会はそうそうないからね」
「ランちゃんが履修登録したって聞いて、私たちも直ぐに登録したんだもんね」
「どこからそんな情報を・・・」
「ふっふっふ。蛇の道は蛇、学生課にエージェントがいるのだよ、プリンセス」
「オマエらは蛇か!爬虫類か!」
≪うぉっほん≫
下の方から咳払いが聞こえた。教壇を見ると先生がこっちを見上げている。慌てて首をすくめると、ボクたちは指定教材の陰に顔を隠した。
-3-
「う~ん、やっとおわったぁ!」
1限目が終わってクルミが大きな欠伸をする。ポチャポチャした腕を目一杯伸ばしているがボクの頭の辺りまでしか届いていない。夏休みの間にこいつが縮んだのかボクの背が伸びたのか。
「っていうかクルミ、授業中ほとんど居眠りしてなかったか?」
「だってぇ、ぜ~んぜんチンプンカンプンでつまらなかったんだもん」
「そうか?ボクはすっごく面白かったけど」
理工学部は必修課目が多いので一般教養を登録できるコマは限られる。選択の余地のない中で履修できたのがこの倫理学だった。
「面白いってことはなかったけど、理解はできてたかな」
「えっ?サヤカ。ランちゃんはともかく、サヤカもついていけたの?」
と、少し驚いたようにユカリが言う。
「まあ、一応法学部だからね」
「今日の話って哲学者だったよね?ソクラテスとかアリストテレスやプラトンって法律と関係あるの?」
「そうねぇ、法哲学っていう課目があるくらいだから・・・」
自信なさそうにサヤカが答えた。
「哲学って簡単に言うと人間を解明する学問だから、社会のルールを定める法律もそこに含まれるんだろうね。そして倫理って道徳のことだから、倫理学は人として持つべき価値観についての学問というわけだ。倫理観の欠如した誰それって言うから、卒業して社会に出てボクたちが職業に就く前に倫理観を教え込もうということなんだろうね」
ボクがそう解説すると、クルミが難しい顔をして胸の前で腕を組むと考え込んだ。珍しく思慮深い表情だ。
「サヤカは法学部か、倫理観のない裁判官とか最悪だもんね。ユカリは経済学部か、倫理観のない経営者じゃ困るってわけね。ランちゃんは理工学部だから・・・倫理観を持たない科学者ってことか・・・そっか!マッドサイエンティストにならないようにランちゃんに倫理学を履修させているんだ!」
合点がいったのか、パアッと明るい表情になった。
「ボクのことなんかよりオマエに倫理学を学ばせる必要があるって学校は思っているんじゃね?」
おいおい他人事かいと思ったので速攻で返した。
「どうして?クルミは文学部だよ。マッドサイエンティストにはなれないもん」
キョトンとしている。仕方のないやつだ。
「クルミ、卒業後はどういう人生設計しているんだい?」
「人生設計?そんなの決まっているじゃない。どっかに就職して、好きなひとと出会って、そしてお嫁さんになるんだよぉ」
やっぱりそうか。思ったとおりコイツは高校時代とまったく変わっていなかった。
「嫁に行った後は?」
「可愛い赤ちゃん産んで育てるんだよぉ。1番目は女の子、2番目が男の子、3番目は女の子が理想かなぁ」
さ、3人かい。真っ直ぐ瞳をきらめかせながら言ったので、思わず言葉に詰まってしまう。
「・・・だから、クルミには倫理観を学ばせる必要があるんだ」
「え~?わかんない!」
分からんのかい!困ったものだが、素直な子ではある。
「だったら居眠りしていないでしっかり学べ!」
「そうね、そういうことね。クルミ、目指せ良妻賢母!」
「んだ。未来の日本のためにしっかり学ぶんだよ!私たちの分まで頑張れ、クルミ」
そんな話をしていたら、急にボクの下腹部に痛みが走った。
「うっ・・・」
「どうしたの? 大丈夫?」
「お腹が痛い・・・」
「ひょっとして生理痛?」
「・・・うん。前はそんなでもなかったんだけど・・・ここのところちょっとキツイんだ。女の子ってみんなこうなの?」
「重い人もいれば軽い人もいるし、ひとそれぞれだからなあ」
「サヤカは?」
「わたしは軽い方、かな」
「ユカリは?」
「わたしも軽い方ね」
「クルミは?」
「わたしは毎月苦労してるぅ」
女の子もひとそれぞれなんだ。それにしても痛い。こういうのは初めてだ。
「ううっ痛てて・・・毎月どうしてこんな目に逢わなきゃいけないんだろ・・・」
「それはランちゃんが女だからよ。デリケートな女性の身体のことは教えてもらってるんでしょ?」
はて?小学生のときは、女子だけ視聴覚教室に集められて何かやっていたような・・・中学時代は、確か保健体育の教科書で男と女の身体の違いをやった記憶はあるけどまだガキで男子が騒ぐものだからとおり一遍だったよな。女子だけ別に授業をやっていたようだけど・・・惑星ハテロマでは、ヴェーラ博士が女体化プロジェクトを受けるにあたって講義してくれたけれど、改造されるのは見た目だけだと思って真面目に聞いていなかったっけ。その後、睾丸を切除され、まさか子宮と卵巣まで移植されることになるとは思っていなかったし・・・。
「いや・・・教えてもらっていないかも。今まであまり痛くなかったし気にならなかったし・・・」
「それはダメよ。原因を知っているのと知らないのでは大違い!毎月あるんだし、痛みの理由が分かっていれば少しは我慢できるでしょ?」
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と言うわけで翌日、講義を休んで久しぶりに吉祥寺からほど近い例の大学病院の主治医のところに行った。
「ふうむ・・・確かに子宮が活性化しているね。以前はどちらかと言うと萎縮した感じで・・・言ってみれば閉経直前のようだったんだが、今は中学生の女の子の様だね。うん、組織がフレッシュで躍動感がある。心配しなくていい。新陳代謝が活発になったので生理痛も出てきているんだ。そう言えば肌の感じも前よりずっときめ細かくなっているね」
と言いながら、確認するように村山医師はボクの腕の皮膚をつまんだ。
「先生・・・どうして生理って・・・起きるんですか?」
「え?・・・・・そうか! キリュウ君は中学時代に保健体育で女子の授業は受けて来なかったんだね?」
「ええ、普通に男子でしたから」
「そうか。これはいい機会なのかもしれない。先生がきちんと女性機能について教えてあげよう」
と言うことで性教育のレクチャーをされることになってしまった。
「まず女性の身体にだけある内臓器官には子宮と卵巣があることは知っているね?」
「はい・・・」
ボクは惑星ハテロマの王立スポーツ研究所のクローン研究室にある培養タンクで見た小さくて白い塊を思い出した。
「卵巣は女性としてのホルモンを分泌するんだけど、名前の通り卵を作り出す器官でもあるんだ」
「卵・・・」
「卵子も卵の一種なんだよ」
「でも、ボクのら・・・卵巣は排卵できないって言っていたじゃないですか」
ボクは最初に検査を受けたときに言われたことを思い出しながら指摘した。
「そう、それはその通りだ。卵巣の中には卵胞という卵子を育てる袋があって、まだお母さんのお腹の中にいる胎児の段階で女の子は一生分の卵子をその袋の中にギッシリ詰め込むんだ。ところがキミの卵胞の中はスカスカ。排卵しようにも卵子がない」
さも当然の話だと言わんばかりに断言する。
「だったら、どうしてボクが生理になる必要があるんですか?」
「生理はね、子宮が起こす生命現象なんだよ。卵子と精子が結合すると受精卵になることは分かるよね?子宮の内側、子宮内膜はその受精卵が細胞分裂を繰り返す、言い換えると胎児として成長していくためのベビーベッドなんだよ」
ボクのお腹を指差しながら村山医師が言った。熱っぽい目が怖い。
「でも、なぜ生理は毎月なきゃいけないんですか?」
「排卵は月に1度、卵子が生きられるのはせいぜい2日、その間に受精できなければせっかく用意したベビーベッドもまったく無用になってしまうんだ。いつも新しいベッドを用意しておくためにはどうしても必要なことなのさ。そして要らなくなった子宮内膜を身体の外に排出するのが生理なんだよ。内臓の内側がベリベリ剥がれるわけだから出血もともなうし痛みもある」
「ううっ」
ボクのお腹の中でまさに今起きていることがリアルに想像できてしまった。
「く、くそ・・・だったら、だとしたら、排卵できないんだからボクの場合、こんなに痛む生理になる必要なんかないじゃないですか!」
ボクは腹立たしくなって自分でもどうしようもない怒りをぶつけた。
「まあまあ、落ち着いて。理屈はそうなんだが、キミの子宮はいつでも卵子を着床できるようにしっかり準備しはじめているみたいなんだよ」
村山医師はじっと見つめながら、ボクの反応を確かめるように沈黙した。
「・・・どういうことですか?」
沈黙に耐えられなくなって、ボクは混乱した気持ちのまま言葉をつないだ。
「うん。つまりは受精卵をそこに持ってくれば妊娠するっていうことさ」
とても明るい声で村山医師が言った。
「に、妊娠・・・」
「そう。キミは男から女に性転換して出産する初めての人類になれるんだよ!」
「しゅ、出産・・・」
妊娠も出産も、3人産むんだと言っていたクルミのような、お母さんになりたい女の子の話だとばかり思っていた。まさか自分の身に降りかかってくるとは・・・。
「先生としては是非妊娠から出産までその経過を観察して学会に発表したい。キミには何が何でも妊娠してもらいたいと思っているんだ。もちろん今すぐにとは言わないけど」
「学会で発表するために、ぼ、ボクが妊娠?じょ、冗談じゃありません!絶対いやです!」
自分でも当惑と怒りで声が震え目がつり上がってくるのがわかった。
「君はゴルフで相当頑張っているようだけど、自分の身体が人類にとってかけがえのないものだということを片時も忘れないでほしい。ともかく、病気も怪我もいっさいダメだからね?」
村山医師は淡々とボクに言い聞かせるように言った。
その後、いい機会だからといろいろ検査されて、ボクの女性としての機能には何も異常がないと診断された。それと、村山医師から言われたのは、量が多くなったのだから生理用品について女性の家族とよく相談するように、だった。
「で、村山先生は何ておっしゃってたの?」
家に帰ると早速母さんが尋ねてきた。
「何でもないよ。普通に生理痛だって」
ボクは無愛想に答える。
「ならいいけど。プロの試合で頑張りすぎてアラシが大切な身体を壊したんじゃないかって、母さんとっても心配してたんだから」
「大丈夫だって。自分の身体なんだし自分でわかるってば」
「そうは言うけど、アラシは女性になって日が浅いから女の身体の微妙なことはわからないでしょ?」
「うっ」
「生理だって重い日もあれば軽い日もあるのよ。知っていた?」
「・・・知らない」
「ほらご覧なさい。で、今はどうなの?」
「?」
「出血の量よ」
「・・・今まで経験しなかった量」
「じゃあ漏れちゃったの?」
ボクは、バツが悪くてうつ向いたままこっくり頷いた。いつもならトイレに行くまで我慢できるのだが、今回はお腹が痛いと思ったら急に来てしまった。トイレにも間に合わず量も多かったので下着を汚してしまったのだ。
「アラシ、どれ使っているの?」
「?」
「ナプキンよ」
自分の身に起こった人生初めての生命現象が“初潮”だったと知ってから、嫌でも毎月訪れる“女の子のしるし”に自分が女になってしまったことを思い知らされてはいるのだが、母さんとこういう話をするのはどうしても気まずい。
「・・・初めてのとき、母さんに言われたやつ・・・トイレの抽き出しの」
「そうか、普通の日用か。アラシは軽いみたいだったし、その、アラシの身体って、ほら、いろいろあるでしょ?相談もなかったし自分で工夫しているんだとばかり思っていたわ」
見た目は女の子だけど、ボクの生殖器の構造は女性とは違う。まだ男のシンボルは健在だから、女の子なら当然あるべきところに穴はないのだ。
「あれから一度も生理用品の使い方、アラシに教えてあげなかったものね。母さんが悪かったわ」
と言うと、ボクの手を引いてをトイレに連れていった。
「いい?こっちの抽き出しの中には、アラシがいつも使っているのと違う包装があるでしょ?」
母さんはトイレの壁に作り付けた収納棚の抽き出しを開けて見せながら言った。
「メーカーはいっしょなんだけど種類が違うの」
次々包装の中から小さなパッケージを取り出すと並べはじめる。確かに同じメーカーだが形や大きさが違った。
「母さんは娘時代からずっとこのメーカーのを使っているの。フブキも最初にここので教えたので自然にこのメーカーになっちゃった。アラシ、あなたもそうね。だから他はよく知らないんだけれど、どこも大体同じみたい」
母さんの娘時代?フブキ姉ちゃんも最初から?そうか、女のひとはずっと毎月これをやって来ているのだ。
「どう違うのか比べてみたら分かるから、アラシが開けてごらん」
ボクは袋から畳まれているナプキンを取り出すと形が分かるように広げた。
「あっ!これサイドに防波堤がある!」
「そう、これならギャザーがしっかり付いてるし長さもあるから多少のことでは溢れてこないのよ。フブキは同じ形だけどこっちの長さのを使っているわね。アラシ、まだ治まっていないんでしょ?今晩寝るときにはこの中のどれかを使うといいわ」
「こっちの小さいのは?」
「これは軽い日用。アラシが使っているのと比べて薄くて短いじゃない?」
「これはもっと小さいけど・・・」
「それは、おりものシート。生理のときじゃなくても、おりものってあるでしょう?」
「?」
「そうか。アラシはお尻の穴だから、自分でコントロールできているのね。それはそれで便利かも・・・ん?ということは・・・アラシは経血も我慢できているってこと?そういうこと?」
「?」
「ごめんごめん。急にそんなこと言われても何て答えていいか分からないよね、女の方がどうなっているのか知らないんだから、アラシは」
と言うと、母さんはなぜか涙ぐんだ様子で指先で目尻を拭った。
「・・・やっぱりアラシは、生まれついての女の子とは違うんだわ・・・とにかくここの抽き出しにあるものは自由に使っていいからね。残り少ないのに気がついたり、アラシが使ってみたいって思うものがあったら悩んでいないで母さんに言うのよ」
母さんは両腕を伸ばしてボクを引き寄せるとギュッと抱きしめた。