第16話 思いがけない出来ごと
-1-
「・・・ュウ・・・キ・・・リュウ」
声が聞こえる・・・ボクの名前だ・・・誰かがボクを呼んでいる?
「Kiryu・・・Miss Kiryu? Are you all right?」
・・・え?英語?目の焦点が定まってくると、男がボクを見下ろしていた。外国人だ。
「えっと・・・Where am I?」
まさか、こんなフレーズを自分が口にすることになるとは思ってもみなかった。英語を習ったとき、こんなことを尋ねるケースなんかある訳ないって皆で大笑いしたヤツだ。
「This is a medical center. Miss Kiryu」
メディカルセンター?・・・確かに見渡すと診察室のようだ。ボクが寝ているのは診察台だった。
『ボクは・・・どうしてここに?』
『危ない目に遭ったことは覚えているね?』
えっと・・・ナオさんとアキラと食事をしたんだ・・・ふたりとは店の前で分かれた・・・裏道に迷い込んで・・・追っかけられて・・・そして、後ろから羽交い絞めされた!
『怪我はしていない様子だったが、君の意識が戻らなかったので私のクリニックに運んだ。基地ゲートのすぐ近くだったしね』
そうだ、ボクは気を失ったんだ!ひょっとして・・・何かされた?
あわてて身体を探って見る。痛むところは・・・ない。見下ろしてみたが服も乱れていないし汚れも・・・ない。
『うちの兵士が君に無礼を働いてしまって申し訳ない』
そうか、あいつデカい身体していたけどやっぱり兵隊だったのだ。っていうことは?
『うちの兵士・・・って言うとあなたは?』
『ここの軍医だ』
よく見ると階級章の付いた服を着ている。これってアメリカの軍服なんだ。初めて実物を見た。
『そういえば・・・どうしてボクの名前を知っているんですか?』
不思議に思って確認する。
『助けたときに確認した。君のポシェットの中の物が現場に散乱していたんだ。拾い集めたときに君の名前も分かった。争ったとき、衝撃で蓋が開いてしまったのだろうね』
と言いながらデスクの上に並べた回収品の中から紺色の小冊子を取りあげて表紙を示した。
“日本国旅券”・・・そうか、今回ロケに行くにあたって、麗慶大学の学生証を持参するのも何なので旅券証を持って来たのだ。だって、まだボクは運転免許証を持っていないから。ここのところアメリカとニュージーランドに遠征していたからパスポートに違和感なかったし。
『君がパスポートを持っていたので直ぐ嘉手納基地の中に運ぶことが出来たんだよ』
「KADENA air base? Here?」
「Yes, no doubt」
ここは米軍の嘉手納基地の中・・・ということは、いまボクはアメリカ合衆国の中にいる?
『私がゲート前の大通りを歩いていたら裏通りから女の子の叫び声が聞こえたんだ。日本語だったので意味は分からないけれど切迫した感じの声だったので』
軍医さんが駆けつけてみると、酔っぱらった私服の兵隊が女の子を押さえ付けていた。それで「貴様どこの所属部隊だ!」と誰何したら慌てて手を放したそうだ。
『この軍服を着ていたからね』
っと、金色の葉っぱみたいな階級章を親指で指し示しながら言った。
このひと偉いのかな・・・軍隊の制服って星の数や線の数が多い方が偉いはずだけど、金色の葉っぱみたいなのが1つ付いているだけだ。
≪プルル〜ル♪ プルル〜ル♪ プルル〜ル♪≫
とそのとき、診察デスクの上で携帯電話が鳴った。ボクの携帯の着信音だ。
『君に電話だね』
と手渡された。液晶画面に“園山嘉伸”の名前が点滅している。ボクは通話ボタンをプッシュする。
「はい」
「“アラシか?無事なのか?いま何処にいるんだ?この時間になってもホテルに戻っていないって心配していたんだぞ”」
相当に焦っている声だ。きっと何回もかけていたに違いない。
「えっと、とりあえず無事みたいです。今は診察室の中です」
「“診察室?”」
ボクは事情を話す。途中で何度か園山が息を呑んだ感じがした。
「“そうか。すぐそちらに迎えに行く”」
「それって無理かも。この診察室ってアメリカの中みたいですから・・・」
「“アメリカ?まさかとは思うが、ひょっとして基地の中なのか?”」
「そうみたいなんです」
「Uh, let me send you, Miss」
電話のやり取りを見ていた軍医さんが、園山にも聞こえるように言った。少し日本語が分かるのかも。
「ということなので、ホテルまで送ってもらいます」
『怖い思いをさせて大変申し訳無かった。赦されることではないが、あの兵士は長期間緊張を強いられる任務の後だったのだ。今回は見逃してやって貰えないだろうか?』
嘉手納基地のゲートのセキュリティチェックを出たところで、車をゆっくり発進させながら軍医さんが言った。
『どこも痛くは・・・ないし・・・服も・・・汚れていないし・・・紛失した物も・・・ないみたい』
ボクは服のチェックとポシェットの中身を確認しながら言った。
『そうそう、君の所持品の中にあったネームカードの紹介先にも今回の不祥事については報告をさせてもらった』
ネームカード?そうだった。羽田空港で日本ゴルフ連盟の河原さんが名刺に何かを書きつけてボクにくれたっけ。
『改めてお詫びをさせてもらうので連絡があるまで、アクションを起こすのは待ってほしい』
改めてお詫び・・・アクション・・・名刺に河原さんが書きつけた紹介先と関わることなのだろうか?
ボクが乱暴されたことは間違いない。でも、危ないところを助けてくれたのはこの軍医さんだ。
名刺に書いてある人物とこの件は、何か関係があるみたいだから待ってみた方がいいのかもしれない。
『わかりました。連絡をお待ちします』
『よかった』
『それよりも、危ないところを助けていただいて、ありがとうございました』
-2-
「アラシちゃ〜ん!」
「ああ、キリュウさん!ご無事でよかったです!」
ホテルまで送ってもらってボクがロビーに入ると、真っ先にナオさんとアキラが飛びついて来た。三人で食事した後、ボクを一人で帰してしまったことを相当悔んでいたみたいだ。スタッフさんたちも全員でボクの帰りを待っていた様子だった。
「心配かけてしまってごめんなさい」
ボクは謝った。
「ともかく、アラシは無事戻ったんだ。夜も遅いから今夜はやすむことにしよう。それと、明朝から撮影を再開する。準備の方よろしく。では、解散!」
園山の宣言でスタッフがロビーから部屋へと引き上げはじめた。
「アラシ、とんだ災難だったな」
ボクの全身をプロカメラマンの視線で確認しながら園山が言った。
「アラシおまえ・・・雰囲気変わったな」
え?そうなのだろうか。
「気持ちに変化があったみたいだな。危ない目に遭ったからなのか?」
撮影現場で追い詰められ、街でも追い詰められ、羽交い絞めされ、そのうえ気まで失ったのだ。自分では分からないけど、平気なようでも精神的には相当なことになっているのかもしれない。
「ともかく、今晩はゆっくりやすめ」
そう言って園山はボクの肩を軽く叩いた。
ホテルの部屋に戻ったものの興奮さめやらずで、ボクは横になってもまったく眠りにつけなかった。そうだ、だったら八代目にメール書いてみるか。ボクは今夜のことは触れずに、悩みがあるので相談にのって欲しいと打ちこんで送信した。
≪ピロロ~ン♪≫
あれ、すぐにメールが返ってきた。こんな遅い時間なのに起きていた?
“ランちゃんから連絡かい、こいつぁ嬉しいねえ。いま次の芝居のおさらいで先代が演じた昔の録画を見ていたとこさ。ランちゃんからの頼みとありゃあ、いくらでも相談にのるよ。この番号に電話を頂戴。あなたの蒼さま”
ボクは八代目とメル友になっていて、初めてよかったかもと思った。
「という訳なんです」
「“ふむ。ウィリアム・シェイクスピアの『十二夜』かい。あたしゃ歌舞伎役者だけど赤毛もんの芝居だって好きなんだよ”」
「赤毛もん?」
「“ああ、赤毛もんというのはねぇ、西洋の芝居は外人さんの扮装をするだろ?髪も演じる登場人物たちに見えるよう赤毛や金髪に変えるんだ。それを称して赤毛芝居ってな”」
時代劇はチョン髷被るから「まげもん」って言うらしいし、役者仲間の符丁みたいなものか。
「“シェイクスピアの時代にはね、あたしたち歌舞伎と同じで男が女の役をしていたんだよ。特に若い娘の役は変声期前の、男に成長する前の男の子だったそうだ。ランちゃんも男の子だが、見た目や声は女の子、それもとびきりの美人さんだ。シェイクスピアの娘役をやるにはうってつけなんだよ”」
確かに、ボクは男に成長できないままの身体だけど・・・。
「“『十二夜』のヴァイオラは、実に魅力的な登場人物なんだよ。男の子が演じる娘が、ばれないよう努力して男に化ける設定なんだから。その上、自分を男だと信じこませている男に恋心を抱いてしまう。なのに男からは恋のキューピット役を押し付けられ、橋渡しした女からは逆にひと目惚れされてしまうんだ”」
え・・・男の演じる女が男に変身し、その女の演じる男が男に恋して女から恋される?
「“演じている役者も、観ているご見物衆も、頭の中がぐるぐるしてくる芝居なのさ。まったくもってトコトン倒錯した世界なんだよ。だっから面白いんだがね。シェイクスピアもホントお人が悪いさぁね”」
「あの、八代目。『十二夜』のヴァイオラって、八代目から見てボクのイメージなのでしょうか?」
「“ああ、ランちゃんは男の子なのに見事に女の子だろ?そりゃあピッタリのハマり役さぁ”」
見事に女の子・・・ボクは、ますます目が冴えて眠れなくなってしまった。
-3-
翌朝、撮影が再開された。
園山の指示でメイクはしていないけれど、またタキシードに着替えさせられている。さっき鏡で見たら、やっぱり無理して男の恰好をしている女の子にしか見えなかった。
「なんだ、アラシ。疲れた顔をしているな?昨夜は眠れなかったか?」
ボクが現場に入って行くとすぐに園山が言った。
「大丈夫です。一度引き受けた仕事ですから、最後までちゃんとやり遂げます」
「よし。じゃあ、撮影本番だ!」
スタンバイしているスタッフ全員に園山は声をかけた。周囲の空気が一瞬でピリッと引き締まる。
「さて、アラシ。おまえは女の子の身体にさせられた男だ」
園山がボクを睨むように見つめて言った。
「そのおまえが、今ここでは男装させられている。何を感じる?怒り?悦び?さあ、感じているまま表現してご覧!」
男に生まれ・・・見事に女の子・・・そのボクが男の真似・・・いや、これは真似じゃない。本来の姿に戻れたんだから。
ボクは思い出す限り、男としての形をポーズしはじめる。
「それが今のおまえなのか?まだまだ!」
園山の叱咤が飛ぶ。
≪ハッ ハッ ハッ≫
息を切らしながら、もっと男らしく、もっと力強く、もっともっととポーズする。
「アラシ、おまえはまだ男なんだろう?それを証明してみせるんだろう?」
≪ハッ ハッ ハッ≫
「悔しいのか?叫びたきゃここで叫べ!ボクは男だ?どう足掻いたって、おまえはその姿なんだ。あるがままを受け入れるんだ」
突然、目の前に昨晩のイメージが浮かんできた。
ボクは太い腕で抱きすくめられ、まったく身動きできなかった。両手首なんかひと握りで巨大な手につかまれてしまった。抗うことのできない凄いパワーだった・・・あれが男なんだ。
その瞬間、自分の身体が女性化して来たすべての過程を、砂時計の砂がすべり落ちて行くリアルなイメージで実感してしまった。
あんな、あんな苦しい思いまでして地球に戻って来たのに・・・男に戻れると信じていたのに・・・ボクはもう・・・男ですらない存在になっていたんだ・・・
「何で止める!お前のシーンなんだぞ、ここは」
園山が、ポーズを止めてしまったボクを詰るように言った。
「・・・ここに・・・いていいのか・・・ボクはもう・・・地球から消えてしまった方が・・・いい・・・存在なのかも」
≪ハッ≫
≪ゴクリ≫
周りで固唾を呑んだ音がした。
ナオさんが何か言いかけたが、園山が無言のまま手で制した。
いっぱいスタッフが居るのに部屋の中は奇妙なほど静寂だ。遠くで潮騒が聞こえるだけの空間になってしまった。
ボクは、身動きできないまま思いを巡らせる。
すべてはいきなり起動した星間ゲートの所為だ。
地球に戻るためには女として試合に出て勝利する以外になかった・・・王家の養女になって社交界にまでデヴュー、姫君として海外歴訪にも行った。そして、プリンセスをさせられているのがつくづく嫌になり男装して抜け出したっけ。
ボクは惑星ハテロマで国王名代の立場を捨てた一日だけの逃避行のことを思い出していた。
男へのこだわり。男でいたい、男に戻りたいという募る思い。だけどボクは・・・逃げ出さなかった、プリンセスとしての役目を・・・最後は投げ出さなかった。なぜって?それは、
≪カシャッ≫
たった一度、シャッター音が響いた。
「それだ。俺が撮りたかったのは」
「え?」
「最高のショットだ。いまの瞬間、素顔のアラシが現れた。男でも女でもない、超越した人間の美。神々しいまでに美しかったぞ」
周りを見回すとスタッフたちが、恍惚とした表情をしていた。
「アラシおまえ、もう服の境界なんかに囚われるな。女だろうが男だろうがどんな衣装を着たって、おまえはおまえなんだ。自信をもて!」
そうか、そうなんだ・・・。
・・・服に合わせる必要なんか無かったんだ・・・自分に合う服を・・・着るだけでよかったんだ。
「センパイ。ボクに女装させてください」
ボクは初めて自分からドレスを着てみようって思った。どうせ着るなら、自分の身体に一番フィットするものがいいに決まっている。
だってどのドレスも、世界的ファッションデザイナー井上沙智江さんがボク用にデザインしたものだから似合わない訳はないのだ。
それから撮影現場は日が暮れるまでフル稼働となった。さながらボクのファッションショー状態だった。
-4-
暗くなってホテルに戻ると、玄関前に黒塗りのデカい高級車が停まっていた。フロントグリルのエンブレムを見ると、月桂樹の環の中に赤青金チェックのワッペンだからキャデラックに間違いない。
ロビーにいかにも政府の役人といった感じの外国人が立っていた。
「キリュウサン、コノタビワ、アメリカシミン、ガ、ゴメイワク、ヲ、オカケシテ、スミマセン、デシタ」
覚えて来たのであろう口上を言うと、横長の封書を差出した。宛て名は
“Miss Arashi Kiryu”
ボクだった。開いてみると日本語で書かれていた。
“霧生 嵐様
貴女に対する合衆国市民のご無礼の段、衷心より陳謝いたします。就きましてはお詫び方々ご説明の機会を頂戴致し度く、ご来駕の栄を賜りますようお願い申し上げる次第です。
ご案内はお迎に遣わした者に仰せ付け下さいますよう重ねてお願い申し上げます。
在沖縄総領事 コーネリアス・ヴァン・スタイン三世”
在沖縄総領事からの招待状?確かに便箋のヘッダーに右を向いて翼を拡げた鷲が印刷されている。
「あの、これって」
「Yes, Miss. Would you please accompany with me?」
「え、今から?」
ということで、ボクはキャデラックの後部座席に乗せられた。今日の撮影の最後のシーンで着た純白シルクのフィッシュテールドレスのままだったけど「ま、いいか」って、オフショルダーに薄絹のショールだけして着替えずに行くことにした。
“U.S.AIR FORCE Kadena Air Base”
の表札のゲートを通過したキャデラックは瀟洒な建物の車寄せに入ると入口の正面で停まった。
ドアが開けられすぐに白手袋の手が差し伸べられた。あまりに自然な介添えの所作であったので思わず軽く手をのせてしまった。公爵家プリンセスとして身に沁みついてしまった習慣だ。その流れで手の主に微笑みを返すとウェストまでしかないメスジャケットを着た男性だった。あれ?この人は、
「I'm glad to see you again, Miss」
ボクを助けて介護してくれた軍医さんだった。金ボタンが光る艷やかな光沢生地ジャケットに金色の葉の階級章、無帽だし見るからに夜会用の礼装だ。
軍医さんにエスコートされて玄関ホールに入ると、
『キリュウさん、お呼び立てして恐縮です。私が在沖縄総領事のヴァン・スタインです』
タキシードを着た明るい茶色の髪の男性が言った。
『こちらはレイノルズ准将、この基地の司令官です』
隣りに立つ、やはりメスジャケットの軍服を着ている恰幅のいい金髪の男性を紹介される。
『ようこそお越しくださった、キリュウさん』
こちらは両肩に銀色の星が1つ付いた階級章だ。
『席をご用意しましたので食事をしながらお話させてください。どうぞこちらへ』
案内された部屋は、軍隊の基地の中とは思えないマホガニーを基調とする落ち着いた設えだった。
今夜の会合は謝罪と和解が目的で、ボクのために敬意を表して夜会正装で迎えてくれているようだ。席につくと司令官が話はじめた。
『料理がサーブされるまでの間、今回の不幸な出来事がどういう経緯で起きたのかご説明します。では少佐』
と、レイノルズ准将が軍医さんに指示した。そうか、彼は少佐だったんだ。
『以上が、小官が目撃した一部始終であります』
『ご苦労。という次第でして、誠に恥ずかしい限りです。キリュウさんには大変ご不快な思いをされたことと思います。部下を預かる立場として衷心より謝罪します』
司令官からボクへの謝罪が終わったタイミングで、オードブルが運ばれて来た。乾杯をすることになったけれど、ボクは未成年なのでワインを断ってシャーリーテンプルを頼んだ。
『君は素晴らしいゴルファーだそうだね?』
食事が進み一通り挨拶会話が終わったところでレイノルズ准将に尋ねられた。
「?」
なぜ、ボクがゴルフすると知っているのだろう。
『君はラリー・レイノルズJr.を知っているね?』
『はい、レイノルズJr.とはこの夏、世界大学オープンでいっしょにラウンドしました』
『実はジュニアは、ラリー・レイノルズJr.は、私の甥なのだよ』
なんと!と言うことは、准将はボクが男だって知っている訳だ。考えてみれば、軍医さんだってボクのパスポートを見ているんだし・・・ボクは急にこんな恰好でいる自分が恥ずかしくなった。
『ジュニアから君の評判は聞いているよ。女の子の恰好をしているが正々堂々男らしいプレースタイルの類い稀なゴルフアスリートだとね。ジュニアは自分のライバル、次に対戦するのが楽しみだと言っていたよ』
ボクを、今でも自分のライバルだって言っているんだ。
『レイノルズJr.が、あなたにそう言っていたのですか』
『ああ、そうだ。いや、それにしても美しい。ジュニアが言っていた以上だよ、君は。地球に帰還するまで、王家の姫君だったそうだね?』
え?どうしてそんなことまで知っているのだ。レイノルズJr.とは、そんな話はしていないはず・・・。
『キリュウさんとお会いする前に失礼のないよう、国務省を通じて情報機関に照会しているのですよ』
ボクが不思議に思っている様子を見て、総領事のヴァン・スタインさんが説明してくれた。アメリカで情報機関って言うと、FBIかCIA、ひょっとしたらNASA?
『どうだろう、沖縄にいる間に一緒にラウンドしないかね?』
ということで撮影終了予定の翌日、ボクが東京に帰る前に3人でゴルフする約束をした。
どこのゴルフ場でプレーするかは先方まかせだが、別に試合をする訳ではない。でも一応、キリュウアラシがラウンドする訳だからチームアラシの責任者である菅井さんには報告しておかないと。ホテルに帰ったらメールしよう。
ゴルフ場へ行く当日の段取りとしては、朝ヴァン・スタインさんが総領事の専用キャデラックでホテルまで迎えに来てくれる。そしてプレー終了後、帰りの飛行機に間に合うよう那覇空港まで送ってくれるから日程的に問題はない。ゴルフ道具についてもだいたいのゴルフ場には貸クラブ、貸シューズがあるものだし、ゴルフウェアじゃなくても身体を動かしやすい服装を持ち合わせから選べば問題ないはず。でも手袋とボールだけは買うしかないか。まあ、持ち合せの小遣いでなんとかしよう。今回の写真集が売れればギャラも出るだろうし・・・まあ、いっか。
-5-
そして撮影最終日を迎えた。
「おはようございます」
「おはよう。昨晩は遅かったようだな」
「基地の中に招かれていたもので」
「アラシ、おまえすっかり基地の中とつながりが出来てしまったな」
「ま、まあ。ちょっと騒動に巻き込まれてしまった関係で」
「いずれにしろ今日の撮影で終わりだ。最後までよろしく頼むぞ」
「少し体を動かしてみせてくれるか?うん、普段やっているのでいい」
ボクは、いつものルーティンでストレッチを始めて、最後に180°開脚したままペタッとお腹を床に着けてみせた。
「柔軟体操か、おお、柔らかいね。じゃあ、ヨガのポーズはできる?やったことないか。アキラ、お前インストラクターに習っていたな?」
アキラを真似て、いろいろなヨガポーズをやってみる。園山はボクの身体のラインが薄い布地を通して様々な形状に変化するのをチェックする。
真珠貝のポーズ
≪カシャッ≫
猫の背伸びのポーズ
≪カシャッ≫
コブラのポーズ
≪カシャッ≫
ウサギのポーズ
≪カシャッ≫
ラクダのポーズ
≪カシャッ カシャッ≫
「それだ!ラクダのポーズだ!」
≪カシャッ カシャッ カシャッ≫
反り返ったボクの胸の先端が高々と天井を指し示すまま、そのポーズを続けた。
「素晴らしい!」
≪カシャッ カシャッ カシャッ カシャッ≫
「いきなり大人。幼女時代のない女なんだよ、アラシは」
≪カシャッ カシャッ カシャッ カシャッ≫
え、どういう意味?
「身体はすっかり女だけど、準備できないまま女なってしまった、その当惑がビンビン伝わってくるんだ」
≪カシャッ カシャッ カシャッ カシャッ≫
「センパイ・・・すこし苦しくなってきました。もういいですか?」
「よ~し!いい写真が撮れたぞ。アラシ、おまえは幼女から自分を生きなおして見るといいのかもな」
それ、どういう意味?
日も暮れて月が出る時間を迎え、最後の撮影は海辺で行うことになった。
「さあ、ラスト行こうか」
「センパイ。衣装を用意してくれていたので一応着てみましたが・・・」
ボクはトップスの襟元を固く合わせながら言った。
「なんだ。何か問題か?」
「どうしても水着姿で撮らなきゃいけませんか?」
「そりゃあ、定めごとみたいなもんだからな。女の子の写真集を買う一番の愉しみだろ」
「ボク、女の子じゃないんですが」
「見た目の問題だ、アラシ」
「だけど・・・」
「その身体を見せるのがそんなに嫌か?」
「そりゃあ、過去に写真週刊誌に白ビキニの姿は掲載されたことはありましたよ。それでどれほど傷ついたことか・・・」
それは、自分の身体がもはや戻ることの出来ないくらい女性化してしまった事実を、証拠写真として突きつけられたのだから。
「アラシ。身も心も、自分を守ろうと覆っている鎧なんか、皆な脱ぎ捨ててしまえ。答えはおまえの中にしかないんだぞ」
「答え・・・ボクの悩みの?」
「オッパイのある男のコなのか?それともチンチンのついた女のコなのか?そうなんだろ?」
図星。
いやちがう!ボクはボクだ。
だけど園山の言ったとおり、確かに迷いはあった。
ボクは、地球に戻ってからもどんどん女の身体つきに変身していく自分が堪らなく怖かった・・・それなのに、女の身体つきに変化すればするほど容姿のことを誰もが注目して賞賛するのだ。
なんとか身体つきを隠そうと工夫するか、耳を塞ぎ心を閉ざしてやり過ごすしかなかったっけ・・・。
こうなりゃヤケだ。ヤケクソだ。そんなにボクの正体が見たいなら、全部見せてやる!
ボクは身につけていたシフォンのトップスを脱いだ。下に着けているのは水着だけになった。
白い砂浜、月明かりのビーチでボクは人魚になっていた。結い上げた長い髪。ボクはラン姫に戻ってビロードの絨毯のようにに静かに寄せる波の上で綺麗にターンしてみせた。
≪カシャッ カシャッ カシャッ カシャッ カシャッ≫
「飾ることを決してしない美、それだなアラシの魅力は。俺、すっかり惚れちまった。よし、これで撮了だ」
園山がため息とともに言うのが聞こえた。
「アラシはプロの写真に興味があるんだろ?自分で撮ってみな、これがリモコンで押せば遠隔でシャッターが切られる。自分が被写体なんだ、どんなポーズでも望み通りにできるだろ?せっかくの機会だ。自分のためだけの18歳のアラシ、1枚記念に撮っておけ!」
そう言うと、スタッフ全員を促してその場から立ち去らせた。
「これは絶対外に出さん。写真集にも使わん。が、おまえの作品、俺には見せてくれよな」
白い歯を見せながら立ち去って行った。
誰もいない砂浜。聞こえるのは潮騒だけ。ボクは、着ていたビキニもすべて脱ぎ捨てた。
そして編んでいた髪を解きながら、久しぶりに風を読んでみた。ちょうど良いタイミングで身体の前から吹いてきた風がボクを境に上昇気流になって吹き上がるのが見えた。よし!
≪カシャッ≫
-6-
「キリュウさんにお荷物が届いています。大きなものでしたのでお部屋にお運びしてあります」
ホテルに戻りルームキーを受け取る際、フロントマンに言われた。
なんと部屋にはキャディバッグとゴルフトートが置いてあった。どちらも見るからにピカピカの新品だ。差出人は
“琉球あきつしまカントリー倶楽部 支配人 南風原”
と書かれていた。確か修学旅行の途中、津嶋さんに呼ばれ思いがけずプロアマ戦に出場したときのゴルフ場の支配人さんだ。メモが付いている。
“津嶋オーナーのご指示で当クラブのプロショップ在庫の中からキリュウ様のスペックに合いそうなものをチョイス致しました。お役に立てれば幸いです。なお、ご返却は無用ですのでそのままお持ち帰り下さい。南風原”
開けて見ると、ゴルフクラブにボール、シューズ、手袋ほかレディースのゴルフウェアまで全てコンピタンスポーツ製品で揃えられている。
ボクのメールを見て、菅井さんがすぐ津嶋さんに報告して手配したのだと思う。これって、どういう状況であれゴルフする時のボクは、他社ロゴの付いているものは使ってはいけない、あってはならないということだ。
それにしても、どれもこれもピンク系の配色だ・・・惑星ハテロマでのプリンセス時代を思い出すからあまり好みの色じゃないって知ってるはずなのに・・・あ・・・そうか!これって菅井さんのボクへの注意喚起、いや、あてつけだな。
翌朝、仕方なくそのゴルフウェアに身を包んで迎えのキャデラックに乗り込んだ。
「It suits you very well! You like pink, don't you?」
挨拶するなり、ヴァン・スタインさんが言った。
「ええ、まあ」
と、苦笑いを浮かべてお茶を濁すほかなかった。男性から見れば、ボクのことが好ましくとてもチャーミングに見えていることは銀河系の彼方ですでに経験済みだったから。
それにしてもまさか基地の中でラウンドするとは思わなかった。
金色に塗装されたゴルフカートがエンジン音を響かせながら嘉手納基地の道路を驀進する。フロントグリルには司令官であることを示す水色のワッペンを掴んだ白頭鷲と☆のマークが描かれている。行き交う人が皆立ち止まって敬礼しているから水戸黄門の印籠並みだ。
『基地の中にゴルフコースがあるんですね』
『兵士にも休息は必要で、ゴルフ以外にも色々レクリエーション施設を整備しているんだよ』
と言っている間に、カートはいきなり1番ホールのティーグラウンドに横づけされた。
先に到着して前のプレーが終わるのを待っていたゴルファーたちが、司令官と挨拶を交わしながらティーグラウンドを譲ってくれる。前方でプレーしていた組もフェアウェーから身を避けだした。そうか、基地の中ではスタート時間も順番待ちも関係なく階級が優先されるのか・・・。
『じゃあ、スタートするよ』
«カシーーーーン»
2、3度スイングするなりレイノルズ准将は1打目を打った。ここではスタート前に練習をしないんだ・・・。
『ゴルフの時くらいは演習や訓練なしで行きたいものでね。君の番だ』
ヴァン・スタインさんも、2、3度スイングしただけでティーショットした。
«カシーーーーン»
レイノルズ准将が前方にあるレディスティーの方へ歩き出したので、
『あの、ボクもここから打ちます』
と、声をかけた。意外そうな表情をされてしまった。そうか、レディスティーからだと思って、ふたりは先に打ったのか・・・。
『そうだ。どうでしょう、日米対抗で勝負しませんか?』
意外なことついでにボクはゴルフ勝負を持ち掛けた。腕力では敵わないけどゴルフなら負けはしない。
『うむ。いいだろう、ただし手加減はしないよ』
「That's fine」
という訳で、レイノルズ准将&ヴァン・スタインさんチーム対ボクの勝負となった。彼らは1打目のボールからどちらかを選択し交互に打つ方式、もちろんハンデはなしだ。
«パシーーーーーーーーン»
『ほう・・・噂通り素晴らしいフォームだ』
ボクが1番ホールのティーショットを打つと評価してくれた。南風原支配人の用意してくれたゴルフクラブは、チューニングされていない市販品だったけれどこれなら問題なく使えそうだ。
「Concede!」
「You win!」
最終18番ホール、ボクが第2打をピン横50cmに着けたところで二人が負けを認めて握手を求めてきた。実のところ5ホール前にマッチプレーの勝負はついていたのだが、せっかくなので最終ホールまでプレーをすることにしたのだ。すぐ近くを色んな軍用機が離着陸していくので飛行機好きのボクとしては少しでも楽しみたかったしね。
『基地の中のコースがこんなに素晴らしいとは知りませんでした』
『それにしても君は素晴らしいゴルファーだ。ジュニアの言っていたとおり、いや聞きしに勝る』
『ありがとうございます』
沖縄に来てからいろいろなことに遭遇したけれど、ラウンドして晴れ晴れとした気分になった。
『勝敗のみで何も賭けませんでしたが、勝ったキリュウさんを私のホームコースにご招待させていただきましょう』
ヴァン・スタインさんが言い出した。
那覇空港への車中、その日程についての話が出た。
『キリュウさんは大学生でしたね。春休みはどうでしょう?』
『春休みならゼミも大丈夫と思います。コースはどちらですか?』
『合衆国ですよ』
「Oh U.S.A!」
『コースは毎年5月にクローズしてしまうので、その前の春休みであれば私も休暇で本国に戻れますから』
『了解です!では、東京に戻りましたら春休みの予定をご連絡します』
と言うことで話はまとまった。
「よう、どうにか帰りの便に間に合ったな」
自分の座席番号を見つけ急いで身体を滑り込ませたら、隣りに園山がいた。
「道が渋滞したもので、着くなり搭乗口まで駆け足でした。ボクの名前を場内アナウンスが連呼でしょ、焦りまくりですよ」
シートベルトを締めながらそう言うと、すぐに飛行機が動き出した。
「ゴルフの方はどうだった?」
「圧勝ですよ、もちろん。米国をコテンパンにやっつけてやりました」
「ははは、じゃあ少しは溜飲を下げることができたな。気持ちは晴れたか?」
「お蔭様で」
と言いながら、園山が今回撮影した写真をノートパソコンでチェックしていることに気がついた。
「そっちの方はどうですか?」
「うむ。俺のベストワーク、になったかもしれんな」
凄い写真集になったみたいだ。
「あの、編集作業にも行っていいですか?」
「ん?構わんよ。アラシがどういう気持ちでその写真に存在していたのか、俺も聞きたいしな」
そうか、そうなんだ。写真集はモデルとカメラマンとで生み出すものなのだ。
「それより、この写真集のタイトルなんだが」
タッチパッドをいじると画面をボクの方に向けた。
「クロス・・ドレス・・素顔の・・ままで」
「どうだ?」
クロスドレスは異性装という意味で、そういうジェンダーレスな服装をする人のことをクロスドレッサーと言うのだと説明してくれた。
「今回の撮影で、女装したアラシ、男装したアラシ、その境を超えているアラシが撮れたのでな」
「それが・・・素顔のまま?」
「そうだ。アラシはアラシであって他の何ものでもなかった。俺が撮ったのは、まさに素顔のままのアラシだった」
タイトルは、“神隠し少年”霧生嵐写真集「CROSS DRESS 〜素顔のままで〜」に決まった。
-7-
東京行きの便は定刻通りに羽田空港に着陸した。
キャディバッグとゴルフトートで荷物が増えてしまったから、モノレールやバスで帰るわけにもいかず母さんに車で迎えを頼んでいた。到着ロビーで撮影チームと別れたボクは、待合のソファで家からの迎えを待っていた。
「あら?キリュウ君じゃないの」
「あ・・・」
また知っている人に遭遇してしまった。
「沖縄のバイト帰り?あら、素敵なキャディバッグだこと。トートバッグもピンクでお揃いの花柄なのね」
日本ゴルフ連盟女子強化委員長の河原さんだった。
「河原さんも、コース打ち合わせの帰りですか?」
「そうよ。日本中を飛び回っているんだから」
と、師走に沖縄で遊んでこられる様な学生とは違うのよ、的な感じで言った。
「そうそう、キリュウ君。私の名刺が役に立ったみたいね。出張中に連絡が来たわよ、コニーから」
「コニー・・・ってどなたですか」
羽田空港で行きも帰りも出遭うなんて、どういう偶然なんだと思いながら、ボクは尋ねる。
「ああ、コーネリアスを縮めた愛称、サチコやサツキをサッちゃんって呼ぶのと同じことよ」
コーネリアス・・・在沖縄総領事はコーネリアス・ヴァン・スタイン三世だった。
「コニーとはアメリカ留学していた時のボストンの知合いなの。私、ハーバードだったから」
さり気なく自慢されてしまった。でも、それで親し気にコニーなんだ。河原さんが名刺の紹介先に書いた訳だ。
「コニーから聞いたわよ。君、やっぱり沖縄の夜の街をひとりで出歩いていたみたいね?」
「え・・・あれには事情があって」
「ま、そのお蔭かな。チャンスがあったらとは思ったけど君、もの凄いひとと知り合ったわね。いっしょにプレーしたんだって?」
よく分からないけど、もの凄いひと、だったんだ。ボクは、嘉手納基地の中のゴルフコースで司令官と3人でラウンドした経緯を説明した。
「ふうん、そうだったの。ともかく、一緒にラウンドしてみて、コニーはとっても君のことが気に入ったみたいよ」
「そう河原さんに言っていましたか。今度またゴルフしようって誘われました」
「そうか、よかったわね。コニーとの関係、大切になさいね。キリュウ君にとって、きっと力になって貰える人物なんだから」
そう言うと河原さんは、次の予定があるからと足早に立ち去って行った。
-8-
「アラシ君、CMに出て見る気はないかい?」
帰宅して数日後、春休みのスケジュール打合せで訪ねて来た菅井さんが言った。
「え?」
「アラシ君の写真集が出るっていう情報が伝わって、ウチの社内でちょっとした騒ぎになっているんだよ。撮影:園山嘉伸、モデル:キリュウアラシ、話題にならない訳がないって。発売に合わせて大々的に連動キャンペーンを狙えるからね」
菅井さんはチームアラシのディレクターであると同時に日本一の広告代理店の社員さんだったっけ。
「いろいろオファーが来ているんだけど」
「例えば?」
「うん。生活家電に清涼飲料、ランジェリーに生理用品、結婚情報誌もあったね」
「女性向けばかりじゃないですか」
「そうなんだよ。だから私が良いと思っているのは化粧品のCM話なんだ」
「化粧品・・・というと、整髪料とかアフターシェーブですか?」
「いいや、コスメ。チーク、アイシャドウ、ルージュとかファンデーションのだよ」
「それってみんな女の子の・・・あ!そうか、そうですよね。キムタクも女性化粧品のCMに出てましたもんね」
「じゃなくて・・・ま、いいか。アラシ君は演てくれさえすればいいから。じゃあ、化粧品のCMプラン提案させるよ。納会があるから今日はこれで。それじゃあ、皆さんよいお年を!」
菅井さんは、これで用件は済んだとばかり、母さんがお茶を出すのも待たずにそそくさと帰って行った。
「あら、菅井さんは?」
「仕事納めなんだって。もう年末だからね。皆さんよいお年を、だって」
こうしてボクの西暦2007平成19年は暮れていった。