第17話 ボクって厄年なの?
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「いっしょに初詣しようよ」
2008年 平成20年1月3日。高校時代の級友ブーフーウー、もといサヤカ、クルミ、ユカリの三人娘たちに誘われて、吉祥寺駅で待ち合わせることにした。家の近くのバス停からムーバスに乗れば駅前まで乗換え無しで行けるから一人でも心配はない。
だけど、出かける前が大騒動。「三が日は晴着を着るものよ」と母さんに危うく大振袖を着せられそうになったのをようやくの思いで断った。それって身動き取れなくして自分から罠にハマりに行くひとだ。その代わり他所行きワンピースを着せつけられ、薄く化粧までされてしまった。どうも写真集の撮影でナオさんに衣装に合わせたメイクをされるのが当たり前だったものだから抵抗感が薄れてきているのかも。アイボリーのカシミヤコートと同色の帽子と皮手袋、洗練されたデザインの靴で、これじゃあどう見てもお嬢様だ。
「キレイな女ね」
「誘ってみろよ?」
「あれは、ちょっとシキイたけー」
先に着いてロンロン1階花火の広場に立っていると、すれ違う人が皆ボクを二度見していく。
≪ごめんごめん≫
吹き抜けの中央にある柱のからくり時計の演奏が終わってしばらくすると、テテテテテテッの靴音とともに微妙にキーのずれた三声で謝る声がエスカレーターの上から聞こえて来た。
「ランちゃん」
「ごめんねぇ」
「待ったぁ?」
彼女たちは京王井の頭線沿線だから同じ電車で着いたようで一緒に現れた。
「5分くらいかな。それより明けましておめでとう」
「明けましておめでとう」
「おめでとう。今年もよろしくね」
「あれ?ランちゃんお化粧してる?」
「ホントだ。自分でメイクしたの?」
「んな訳ないよね。それにしてもランちゃん、おっしゃれねえ!」
「今日はprincess ranではなくってアイウエサチエ、それってフォーマルでしょ?」
「よ、よく分かったね。でも仕方ないんだよ、ボクの見た目の女の子の部分は母さんの好きに任せるって、約束しちゃっているから」
地球に帰還したばかりの頃に知り合った“年の離れたお友達”こと、井上沙智江さんがボクの身に着けるものはトップスからインナーまですべて面倒をみてくれている。ファッションブランド“アイウエサチエ”を展開する世界的デザイナーで、ボクをイメージしたセカンドライン“princess ran”も立ち上げてしまった。「アラシ君が着てくれているだけで私にはメリットなの」だそうだ。
「ランちゃんの着そうなもの、てかランちゃんママが着させそうなものは皆チェックしているもんね」
≪そうそう≫
駅ビルから外に出てサンロードを五日市街道までそぞろ歩きで抜ける。サヤカたちはダウンにブーツでアクティブ系だけど、ボクがロングコートにヒールの細い靴なのでゆっくりだ。
「ランちゃんもいよいよ3月15日には十九歳の誕生日かぁ」
「え?」
「あれ?ということは」
≪ランちゃんったら去年厄年だったんじゃん!≫
珍しく三人娘がハモった。
「厄年?」
「そうよ!女の子は数え年十九が本厄なんだから厄除けしないと」
「ボク男だから!」
思わず女の子がどうの、という方に反応してしまったけど・・・。
「ところで、厄って何?」
「えっとぉ」
なんだ答えられないんじゃない。
「じゃあ厄除けは?」
「えっとぉ、それは・・・」
「魔除け、みたいなもんかなぁ・・・」
いかにも自信なさそう。
「じゃあ厄払いって言うと、悪魔払いみたいなもんなのか?」
「そうそう!それよ」
「そうだよぉ!厄と魔、字がそっくりだもん」
「クルミ・・・おまえさあ、厂と广の違いくらいは分かるだろ」
武蔵野八幡宮に着くと、まだ初詣で混雑していた。鳥居のずっと手前、五日市街道の消防署前から列に並んだ。
「そういう三人は厄払いしたの?」
「うちらは一昨年いっしょに済ませたのよね」
「学年一緒だけど、ランちゃんは早生まれだったから厄払いの年じゃないし誘わなかったのよね」
「まだ節分まではランちゃんも十八なんだし、後厄になるけど悪いこと言わないから今からでも行っておいたら?」
去年は、世界大学オープンで準優勝したしリクゼンTV杯とオセアニア・アマチュアゴルフ選手権では優勝したけど、学園祭では安物ぺらっぺらでセクハラ紛いの魔女コスチュームを着せられたっけ・・・サヤカたちには言ってないけど確かに沖縄では危ない目に遭ったし、そういう意味では厄年だったのかな。
ようやく順番が来て、今年一年良い年になりますようにと参拝しておみくじを引いた。
「わ〜い大吉だ」
「わたしも」
「クルミもだよ!ランちゃんは?」
「末吉」
≪ビミョー!≫
「ねえ母さん、厄除けってするものなの?」
夕飯のときに訊いてみた。
「そうねえ、お父さんのかぞえで四十ニ歳のときは行ったわよ」
「なんと言ってもアラシが行方不明になってしまったからなあ」
と父さん。
「お父さんの厄年のせいだってさんざん他人から言われて気になったのよね」
「ああ、そうだったな。だが、急にどうして厄除けの話なんだ?」
「サヤカたちが、去年が十九の厄年だったけど後厄でもいいから行っておいた方がいいってうるさいんだよ」
「厄年って四十二歳とばかり思っていたけど他にもあるのかしら」
「男と女でも違うんだって」
「お母さんたちフブキを身籠って学生結婚しちゃったでしょ、駆落ち同然、敷居が高くて両方とも実家と疎遠になっちゃたから、そういうの詳しくないのよ」
「そう言えばうちの親戚ってよく知らない」
そうボクが言ったら、父さんと母さんが何と答えたものかと顔を見合わせた。
「幼いとき何かで親戚の集まりがあって会ったけど、アラシちゃんとハヤテは覚えていないか・・・」
「フブキ姉ちゃんが幼いとき?だったらまだボクは赤ん坊でしょ。覚えてるわけないよ」
とハヤテ。父さんと母さんのばつが悪い表情を見て話を変えることにした。
「ところで、フブキ姉ちゃんは十九の厄除けって行ったの?」
「私は行かなかったよ。アラシちゃんが行きたいなら行ってくれば?厄除けを知ってそうな友だちに相談してみたら?」
うーむ、サヤカたち以外で十九の厄年を知ってそうなボクの知合いって言うと・・・ボクはメル友になっている女子プロを思い浮かべた。
“だったらキリュウ君、今度の連休空いてない?”
メールしたら直ぐに返信が返ってきた。沖縄の実家で正月を過ごしていた新垣亜衣プロから自主トレのお誘いだった。
アメリカに戻る前に、自主トレをするから来ないかというお誘いだった。毎年恒例でこの時期に行っている場所があるそうで、ボクの厄払いも兼ねて基礎トレーニングを一緒にというオファーだ。
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ボクは毎日欠かさず、ストレッチ、柔軟体操、チューブトレーニングをしているけれど、ゴルフクラブを握っての練習初めは1月4日からだ。
家から歩いて10分、麗慶学園の練習場でいつものルーティンをこなす。高校のゴルフ部から馴染んでいる練習施設だ。目の前がネットなのでここでは打感とスイング軌道を丹念にチェックする。本当は落下地点まで確認できる大きなゴルフ練習場でやりたいところだけれど、少し遠いのと費用も馬鹿にならない。でも、ここでなら人目を気にせずトレーニングウェアで往復出来るし、打ったら自分で球を拾うだけで済むことなのだ。
初打ちから家に戻るとチームアラシのディレクター、菅井さんが家にやって来ていた。
「ちょうどいま新年のご挨拶に見えたところよ」
「アラシ君、あけましておめでとう」
「おめでとうございます、菅井さん。今年もよろしくお願いします」
「今日から仕事初めで、年始のご挨拶がてら今年のチーム方針についてご説明に参りました」
と母さんに紙袋を渡した。黒地に黄色い虎のイラストの手提げ袋だから有名菓子舗の夜の梅あたりかも。
「ご丁寧に御年賀まで頂戴して。主人も今日から仕事始めでして、私が伺いましょう。で、アラシはどのくらい試合に出ることになりそうですの?」
「昨年末にアラシ君から伺った後期終了からの年間予定をベースにいろいろ検討していますが、やはり大学2年ということでまだ一般教養課目の履修が必要ですし、アラシ君は理系ですから単位取得、学業優先で年間最大で6試合と考えています」
「そうお願いしますね。落第したらゴルフ活動禁止する約束ですから」
母さんにそう言われて、ゴルフ以外の活動をどう切り出したものかと明らかに逡巡したみたいだ。
「ご両親の意向はよく存じております。そうそう、そうでした。この間アラシ君が沖縄で撮影した写真集の方なんですが、まさにいま園山先生が編集作業中でして」
なんか目配せしてきたのでボクは話を合わせることにする。
「そうなんですよね。沖縄から戻った翌週、ボクも園山フォトスタジオに遊びに行って写真選びを手伝いましたよ」
「素晴らしい写真ばかりみたいだね」
「ええ、プロの写真家って凄いなって思いました。なんか写っているのはボクなのに自分じゃない感じでした」
「いい経験になったかい?」
「そうですね。自分を見つめ直す機会になったかも」
アラシ君に必要なのは学業やゴルフだけじゃないんですよっと菅井さんは表情でアピールした。
「園山フォトスタジオと出版社の話では4月発売で進んでいます。実はそのタイミングに合わせたCMの話がありまして、アラシ君に出演をしてもらってはどうかと考えています」
「CMですか?」
「はい。大手化粧品メーカーのCMなんですが」
「あら、アラシが化粧品のコマーシャルに?」
急に母さんの声が嬉しそうなニュアンスに変わった。
「スポーツコスメという新しいジャンルで商品開発を進めていまして、紫外線対策や美肌効果を追求したものなんです」
ここぞと畳みかける菅井さん。
「ゴルフアスリートかつグラビアモデルのアラシ君のイメージがぴったりと、白羽の矢が立っているのですよ」
「アラシはすごく肌が綺麗ですものね」
「そうなんですよ。アラシ君の芝生の緑に映える透き通った白い肌は、情報感度の高い女性たちから注目の的でして」
「あら〜楽しみですわぁ」
「お母さんに喜んでいただけるよう内容については吟味します」
なんだか簡単に話がまとまってしまったようだ。ま、いいけど。
「ところで、新垣亜衣プロから自主トレに来ないかって誘われたんですが」
ボクは話が一段落したのを確認して相談を切り出した。
「自主トレ?ああ、亜衣ちゃん恒例のやつか」
菅井さんに訊いたら、津嶋オーナーが新垣プロに紹介したお寺さんの宿坊なのだそうだ。学年末試験の前で慌ただしかったけど予定は入っていなかったから連休を掛けて行くことにした。
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羽田発のボーイング767は定刻に関西空港に着陸した。
「おーい!こっちこっちぃ」
到着ロビーに出ると那覇からの便で先に着いていた新垣プロに声をかけられた。今回は基礎トレーニングなのでゴルフ道具はもって来なかった。だから機内持ち込みしたスポーツバッグ1個の身軽な旅行だ。
「んじゃ行こうか」
チームアラガキのマネージャー兼専属トレーナーの菊池さんという女性の運転するレンタカーで出発。
紀の川を遡って、途中から南に広がる紀伊山地の山道に入った。ここのところの暖冬で雪はなく寒々とした冬枯れ風景が続く。舗装されてはいるけど何もない狭い崖沿いの道を上へ上へと登っていく。
「おおっ」
登りきった場所に巨大な楼門が聳えていた。そこから先には街が広がっている。
「山の上なのに大きな街がある!」
「びっくりした?ここが高野山。山内全て町ごと聖域なのよ」
標高1000メートルの山に囲まれた東西6キロ南北3キロの山上盆地の中に総本山金剛峯寺と117の塔頭寺院があり、それを支える寺内町には学校、警察署、消防署、そしてコンビニまであるのだ。まさに天空の街。
楼門をぬけて坂道を下った先の交差点を曲がる。交差点には、ちゃんと信号機が付いていて横断歩道もあった。少し違うのは道路標識になんと屋根まで付いていた。
しばらく両側にお寺さんが並ぶ通りを走ったところで右折し、ゆるやかに傾斜した小路の行き止りで停車した。
「さあ、到着。このお寺さんが合宿所よ」
両脇に屋根付き紋提灯のある表門が見え、その奥に檜皮葺の大屋根があった。
「ああ、気持ちいい」
ドアを開けて外に出た瞬間、身体の中が爽やかな山の空気で満たされた。
「このお寺さん、私も厄除けのご祈祷をしてもらったんだ」
「十九の厄除けをここで・・・」
「私もこのお寺さんなのよ」
と菊池さん。
「十九じゃないでしょ!菊ちゃんは」
「三十三の厄年でした、てへ」
若そうに見えたけど姐御だったのか。
「そのご縁で毎年シーズンに入る前にここで自主トレをするようになったの。それから賞金女王、ツアー資格も貰えて今やアメリカツアー。霊験あらたか私にとって大切な場所なんだ、ここ」
新垣プロは、個人的にとても大事にしている所にボクを誘ってくれたのだ。
「キリュウ君のって、とても大きな目標でしょ?自分の力だけじゃ、どうにもならないことってあるものよ」
案内された部屋は十畳の和室で、縁側のガラス戸から手入れされた庭が見えた。
「5時から夕勤でその後、お食事を用意した庫裡へご案内します。浴室は8時から9時までが女性のご入浴時間となります。ではごゆっくり」
案内してくれた作務衣姿の若いお坊さんは説明を終えると寺務所へ戻って行った。
「宿坊っていってもあまり旅館と変わらないですね」
「そうなの。ご飯は精進料理で肉っけ無いけどね」
これから二泊三日3人同室なのか・・・え、ということはお風呂も一緒?
「あ、いまキリュウ君、下半身のこと気にした?そんなこと気にしなくていいよ。私も菊ちゃんももうオボコ娘じゃないから」
「そうそう。亜衣ちゃん経験豊富だから」
「それは菊ちゃんの方でしょ!」
おおっ 大人の会話だ。
「キリュウ君まさかとは思うけど、その身体で男湯に入ろうなんて考えてた?」
「そいつぁ剣呑だぜ、娘さん」
「たはは・・・」
息もあって仲の良さそうなコンビだ。
菊池さんは新垣プロと米国遠征中は同居生活しているそうだ。
夕勤って、思いがけないことに瞑想の時間だった。小1時間坐禅を組んでゆっくり静かに呼吸を繰り返すうちに、気が身体の外へ外へと拡がっていく感じがした。この感覚、なんか風が読める時のイメージと似ている、と思った。
「よくお越しになった」
作りたての胡麻豆腐、高野豆腐の煮物、野菜の天ぷらに、餡麩の汁碗、などなど健康的で滋味豊かな精進料理を堪能した後、入浴までの時間に書院でご住職と面会した。
「ご住職。今回キリュウ君を連れて来たのは厄除けのご相談があったからなんですよ」
ひと通り挨拶が終わったところで新垣プロが説明した。
「ほう、キリュウさんは厄年ですかな」
「ボク、今度の3月に19歳になるんです」
「なるほど。かぞえ齢で後厄になりますな」
「友だちからも厄除けするよう勧められたんですが、あの・・・女の子はかぞえ十九ということですが、男は最初の厄年って何歳でしょうか?」
「男性は二十五ですな」
「じゃあ当面、ボクは大丈夫ですよね?」
と言ったところ全員から即否定されてしまった。ボクが銀河系スケールで女性の憧れ、お姫様をやってしまった以上は女性基準でしょと言われてしまった。明日午後トレーニングから戻ったら、ご住職に護摩祈祷していただくことになった。
「津嶋さんとは先々代からの長い付き合いでしてな当院にて、あきつしまホールディングスの慰霊碑もご供養しているのですよ。奥ノ院を参拝されるときにご覧になるといい」
「慰霊碑・・・」
「空海さんの御廟のある奥ノ院までの参道には、三十万基とも五十万基とも言われる墓石が並んでおるのですが、骨を納めたものはあまりありませんでな。多くは供養のために建てられた慰霊の縁、印なのですよ」
江戸時代多くの大名家が建立したのに倣って明治以降、いろいろな企業が社員の物故者や商売道具の供養を願って様々な慰霊碑を建立してきたそうだ。
「ロケットやコーヒーカップ、健康飲料の容器、シンボルマークの人形に大きな筆、石塔の形も多彩ですわ」
津嶋さんの会社のはどんな形なんだろう、興味がわいてきた。
「皇族、公家、それと戦国武将に開祖など敵味方宗派にかかわらず墓がありますよ。有名な女性では、徳川の御台所や春日局もありますな。高野山は明治政府からお達しの出るまで女人禁制でしたから、死して初めて山内に入るという訳でしたがな」
「女人禁制・・・女の人は入ることは出来なかったのですか」
「弘法大師の母御前も入ることの叶わぬ女人禁制の結界でしたのじゃ。明治政府のお達しの後も、山内では女人には常住禁止等何かと厳しい制限があったものです。もちろん今では女も男もいっしょで尼僧さんもおりますよ。ご興味がお有りなら、往時の名残りに女人堂や女人道があるのでご覧になられるといい」
高野山の中に入ることができないので、女性の参拝者のための女人堂が入口につくられた。そこから女性たちは外周を巡る女人道を歩いて遥拝したのだそうだ。遥拝って言うのは遠く離れた場所から拝むことで、弘法大師空海が永遠の瞑想に入った廟所に少しでも近ずきたいと厳しい尾根道を巡る女人道ができたということなのだ。女であるというだけで入ることすら制限されていたのか・・・。
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「ご住職が言っていた女人道はトレーニングコースなのよ」
面会が終わり入浴時間となったので、長い廊下を浴室へ向かっていると新垣プロが言いだした。
「山道を走るんですか?」
「走るというより速歩トレッキングかな」
「女人堂から上って尾根伝いにぐるっと1周する16km6時間のコース。結構きついよ」
と、菊池さんが解説する。
「いつも菊池さん同行するんですか?」
「そりゃあスタープロを単独で歩かせる訳にはいかんでしょ。それにダイエットできるし」
「十分スリムじゃないですか、菊池さん」
「ありがとう。それと、もう菊ちゃんでいいから」
菊池さんはサッパリさばけた人みたいだ。
「今年19歳か。若いねえキリュウ君は」
「新垣プロだってまだ23歳じゃないですか」
「その新垣プロって呼ぶの止めない?」
「なんて呼べば」
「女の子同士なんだから、亜衣とか亜衣ちゃんとか」
菊ちゃんに亜衣ちゃん。女性の輪の中での呼びあい方だ・・・じゃあボクは?
「確かキリュウ君は学校でランちゃんって呼ばれてるって言ってたよね、私もランちゃんって呼ぶね」
「男の子のときが嵐くんで女の子がランちゃんか。じゃあ私も!」
菊ちゃんも乗っかって、そういうことになってしまった。
「おお、ランちゃんって結構いい身体してるんだ」
「CいやDはあるな、これ」
脱衣所で覚悟を決めてブラを外したら言われてしまった。
「は、恥ずかしいですよ」
ボクはタオルで隠しながら何とかショーツも脱ぐ。気にしなくていいって言ってくれたので、ヴェーラ博士の仕掛けを使わなかったのだ。
「全然目立たないじゃない、チラッと見えたけど」
「赤ちゃんの男の子みたい。これなら女湯に入るの全然気にする必要ないよ」
まったく悪意なく好意的に言ってくれたのは分かったけど、成人女性から自分の男の印をそのように評価されたので少し傷ついた。
「それにしてもランちゃんはスタイルいいよね。オッパイ立派だし頸長いし足細いし」
「そうか!ウェストが細いから標高差でバストが大きく見えるのか」
「やっぱ10代の子はお肌のピチピチ感が違うわねぇ」
「か、観察するの止めてください」
と言いながボクは急いで風呂場へ移動した。
「ランちゃんは、マスターズに出るのが夢なんだって?」
湯船に浸かって冷えた身体が温まってきたところで菊池さんが言い出した。
「はい。幼いときからの夢なんです」
「知ってる?マスターズの開催されるオーガスタナショナル、あれは女を排除してきているコースだから。あそこは今でも女だというだけの理由で会員にはなれないの」
「菊ちゃん」
新垣さんが、その辺で止めとけばという口調で呼びかける。
「マスターズは男子トーナメントだから男子選手で仕方ないけどさ、女性を差別する奴らが私は大嫌いなんだ!」
「・・・」
ボクが困惑したのを見て菊池さんの口調が和らいだ。
「私もランちゃんのことは認めているよ。ランちゃんがちゃんと女装して、スカートはいて女の子としてマスターズの舞台に立つなら絶対応援するから」
「なんだ、そういうこと。菊ちゃん」
「オーガスタナショナルでは平等に女子のトーナメントもやるべきなのよ。あんなに素晴らしい、ゴルファーだったら誰でも憧れるコースなのに、女だというだけで出場できないなんて不公平極まりないじゃない!」
どうなることか緊張したけれど、ボクが夢を目指すのを二人とも応援してくれているのだけは分かった。
「実はこの間、写真集の撮影があってちょっと頑張ってみたんですが、今のボク、男の服何を着ても女にしか見えないみたいなんですよね」
「え、なあに?ランちゃん、写真集出すの?」
「ひょっとして水着も着た?」
「び、ビキニを」
「おおお!」
沖縄ロケの話で盛り上がってしまい、すっかり長湯してしまった。
翌早朝、朝勤に参列して荘厳な読経を浴びた後、精進料理の朝食を済ませてトレーニングウェアに着替えた。昨日から植物性タンパク質だけを食べているせいか身体が軽い。
「それじゃランちゃん、いくよ!」
境内で柔軟体操をしたボクたちは、女人堂へと駆け出した。この感じ、惑星ハテロマの地球ゲート近くの山で合宿して以来かも。なんか懐かしい。
まっ直ぐ一本道に伸びた不動坂を登りきった峠の頂上には右側に「高野山」左側に「金剛峯寺」と書かれた大きな常夜灯が立っていた。そしてその直ぐ外側に女人堂はあった。かつて高野山の山内は本当に女人禁制の結界だったのだ。高野山の入口七か所すべてに女人堂があったが現存する唯一のものは不動坂の女人堂なのだそうだ。山内の寺院に比べると質素な感じだが、何か女性らしい優しい気が漂っている。
ボクたちは厳粛な気持ちで女人堂を参拝した後、向かい側に安置された大きなお地蔵さんの横の登山口から階段を歩き出した。
山の空気を吸い込むうちに身体中に新鮮な酸素が行き渡っていくのが分かる。女人道からの高野山内は考えていたより近くにあった。入山を禁止された女の人たちにとって、こんな近くに居ながら決して傍には行けない歯痒さ辛さ、どんな思いでこの尾根道を辿ったことだろう・・・。
≪ヴォッ≫
護摩木が火炎の中に投げ入れられるたびに炎が天井高く舞い上がる。
≪ヴォッ≫
≪ヴォッ≫
新垣プロ菊池さんと三人、ご住職が祈祷する護摩壇近く火の粉を浴びながら半跏座して真言を唱え続ける。
「特に思うところがお有りなら、こちらの護摩木に念じながら願意のご記入を」
十九の厄除けをお願いした際にそう言ってご住職から護摩木を手渡されたので、ご祈祷が始まる前にいま一番ボクが思っている願い事を記入して護摩木の束に重ねて置いていた。
≪ヴォッ≫
あ・・・いまの瞬間、その細い木片が釜に焚べられたのを感じた。
炎に炙られ不動明王の真言を繰り返し繰り返し休むことなく唱え続けること3時間、ボクは炎の中に不動明王が浮かび上がるのを見た気がした。
「お三方の願意しっかりご祈祷させていただきました」
≪ありがとうございました≫
護摩堂の外回廊の灯篭に火が点る頃に護摩修法は終了した。やり遂げて昂揚しているに違いないのに、なにか不思議に静かで落ち着いた気持ちになっていた。
二泊三日の高野山自主トレが終わって再び関西空港に戻って来た。菊池さんがレンタカーを返却するのを待ちながら、新垣プロとボクはお喋りしていた。
「今度アメリカに来たらうちに泊まっていきなよ」
「亜衣ちゃんアメリカに家持っているんですか?」
「うん。やっぱ全米を転戦するにも拠点があった方が便利なんだよね。ゴルフコースの中の分譲住宅でさ、目の前にグリーンがあるんだ」
「すごい」
「ところでランちゃんって男子プロの知合いっているの?」
「青地伊佐夫さんなら・・・」
「青地さん?大御所じゃないの!」
「でも、どうしてですか?」
「マスターズ目指すとなるとやっぱPGAツアーじゃない?参戦しているプロからならいろいろ教えてもらえそうじゃない」
確かにそれはあるかも。ずっと先の話だと思っていたからな・・・。
「それ以前に国内で頑張らないとアメリカに行けませんよ」
「そうかな、以外と近かったりして。ま、米国ツアーで活躍中の男子プロと知り合っても、ランちゃんを泊めたりすればパパラッチされそうだしね」
「どう見ても夜を共にした、としか思われないもんね、こんな可愛い子。男子プロもいい迷惑だよ」
話が聞こえていたのか手続きが済んで戻って来た菊池さんが口を挟んだ。
「あ、菊ちゃん。だから、ランちゃんにはアメリカに来たらウチにお出でって言ってたところ」
「いい家だよ、トレーニングルームもあるし、プールもある。ランちゃんなら大歓迎だよ」
「じゃあその時には何かお好きな料理作りますよ」
「ランちゃん料理出来るの?」
「ボク、いいお嫁さんになれるよって褒められていますから」
「あはは、料理番がいたら便利そうだ。いっそこのままアメリカまで連れてっちゃおか?」
「そうね、菊ちゃん」
と、両側から腕を抱えられそうになったので慌てて逃げる。
「それは勘弁して下さいよ」
どうやらこの合宿でボクはチームアラガキの仲間として認められたみたいだ。
-5-
冬休みが終わって大学に行くと、キャンパスに入ったあたりからボクを皆振り返っていく。いつものコンサバ女子大生の恰好なので特に目立ってはいないと思うのだが・・・。ま、母さんやユカリたちに言わせればボクって“学園のマドンナ”だそうだから注目されてはいるけど、何かこれまでとは違う視線を感じる。
「あ、キリュウ君。ちょうどいいところに来てくれた」
学生課の前を通りかかったら学生課長が手を振りながら飛び出してきた。
「新しい学園ポスターを今日から貼りはじめたので見てくれますか?」
と言って、学生課入口の掲示板を手で示す。あ、ポスターのメインビジュアルのど真ん中にボクがいた。学園長から頼まれた例の写真だった。
「園山嘉伸が撮った木漏れ日を浴びながら佇む女子学生、まさにわが学園のシンボル欅並木の最高の瞬間をとらえた芸術作品です!」
と、なぜかその被写体だったボクに向って自慢気に話す。
「これから小中高大学全てのパンフレット、井の頭線、中央線、バスのポスターにこの写真が使われます。きっと大評判になりますよ。君のご協力には感謝です」
キャンパスの中ですら前より注目されているくらいだから、吉祥寺の繁華街のひとり歩きはこれまで以上に気をつけなくちゃいけなくなってしまったかも。
ついでに学生課で学年末試験後からの春休みの日程を確認してきた。スケジュールが固まったので、沖縄の人に電話をすることにした。
≪trrrr…trrrr…trrrr…click≫
「This is Cornelius Van Stein speaking」
「あ・・・Hello, this is Kiryu」
てっきり電話交換係に繋がると思って次に言う英会話の構文を考えていたら、いきなり本人が出たので焦ったけど春休みがいつからいつまでなのか無事伝えることが出来た。
『“OK。私の休暇を合わせましょう、キリュウさん”』
『よろしくお願いします。あ、それからボクのことはMiss Kiryuではなくアラシで結構ですから』
『“では、私のこともコニーと。もう君とは友達だから気軽な口調で話そう”』
『はい、了解です。ところでコニー、あなたがメンバーのゴルフコースっていったいどこなんですか?』
『“南部の片田舎のゴルフクラブなんだ”』
コニーの声がイタズラっぽい調子に変わった。
『“オーガスタナショナルって言うんだけど、聞いたことあるかい?”』
『い、行きます!!!』
速攻ボクは返事した。
まさかコニーがマスターズを主催するオーガスタナショナルのメンバーだったなんて!ひょっとしたら早速厄除けの効果が現れたのかもしれない。
マスターズの開催されるオーガスタナショナルは完全なプライベートコースで設立以来独自の会則で運営されてきています。女性会員が認められたのは、この物語の4年後の2012年から。そしてついに2020年から「オーガスタナショナル女子アマチュアゴルフ選手権」が開催されています。なお、いまでもクラブハウスの中には女性トイレがないそうです。