第3話 アラシvs賞金女王たち
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そして土曜日。「リクゼンTV杯女子オープン」決勝ラウンドの初日を迎えた。暦の上ではとっくに秋とはいえ、まだまだ強い日差しが続いている。松島湾に突き出た半島にレイアウトされた18ホールは、どこからでも波の音が聞こえるシーサイドコースだが、ねっとり湿気をはらんだ海風が体感温度をさらに上昇させているようだ。
予選を5位タイで突破したボクは、ランキング上位の常連、ゴルフ中継ではお馴染みの有名女子プロたちに囲まれてプレーすることとなった。
ボクのスタートは最終組の3つ手前で組み合わせは同順位同スコアの二人、小柄ながらステディなゴルフの有森千代プロと、ベテランでパワフルな徳嶋明子プロだ。ボクは練習グリーンでスタート前の調整をしている二人を見かけたので近寄るとアマチュアらしく元気よくあいさつした。
「徳嶋プロ、有森プロ、今日1日よろしくお願いします!」
「よろしく」
「よろしくね」
と言いながら、二人のプロは値踏みするようにボクの全身を見つめた。
「ふ~ん、キリュウ君って細いのに結構胸大きいんだね」
「うっ」
「18だっけ?まだまだ成長するな、これは」
「くっ」
「170くらい?タッパもあるんだ。美人でスタイルいいと毎日楽しいだろうね」
「つっ」
いきなり3連発を喰らってしまった・・・。こうなると女装を恥ずかしがってばかりはいられない。負けん気に火が点いた。こんなことで返せなくてなんとしよう。ボクは惑星ハテロマのアビリタ王立スポーツ研究所でヴェーラ博士から女同士の会話もビシビシ特訓されているのだ。
「そんなことないですよぉ。急におっぱい大きくなってきて困ってるんですからぁ。夏休みに入る前までずっとBぃでよかったのにぃ、いま着けているこれってDぃカップブラでしょ?どうすれば小さくなるんだろ・・・困っちゃったなぁ・・・こんなに大きいと胸回りきつくってぇ」
と思いっきり甘えん坊さんの声で言って、一瞬間を置くと最高のプリンセススマイルを作りニッコリ笑みで応える。あっけにとられたように二人とも固まってしまった。
「・・・へえ、言ってくれるじゃん」
「・・・しっかり返してくるじゃない」
いま見たイメージを振り払うように頭をを振りながら言った。
「えへ・・・とは言ってもボク、女の子じゃないので無駄にデカイだけなんですけどね」
まじまじとボクの顔を見たあと、二人は顔を見交わした。
「ぷっははは!」
「あはははは!」
そして吹き出すと、体をよじるようにしてお腹を押さえながら笑いだした。
「ああ苦しい!」
「その表情!」
「素だとやっぱり男の子なんだ!」
「そ、そうですか?」
「そうだよ。女だったら今のタイミング、君みたいに無防備な顔できないよ」
「そう!もう一戦に備えて絶対ファイティングポーズのままだよね」
そ、そうか・・・ボクはまだまだ修行が足りなかったみたいだ。
「キリュウ君。ひとつ訊いてもいい?」
「はい・・・なんでしょう?」
「君、もっと綺麗になりたいって思ってたりするの?」
「綺麗に・・・ですか?」
「そう。あんな服着たいとかこんな髪型にしたいとか、もっとおシャレしたいって思わないのかな?」
「ないです」
キッパリとボクは応えた。
「即答かい」
「やっぱりね。そうやって可愛い服を着こなしてはいるけれど、なんか投げやりな感じなんだよね」
「そうそう!ぜんぜん嬉しそうじゃないもの」
「嫌いやオーラが身体中から出てるもの。君、本当は女の子の格好なんかしたくないんでしょう?」
ズバリと言い当てられてしまった。
「わ、分かります?」
「やっぱりそうか」
「そうなんだ」
「でもさ、前夜祭のパーティードレスといい今日のそのフェミニンなゴルフウェアといい、なんで着てるの?嫌なら着なければいいじゃん」
「いろいろ事情があって、そうもいかないんです」
「そっか、君にはすでにスポンサーがついてるもんね」
「まあ、そういうことも・・・あります」
「じゃあ、キリュウ君て私服のときはどんな感じなの?」
「あっ、知ってるよ。週刊誌に載ってたから・・・あれ?コンサバ女子大生の格好してなかった?」
「うっ」
「ははあ、君は普段から女の子の格好してるんだ」
「それでも平気なんだ」
「・・・母さんと約束したから仕方がないんです。悲しませたくないし」
「ふ~ん、なんだかよく分からないけどいつも女装していなきゃいけないんだね」
「でも、似合ってるよ。うん、そのプリーツのミニワンピなんかとっても可愛いし」
「足が細くて綺麗だから、ほんと見栄えするよ」
「なんでこんなに膝小僧まで形がいいんだろ」
と言いながら、二人は徐々にしゃがんでじっくり観察しながら最後にはボクの膝小僧を突っついた。
≪カシャカシャカシャッ≫
≪パシャパシャパシャッ≫
その途端、シャッター音が響いた。練習グリーン横でボクたちのやり取りを見ていたカメラマンたちだった。いつの間にか取り囲まれていたらしい。
「すごいカメラの数だね」
「話題のアマチュアだからね、キリュウ君は」
「今日は一日ずっとこんな感じかも」
「なんか燃えてきた」
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太陽が真上から照りつけラウンドも中盤に入った頃。
ティーペグの上にボールをセットすると、ボクは目標方向を見定めてからスタンスに入った。スイングとインパクト、そして打球の軌跡をイメージしながらワッグルを3回。ゆったりとトップポジションまで身体を回転させると、強力な発条となっていた筋肉を一気に振りほどいた。
≪スパーーーーーーーーーーーーーーーン≫
空気を引き裂く長い摩擦音を残して、真っ白な球が青空に舞い上がる。なんか久しぶりの感覚だ。あの頃は空気を焦がす臭いがしたものだけど。ソードラケットで金属球を捉えたときのゲオルの感覚がした。
≪おいおい・・・≫
≪スゲー・・・≫
≪ほお・・・≫
ボクのショットはホールを重ねるごとに正確に球の芯を捉えるようになってきていた。最初はドッとあがっていたギャラリーの歓声が、なんとも言えない溜息のような反応に変わってきているようなのだ。
無駄なく効果的効率的に球にコンタクトできているので、設計スペック通りクラブの理想的なスピン量と打出し角でショットできている。つまり、曲がらず遠くに飛ぶというわけだ。
≪パシーーーーン≫
≪カシーーーーン≫
ティーショットを全員打ち終えた。肩をならべてセカンド地点に向かう。
「しっかし参ったよ。キリュウ君はミスすることってないの?」
歩きながら有森プロが尋ねて来た。
「そりゃあ、ありますよ。さっきだってセカンドショットをミスってますし」
ボクはプレーを振り返りながら応える。
「さっきのセカンド?ピン奥3mにつけたヤツのこと?」
「残り150をピンにからめたヤツだよね?」
「あれはナイスだろ!」
「ナイスショットでしょ!」
有森プロと徳嶋プロが声をそろえて言った。
「あ、いえ、真っ直ぐに行ったけど、薄めに入ってスピンが解けちゃったんです」
「・・・それって、ベタピンじゃなかったからミスってこと?」
「・・・どこまで完璧をめざしているんだか、君は」
呆れた様子で言われてしまった。
セカンド地点に着いた。同伴プレーヤーのボールが前後に仲良く並んでいるが、ボクの球はまだ見えてこない。波のように続くアンジュレーションの陰に隠れているのだろう。
「おいおい!ここからでもまだキリュウ君のボールが見えないよ」
「ほんと飛ばしたもんね」
「これだけ差をつけられると、なんか男子とやっているみたいだよ」
「戸籍も、住民票も、ジュニア登録も、ぜ~んぶ男子ですから」
「ぜ~んぶ男子・・・ねえ」
と言いながら、頭のてっぺんから足先まで改めてボクの全身をジロジロと見た。
「前夜祭で井口会長たちが言ってたけど、キリュウ君が海外の男子トーナメントに出たら凄いインパクトかも」
「確かに!」
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「アラシ、ここが攻めどころだ」
担いでいたキャディーバッグを地面に下ろしながら美咲が言った。
「うん。ここをパーで上がれば明日が見えてくる」
ボクは17番グリーンでプレー中の前の組を見ながら応える。距離は短いが海越えの難しいショートだけに、前の組は相当時間が掛かっている様子だ。
「そうだ。アラシの夢が一歩本物へと近づく」
チームアラシ結成以来ずっとボクのキャディーをしてくれているだけに、美咲はボクの夢を共有してくれている。チームディレクターの菅井さんが言っていたが、今年の評価次第ではアマチュアだからこそ大きなチャンスに繫がるかもしれない。
「遥かなる・・・オーガスタ」
「ふふ。アラシ、それじゃあゲームの名前だろ」
「うん。もの心ついてからずっとやってきたゲームだからね」
「なんだ、アラシのゴルフはゲームからだったのかい!」
「悪い?そのおかげでオーガスタのコースレイアウトなら隅々まで知っているよ」
「ふ~ん。ちなみにこれまでのハイスコアはなんぼ?」
「24アンダー」
「4日間で24か」
「うんにゃ1ラウンド。18ホールで24アンダーさ」
「さ・・・って、全ホールバーディーでも18アンダーだぞ?」
「ロングはすべてイーグル」
「そっか、ん?それでもロングは4ホールだから22アンダー・・・」
「ショートでホールインワンがあったのと、ミドルでセカンドが直接入ったのと、それぞれ1ホールずつあるのさ!」
「おお~っスゲエな、おまえ!」
ティーグラウンドに着いてからでも5分以上経っている。こういう時はペースを乱さないことが大切。待っているとどうしてもイライラしてくるから、美咲はボクの気を紛らわすよう会話で気持ちをほぐしてくれているのだ。
≪パチパチパチパチ≫
波の音に混じって拍手が聞こえてきた。前の組がプレーを終えたようだ。
「さてと、バーディーオナーさんどうぞ」
徳嶋プロがボクにプレーを促した。前のホールでただ一人バーディーだったのでボクから打つのだ。ティーグラウンドの微妙な傾斜を確かめながらボールをセットする。ボクは、距離のあるとき以外ショートホールではティーペグを使わない方なのだが、ここのティーグラウンドは海際に向かって少し傾斜しているので差分を調整するため少しだけティーペグでボールを高くした。
目標を見定めてからスタンス。ワッグルを3回。ゆったりとトップポジションまで身体を回転させて一気にダウンスイング。
≪スパーーン≫
うん、イメージ通りだ。
「グッショッ!アラシ。完璧なボールコンタクトだ!」
「ありがとう、美咲」
≪パチパチパチパチパチパチ≫
グリーンの傍で観戦していたギャラリーから拍手がわいた。無事オンしたようだ。
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「“放送席!放送席!プレーを終えたキリュウアラシ選手にインタビューコーナーに来ていただきました。それでは今日一日のプレーについて訊いてみたいと思います。まず自分で振り返ってみてどう?”」
プレーを終えてスコアカードを提出したところで中継スタッフに捕まり、ボクはインタビューエリアに案内されていた。マイクを突きつけられるのってどうも苦手なのだが、これも支援企業やチームアラシの為だと割りきる。
「“硬くならず普段とおりにプレーできたと思っています”」
やり手広告マンでチームディレクターの菅井さん直伝の模範的回答。型通りの優等生的回答だが、少し笑みを浮かべ真面目な眼差しでボクが言うのならOKなのだそうだ。
「“ミスが全然なかったよね?このままの順位だと明日は最終組で去年の賞金女王と現在の賞金ランク1位と回ることになるけどどう?”」
「“お二人には前夜祭のパーティーでも面倒見ていただきましたので硬くならずリラックスしてラウンドできると思います”」
これも優等生の回答。期待していたのとは違うという表情をされてしまった。
「“とは言っても優勝の2文字を意識しない?”」
「“練習してきたことをを信じて自分のゴルフをするだけです。結果はあとからついてくるものだと思っています”」
われながら鼻持ちならない返しだとは思う。
「“キリュウアラシ選手、戸堀だけど”」
と、ボクの耳のイヤフォンからゴルフ解説の戸堀翔さんの声が聞こえた。
「“インタビュアーが困っているみたいだから横入りするよ。これで36ホールが終わったわけだけど、ここまでの君のファエアウエーキープ率どれくらいだったと思う?”」
これは想定外の質問だ。ティーショットを打ってフェアウエーに球が止まった率のことだが・・・
「“・・・あまり外していなかったので90%くらいでしょうか?”」
「“いいや、100%。パー3を除いた28ホール全てでキープしているよ」
実は知っていた。美咲が細かくチェックしてくれているのだ。
「それだけじゃない。平均飛距離は全出場選手の中で断トツ1位の283ヤード。アメリカLPGAでもトップクラスだし、男子プロに混じってもそこそこのランクだ”」
え、そうなの?
「“男子プロに混じっても・・・”」
「“はは、やっと素のキリュウアラシに戻ったな。そう、見た目は初々しいティーンエイジの女性ゴルファーだけど、君のスペックは男子プロなみだ。この目で見るまではフロックだろうと思っていたが、確かに全米学生選手権準優勝だけのことはあったよ”」
フロック!まぐれとは失礼な。
「“ボク、戸籍もパスポートも男ですから”」
少し怒りをこめた声で応えた。
「“そんな甘ったるい声で男だと言われても普通は信じてくれないけどね。ところでいま全組ホールアウトしたんだけど、亜依ちゃん、明日香ちゃんが最終ホールパーだったので明日の最終組は君と3人で決まりだ。楽しみな組み合わせになってきたよ”」
同伴競技者は決まった。去年の賞金女王と現在の賞金ランキング1位と一緒に最終組で回れるのだ。これはゴルフの神様が「アラシ、夢を実現せよ!」と与えてくれたチャンスなのかも知れない。
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「あれ?・・・昨日より空が高い」
朝日に手をかざしながら見上げると、真っ青な空にいく筋もの雲が連なって流れていた。まるで箒で掃いたみたいだ。
「いきなり秋になったな。アラシ」
「うん。少し肌寒いもん」
「そりゃあオマエ、ノースリーブはキツイわな」
「しょうがないよ。彩さんの命令だから」
「そっか、コンピタンスポーツとしちゃ今回最大の見せ場だもんな」
そうなのだ。ボクを支援してくれているスポーツメーカーとして、この大会の「最終日のアラシ君の為だけに作った特別な一着」なのだそうだ。チームアラシの衣装・メイク担当でそこの社員でもある島野彩さんから熱く語られ、どんなに苦労したのか説明されてはその場では断ることなんてできなかった。ゴルフ場までの間に、昨日と今日では季節が変わってることをしっかり訴えて、なんとか着替える算段をしよう。ボクは少しでも暖かくしようと両腕を擦りながらチームアラシのバンに乗り込んだ。
そして「リクゼンTV杯女子オープン」は最終日、最後のラウンドを迎えた。秋晴れの絶好のコンディションの中、さすがに寒いのでカーディガンを羽織って1番ホールのティーグラウンドに上がっていくと、去年の賞金女王と現在賞金ランキング1位が談笑しているのが見えた。
「キリュウく~ん!こっちこっち!」
「新垣プロ、横溝プロ、お早うございます。今日はよろしくお願いします!」
「お早う」
「よろしくね」
新垣亜衣プロはニコニコしながらボクの両肩に手をかけて顔を覗きこんだ。顔が近い。
「遅かったじゃない。どうしたの?」
「は、はあ・・・急に涼しくなったもので、ウェアをどうするかでちょっとスタッフとバタバタしてたんです」
「ふ~ん。それにしても相変わらず超ミニのワンピね。ん?その下ってどうなってるの?」
と言いながら、ボクのカーディガンの前を開けた。
「な、なんてこと。明日香、見て」
「お、ノースリーブかい」
「とっても可愛いデザインだけど・・・寒くないの?」
「はあ、まあ。最終日用に用意されていたものなので・・・」
「そうか、キリュウ君も大変なんだね」
ボクは小さなため息を吐くと、前身頃をかきあわせてボタンをとめた。
「“それでは最終組のスタートです”」
≪パチパチパチパチパチパチパチパチパチ≫
ティーグラウンドを見下ろすギャラリースタンドから拍手がわいた。
「“今シーズン3勝し出場した試合では常にベスト10入り。現在賞金ランキング第1位!横溝明日香プロです!”」
≪パチパチパチパチ≫
≪明日香ちゃ~ん!≫
帽子のひさしを軽く摘まみながらお辞儀をすると、横溝プロは手慣れた手順でボールをセットした。
≪パシーーーーーーーーン≫
≪ナイスショット!≫
≪パチパチパチパチ≫
横溝プロのこの日最初のショットはフェアウェーをしっかりキープした。
「“現在アメリカツアー参戦中。6月のナッシュビルクラシックで初勝利を挙げて凱旋帰国。昨シーズンの賞金女王!新垣亜衣プロです!”」
≪パチパチパチパチ≫
≪亜衣ちゃ~ん!≫
新垣プロお馴染みの女性らしい柔らかなサイドラインのゴルフキャップに軽く手を添えると、きちんとギャラリーに向かってお辞儀した。球のセットからスタンスまで流れるように無駄のない動きだ。
≪カシーーーーーーーーン≫
≪ナイショッ!≫
≪パチパチパチパチ≫
新垣プロの第1打もフェアウェー中央を捉えた。さすがに賞金女王の安定感だ。
「“そして最終組最後のプレーヤーをご紹介します。先月行われた全米学生選手権準優勝、ハツダモータースLPGAクラシックではベストアマ、男女両ゴルフ競技で活躍する話題のアマチュア!キリュウアラシ選手です!”」
≪パチパチパチパチ≫
≪本当に男か?≫
≪綺麗ねえ!≫
新垣プロ横溝プロの時とギャラリーの反応が違った。
ボクはサンバイザーのひさしに手を添えて軽く会釈すると、動きやすいように羽織っていたカーディガンを脱いだ。
≪おおお~っ≫
≪色白~ぉ!≫
≪胸でか~い!≫
≪ウェスト!細~い!≫
≪お尻小さ~い!≫
≪足長~い!≫
だ・か・ら、このウェアを着てひと前に出るのは嫌だったのだ。ボクの全身に視線が突き刺さる。
「気にすんな。アラシ」
美咲がカーディガンを受け取りながら耳元で囁く。
「オマエはあっちでスターだったんだろ?」
「まあ、ね」
「注目を浴びるのには慣れっこだろ?」
「うん、まあ」
「だったら、そんな不愉快そうな顔をするな。スターは見られてナンボ。せっかく注目してくれているんだ、連中の度肝をぬいてやるチャンスだ!」
「だね」
ボクはひとつ深呼吸をすると、いつもやっているルーティン通りにボールをセットし方向を見定めた。打球の軌道をイメージしながらスタンス。ワッグルを3回。ゆったりとトップポジションまで身体を回転させると一気にクラブを振り下ろし、振りきったドライバーヘッドから白球が弾丸のように飛び出した。
≪スパーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン≫
≪うおおおおお~っ≫
「“これは凄い!キリュウ選手のティーショットはフェアウェーセンター残り90ヤード地点で止まっています!”」
ラウンドリポーターかスタッフのイヤフォンからなのか、中継アナウンサーの声が漏れ聞こえてきた。
「グレートショット!アラシ」
「サンキュー、美咲」
ボクたちがグータッチして歩きはじめると、ティーグラウンドを降りたスロープの途中で二人のスタープロが待っていた。
「キリュウ君。いいショットだったわ」
「明子さんと千代が言っていたことは本当だった」
昨日いっしょだった徳嶋プロと有森プロが、ボクのことで何か言っていたようだ。あのことかも・・・。
「ボクのスペックが、やっぱり男子だった、ていうことですか?」
「そう。アメリカの女子ツアーで戦っていると飛距離の違いはあるけれど、それなりに対応できるんだ。でも、いまの君のショットは別」
「そうだね、うん。いまの球筋、シーズンオフのスポーツバラエティー番組で男子プロとラウンドしたときみたいだった」
そうなのか。ここのところボールを捉えたインパクトの瞬間、惑星ハテロマでソードラケットを振ったような感覚がしている。いまのティーショットもそうだった。女子のトッププロがそう思うのだから、現役の女神杯チャンピオンとして少し自信をもってもいいのかもしれない。
≪カシーーーン≫
≪パチパチパチ≫
≪いいぞ!亜衣ちゃん≫
新垣プロが第2打を打った。残り165ヤードをグリーン右側カップまで6mに乗せた。
≪パシーーーン≫
≪ナイスオン!≫
≪パチパチパチ≫
横溝プロは、残り160ヤードを同じく右サイドにツーオン。カップまで5mだ。
「ハイよ」
美咲がアプローチウェッジを差し出した。
フェアウェーから残り90ヤードでボールのライもいい。グリーン面はこちらに向かって傾斜しているからスピンもかかりやすい。だが、手前に大きく口を開けたガードバンカーがあった。アゴが高く深い上に今日のピンポジションはグリーンエッジから距離がないから、入ると相当に厄介そうだ。賞金女王たちが右サイドに乗せたのもバンカーを避けたからだ。
近いのでボクのところからは高い球筋でバンカーを越すことができる。距離的にはサンドウェッジのフルショットで丁度いいのだが、スピンが掛かり過ぎるとグリーンからバンカーにこぼれてしまうリスクがある。だがら美咲はロフトの少ないウェッジを手渡したのだ。美咲も大学ゴルフの選手だからプレーヤーとして勘所を押さえている。
≪シュパッ≫
いつものトップの4分の3の位置から、フォロースルーも4分の3の位置までゆったりと振り抜いた。
≪トン≫
ボクの球はピン横30cmに落下した。
≪トン ツツー≫
奥に向かって2度跳ねたあと、ブレーキが掛かって停止した。そして傾斜には逆らえず再び動き出すとピン方向へと戻ってきてカップを舐めるように回り込むと手前50cmで止まった。
≪おおおー!≫
≪ナイスオン!≫
≪イージーバーディー!≫
≪パチパチパチパチパチパチパチ≫
「井口会長のご指名だそうだけど、キリュウ君の女子ツアー参加は今回だけにして欲しいよ」
打ち終わって美咲にクラブを渡していたボクに、歩み寄りながら横峯プロが浮かない顔で言った。
「ふふ。日本の女子ツアーをベースにプレーする明日香としては切実な問題だものね」
少し先を歩いていた新垣プロが振り返りながら言う。
「こんな調子で毎ホール毎ホールこっちがミドルアイアンでフルショットのセカンドのところを、ウェッジのコントロールショットで攻めて来られたら誰だって対抗できないよ。ハア」
「すみません」
「謝らなくていいから。余計に傷つく」
「ほんと、すみません」
「だから、いいって」
1番ホールをボクは楽々バーディー、新垣プロ、横峯プロはパーだった。これでトップタイのふたりとの差は1打に縮まった。こうなったら持てる力を全て出しきってみよう・・・遥かなる・・・オーガスタ・・・ボクは吸い込まれそうに高く抜けるような空を見上げながら、子供のときから懐いてきた夢への一歩をここから踏み出すのだ、と思った。