第18話 ゴルファー憧れの聖地へ
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沖縄総領事コーネリアス・ヴァン・スタイン三世から日程の連絡が来たので、ボクは春休みを利用してアメリカに行きたいことを説明していた。
「ということなんです。丁度春休みだしせっかくの機会だし、行ってもいいですよね?」
「つまり、オーガスタの、オーガスタナショナルの、メンバーさん、クラブ会員さんがアラシ君をゴルフに、ラウンドに招待してくれたっ!そういうことなんだねっ?」
いつもクールで感情を表に出すことのない菅井さんが興奮を隠さず叫んだ。
「そうです、その通りです」
「うむむむ」
3度目の説明でようやく納得した菅井さんは、返す言葉もないという様子だ。ちなみに菅井さんはチームアラシのディレクターで言ってみればボクのボス。
「そうか・・・となるとちょうど日程が重なっているという訳だ。実はアラシ君に相談する前だったのだが、君の春休みを利用して海外で例の化粧品のCM撮りをしたいと依頼が来ているんだよ」
大手化粧品メーカーが、紫外線対策や美肌効果を追求した新しい商品を出すことになって“スポーツコスメ”という切り口だからどうしてもボクを起用したいというのだ。なにしろ惑星ハテロマの遺伝子操作技術で女体化されたおかげで、ボクはゴルフアスリートなのに日焼けもせず透き通るような肌なのだ。ボクの写真集の発売に合わせた連動キャンペーンも出来るし渡りに舟でCMが決まったというわけ。
「じゃあ・・・行くのはダメ、ですか?」
「ば、バカなことを言うもんじゃない。チームアラシにとっていま一番大切なことは何か。それはオーガスタだろ?マスターズだろ?アラシ君はオーガスタでプレーできるチャンスをふいにしてもいいのか?」
「ボク、絶対プレーしたいです!」
「よし、わかった。なにかいい方法を考えてみるよ」
ということで、菅井さんがすべて調整するからと持ち帰ることになった。
その翌日、「久しぶりに顔を見たいからオフィスにあそびに来ないか」と津嶋さんに呼び出された。
津嶋宗徳56歳。あきつしまホールディングスCEOで、国内外の関連企業数百社を抱えるグループの総帥。ボクが地球に帰還したときからのパトロンだ。昨日の今日、このタイミングでの呼び出しだから、たぶんオーガスタのことだと思う。
お誘いのときには必ず車で送り迎えしてくれるのだが今回は「ひとりで大丈夫ですから」と言って断り、バスと電車を乗り継いで行くことにした。ボクは吉祥寺育ちだから街並みや人の流れの中にいるのが好きなのだ。だけど母さんもチームアラシのメンバーも、沖縄のコザでの一件があってからというもの、ボクがひとり歩きするのを過剰なくらい心配する。
「じゃあ、行ってくるね」
ボクは真っ白なロングブーツを履き終え、ショルダーバッグを肩に掛けると言った。
「本当にひとりで大丈夫なの?」
顔をしかめながら心配そうに母さんが言う。
「・・・そんな格好で。やっぱり、母さんが送って行こうかしら」
「なに言ってるの。ボク、大学生だよ?」
とフェイクファーの衿元を直しながら言う。ちなみに今日身に着けているのはニットのワンピースに真っ白なダウンのロングコート。春まだ遠い立春前だからしっかり防寒対策が必要なのだ。ウエストで絞り込んだプリンセスラインだから、いかにもお嬢様っぽくなってしまう。でもこれは仕方がない。ボクの身につける物いっさいの面倒をみてくれているのは、世界的デザイナー井上沙智江さん。それもボクをイメージして作ったブランド“princess ran”の服なのだ。
「そんな恰好にしてメイクまでしてくれちゃっているのは母さんですからね」
「だって今日は津島さんにお会いするんでしょ?そりゃあ、お粧ししなければダメよ」
腕組みしながら当然とばかりに頷いて言った。
「キャスケットの中にくるくる巻いて髪を隠したし目深に被ってるし、それに黒縁メガネまで掛けてるから大丈夫だよ」
と、真っ白なヴェルベットの帽子のつばをさらに引き下げた。
「ん・・・どうしても母さんには愛らしい女の子にしか見えないけど」
「じゃあずっと無愛想な顔しているから。もう時間ギリギリだし行くよ」
キリがなさそうなので、そう言うとボクは言いっぱなしで家を出た。
「細っそぉ」
「足なげえ」
「顔ちっちゃぁ」
「スタイルいい子ねぇ」
「モデルさん?」
「あれ?」
「眼鏡だけど・・・あ!」
井の頭線の急行渋谷行に乗ったらたくさんの視線とざわめきを浴びることになった。指差しながらボクと車内に掲示されていたポスターを見比べている。
そうか、そうだった・・・すっかり忘れていたけど井の頭線には例の麗慶学園のポスターが貼られているんだった。眼鏡して髪を隠しても体形までは隠せないか・・・ボクは終点までの17分間いたたまれない思いでモフモフ衿の中にスッポリ顔を伏せて聞こえない振りをするしかなかった。
渋谷駅から宮益坂を上がって青山通りに出てすぐのところに、あきつしまホールディングスの本社ビルはあった。
「あの、津嶋さんと11時にお約束しているキリュウです・・・」
受付で訪いを告げながら、怪しげな恰好でいたことに気がついて急いで眼鏡と帽子を外した。まとめた長い髪がスルスル解けるとエントランスホールに差し込む光を浴びてスイングしながらキラキラ輝く。
「キリュウ様、お待ちしていました」
と、後ろからすぐに声を掛けられた。視線が前髪の方に行っているので天使の輪に見惚れているのが分かる。母さんの丁寧なブラッシングのせいでとても髪の調子がいいみたい。
「あ、三田村さん」
高校の修学旅行のとき沖縄でお世話になった津嶋さんの秘書だった。
「沖縄では急なプロアマ戦参加でびっくりさせてしまいましたね。少ない時間でしたがあの後ご友人たちと那覇観光を楽しんでいただけましたか?」
エレベーターを待つ間もボクがリラックスできるように気遣ってくれているのが分かる。
「あのときはちょっと焦りました。でも、そのおかげで新垣亜衣プロとご一緒できましたから嬉しいびっくりでした。試合の後、三田村さんに送っていただいて無事友だちと合流できましたし、ゆいレールに乗って首里城にも行けました。そうそう沖縄名物のぜんざいも食べたんですよ、おいしかったなあ」
「それはよかったです。高校生活の締めくくり、修学旅行の貴重な自由時間に割り込んでしまいましたから楽しんでいただけたか案じていたのです」
秘書とはいえ、津島さんの思いついたワガママでボクが振り回されたと感じていた様子だ。
「菅井君から聞いたが、アラシ君は沖縄総領事と知り合ったそうだね」
執務室に入るなり津嶋さんが言った。 コーネリアス・ヴァン・スタイン三世とのことを聞いたということは・・・
「ごめんなさい!ご心配かけました。反省してます」
ボクはあわてて頭を下げた。
「コザで危ない目に遭ったと聞いたがともかく無事でよかったよ。深夜の飲み屋街をひとりで散策しようなんて、アラシ君はやっぱり男の子なんだな。中身は男でも見た目は類まれな美少女なんだ。常に注目を浴びているということを忘れないでくれよ」
「はい」
「それはともかくアラシ君をオーガスタ・ナショナルに招待してくれたそうだね?」
「そうなんです。正式にオファーがあるまで半信半疑でしたが先日春休みの日程で案内がありました」
「それにしてもオーガスタとはね」
「嘉手納基地のゴルフコースで日米対決したのですが、勝ったご褒美ということでご招待いただきました」
「沖縄総領事がオーガスタのメンバーさんだったとはな。災い転じて福となす、か。アラシ君は強運に恵まれている」
「銀河系の彼方の惑星に迷い込んでも無事地球に帰還できたくらいですから。もっともこんな身体にされてしまっていますけど」
と、ボクはニットのワンピースのおかげでくっきり膨らんでいる胸もとを見下ろした。
「アラシ君にとっては不本意だろうが、その容姿だからこその今もある」
「・・・そうかも、ですね。沖縄で危ない目に遭わなければオーガスタのメンバーさんにも出会わなかったでしょうし」
「コーネリアス・ヴァン・スタイン三世、沖縄総領事はどういう人物だった?」
「はい、ひと言でいえば紳士です。ボクみたいな若造にも礼儀正しくやさしく接してくれました。そういえば・・・」
ボクは、電話で話したときのことを思い浮かべた。
「May I ask you a little, Mr.Van Stein?」
『“なんだろう?アラシ君が知りたいことなら何なりとお答えしますよ。それから、私のことはコニーと呼ぶ約束だったね?”』
『あ、コニー。えっと、あなたはアメリカ政府の役人、いわゆる公務員ですよね・・・オーガスタ・ナショナルの会員になるのって、とてつもなく大変だって聞いたことがあるんですが・・・』
『“ふむ。政府の雇われ人である私が、世界一の大富豪ビル・ゲイツでさえ入会が難しいゴルフ倶楽部のメンバーなのが不思議、ということだね?”』
『あ、いや、コニーがメンバーに相応しくないとかそういうんじゃないんです』
『“あはは、分かってるって。オーガスタ・ナショナルのあるジョージア州は先祖が入植した地、ヴァンスタイン家の故郷なんだ”』
『入植・・・』
『“そう、うちは19世紀半ばにフランドルからアメリカに移民してきた一族なんだ。先祖が開いたヴァン・スタイン果樹園が私の故郷なんだよ”』
「Van Stein Orchards?」
「“Yes, exactly”」
「・・・ということなのだそうです」
ボクはコニーと話したことをひとつひとつ思い出しながら説明した。
「地元ジョージア州の名門一族の当主で、オーガスタ・ナショナルがオープンした1932年以来の創設メンバー一族、ということか。それでオーガスタの会員なのか」
津嶋さんが得心した様子で頷いた。
「オーガスタ・ナショナルも昔、果樹園だった所に造られているんだよ・・・確かベルギーの男爵が開墾した農場をそっくり家屋敷まで譲り受けたそうだからね。あの有名な純白のクラブハウスは男爵邸のままの姿だし、玄関まで真っ直ぐ伸びるマグノリアレーンもその頃からのものなんだ。きっとヴァンスタイン氏の先祖は男爵と同じ時期に入植してきたヨーロッパ貴族なのかもしれないね」
「ヨーロッパ貴族・・・身なりはきちんとしていましたが・・・あんまり裕福そうには見えませんでした」
「貴族と言っても懐具合はそれぞれだからね。国務省の役人だったね?住まいは訊いているかい?」
コニーは何て言っていたっけ・・・
『“国務省に務める関係で住まいは首都ですが、ジョージアの果樹園は先祖の故郷なので墓と一緒に今でも守っているのです。まあ、今は果樹園のほとんどが他人手に渡って屋敷と庭しかありませんが”』
『普段のお住まいはどちらに?』
「“Kalorama Heights, District of Columbia, it's a tiny house”」
「たしか・・・コロンビア特別区のカロラマハイツ、小さな家ですって言ってました」
「ワシントンのカロラマハイツか、やはりね。君は米国のエスタブリッシュメントと昵懇の間がらになったようだね」
首都ワシントンのカロラマハイツ・・・そんな情報だけで素性が分かっちゃうものなのだろうか。こう言うのが大人の世界なのかも。
「いい機会だ。オーガスタ・ナショナルで腕試ししておいで」
「ありがとうございます」
「ヴァン・スタイン三世の招待を最優先にスケジュールするよう菅井君たちには指示しておくから。アラシ君は何も心配しなくていい」
ということで話はまとまった。その後、代官山のフレンチレストランに移動して美味しいランチをご馳走になった。
「いかがでしたかな、お嬢さん?」
昔から馴染みの店らしく、テーブルに挨拶に来て頻りと津嶋さんのことを“若”と呼んでいた老シェフがボクに問いかけた。お嬢さん・・・見た目がそうなんだからと割り切って笑みを浮かべる。
「はい、ミモザサラダにタンシチュー、それから洋梨のゼリーも美味しゅうございました」
「お若い方のお口に合ってよかった。ぜひまたお越しください」
お土産に名物のレーズンサンドクッキーまでいただいて、迎えの車に乗った。
「あの店とはうちの爺さんの頃からのつき合いでね、昔から出入りしているんだ。子供の頃よく連れられてオムライスを食べに来たもんだよ」
「それで津嶋さんのことを若っ若って呼んでいたんですね。ちょっとびっくりしました」
「爺さんは亡くなったが親父は現役を退いた今でもちょくちょく顔を出しているので、シェフからすれば親父の方が“津嶋さん”で私が“若”なんだろうね。今日はランチのコースだったが元が洋食屋だから、オムライスやカレーも旨いよ。機会があったら友だちと食べに行くといい。さて到着だ」
あきつしまホールディングス本社ビルの車寄せに着くと後部座席にボクを押しとどめ津嶋さんだけが外に出た。
「じゃあ、このまま吉祥寺のお家まで乗って行きなさい。三田村、アラシ君をよろしくな」
「今日はありがとうございました」
「オーガスタから戻ったら感想を聞かせてくれよ」
と言うと軽く手をあげてビルの中に入って行った。
「お手数おかけします、三田村さん」
V12気筒5000ccの巨大パワーとは思えない微かなエンジン音をさせてセンチュリーが発進したところで御礼を言う。
「いいえ、ボスの願いですから」
津嶋さんの願い?そういえば三田村さんは秘書なのにボスについていなくていいのだろうか・・・運転の方はプロライセンスを持つ優秀なドライバーだそうだけど・・・そうか!渋谷の街中をひとりで歩かせたくなくてボクと顔見知りの秘書さんに送らせたんだ!初見の運転手さんだったら「用ができたので」とか言って降ろしてもらえるから。
「神泉駅か駒場東大前駅まででいいです、なんて言っても、ダメですよね?」
「ダメです」
キッパリ言われてしまった。津嶋さんも母さんたち同様に心配性で過保護なのかも。センチュリーは滑るように代々木入口から首都高に入った。三田村さんはアクセルを踏み込みながらボクを諦めさせるように加速する。これで少なくとも高井戸出口までは途中下車はできなくなったわけだ。しかたなくボクは革張りのシートに深く座りなおした。
「それじゃあ、こちらで」
ボクは麗慶大学の欅並木の入口で車を停めてもらった。津嶋さんの呼び出しだったので今日はすべてサボるつもりでいたけど、4限目の講義に間に合いそうだから学校の前まで送って貰ったのだ。何しろ理系の1年は出席日数をクリアするだけでも大変なので講義ノートだけはバッグに入れてきたのだ。
「送っていただきありがとうございました」
「いいえ。こちらこそ楽しいドライブでした」
と言うと、三田村さんは微かに排気音を響かせて静かに発進して行った。五日市街道からセンチュリーが見えなくなるまで見送っていると、なんだか周りがザワザワしている。振り返ると欅並木の通行人が立ち止まって注目していた。
「あの子、運転手付の高級車から降りたぞ」
「どこかの社長令嬢?」
「あ、キリュウだ」
そっか、この出立ちでキャンパスに現れたら当然そうなるか・・・。ボクは周囲に向けて愛想笑いを浮かべながらそそくさと校舎に向かった。もちろん教室でもちょっとした騒ぎになったのだが、お姫様然と鷹揚にかわしていたらそのうちに静まった。なにせ惑星ハテロマ仕込みの本物のプリンセスなのだもの。
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そして今、ボクはアメリカ合衆国南部のアトランタ空港に降り立っている。直行便でも成田から13時間、ひとり旅で少し不安だったけれど、空港に到着すると到着ゲートにコニー本人が迎えに来てくれていた。
「Welcome to Empire State of the South!」
え?エンパイアステートって言えばマンハッタンを象徴する摩天楼・・・開口一番コニーからよく理解できない英単語だ。
『はは、クエスチョンでいっぱいの顔だね。ここジョージアの愛称は“南のエンパイアステート”つまりジョージア州へようこそって言ったのさ。』
『北のエンパイアステートはニューヨーク州・・・そして南がジョージア州』
『その通り』
考えてみればエンパイアって言ったら“帝国”だ。それにステートが付けば“帝国州”だ。エンパイアステートビルは“帝国州ビル”・・・アメリカは共和制の国で皇帝や国王を元首とする帝国ではないはず。うーむ、由来は分からないけれどアメリカ市民にとっては意味深い愛称のようだ。
『それはそうと、実は日本を出る前にはひと悶着あったんですよ』
ゴルフクラブの収まった頑丈なトラベルケースと衣類の入ったスーツケースを積み込んで、コニーが運転するキャデラック・エスカレードの助手席に収まるとボクは出発前の出来事を話しはじめた。
「えええ〜っ!アラシだけオーガスタ?」
桜庭美咲が口を思いっきり尖らして言う。菅井さんから話を聞いて自分たちもゴルファー憧れの聖地オーガスタ・ナショナルに行けると跳び上がって喜んだらしいが、今回はメンバーさん直々のラウンドご招待なのでボクひとりなのだ。
「ごめんよ、美咲。オーガスタ・ナショナルではプレーヤー全員ひとりひとりに専属でハウスキャディがつくんだよ」
美咲はデビュー以来ずっとボクのキャディを務めてくれている大切な“相棒”だけど今回ばかりはダメだ。オーガスタ・ナショナルは2008年21世紀の今ですら女性が会員となることを認めない伝統墨守のゴルフ場。マスターズ・トーナメントに出場する選手でさえ帯同キャディを認めずコースキャディでプレーした時代もあったそうだから。
『なるほど。アラシ君の相棒はよほど悔しかった様だね、気の毒なことをした』
『そりゃあ誰だってゴルフファンなら死ぬまでに一度は行ってみたいコースですから』
『行ってみたい、だけではないのだろ?』
『もちろんですよ。今回こうしてラウンドするチャンスを与えて下さったことに感謝の気持ちでいっぱいなんですから!』
『ラウンドする、だけでもないのだろアラシ君の本当の願いは?』
『・・・』
『聞いたけど、君の目標はマスターズに出ることなんだってね?』
そうなのだ。美咲とのやり取りには続きがある。
「今回は下見だよ」
「下見?」
「そう下見。だからさ、マスターズに出るときにはよろしく頼むよ」
顔の前で片手拝みしながらボクが言うと、美咲はしばらくボクの顔を見つめた。
「・・・じゃあ、必ずマスターズに出ろよ。出られるようフルパワーで努力しろよ、アラシ」
美咲は頬を思いっきり膨らましてそれでも不満そうに言ったっけ。
『こんな形していますけど・・・ボクは男です。ゴルファーなら誰もが憧れる舞台、男子ゴルフの最高峰マスターズのティーグラウンドに立ちたい、それが幼い頃から抱いてきた夢ですから』
『じゃあ、今回のラウンドはマスターズの下見という訳だ』
『はい!烏滸がましいですけど』
『そんなことないよ。君は世界大学オープンで準優勝し、オセアニア・アマチュアゴルフ選手権を勝ち抜いた実力者なんだから』
確かにアマチュアでは頑張れていると思うけど・・・。
『それに日本の女子プロツアーでも優勝しているんだろ?』
去年のリクゼンTV杯のことか・・・それにしてもよく知っているよ。
『く、詳しいですね』
『君のことをよく知っておきたいと思ってね。知り合いに調べさせたんだ』
コニーはアメリカ合衆国政府の役人だった・・・調べさせた知り合いって・・・沖縄では確か情報機関の友人だって言ってなかったっけ。
『君が地球を離れて銀河系の彼方を旅してきたことも知っているよ。そしてその華麗な姿になってしまった理由もね。そうそう、君が来るって話をしたら皆が是非この機会に会いたいっていうんだ』
え・・・ひょっとしてNASAとか宇宙生物学の研究者たちが興味をもっている、とか?だとしたら実験素材にされかねない!
『えっと・・・ボク、ひと前に出るのが苦手な質なもので』
あわてて否定してみる。
『何を言うのやら。トーナメントで一身に注目を浴びるスターアスリートのくせに』
『たはは』
『それで申し訳ないんだが今夜はうちでパーティーすることになっているんだ。その席でいっしょにラウンドする友人たちも紹介するからね。時差ボケもあるだろうしゆっくり休みたいところだろうけれど付き合ってもらえるね?』
『でも・・・ボク、パーティーに出られるような服を持参してきていないんです』
ボクは今回持参したスーツケースの中の服を思い出しながら答える。
『着るもの?うちのワイフに用意させるよ』
と、言いながらボクの背丈を確かめるように見た。
『背丈は丁度いいわね! これがいいかしら。でもこっちの方が見栄えしそう。あなたの美しいデコルテと組み合わせるなら、ネックレスはこっちよね、迷っちゃうわ』
キティが困った表情をしていながら、とても嬉しそうに言った。
『うん、やっぱりこれにしよう。これがいいわ! でも、あなた細いからウェストを詰めないと。ほんと綺麗ねえ!』
彼女はキャサリン・ヴァン・スタイン三世、そうコニーの“ワイフ”だ。『キティと呼んで』って言われたのだけどセレブの奥様はどうしても敷居が高い。
『あ、ありごとうございます、キ、キティ。でもあの、ボク今回の荷物に肩ひものないブラ、もってきていないんです・・・』
ホームパーティだからワンピースくらいかと思ったら、なんと肩まる出し背中の大きく開いたイブニングドレスだったのだ。
『大丈夫よアラシ、心配しないで』
と言いながらチェストから真新しいレース飾りついたビスチェを摘んでみせた。母さんもそうだけどボクに衣装を着せ付けるとき、女の人たちはホント嬉しそうなのだ。生身の着せ替え人形とでも思っているのかも。
そしてボクはしっかり女装させられてしまった。
『それでは皆様お待ちかね、本日のゲストをご紹介します』
キティに背中を押されて部屋から出ると、吹抜けになった階段バルコニーに立つボクを大勢が見上げていた。いずれも地元の名士、紳士淑女達らしい。遠慮がちだがボクのことを興味津々といった感じで観察している様子だ。まあ、こういうシチュエーションには慣れてはいるのだが。
ボクは惑星ハテロマの女性化プロジェクトで鍛えられた表情筋を総動員して、とびっきりのプリンセススマイルを浮かべると、ネックレスとイヤリングをキラキラ輝かせながら螺旋階段をゆっくり降りていった。
『美しい。君は本当に男だったのかね?』
『だった、ではありません。今もパスポートは“F”ではなく“M”ですよ。ご覧になりますか?』
と、いつものパターンで返す。だけど言い終わりにはとろけるような“ニコッ”を加えることを忘れなかった。こういう姿でいるときには期待されている仕草をしなさいって母さんに言われているから。
『ゴア副大統領の「不都合な真実」は観ましたかな?太陽系の外の世界を経験してきた人類として君の意見は?』
『えっと・・・』
パーティーの会話って話題が決まっているわけではなく何が飛び出すか分からないからドキドキする。
『ニッサンがスカイラインから独立させたGT−Rは実に魅力的な車だ。君はそう思わないかい?』
『あの、まだ免許もっていないもので・・・』
『サブプライムローンの焦げ付きだが、今後君の国にもどのくらい影響するだろうか?』
『サブプライムローン・・・存じません』
『ヒートテックは試したかい?あなたの国のユニクロは面白いブランドだね』
『ボク、自分で服を買ったことがないもので・・・』
『あなた、お酒は召し上がるの?なにがお好き?』
『いえ、まだ未成年なもので・・・』
『あなた「プラダを着た悪魔」はご覧になった?アン・ハサウェイがどんどん洗練されていくシーンって素敵よね!あなたはどのファッションがお好み?』
『すみません。まだ観ていないもので・・・』
その後も試合のことや大学のこと普段の生活のこと、オブラートには包まれてはいたけど根掘り葉掘り個人的なことを尋ねられた。どうやらここにいる全員ボクの身体のことに関心があるということだけは分かった。それはともかく色々な人たちと面識になって楽しい夜を過ごすことができた。
『アラシ君、さっき紹介した一緒にラウンドするメンバーたちから相談があったのだけど、プレーしたあと君とゆっくりゴルフ談義をしたいそうだ。ラウンドが終わったらそのままコースに泊まってみないかい?』
聞いている予定ではこちらに滞在中はコニーの屋敷に宿泊することになっていた。オーガスタナショナルでプレーできるだけでも夢のような話なのにコースに宿泊できる?
『オーガスタナショナルに宿泊できる場所があるんですか?』
『そう、コースの中にとてもいいコテージがあるんだ。もちろんクラブハウスの中にもCrow's Nestと言って、マスターズに招待したアマチュア選手が安価で泊まれる屋根裏部屋のベッドルームがあるよ』
クローズネスト。クローはカラス、ネストは巣だからカラスの巣だ。
『屋根裏だし狭い空間だけど、プロになると泊まれなくなるからアマチュアならではの得難い権利、ともいえるね』
『クローズネストですか・・・ボクも泊まれるようになりたいな』
コニーがチラッとボクを見た。
『残念ながら相部屋なんだよ。その姿だと他のアマチュアと同室っていうわけにはいかないからね』
『ボク、相部屋でも全然構いませんよ』
と言うと、コニーが驚いたように大きく目を見開いた。
『え?君、男性の前で着替えるの平気なのかい?』
『ボクにとっては異性じゃありませんから。でも同室の皆さんが寛げなくなるのなら遠慮するしかありませんよね』
『ふうむ・・・』
『大学の研究室でもまわりは全て男子学生なんですよ』
『そりゃあお互い気をつかうことだろうね』
『最初はそうだったかも。でも今は猥談だってしてますから』
『君の前で?平気なの君は?ふうむ・・・』
どうやらボクを女として扱うべきか男として扱うべきか、コニーは迷いはじめているみたいだった。
『・・・ま、ともかくオーガスタナショナルのクラブハウスに女性用トイレはないから、クローズネストに泊まるのは難しいと思うよ。ということで今回は快適なコテージを用意してもらうから。相部屋にしたいところだけど・・・君だけ個室だな』
そして翌日、ついにボクは憧れのオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブの芝を踏んだ。
クラブハウスの屋根裏部屋“クローズドネスト”にはプロになる前の著名選手が宿泊しています。あのタイガー・ウッズも1995年初出場したときに利用したそうです。日本人では2019年に初めて金谷拓実選手が利用したと記事にありました。