第15話 ボクはフォトジェニック・・・なの?
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香ばしいA1ソースの肉汁が焼けるステーキ屋で盛り上がった翌日、夜明け前から撮影本番が始まった。朝日の差し込む瞬間を園山嘉伸が撮りたかったからだ。
園山が写真界の芥川賞と言われる木村伊兵衛賞に毎年のようにノミネートされるのは、その独特な光の表現手法にあるのだとか。今回ボクの面倒をみてくれるメイクアップアーティストのナオさんも「園ちゃんはマジシャン、光と影の魔術師よ」って褒めていたっけ。
現場の洋館に到着したボクがエントランスホールに入ると、すでにセッティングしている撮影スタッフたちの熱気で溢れていた。
「おはようございます」
「来たか。じゃあ、そっちの部屋で着替えとメイクをしてくれ。ナオ、頼むぞ」
「は~い、せんせ」
部屋の向こうから野太い声が響いてきた。
「ナオさん、おはようございます」
「あら~ペコリだって!アラシちゃんたらホント可愛いご挨拶だこと」
「あは・・・」
ロケ最初の衣装に着替えたボクは、ナオさんの手でしっかりメイクを施され両肩を押されて園山の前に進み出た。
「どうでしょ?せんせ」
「ほお・・・見事だ。さすがにあっちの世界でプリンセスをやっていただけのことはある」
「でしょ?せんせ。アラシちゃんたら、そのまんまでもお姫様だから無理して“らしく”する必要なかったもの」
撮影は例の中庭、パテオでだった。曙光を浴びてオレンジに染まる白亜の壁、黒い飾り格子に手をそえてボクは物憂げにたたずむ。
純白の極薄シルクのアラビアンドレスから、透かし彫り白磁のような陰影を纏って白い肌が透けている。
金細工のイヤリングやネックレス、ブレスレットがキラキラ朝日に輝いて、豪華な鎖編みの髪飾りから額に下がる涙型のサファイアがメイクでさらに大きくなった鳶色の瞳に映える。
まさにグラナダ王国のプリンセスだった。
≪カシャッ≫
「いいよ、いいよ。その表情」
≪カシャッ カシャッ≫
「いい、とてもいい。綺麗だ。可愛いよ」
≪カシャッ カシャッ カシャッ≫
「そうそう。仕草でもっと可愛らしく!」
≪カシャッ カシャッ カシャッ カシャッ≫
「それそれ!欲しいのはそれなんだよ。可愛い。華麗だ、とてもキュートだ!」
≪カシャッ カシャッ カシャッ カシャッ カシャッ≫
「どんどん可愛いくなっていくぞ!そうそう!ビュ~ティフル!」
≪カシャッ≫
唐突にシャッター音が止まった。
「おい、どうした?」
ファインダーから顔を上げた園山が不思議そうにこちらを見る。
「どうしたんだ?急に不機嫌になったりして」
「・・・」
「なんだその仏頂面は。いったいどうしたっていうんだ?」
「・・・」
気持ちを引き立てようと、園山がいろんな言葉でボクのことを賞賛してくれるうちに、段々憂鬱になって来たのだ。
「・・・困ったちゃんだな、まったく。可愛い、綺麗だって言われるほどに機嫌が悪くなるモデルは初めてだ。仕方がない、とりあえず休憩にしよう」
アラビアンドレスから露出している肩にガウンをかけてディレクターチェアに腰をおろしていると、園山嘉伸が観察するような視線で近づいてきた。
「これでも飲んで、すこし落ち着け」
と紙コップを手渡された。カモミールのハーブティーだった。昨夜食事の際、現場で用意するドリンクは何にしましょうと訊かれたので、リラックスした気分になるから好みだと言ったものだった。てっきり怒られるのかと思ったら優しい気遣いだった。
「アラシ、おまえどっちなんだ?」
「え?」
「女なのか?男なのか?自分のことをどう思っているんだ?」
「・・・そりゃあ男ですよ。こんな形ですけれど・・・」
ボクは口元を自虐的に歪めながらアラブのお姫様姿の自分を見下ろした。
「ここって・・・なんか似てるんですよね・・・こんな恰好しているとデジャヴって言うのか・・・あっちの世界で体験してきたことばかりが・・・頭の中に浮かんでくるんですよ」
「多分、アラシにとっては嫌なことばかりだったのだろうな」
「そりゃあ・・・地球に戻るために仕方なかったとはいえ・・・女のふりをするだけじゃ済まされず、身体まで女にされたんですよ・・・そして無理やり・・・王家の姫に・・・」
ボクはその時の苦い体験を思い出しながら言った。園山は無言のまま何も返さず観察するようにボクを見る。
「・・・そして、ようやく地球に帰ることが出来たと思ったら・・・もう二度と元の姿には戻れない身体になっていた・・・そんなボクを見て、大変だ、どうにかしなきゃ、救い出さなきゃとは・・・父さんも、母さんも、誰ひとり、思ってはくれなかった・・・皆んなボクがこの姿のままでいることの方を期待していたっけ・・・」
「なるほどな。そういうことか、不機嫌の因は」
園山は、髭面のあごを摘まみながら考えこむ様に頷いた。
「俺もアラシを初めて見たとき、無性にお前の姿を撮りたい衝動に駆られたんだ」
「・・・」
「不思議だったよ。もの凄い美少女、なのに伝わって来る波動は男の子。こいつ、いったい何者なんだ?俺のレンズを通して本性を暴いてやりたい、とね」
「園山さん・・・センパイ・・・は、ボクの姿を見ても男の波動を感じたんだ」
「そうだったな。今もそう感じているよ」
園山がそう言った瞬間、どんな表情をしているのかボクは見ずにはいられなかった。園山は自分用に淹れてきたらしいコーヒーの入った紙コップを覗き込んでいた。でも、なにか嘘をついていることはないって感じられた。
「そうなんだ・・・なんかホッとしちゃったな」
「アラシは女子校にも通ったのだろ?よくバレなかったものだな」
え?王立女学院にボクがいたことも聞いていたの?そうか、ボクが地球に帰還して元のクラスに戻れるか学力テストをさせられた時、園山も麗慶高校で広報写真を撮っていたっけ。教頭先生たちからいろいろ事情を聞いていたんだろうな。
「ボク、女性化プロジェクトで鍛えられたので女の子の真似だけは上手でしたから」
「マネか。じゃあ、話は簡単だ。おまえ、今からカメラの前では本気で女を演じろ」
「本気で・・・真似を?」
「そうだ。俺に本気のプリンセスランを演じて見せてくれ」
そうか・・・園山の言うように女の子を演技するのであれば、見掛けの姿を褒められても気が滅入ることもないかも・・・いや、むしろ上手に化けられている証しなのだから嬉しいかもしれない。
「ボク、本気で女の子の真似やってみます」
「よし。なら俺も本気で撮ろう」
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その後、被写体と写真家の関係が上手く回りだし、撮影は順調に進んでいった。何度も衣装替えとそれに合うメイクが繰り返される。ナオさんの手に掛かると自分でも鏡に映る姿がボクではない別人に見えてくる。
≪カシャッ カシャッ カシャッ≫
≪なんて儚げな表情だ・・・≫
≪カシャッ カシャッ カシャッ≫
≪楚々《そそ》としてエレガント≫
≪カシャッ カシャッ カシャッ≫
≪ああ、たまらない・・・≫
まわりから溜め息が漏れる。
≪カシャッ カシャッ カシャッ≫
≪何なんだあの透明感は・・・光輝いている≫
≪カシャッ カシャッ カシャッ≫
≪まるで妖精のようだ・・・≫
ところが・・・
≪カシャッ≫
「・・・違う。何か違う。モヤモヤする」
と言うと、園山は再びシャッターを切るのを止めてしまった。
「アラシ。今のおまえ、見事に女を演じてみせてくれている」
「・・・?」
「だが、俺の求めているものじゃない」
「・・・じゃあ、どうすればいいんでしょうか?言ってください、言われたとおりやってみますから」
ボクがそう言うと、途端に園山の顔にいじわるそうな表情が浮かんだ。
「よし、アラシ。じゃあ、俺の言ったとおりにしてみせろ」
「はい」
ボクは注文にすぐ応えられる様に身構える。
「胸元を拡げろ!」
え?
「前屈みになれ!」
「両方の二の腕で乳房を挟み込め!」
ええ?
「どうした?おまえの胸の膨らみを綺麗に見せるんだよ!」
「さあ、腰をつき出せ!」
えええ?
「ヒップラインの丸みを強調してみせろって。違う!おまえ、ただでさえ普通より小さいんだぞ?」
「小ぶりで形のいい桃尻にしっかりみえるように持ち上げろ!」
矢継ぎ早の園山の指示に、今度はボクの動きが止まってしまった。ボクにとっては未経験、一度もやってみたことのないセクシャルポーズの要求に身動きがとれなくなったのだ。
「どうだ。こう言われて、おまえ納得したか?」
「納得?」
「そうだろ。アラシは俺に指示されたいんだろ?」
「・・・カメラの前で女を演じてみろって言ったのは、園山さんの方ですよ?ボクの演じ方じゃダメだ、だから言われるとおりにって・・・」
「つまんねえんだよ、おまえ」
つまらない?
「アラシがずば抜けた美しさであることは否定しない。確かにフォトジェニックだ」
ボクはフォトジェニック・・・なの?
「だが、それは外見の話だ。おまえ、見事に女を演じているよ、うわべだけはな」
「う、うわべだけ・・・」
「嫌々やっているのが透けて見えるんだよ、俺には」
「・・・」
「おまえ、自分が女の姿であることを心のどこかで嫌悪しているだろ?ミソジニーなんだよ、おまえは!」
園山に心の中まで見透かされてしまった。
ボクは男として生まれたのに、思いがけず女の身体になった。それを喜ぶひとだっているのだろうけど、ボクにとっては辛く苦しく、とても嫌で嫌でたまらない体験だった。それでもバレずになんとか王家のプリンセスになりおおせたのは、本物のお姫様がピンチのときボクに代わって演じてくれたからだ。あれは憑依されているような不思議な感覚だったっけ。乙女らしい甘えた仕草やあんなにキュートな・・・
♡あら、どなたかしら?
♡まあ!なんて可愛らしいお花だこと
♡ねえ、そうでしょ?
♡うふふ、おやさしいのね
♡いやですわ!ぜったいにいや
♡お父様のいじわるぅ
♡よくってよ、どうぞお掛けになって
お嬢様言葉が勝手にボクの声で口から飛び出して来るなんて思いもしなかった。
あれを自分がやっていたと思うだけで、今でも恥ずかしさに身悶えしそうになる。あの時は、自分ではない自分、それを傍から冷めた目で見ている自分がいたっけ。
「演じているとき、身体の芯まで女になりきれていないんだよ、中途半端なんだよ、おまえは!」
厳しい園山の追い打ちに身体がビクッと反応してしまう。
「俺が撮りたいのは内面から溢れ出る美の瞬間。おまえの本性、魂から溢れ出てくるものなんだ!
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あの後すぐ「気分がのらん」という写真家のひと言で撮影休憩になったので、ボクは近くの浜辺に出ることにした。潮風にあたって歩きながら混乱している気持ちを少しでも鎮めたかったからだ。
「おまえの本性・・・魂から溢れ出てくるもの・・・」
園山の言葉を何度も反芻する。
「そんなこと・・・自分でも分かる訳ないだろ・・・」
それでも、ボクはなんとか心の中で自分との折り合いをつけることにした。いったん引き受けた以上は仕事を投げ出したくはなかったから。そんな訳でボクは“女性の”モデルとして覚悟をきめて洋館に戻った。ところが、
「これに着替えろ」
園山から新しい衣装を突きつけられた。
「これって・・・」
「驚いたか?」
休憩中に用意させたのか、ボクに手渡されたのはタキシードだった。
「女の格好をさせられるとでも思ったのか?」
「・・・」
「そんなんじゃおまえ、絶対に本性を現さないだろ。つまんねえんだよ、それじゃあ。モデルに素の姿をとことんさらけ出させ、その瞬間を切り撮るのが俺の流儀だ。だからこの衣装を用意させた。着こなしてみせろ!」
ボクは、休憩前の撮影から着たままでいたオフショルダーのニットドレスを脱ぎ、手伝ってもらいながらタキシードに着替えた。
「着てみました・・・」
シルクハットの中に髪を括ってひと纏めにして隠しこみ、白手袋をして小脇にステッキを挟んで立った。
「どう見ても女の子が男装している、としかみえないぞ」
あ、ドレス用にメイクしたままだった。
「ボク、化粧落としてきます。ナオさ〜ん!」
鏡の中でナオさんが「せっかくキレイキレイにしてあげたのにぃ」と唇を尖らせながらもメイクをすべて落としてくれた。
「これでどうですか?」
ボクはさっきと寸分違わないポーズで立った。園山は鋭い目つきで一瞥すると言った。
「女になりたい男、いや男になりたい女、違うな。せいぜいのところ・・・魔法で女の子にさせられた男の子が元に戻ろうと躍起になっている姿、としか見えんな」
図星だった。さっき着替えながら鏡に映る自分の姿を見たとき、まさに思ったことだった。園山の容赦のない感想に、自分でもびっくりするくらい精神的ダメージを受けてしまった。
「ううっ、男の服を着たってもうボクは・・・男には見えないんだ」
これは、園山がボクに突きつた挑戦状なのかもしれない、改めてそう思った。
「無理なのよ。アラシちゃんは透きとおるように白いお肌でしょ。それに細くてとっても形のいい頤、そのうえ顔は理想的に華麗な小ささ、そしてなんと言っても完璧なデコルテラインなんだもん。ひとも羨む細いウェスト。綺麗なプリンセスラインはお姫様そのものなんだから」
ナオさんの言うとおり・・・どうしたってボクの体型に男物の服って合わないんだ。
「仕方ないわね、アタシの趣味じゃないけど、男に見えるメイクしてあげるわ」
見かねたナオさんが優しく言った。
「どうか男顔にしてください」
ボクは涙声でペコリとお辞儀した。
「よっしゃ!引き受けた。服の方もアラシちゃんのモデル体型にフィットするようスタイリストさんと相談してあげるわね。アタシにまかせなさい!」
ナオさんは腕をまくると、力瘤を軽くポンと叩いてみせた。
「ところで、アラシちゃんはシェイクスピアのお芝居って観たことある?」
ボクの顔の上で濃いめの色のファンデーションを延ばしながらナオさんが話しかけてきた。
「ハムレットとか、ロメオとジュリエットならビデオで」
「あら、悲劇ばかりね。シェイクスピアって喜劇もあるのよ。世間的にシェイクスピアは、よく三大喜劇とか四大悲劇って言うんだけど、アタシ的には三大男装劇がおすすめ」
鼻筋や頬骨の輪郭にダークっぽい色を塗り重ねながら言った。
「三大・・・男装・・・劇?」
「そう。『ヴェニスの商人』『お気に召すまま』それに『十二夜』。どれも男に扮したヒロインが大活躍する恋愛喜劇なんだから!」
ヒロインが男装して活躍・・・女の子にしか見えないボクにタキシードを着せるのって・・・ひょっとしたら、
「園ちゃんはいま、シェイクスピアの『十二夜』をイメージしているんじゃないかな」
「十二夜・・・シェイクスピア・・・ですか?」
「そう、それに違いないと思うのよ」
とシャープなラインでアイブロウを描きながら言った。
ナオさんは、学生のときから芝居が好きで機会ある毎に、というより「これは観とかないと!」と気になる公演があったら仕事の方を調整してでも観に行く演劇ファンだった。
シェイクスピアなんか11悲劇、17喜劇、10歴史劇をすべてチェックしているのだそうだ。
「園ちゃんも年季の入っている芝居通だから、アラシちゃんを見たとき絶対『十二夜』の主人公ヴァイオラのイメージに重ねたと思うのよね」
美少女ヴァイオラはアドリア海の船旅の途中、嵐で遭難してしまう。兄と離ればなれになり見知らぬ外国で若い娘がたったひとり、身を守るためには男の振りをして通すしかなかった。ヴァイオラが若者の姿に変装したところ、その地イリリアを支配する貴族オーシーノ公爵に大いに気に入られてしまった。そしてお側仕えの小姓として取り立てられ、公爵のお屋敷で暮らすことになる。
「ね?アラシちゃんの境遇とおんなじでしょ」
確かにボクも“遭難”した結果、銀河系の果ての惑星で性別を変えて公爵のお屋敷暮らしをする破目になったのだけれど・・・。
「でも、ボクのケースとは性別が正反対です」
「いいのいいの、そんなことは。アラシちゃんは、どう見たって男装を強いられてる美少女なんだから」
「え・・・そういうこと?」
「でね、物語のつづきなんだけど、なんとヴァイオラちゃん、ご主人様のオーシーノ公爵に恋しちゃうのよ!」
え・・・ボクの場合に当てはめるとサンブランジュ公爵?それはない、ないない!
「ところが、オーシーノ公爵ったら別の娘を好きになっちゃって、こともあろうにヴァイオラちゃんに恋のキューピット役を言いつけちゃうのよ!」
と、細い筆で唇に暗いベージュのリップを塗りつけた。メイクしながらそんな会話をすることで、ナオさんはボクを少しでもリラックスさせようとしてくれたみたいだ。
「さあ、仕上がった。どう?」
ボクは鏡を見つめた。
「・・・男だ」
「うふふ。キリュウアラシ君、久しぶりのご登場?」
ボクは、少なからず感動してしまった。でも、身体の方の見た目はまだ女の子のままだが・・・。
「体形が気になる?」
鏡の中でボクは首肯いた。
「せんせ、おまたせ~」
再びナオさんに背中を押されて、ボクは園山の前に進み出た。男らしく見えるようにと肩を持ち上げ胸を張る。なで肩とウエストのくびれを肩パッドと腰パッドで補正してもらったから、シルエットが逆三角形っぽくなっていた。
「ま、いいだろう」
ようやく緊張が解けた。と思ったら、
「その恰好に相応しい、おまえのいまを演じてみろ」
「え?」
「あそこでポーズするんだ」
と言って、天井まで吹き抜けになった玄関ホールの階段を示した。ボクはどうやったらいいかと躊躇いながら向かう。
「よし。スタンバイだ」
ファインダーを覗くと園山はすべてのライトを点させた。吹き抜けの天井からは青空を背景に陽光が射し込んでくるが、陰になっている撮影背景となる壁面が明るく浮かび上がった。
ボクは階段を上がって踊り場に脚が掛かったタイミングで上半身だけ格好良く振り返った。決まった、はず。
≪カシャッ カシャッ カシャッ≫
3回シャッター音が響いただけで無音になった。
「それが答えか?それが今のおまえなのか?」
園山が冷たい声で言った。
「え・・・」
「自分でも気づいているんだろ?今のおまえは、男の真似をしているだけだ」
ボクは返す言葉もなかった。
「アラシ、本当のおまえはどこにいるんだ?おまえはいったい何者なんだ?」
本当のボク?何者なんだ?
それは、地球に帰還してからボク自身がずっと問い続けてきた疑問だった。
「そんなこと・・・ボクにだって分かりませんよ!」
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「今日は止めだ」
園山のひと声で撮影は延期になった。いまは撮影スタッフ全員、宿泊先のホテルに戻って“状況回復待ち”。撮影ロケとかでよくある“天候回復待ち”と同じ状態だ。つまるところ、ボクの“状況”が“回復”しない限り撮影は再開されない、ということなのだ。移動する車の中でスタッフたちから向けられる視線がすごく痛かった・・・。
部屋に戻るとすぐにアキラとナオさんが訪ねてきた。
「キリュウさん、大丈夫ですか?」
「だいじょうぶ?アラシちゃん」
ボクは無言のまま薄く微笑んだ。
「あら〜この子ったらすっかり凹んじゃってるわ」
「そうだ、メシ行きましょう」
「そうね。こんなときはヤケ食いが一番よ」
夕食は各自でとるルールになっているので、ボクを気遣って誘いに来てくれたのだ。傍から見ても落ち込んでいるのがまる見えだった。
「この店のおでん、すっごくイケるんですよ」
何度も来ているらしいアキラが、取り箸でボクの皿にトロトロの肉の塊をのせてくれた。
「これぞ沖縄おでん!コラーゲンたっぷりピチピチお肌の為のテビチよ。マスタードをつけるとさらに美味しいんだから」
と言いながらナオさんが、ボクの皿のへりに一匙黄色いペーストを塗ってくれた。和辛子じゃなくてフレンチマスタードだ。
「こういう時はお酒飲んでぱあっと発散するといいのよ」
「ボク、まだ十八なんです。チームディレクターさんから、お酒はダメだからねって念を押されている身なので」
「あら、残念。お気の毒さま」
ナオさんは、ボクがサンピン茶なんか飲んでいるのでいかにも残念そうだ。でもチームディレクターの菅井さんから、大学でコンパとかゼミの飲み会がある度に「アルコールはダメだからね」って本当に注意されているのだ。
ボクが地球に帰還してマスコミや野次馬から追い駆け回されていたときに保護を申し出てくれた警察の偉い人から「時期が来るまでくれぐれも御身大切に」ってお願いが来ているのだそうだ。警察の人にとってボクってなにか利用価値があるのだろうか・・・?
「ランちゃんは大学一年生だっけ?じゃあ、シェイクスピアには興味がわかなかったか」
会話の流れで、さっきの反省会になっていた。
「シェイクスピアのお芝居って、歌舞伎みたいなものなのよ。創られた時代もいっしょだし」
「歌舞伎なら観たことあります」
「あ!キリュウさんって確か、ニューヨークで平成山村座にゲストで演たんですよね?芸能ニュースで見ましたよ!日本髪結って大振袖着てお姫様抱っこされていたでしょう?」
「あは・・・あれは八代目のサプライズだったもので」
「あら、アラシちゃん。歌舞伎の山村蒼十郎と知り合いなの?」
「いいなぁ」
そうだった・・・八代目から「ランちゃんとは、女を演じるときの在り方についてじっくり語り合いたいしね」って言われていたっけ。そうか、あれも沖縄だった。麗慶高校の修学旅行の途中で思いがけず女子ツアーのプロアマ戦に出たときだ。八代目だったら何かアドバイスしてもらえるのかな・・・。
「アラシちゃん、まだ気分がすぐれないみたいね?」
チャンプルーにイリチー、ゆし豆腐にラフテー、いろいろ沖縄ならではの料理を注文してくれているのだが、美味しそうに湯気のたつ皿を前にしながらあまり食の進まぬボクを見てナオさんが心配そうに言った。
「キリュウさん、もう一軒いきましょう!いいクラブがこの近くにあるんですよ。踊ればパアッと発散しちゃいますって!」
〆めに頼んだソーキソバを待つ間、アキラがボクを窺うように見ながら言った。いまだ気落ちしたまま浮かぬ顔でいるのを心配して気を利かせてくれたのだけど、ひとりで考えたいからってボクは断った。
「夜だし、女性のひとり歩きは危ないわよ?」
「ボク、女じゃないですから」
「そ〜お?」
ナオさんが「な訳ないじゃない」の表情をした。
「でも、心配してくれて嬉しいです。ありがとう。それじゃあここで」
「あまり遅くならないでくださいね、キリュウさん」
と、アキラが心配そうに言った。
「すこし夜の風に吹かれて頭を冷やしたらホテルに戻りますから」
「じゃあ、アタシたちはクラブで発散しちゃおう!アキラ、行くよ」
店の前で二人と分かれてボクは反対方向へ歩きはじめた。
こうしてひとりで街を歩くのは何年ぶりだろう・・・どうしても注目されるからいつも誰かと一緒に歩くことになるのだ。ポケットに両手を突っ込んでズンズン歩きながら今日のことを振り返る。
「おまえはいったい何者なんだ?」
「おまえはいったい何者なんだ?」
「おまえはいったい何者なんだ?」
園山の言葉が頭の中でリフレインしつづける。いったいボクのアイデンティティって何なのだろう?
歩いているうちに段々呼吸のペースが早くなってくる。空気をいっぱい吸い込む。身体の中を巡る血流も速くなる。身体中に酸素が行き渡った所為か少しリフレッシュして来る。それでも・・・まだ園山の言ったことが胸につかえる。本当のおまえはどこにいるんだ?見るともなく流れていく地面を眺めながら考える。
「Hey!」
そんな思いでモヤモヤしていたとき、声をかけられた。視線を上げると前の方でたむろしている男たちがいた。私服だけど沖縄駐留部隊の兵隊みたいだ。
「You're alone? Let's play with us!」
相当アルコールが入っているのかご機嫌な様子で大声を張り上げた。あてもなく歩き回っているうちに狭い路地裏に迷いこんでしまったみたいだ。アルコールと煙草と脂の入り混じったすえた臭いが鼻をつく。
「Let's have fun with us!」
「No thanks. I’m in a hurry」
彼らの横を急ぎ足ですり抜ける。ボクは裏通りから広く明るい道に出ようと歩く速度を速める。
「Hey! Don't walk away,cutiepie!」
背後で大きく威圧的な怒鳴り声がしたと思ったら、後ろから重い靴音が速い足刻みで追いかけて来た。ボクは駆け出した。
段々靴音と息づかいが迫って来る。脚力はボクより上かもしれない。怖い・・・怖い。夢中で走りながらボクは今の状況を自分で打破できないかも、と焦る。と次の瞬間、手が伸びて来るのを感じた。あ・・・腕を掴まえられた!
勢いよく後ろに引き戻されたボクは、すっぽり男の腕の中に抱きすくめられていた。毛深い手で両手首をつかまれ、頸に回した腕で爪先立ちに引き付けられた・・・太い腕だ!ボクのウエストより太い。両足が浮いてまったく身動きできない。
「何するんだ!放せ!このヤロ、ぐっ・・・」
もがきながら大声で叫んだら、すぐに大きな手で口を塞がれてしまった!
声が出ない・・・それどころか、このままでは息が出来ない・・・ううっ・・・苦しい・・・怖い・・・くそ!毛むくじゃらの大男め・・・いったいボクをどうするつもりなんだ・・・あれ・・・この怖さの感覚って・・・女の子?・・・いや・・・これは人間誰もが感じる恐怖だ・・・そんなことより・・・目の前が暗くなって来た・・・あ