第19話 夢のような一日
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「Good morning Jimmy. How are you doing?」
朝日を浴びて黄金色に輝くキャデラック・エスカレードの運転席から門番に挨拶するとすぐに深緑色の大きなゲートが開いた。
『さあオーガスタナショナルに到着だ、アラシ君』
コニーこと、コーネリアス・ヴァン・スタイン三世が助手席のボクを見つめながら言った。
視界が広がると、まっ直ぐ延びた並木道の先にあの有名で真っ白なクラブハウスが見える。半キロつづく木蓮のトンネル。これがオーガスタナショナルの象徴、有名なマグノリアレーンだった。
「夢にまで見たオーガスタ・・・なんてきれいなんだろう・・・」
そう呟いたきりボクはあふれ出てくる感動に言葉を継ぐことができなかった。
『おや?ひょっとして、泣いているのかい?』
「え?」
頬をさわると温かい水滴があった。
「I didn't notice! This is happy tears」
涙を人差し指の先っぽで拭いながら明るくボクは答える。
『おお、アラシ君にそれほど感動してもらえるとは!』
『てへっ恥ずかしいとこを見せちゃいましたね』
『いやいや、ここのクラブ会員としては光栄に思うよ』
『光栄なのはボクの方です。コニーと知り合えたのがどんなに素晴らしいことか・・・いま幸せを噛みしめてます』
そう、彼と知り合うことがなければこの春休みにオーガスタ・ナショナルでラウンドする機会なんて絶対なかったのだ。アメリカ合衆国在沖縄総領事であるコーネリアス・ヴァン・スタイン三世との出会いだって本当に偶然だったのだから。もし写真集のロケが沖縄じゃなかったら、もしあのとき追い込まれて悩んでひとり夜の街に出ていなかったら、もし嘉手納基地の司令官がラリー・レイノルズJr.の伯父さんじゃなかったとしたら・・・ボクはこの僥倖に改めて感謝した。
『では、こちらのお部屋をお使いください』
ボクが案内されたのはクラブハウスではなく少し離れた別棟のキャビンの一室だった。
『当オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブでは女性用ロッカールームはありません。ここでしたら化粧水、コットンパフほかアメニティも整っておりますのでシャワーやトイレもミス・キリュウに不都合なくご利用いただけます』
ミスね。不都合なく、ね。ボクだって男なんだけど。憧れのオーガスタ・ナショナルのクラブハウスでマスターズ選手たちと同じロッカーを使ってみたかったな・・・。
「ちょっと、残念かも」
ひとつ息を吐くとボクはこの日のために用意してきたウェアに着替えはじめた。
クラブハウスに戻ってラウンジに入ると、コニーが他の二人と談笑しているテーブルが見えた。ゲストプレーヤーはボクだけで、いっしょにラウンドするメンバーは皆ここの会員さんだ。
『おはようございます!お待たせしました』
ボクは明るく挨拶する。
『ほう・・・パーティのときとは随分また印象が違うんだね』
ドクター・ライオネルが目を瞬きながら言った。
『はい。男子ゴルフの最高峰、マスターズが開催される聖地ですから』
『それで、君はウェアを紳士服風にしているのか』
『見た目は・・・こんなですけど元は男子ですから』
長く伸びてきた髪を黒い輪ゴムでシンプルに結わえたポニーテールを手ではね上げると、納得したようにプロフェッサー・シンプソンが頷く。
そう、ボクのウェアをサポートしてくれているコンピタンススポーツが試作してくれたモノトーンのパンツルックだった。だから今日は日焼け止めだけで化粧もしていないスッピンだし肌の露出も控えめだ。もちろん耳飾りもつけていない。
昨晩パーティで紹介された際にうかがった話によると、ドクター・ライオネルはここジョージア州の州都アトランタで代々病院を経営してきたお医者さん、プロフェッサー・シンプソンはボストンの大学で教鞭をとる経済学者だそう。二人とも同年輩の老人でラウンド仲間なのかコニーとも仲が良さそうだった。
『では、スタート前に軽く体ならししておこうか』
食後のコーヒーを飲み終えたところでドクター・ライオネルが呼びかけた。
『アラシ君もテレビ中継でお馴染みの練習場を使ってみたいだろ?』
『はい、ぜひ!』
クラブハウスを出るとボクたちは練習場に向かった。すでに打席は用意されていてボクのキャディバッグもあった。
「G'morning, Miss!」
ボクのキャディバッグに手をかけて待っていた男が白い歯を見せながら挨拶してきた。そう、彼が今日一日ボクを担当するキャディだ。それにしても“ミス”ね、メンズっぽいウェアにしてみたけど体形までは隠せないか・・・。
ドクター・ライオネルの話では、オーガスタ・ナショナルはゴルフコースが出来たときからプレーヤーひとり一人に専属でハウスキャディが付くのが決まりなのだ。
ここオーガスタのあるジョージア州は南北戦争で戦った南部11州のひとつであり、開場した1932年当時もまだまだプランテーション時代の名残りが色濃くあって『プレーヤーは白人、キャディは黒人』というのが初代会長の方針だったそうだ。もっとも、南北戦争の敗戦により解放されて奴隷の身から自由になっても職を失い困窮する住民は多く、黒人に限ることでハウスキャディとして働く場所を提供する意味もあったそうだが。
≪カシーーーーーーーーーン≫
短いクラブから始めて身体ならしの締めくくりにボクがドライバーを振りぬいたら、背後から歓声があがった。
「Good shot!」
「Pretty shot!」
振り返ると皆ボクを見ていた。
『コニーから聞いてはいたが・・・』
『男勝りの素晴らしいショットだ』
ドクター・ライオネルとプロフェッサー・シンプソンが目を見かわしながらしきりと頷いている。
『これならばフルバックでも構わないだろう』
『チャンピオンティーかい、わしらには少々キツイがね』
『アラシ君の初ラウンドですから、どうせならオーガスタ・ナショナルをフルサイズで経験してもらいたいと。まあ、たまにはスコアを気にせず景色を愛でながらのラウンドもいいもんです』
と言うことで、全員でマスターズで使用されるトーナメントのティーグラウンドからプレイすることになった。
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『ありがとうございました』
夢にまで見たオーガスタ・ナショナルゴルフクラブのラウンドが終わった。午後の日差しがクラブハウスの白さを際立たせてきた頃合いだ。
『君とラウンドできて実に楽しかったよ』
『なんとも素晴らしいショットだった』
『プレーだけではなく君のちょっとした仕草を眺めているだけで心が浮き立つようだったよ』
三人は口々に賛辞を口にする。
『では、ダイニングで集合ということで』
ロッカールームを使わせてもらえない立場、クラブハウスの前で他のメンバーと分かれると与えられたキャビンに引き上げた。シャワーで汗を流し用意してきたエレガントな感じの真っ白なパンツスーツに着替える。もちろんボクの身につけるものすべての面倒を見てくれている世界的ファッションデザイナー井上沙智江さんがこの日のために特別に誂えてくれたものだ。
世界屈指の名門クラブでのご招待ディナーだから、失礼にならないよう自分でメイクしてしっかり身繕いする。え?ボクにメイクができるのかって?仕方なかったのだ今回は。米国の上流階級の世界に招かれているのだから「すっぴんは絶対、ぜえええったいにダメよ!」って母さんから手取り足取り仕込まれたのだ。というわけで白粉はたいて目張りも入れて頬紅も唇も塗ってどうにか恰好になったぞっと。仕上げにプラチナのネックレスとイヤリングを着ける。初の海外遠征に行くときに頂いた見事な細工のものだ。なにしろ贈り主は国内外に関連企業数百社を抱えるあきつしまグループのオーナー津嶋宗徳なのだから。惑星ハテルマから帰還して以来ずっとサポートしてくれているボクのパトロンだ。
ピンヒールの音を軽やかに響かせてクラブハウスの食堂に入っていった。すると、ちょっとしたどよめきが起きた。
「So beautiful!」
「What a noble!」
それくらいの英語は分かるから、ボクは称賛に応えるように女性化プロジェクト仕込みのプリンセススマイルを控えめに浮かべながら席へ向かった。テーブルについて待っていた三人が一斉に立ち上がる。
『これはまた・・・』
と言いながらプロフェッサー・シンプソンが笑顔で着席を手助けしようと手を差し伸べる。こういうシチュエーションも慣れているので、ボクは遠慮せず形よく軽く手をそえ御礼を言いながら座った。
「Thank you for waiting, gentlemen」
『なんとエレガントな・・・』
ドクター・ライオネルが思わず笑みを溢しながら呟く。
『アラシ君はあちらでは本物のプリンセスでしたから』
ボクのことを調べ尽している情報通のコニーが解説するように言った。
『それで、プレーした感想は?』
前菜が給仕されたところでコニーがボクの表情を確かめながら尋ねた。
『なぜなのか・・・初めてなのによく知っているホールばかりで・・・本当に不思議な気分、夢のような一日でした』
『それにしても初めてのオーガスタ・ナショナルをパープレイ、それもマスターズのトーナメントティーからラウンドするとはビックリしたよ』
そう、どこのホールもテレビ中継で囓りつくように観ているし、「遥かなるオーガスタ」をパソコンで百万回やってるから障害物や傾斜もよく知っていた。
コース内にある大小3つの池2本の川。そして名プレーヤーの名前がつく3つの橋。12番グリーン脇の橋がベンホーガンブリッジ。13番ティーグラウンドの橋がネルソンブリッジ。そして15番グリーンに向かう橋がサラゼンブリッジ。ジーン・サラゼン、バイロン・ネルソン、ベン・ホーガンいずれもマスターズの歴史を彩る名ゴルファー。そこを本当に自分が歩いているのだろうか・・・プレーしている間ずっと信じられない思いだった。
『そうそう17番のティーショットだが、君はなぜドライバーを使わなかったのかね?』
『左から張り出した大きな樹に当たりそうだったもので・・・』
『それでコントロールの効くクラブを使って手前に落とし、枝の下を転がして向こう側に出したのか!』
『ボクのドライバーではきれいに横を抜けそうもなかったので』
『いや、見事。アイクが聞いたらさぞ悔しがっただろうな、アハハ』
皆が笑った。
『あの・・・どなたなんですか?アイクって』
『おや、知らなかったのかい?あれが、17番のあの大樹が名だたるアイクズツリー、アイゼンハワーツリーなんだよ』
『第34代アメリカ合衆国大統領ドワイト・デイヴィッド・アイゼンハワー。アイクというのはアイゼンハワーの愛称なのさ。彼もここの会員でね、ラウンドする度にあの松の樹に球が当たるものだから腹を立て大統領権限で伐らせようとしたんだ』
『えええっ』
ときの大統領が!なんと大人気のない・・・でも、ゴルフって、どうしてもわれを忘れて無我夢中になっちゃうスポーツなんだよね。
『いろいろあって結局あの樹は伐らずに済んだのだけど、その代りに騒ぎを起こしたアイクの名前がついて、ついにはオーガスタ名物になってしまったって訳さ』
クラブハウスで南部料理の美味しい夕食を堪能したボクたちは今晩宿泊するキャビンに移動した。オーガスタ・ナショナルにはクラブハウスのほかに宿泊用のキャビンが10ばかりあって、練習グリーンの先の池を臨む丘の周りに建てられている。ボクたちのキャビンから池の周りに配置された小さなグリーンと旗竿がポツポツ見えた。
『ところで君はマスターズの成り立ち、その由来を知っているかね?』
暖炉の前でボクたちは談笑していた。
『球聖ボビー・ジョーンズがつくったオーガスタナショナル・ゴルフクラブ、そこを舞台に選りすぐりの選手で行う男子ゴルフ四大大会の1つ。1934年の第1回大会から毎年同じコースで開催される唯一無二のゴルフトーナメントです』
『そうだね。では、なぜ同じ場所で毎年開催されていると思うかい?』
『え・・・出場選手を選ぶのはマスターズ委員会で・・・マスターズ委員会というのは確か』
『そう、マスターズ委員会というのは他でもないオーガスタナショナル・ゴルフクラブ、ここの会員組織のことなのだよ。だから出場する選手には毎年ウチから招待状が送られる。そして、優勝者にはクラブ会員と同じグリーンジャケットが贈られる。これはどういう意味なのか?そうなのだよ、つまりマスターズはクラブ主催の競技会、会員がゲストを招くプライベート・コンペなのだよ』
『それと、招待するのはプロだけではない。生涯アマチュアだった球聖ボビー・ジョーンズと初代会長クリフォード・ロバーツの意思を汲んで、毎年秀でたアマチュア選手をゴルフ界のダイヤモンド原石として目利きして招待してきてもいるのだよ』
3人は反応を試すようにボクを見つめた。
『君はマスターズを目指してゴルフをしているのかね?』
『もちろんです!』
即座にボクは答える。
『君ならばすぐに、そう、来月のマスターズにだって出ようと思えば出られるよ』
『えっ!?』
『君みたいな可愛い女の子だってマスターズには参加できるんだよ』
皆ニヤニヤしている。どういうことだろう・・・可愛いかもしれないけどボクは女の子じゃない。
『ただし、出られるとしたらトーナメント週間の水曜日までだけどね』
『?』
『なぜかって?水曜はパー3コンテストで選手の家族や知合いも出られるからだよ』
『プレー出来るのはそこに見えているショート・コースだ。今日ラウンドしてもらった本コースではないけどね』
『綺麗な女の子を前にしていじわるを言うようだが、このクラブが出来て以来の伝統なのだよ』
キレイな女の子・・・そう見えているかも知れないけれど、ボク男だから!
『なにしろ〝プレーヤーは白人、キャディは黒人〟ではじまったプライベート・クラブだからね。マスターズに黒人選手が出場できるようになったのは1975年、リー・エルダーが招待されることになりクラブがルールを変更してからだ。会員についてもアフリカ系アメリカ人の入会資格が認められたのは1990年。女性については2008年のいま現在でも会員にはなれぬのだよ。ということで女性がマスターズ・トーナメントに出場した例は未だかつて一度もない』
生涯優勝84回、日本人として初めて米PGAツアーで優勝したレジェンド、あの青地伊佐夫さんがマスターズは伝統墨守の塊だって言っていたっけ、これぞまさしくWASPっていうわけだ・・・。
『じゃあ、ボクは男だから当然資格ありますよね。出場できるよう頑張らなくっちゃ!』
ボクは惑星ハテロマの王立スポーツ研究所で身に着けた完璧なプリンセス・スマイルをつくると、微塵も嫌味を感じさせない真っ直ぐな口調で言った。
『おっと』
『ふうむ』
難論を吹っかけている相手の笑顔があまりに魅力的で不覚にも見惚れてしまった、とプロフェッサー・シンプソンとドクター・ライオネルがと苦笑いしながら目を見交わす。
『マスターズに出ることだけではないんだろ?君の目指しているのは』
とりなすようにコニーがボクに尋ねた。
『・・・そりゃ、ボクだってアスリート・ゴルファーですから』
『ゴルフする者であれば誰しも憧れる、マスターズ優勝か』
ボクは目を見開きながら大きく頷いた。
『となれば、その細く括れた体型でも着られる女性用のグリーン・ジャケットも用意しなければならなくなるね』
『君が優勝するとなるとさらに困ったことになるぞ。マスターズ伝統のスタッグ・ディナーの趣旨が変わることになる!』
さも愉快そうにボクの存在がマスターズ・トーナメントに及ぼすであろう問題点を指摘した。
『スタッグ・ディナー・・・それ、何ですか?』
『アラシ君、スタッグと言うのは牡鹿のことで、つまりスタッグ・ディナーというのは男だけの食事会、という意味なんだ』
『毎年マスターズ・トーナメントがはじまる火曜日の夜、歴代チャンピオンのみが招待される夕食会があって、第1回を主催したベン・ホーガンが〝スタッグ・ディナー〟と銘打ったのだよ』
そうか、マスターズを制覇したチャンピオンたちが男同士で親交を深める場なんだ・・・そこに異性が混じると余計な気遣いをしなければいけなくなるっていうことだろう。
『ボクだって男です!』
『そうは言っても・・・君は、生物学的にみても女性の条件を兼ね備えている。元は男性だったのかもしれないけど』
事情通のコニーは、ボクの体内に女性の内性器が移植されていることを指摘した。皆頷いているところをみると、惑星ハテルマで人工培養された卵巣と子宮を移植手術されたことを聞いていたわけだ。
『仰りたいことはわかりました。ではお訊きしますが、女性が制限されているこの大会に年令制限はありますか?男の子で15才、いや13才、いや12才の子が勝ったら?その体型で用意するのですか?子供ではお酒が飲めないからチャンピオンであってもスタッグ・ディナーには出られないのですか?』
ムッとしたボクは少し上気した顔で反論する。
『スタッグ・ディナー以外にも、君がマスターズ・チャンピオンになるとチャンピオンズロッカーを女性用も用意しなければならなくなるぞ。これは大変だ!君だって裸の男たちといっしょのシャワーは使えまい?』
暖炉の前でのゴルフ談義、赤く燃える薪を見ながら丁々発止するやり取りは楽しくも緊張感たっぷりだった。それにしてもオーガスタ・ナショナルの会員たちからの質問はどれもいじわるだった。でも、わざと挑発するようなことを言ってボクの反応を試していたのかもしれない。
今日一日夢のような時間を過ごした興奮で寝つけないまま起きだしたボクは宿泊したロッジのウッドデッキに出てみた。月明かりに照らされた木立ちが風にそよいでいる。見通した先で蒼白い光が点滅した。何だろう?不思議な感じだ。ネグリジェにナイトローブを羽織ると光のある方に向った。
「Hip Hip Haio・・・Hip Hip Haio・・・Hip Hip Haio・・・」
近づくにつれ何か呪文のようなフレーズを繰り返す声が聞こえてきた。
なんだあれ?目を見開いたまま凝視してしまった。こちらの視線を感じたのか急にそいつの動きが止まった。
「おいおまえ、ワシが見えているのか?」
いきなり振り向くと、そいつが言った。背丈は子供くらいで小さいのだが、小太りで髭をたくわえた赤ら顔の老人がびっくりした様に緑色の瞳で見つめていた。身体全体が発光しているせいで周囲が明るく照らし出されている。
「・・・あなたは幽霊?」
「幽霊ではない!」
「じゃあ、妖怪?ばけもの?」
「よ、妖怪!ば、ばけものとは無礼な!ここの主じゃ」
「ヌシ?」
「そうじゃ!」
幽霊でも妖怪でもなくこの場所で棲息する存在・・・それも普通のひとには見えない・・・精霊か妖精みたいなものだろうか。
「それよりおまえ、何ゆえ男のくせに女の形をしておる?」
「え?」
ボクは思わず自分の姿を見下ろす。ツヤツヤ光沢のあるサテンのローブにレースのリボン飾りがついたヒールサンダル、長い髪だし女の子にしか見えないと思うが・・・。
「おまえは藍色の波動を放っておるから間違いなくオスだな。メスならば仄かな紅色でなければならぬ」
藍色・・・ボクの身体からは青い色が出ているんだ。身体を女に改造されても波動は男のままなんだ。
「であるに、おまえの胸には乳房がついておるではないか。小さいとはいえ男の一物を持ちながら。ふむ、竿の下袋には一つも玉が入っとらんのか」
ボクは思わず膝を閉じ両手で前を隠す。波動だけではなく服も透けて見えているのか!
「そんな目で睨むことはなかろう。ふむ、男だが良き目の保養じゃ、美しい足、色白じゃのお」
「いくら隠しても透視されちゃうんじゃ仕方ないか」
諦めたように手をほどき腰に手を当てると疑問に思っていることを尋ねることにした。
「ここのヌシ、ということは毎年毎年何年も何十年もの間ずうっとマスターズ・トーナメントも観てきているんですか?」
「そりゃあ、ここに棲んでおるのだ。嫌でも目に入るわな」
嫌でも目に・・・なんとまあ贅沢なことを!
「でも、ヌシさんはゴルフのルール知っているんですか?」
「嫌でも覚えるわい。耳かきの親玉みたいな棒っきれでミシシッピーワニの目玉みたいなもんを打ち、モグラ穴に入れる遊びじゃわい」
表現は変だけど、ちゃんと理解はしているんだ。
「平穏で緑豊かだった果樹園を玉遊びの草原なんかにしおって、堅い球が雨霰と飛んで来よるようになったわ」
確かに昔からこの場所に棲んでいる精霊の立場から見れば迷惑な話かもしれない。
「しかしな、わしもやられっぱなしではない。それなりに意趣返しして楽しんどるぞ。ちょくちょくちょっかいを出して退屈しのぎしておるんじゃ」
「ちょっかい?」
「なあに、簡単なことさ」
と言いながら口の前で両手を広げると、その上を転がすように息を吹き込んだ。
≪ビューッザワザワザワザワザワ≫
突然吹き出した風に木立が揺れ動く。
「ヌシさんは風を起こせるんですか!」
「わけもないことさ。ここの連中ときたら、わしの気まぐれ、ちょっかいを称して女神の技と言いおったわい」
確かに歴代マスターズ・トーナメントでは勝敗を分ける大切な場面になると突然風が吹くシーンが多い気がする・・・中継でも〝オーガスタの女神が微笑んだ!〟とか〝オーガスタの女神が見放した!〟などと叫んでいたっけ。気まぐれなオーガスタの女神ってこいつだったのかぁ。こんな風采の上がらない爺さんなのに。
「風だけではないぞ」
「他にできることがあるんですか?」
「無礼な奴じゃなあ。人間を操ることだってできるぞ」
「人を操る?」
「そうじゃ。ある年の最終日など3打差もつけて勝っておる奴が先に試合を終えてしまい、後の連中が終わるのを待つりばかりでつまらん展開になったから、どれひと波乱起こしてやれと追いかけている奴に暗示を掛けたのよ」
「暗示?」
「そうじゃ。暗示を掛けたのはここの連中の言う15番、1打目を打ったところじゃった」
「15番といえば何度も奇跡的シーンが起きている池越えのロングホール・・・」
「起きた、ではない。わしが起こしてやったんじゃ!奴は残りホールでどうやったら追いつけるか悶々としていたでな、〝次の1打でも追いつけるんじゃないか?〟と頭の中にその画を描いて見せてやったのよ。長めのクラブなら安全だが乗せるだけ、穴に入れるならギリギリ届くクラブじゃと」
ロングホールの2打目で3打差を縮める・・・って言ったらアルバトロス!ダブルイーグルじゃないか!
「奴はその通りにやってのけおったわい。たしかサラゼンとか言う奴じゃった。そのショットを記念してここの連中、橋まで造りよった」
「それが15番グリーンに渡るサラゼン・ブリッジなんだ!」
その後もオーガスタの精霊〝ここのヌシ〟が起こした数々の逸話を披露してくれた。それはマスターズを目指すゴルフアスリートのボクにとっては興味深くワクワク心躍るとても楽しいものだった。
「おまえと話していると退屈せんな。風変わりな人間じゃな、おまえは。ううむ、やはりその形が気になる。どういう経緯で男が女の形になったのじゃ?」
ボクに興味をもったのかオーガスタの精霊の瞳が輝いた。疲れているのにオーガスタ・ナショナルでラウンドできた興奮冷めやらず寝付けそうもない夜だったし、これまで自分の身に起きた出来事を詳らかに話して聞かせることにした。
「ふうむ・・・それで男の身でありながらその形になったのか。難儀なことであったのお。しかし彼の星で球使い最強の栄誉に輝いたとは天晴れじゃ!この星の手練れの球使いたちとおまえと、どちらが強いか見てみたいものじゃ・・・おまえ、マスターズには出んのか?」
「そりゃあ、ボクだって出たいですよ。でも、ボクみたいな子は試合どころかロッカールームにすら入れてもらえないんです」
「そうなのか?不憫よのお。よし、ひと肌脱ぐことにするか!」
「え?ヌシさんってマスターズの関係者なんですか?」
「そんな訳がなかろう、連中の目には見えんのだから。わしを見ることのできるのは幼子以外では、おまえさんが初めてじゃったよ」
幼子以外で・・・大人には見えないものが見える・・・ボクの風が見えた能力と同じなのだろうか。
「目に見えずともわしを感じることはできるのじゃ。だからサラゼンもわしの暗示を天啓だと受け取れたのじゃよ。ここの連中におまえさんのことを、気になって仕方ない存在と思わせるくらいは出来よう。お前さんに、また会いたくなったからな」
「また会いに来ていいのですか?ここに来られるのですか?」
「男だけの真剣勝負もよいが、ちと彩りに欠けてむさいでな。次に来るときはその綺麗な足と可愛い乳房愛らしい仕草を存分に見せておくれ」
-3-
翌朝、コニーのキャデラック・エスカレードで空港まで送ってもらったボクは、アトランタ発の国内線でアルバカーキへと向った。これがオーガスタ・ナショナルで春休みにプレーするのに菅井さんから言われた唯一の条件だったから。
菅井さんは日本屈指の広告代理店の人でチームアラシの仕切り役、チームディレクターとして派遣されているやり手広告マン。それでも決まっていた化粧品のCM撮影スケジュールを変更してもらうのには相当汗をかいた様子だった。日本を出発する前、
「アラシ君、その代わりひとつ条件があるんだ。オーガスタ滞在はギリギリ2泊まで。慌ただしいけどラウンドが終わった翌日の便でロケ地に直行してくれないか?」
「直行ですか?」
「そう。CMの撮影チームとニューメキシコで合流して欲しいんだ。とても良いスパニッシュ・コロニアル風のロケーションが見つかったそうだ。撮影チームはシアトルで国内線に乗り換えて行くんだけれど、アトランタからなら最寄りの空港まで直行便が出ている。それならアラシ君ひとりでも問題ないよね?」
ということで、オーガスタ・ナショナルで過ごした夢のような時間に浸っている間もなくボクはロケ先へと急いだ。
「次はこちらのノースリーブです」
スタイリストから袖のないドレスを手渡される。
「今日はこの衣装でラストでしたよね?」
「はい」
「じゃあこの後、自由時間だ!」
「嬉しそうですね~、またゴルフ場ですか?」
オーガスタからキャディバッグもロケ先に持参してきていたので、ホテルのコンシェルジュに頼んで近くのゴルフコースを紹介してもらっていた。だから仕事の合間の自由時間を利用して帰国まで十分に練習することができるのだ。
「そりゃあ、ボクの本業はゴルフアスリートですからね」
「そうは言っても、キリュウさんはポージングがナチュラルなので、イメージ通りに撮影が進むってディレクターさんが言ってましたよ。写真集も出すんだから立派にモデルさんですよ」
大手化粧品メーカーが紫外線対策や美肌効果を追求したスポーツコスメの新商品なのだが、写真集とのコラボ企画なのでCMでもボクのプリンセスイメージを全面に押し出した演出なのだ。まあ、ボクとしては普通にしているだけでも〝らしく〟見えてしまうから、頑張らなくていいわけで。なにせあっちでは本物の公爵令嬢やっていたからね。
「ビデオもスチルもまったく撮り直す必要のない大した逸材モデルだそうですよ」
「逸材モデルね。お姫様役だけできるって他に使い道ない訳でしょ。さあ、ちゃっちゃと着替え手早く終わらせて練習に行っちゃおうっと」
天気にも恵まれて撮影は順調に進み、予定より早く撮了となった。帰国した3月中頃、大学に帰国挨拶で顔を出してから帰宅すると母さんが言った。
「アラシ、あなたにお手紙が届いているわよ。急ぎだからって郵便局じゃなくってバイク便で届けられたんだけど」
貼られた付箋を見ると、コニーことヴァン・スタイン三世の指示でアメリカ大使館気付で家に届けられたものだった。封を開けると印字されたFAX用紙が入っている。英文だ・・・
「えっと〝The Board of Governars of the Augusta National Golf Club coadially invites you to participate in Two Thousand and Eight〟こ、これって!」
「お手紙なんだったの、アラシ?」
「来月開催されるマスターズ・トーナメントに出場しないか、だって!」
春休みのラウンドは、事前の面接試験だったのかもしれない。
オーガスタのシンボルツリーともいわれたアイゼンハワーツリーはこの物語の4年後、2012年2月大雪で損傷して今のオーガスタ・ナショナルにはありません。