第13話 アラシ、キレイになる
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学園祭が終わって朝晩吐く息に薄っすら白いものが混じる頃になると、欅並木がいっせいに冬支度をはじめる。武蔵野台地の空高く葉を茂らせていた緑の大トンネルは赤茶色に変わり、ハラハラ途切れることなく枯れ葉を舞い散らせる。
見上げれば、残った梢の隙間から急に高くなった秋の空が広がるようになってきた。模擬店やイベントのステージは跡かたもなく消え、数日前にあれほど賑わっていたなんて思えない。キャンパスはすっかり日常に戻っていた。
「キリュウ君、折り入って君に頼みがあるのだが」
量子物理学研究室のゼミのあと、ボクは教授室に呼ばれていた。
「なんでしょうか?」
学園長でもあるゼミ担当の桜庭教授に尋ねる。
「キリュウ君は、いま麗慶学園のパンフレットを製作していることを聞いているかね?」
「はい。学生課に帰国報告をした際、その件でボクに教授からお話があるからと伺っています」
「そう、そのことなのだよ」
と言うと、教授がデスクに積み上げられた書類の中からクリアファイルを抜き取りボクに見えるように差し出した。
「あ・・・これはあの時の」
女子プロゴルフのトーナメントを終えて仙台から帰ってきた翌朝、欅並木で隠し撮りされたボクの写真だった。
夏の終わりの木漏れ日のなか、緑の天井をめがけて目一杯両手を差し伸ばし長い髪を揺らしている色白の女子学生。気持ちよさそうに深呼吸しながら見上げる顔に柔らかな光を浴びて、キラキラした笑顔が浮かぶ。ストラップパンプスのヒールから踵を浮かせて、ピンと張った爪先立ちの細い足の緊張感がなんともコケティッシュだ。
と、自分が撮られている写真なのに、思わず男目線で見入ってしまった。だって、見かけはともかく中のヒトは男の子だもの。だけど、とてもいい瞬間を切り取った写真だと思う。
「皆がどうしてもその写真を今回の学園パンフレットで表紙に使いたいというのだよ」
「これって、ボクの承諾なしに撮った写真なんです」
「そのようだね。そのことは理事会でも議論になったよ」
「え・・・学園の理事会でも」
「そう。津嶋理事もこの写真を見て、学園のシンボルである欅並木と豊かな自然環境の下で学ぶ学生がバランスよく表現されていて、実に素晴らしい写真だと言っておられたよ」
チームアラシのオーナーでボクのパトロンの津嶋宗徳氏は、麗慶学園の理事でもあるのだ。これまで何度も理事を引き受けてほしいと要請しても断られていたのに、ボクが地球に帰還して麗慶学園に戻ることになった途端に快諾したそうなのだ。理事になればボクの学校生活もサポートできるからだとか。だから、津嶋オーナーの名前を出せばボクが嫌とは言えないことを学園長はよく知っている。
「というわけで、指導教授である私からキリュウ君を説得してもらえまいか、そう理事会で要請があったのだよ。私からのお願いでもあるのだが、この話を了解してもらえないだろうか?」
と、少し困った様子で教授が言った。
「そういうことでしたら、ボクは構いません」
そう言うほかはない。
「それを聞いてホッとしたよ。実はこの表紙で受験案内も作ることになっているのだが、そちらも構わないかね?」
「え・・・受験案内ですか?」
「そう。確かキリュウ君は以前にも麗慶高校の受験案内のモデルになっていたね?」
「はい。地球に帰還して高校に復帰する際の学力試験の日に、教頭先生はじめ先生方から依頼されましたから」
これから試験される立場なのに試験官からの要請を断れる訳ないでしょ、自分から望んでモデルになったのではないよ、と言外に思いを込めて言った。
「あれは大変評判になったそうだね。高校の入学希望者が殺到したもので、開校以来はじめて受験案内を増刷した、と校長先生が言っておられたよ。知っての通りわが学園は一貫教育。高校だけではなく各履修課程ごとに受験案内があるのだが、小学校、中学校、高校、大学、大学院それぞれからキリュウ君のこの写真のイメージで作りたいと希望されているのだよ」
「はあ」
「とにかく今回の表紙が好評でね、同じ絵柄で入学希望者向けにポスターも作ることになっているよ」
「ポスターも・・・」
「麗慶学園沿線の親御さんたちにも注目してもらえるよう、中央線と井の頭線の車内にも貼ってもらう予定だ」
「そ、そうですか」
なんだか少しづつ話が大きくなっている。
「それと・・・もうひとつお願いしたいことがあるのだが」
桜庭教授が、さらに困った表情でボクを見つめた。
「はい?」
「この写真を撮ったカメラマンは知っているかね?」
「はい。写真を撮られた際にやり取りしていますから」
「うむ。実は彼もわが校の卒業生でね、本来なら学園紹介の印刷物などとても引き受けてもらえるような人物ではないのだが、在学中に奨学制度でお世話になったからと言って特別に引き受けてくれているのだよ」
あの、いかにも業界人っぽいチョイ悪オヤジがねえ。
「あのひとは、有名なカメラマンなのですか?」
「おや、知らなかったのかい?」
そういや、あのとき欅並木でやりあったあと名刺を貰ったっけ。確か・・・庭園だったか園芸だったか園のつく名前だった。
「園山嘉伸君。木村伊兵衛賞に毎年のようにノミネートされる高名な写真家なのだよ」
木村伊兵衛賞といえば写真界の芥川賞か直木賞じゃなかったっけ。へえ、そうなんだ。そうか!誰だったか有名女優だかアイドルが写真集出したっていう芸能ニュースで言っていたカメラマンだ。あのときは軽口たたいていたけど結構売れっ子の“先生”だったんだ。
「実は、この写真を使おうと理事会を説得したのは園山君自身なのだよ。これ以外に学園を直感的にイメージできる表紙はない、時の移り変わりとともに儚く消えてしまう美、その瞬間をとらえることのできた唯一の写真だ、そう言ってね」
「はあ、そうでしたか。それで、ボクにお願いとは?」
「うむ。園山君がどうしても君を被写体に、仕事をしたいというのだよ」
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その日の講義をすべて終えて帰宅すると、折よくチームアラシの仕切り役の菅井さんが来ていた。チームオフィス宛に届いたボク宛の郵便物を届けに来てくれたのだ。まあ、それは口実でチーム責任者としてボクの様子を見に来たのだろうけれど。で、早速相談してみた。
「もちろん構わないよ」
菅井さんは即答した。
大手広告代理店から派遣されているやり手だけに、菅井さんならボクの“広告価値”が毀損されるようなことは絶対に承諾するわけないと思ったのだが「もちろん構わないよ」だってさ。
桜庭教授からの依頼は「学園の印刷物など引き受けてくれそうもない有名カメラマンだけになんとか彼の希望を叶えてあげたいのだ」だった。教え子だからボクとしては恩師の依頼を無碍に断るわけにもいかない。そこでいったん持ち帰ることにして、チームアラシの方針を理由に体よく断ろうと思ったのだ・・・が。
「だけど・・・写真集なんですよ?ボクが、キリュウアラシが、いろんな恰好させられたりするんですよ?」
「それはアラシ君のファンも喜ぶだろうね。実にいい話じゃないの?」
「いいんですか?きわどいポーズだってさせられるかも」
「あら〜母さん見てみたいわぁ、アラシのアラレモない姿っていったいどんな風かしら」
隣りでいっしょに話を聞いていた母さんが嬉しそうに言った。これって娘だったら「嫁入り前の柔肌を他人様にさらすなんて絶対許しません」って言うところでしょ、ここは。ボク、息子だけども。
「母さんは黙ってて!」
「だってプロの写真家さんが撮ってくださるんでしょ?とってもいいお話じゃないの。アラシ、あなたも来年の春になれば、嫌だってまたひとつ齢をとるのよ。芳紀18歳、美しく輝いている今の姿を記念に残せるなんて、とってもいい機会なんじゃない?」
「芳紀・・・記念って・・・ボクは齢をとりたくない、なんてぜんぜん思っていませんから!」
そう言うと母さんは「あらあら困った子ねえ」っていう表情をした。
「もう年内はアラシ君が出場するトーナメントもないことだし、気分を変えてゴルフとはまったく関係のない違うジャンルのことを経験するのもいいと思うよ」
菅井さんが真面目な顔で言った。
「息抜きするのだってアラシ君にとっては大事なトレーニングの内だよ。プロのカメラマンに撮影されることも、きっとゴルフでプレーする際のいいヒントになるんじゃないのかな?」
うーむ、プレーする際のヒントね。そういうものなのだろうか・・・。
その晩ボクは、欅並木のやり取りの際に貰っていた名刺の番号に電話をかけてみた。
「もしもし、園山さんですか?」
「“誰だ。ん?聞き覚えのある声だな。このアニメちっくな声。さてはキリュウアラシか?”」
「はい、キリュウです」
「“ようやく脱ぐ気になったか”」
「な、に、脱ぎません!」
「“冗談だよ。で、学園長さんから話が行ったってわけだな?”」
「ええ。でもボク、まだ迷ってるんです。お話を直接伺ってからと思って連絡しました」
「“なるほどな。前にも言ったが、これはお前さんの為だ。俺ならお前さんの最高の瞬間を写真に収めてやれるぞ”」
確かに今のボクを残しておくことができるのは今だけなのかもしれない・・・でもなぁ。
「写真集って、書店やネットで売られるんですよね?」
「“当たり前だ。俺が撮る写真集は常にランキングトップで、売れ筋作品としてショーウィンドウに大きくディスプレーされ、全国どこの書店でもイチオシで扱われることになる”」
「ということは・・・ボクの写真が大勢の人に見られるっていう・・・」
「“当然だろ、それが写真集の醍醐味だ”」
「それって・・・撮られる側にとっては相当に恥ずかしいことじゃないですか!」
「“初めての子は大概そう言うな。だが、俺が撮ってやる内にどんどん心境に変化が起きてくるものなのさ”」
「心境に変化?」
「“ああ。恥じらいから悦びへとな”」
「悦び?」
「“内面から溢れ出てくる悦び、サナギから蝶に生まれ変わる輝き、女神の目覚め、根本自我の覚醒だな、あの瞬間は”」
「覚醒ですか・・・」
「“ま、ゴチャゴチャ難しく考えずオマエさんも体験してみれば分かることさ。ともかく悪いことは言わん。せっかくその姿になっているんだ、今だからこその美しい姿は残しておくべきだ。さもないと、あっと言う間に婆さんになるぞ!”」
「爺さんです!」
「“ふうん、まだそこに拘りがあるんだな。ま、俺にとってはどっちでも構わんが。ともかく残された時間は少ないんだぞ?”」
ボクは少し考える時間が欲しい、と言って電話を切った。
「えええっ!ランちゃん、写真集出すの?」
翌日、高校時代に同級だったブーフーウー、もといサヤカ、クルミ、ユカリの3人娘につかまり、しっかり写真集のことを聞きだされてしまった。学部が違っても教養科目の講義はいっしょだからね。
「だ、だからまだ決めてないって・・・だけど、みんなはどう思う?」
「そりゃあ自分のことだったら恥ずかしいよ」
「クルミは写真集なら速攻オッケーだよ」
「アンタの写真集なんか、たとえ万に一つ出たとしたって誰も買わないっての!」
「あは」
「クルミ、そこ笑うところじゃないから」
相変わらず喧しい女どもだ 。
「でもランちゃんの話って、プロが綺麗に撮ってくれるんでしょ?」
「それでカメラマンさんは誰なの?」
「園山嘉伸」
とボクが言った途端、3人とも絶句してしまった。
「そ、ソノヤマカシン?」
「ソノヤマカシンからの話なの?」
「超売れっ子カメラマンじゃないの!」
「写真界の巨匠よ!」
「出しなさいよ!」
「ぜったいやるべきだわ!」
「やらないなんて勿体ないよぉ、一生の不作だよぉ」
「それ使い方間違ってるから、クルミ」
ホント他人事だと思って勝手なことを。まあ、ボクもコイツらと話していると気が紛れるからいいんだけれど。
「そうそうランちゃん、高校でF組だった奈緒美って覚えてる?」
「いんや」
「あ、そっか。ランちゃん高校のときとってもガード堅かったから、一般人には近寄りがたい存在だったもんね」
「そうそう、私たち3人とばかりランチしていたもんね」
「だから、私たちC組の子かゴルフの部員しか知らないんだよね」
「それはお前ら三人娘、ブーフーウーが常にガードしていたせいだろが!」
「でね、その奈穂美がモデルさんになっているんだよ」
おいおいスルーかよ!
「モデルのnahomiってランちゃん聞いたことない?」
「いいや、知らん」
「ちょっとした人気モデルなんだよ」
「そのnahomiをやってる奈穂美が話してたんだけど、撮影されるのって超楽しくって、ワクワクするんだって」
「ふうん」
「いろんな衣装を着たりいろいろポーズさせられたりする楽しみもあるけど、プロが使う大掛かりな撮影機材や照明機材、風を作るための送風機、カメラクルーやスタイリストにメイクアップアーティスト、そのほかにもいっぱいいるスタッフに囲まれて、スタジオの中でただ一人自分だけが見つめられているんだって思うとゾクゾクしてくるんだって」
別にボクは、衣装にもポーズにも興味ないし、他人に注目されていると思うだけで嫌悪感を感じそうなんだけれど、プロの仕事には興味がある。ボクは男の子だからね。どういう機材を使ってどの様な方法で撮影していくのか、聞けば聞くほど興味がわいてくる。うーむ、一度くらい現場を見てみたいものだが・・・。
すっかり好奇心に負けてしまったボクは、自分が被写体となる写真集の仕事を引き受ける決心をした。
ということで、菅井さんにまた家へ来てもらいそのことを相談した。だって写真集はチームアラシの仕事ではないのだけれど、ボクたちにはまったく土地勘のない世界なので、菅井さんにマネジメントしてもらうのが一番いいと思ったのだ。なんと言っても大手広告代理店のやり手だし。
「承知しました。では、私の方で園山先生のオフィスと出版社とで契約条件を詰めておきます」
「よろしくお願いしますね、菅井さん」
母さんがほっとしたように言う。
「アマチュアとはいえアラシ君の場合、ゴルフウェアとトレーニングウェアはコンピタンスポーツですし、普段着から正装まで身に着けるものはすべて井上沙智江先生のところの“princess ran”か“アイウエサチエ”ですから、衣装についても間違いの起きないよう念押ししておきましょう」
そうか、衣装もキリュウアラシのイメージを形作っている大切なアイテムなのだ。きっと菅井さんの頭の中では、撮影シーンの中に自動車が登場するならハツダ自動車にしてもらうことまで考えているにちがいない。
「そういうことってまったく分かりませんでしょ、菅井さんが居てくださってよかったですわ」
「私としてもお役に立てて光栄です。アラシ君は将来ある身ですから、なにかと軋轢を生じやすい立場ですし今の内から気を配っておかなければなりませんので」
つまりは支援してもらっているところとの競合とか重複ということか・・・ボクも普段の生活でもそういうことに気を配らなければいけないのだろうか・・・。
「気にしなくていいんだよ、アラシ君は。これはあくまで媒体に露出される場合の話だからね」
ボクが心配そうな表情で難しい顔ををしていたのか、菅井さんがやさしく言った。
「そのほか気になる点とか何かご要望はあるかな、アラシ君?」
「あの・・・講義を休まなくて済む日程にしてもらえませんか?」
「それはそうだよね。よし、アラシ君の勉強に差しつかえない日程で先方にオファーしてみよう」
「ぜひそうしてください。出席不足で単位を落としたくないですから」
試合のない週はフルで講義を受けているけれど、それでも理系の大学1年生はギリギリなのだ。
「じゃあ、日程が決まりましたらお知らせします。そうだ、大事なことを忘れていました。エステティックサロンは私の方で手配しましょうか?」
「エステティックサロン?」
「そう、撮影される前にモデルさんはいろいろと準備があるからね」
撮影されるのに何か準備が必要なのだろうか・・・はて?
「アラシ。貴女まさか、そのままの姿で撮影に行く気ではないでしょうね?」
「?」
「そのまさかか・・・しょうもない子ねぇ。馴染みのサロンがあるので菅井さんのお手を煩わせずに私どもで手配しますわ。それにしてもなんて子かしら。アラシ!母さん、そのままでなんてぜったい許しませんからね!」
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それから数日後、凄い剣幕の母さんに手を引かれて、ボクは“肌をお手入れ”して“キレイになるため”に青山通り近くのファッショナブルなビルに来ていた。
「へえ、アラシちゃんが写真集のモデルさんねぇ。先生いつもよりはりきっちゃうわ」
キワミ支倉が実に嬉しそうに言った。青々とした剃りあとの大きな顔に派手なフレームのメガネを掛けた男が、舌なめずりしながらボクを見下ろしている姿はまるで仔鹿を前にしたライオンのようだ。世界的ファッションデザイナーで“年上のお友だち”の井上沙智江さんからの紹介でボクのヘアカットは毎回キワミ先生にお願いしているのだが、トップモデルに女優やアイドルの女の子がこぞって指名するヘアメイク界のカリスマ美容師なのだそうだ。
「それがですね、先生。この子ったら身体のお手入れなしで撮影に行く気だったんですのよ!」
「それはお母さまもお慌てになったことね。そうねぇアラシちゃん。先生が髪をいじる前に、まずはアナタのお肌から磨こっか」
毛先をそろえてもらうだけと思っていたのだが、そう簡単には済まないようだ。ボクは同じビルの中にあるキワミ支倉グループのエステティックサロンへと案内された。
「え・・・ショーツも脱がなけれいけないんですか?」
係りの女性から脱ぐように言われてボクは戸惑った。
「それは、全身でなさらないと」
「あの・・・ボク・・・完全な女の子の身体ではないんです」
「ええ、承知しております」
「つ、ついているんですよ?」
「ええ、お気になさらず。キワミ支倉先生は人間の美を追求する求道者です。女性、男性、そのどちらでもない方、皆様にご利用いただいていますよ。ですからご安心を」
思えばこういう身体に処置をされるシチュエーションは、惑星ハテロマの王立スポーツ研究所以来だ。
あの時は“国家機密の”女性化プロジェクトだったから、女の子にするための処置をボクに施す人たちに男であることを隠す必要もなかったし「どうとでもなれ!」という気分だったから平気だったのだが。
ボクは覚悟を決めるとひと息に素っ裸になった。
「あら・・・エピレーションなさっているんですね。でも・・・これって、いったいどういうツール使ったんだろう・・・見たことのない手法だわ」
まとめた髪を包みこんだタオル以外に何も身に着けないあられもない姿で横たわるボクの横で、係りの人がマイクロスコープを使って肌をじっくり観察しながら感心したように呟いた。
「キリュウ様。これはどのような器具を使ってエピレーションされました?」
「え、エピレーション・・・って何ですか?」
「ムダ毛処理、永久脱毛のことです」
「さあ・・・された時はただ、横になっていただけで器具は見ていなかったんです」
「・・・そうでしたか。それにしても見事な仕上がりですよ、これは」
「地球じゃないところで開発されたやり方でしょうから」
「もしこの手法が分かれば美容革命が起きてしまうかも」
そう言えば、ボクの体内に埋め込まれている女性の内性器とその移植の術式についても、検査した医者たちが感嘆していたっけ・・・。
その後、超音波で作られる微細バブルを使った皮膚洗浄ですっかり毛穴の奥まで汚れを取り除かれ、いい匂いのする液体で徹底的に全身の肌をもみ込まれた。
「・・・キリュウ様・・・キリュウ様」
ぼんやりとした意識の中でボクに語りかける声が聞こえた。あまりにいい気持ちだったもので、うつ伏せになったまま眠ってしまっていたようだ。
「え・・・?」
「それではキリュウ様、仰向けになってください。デリケートゾーンの処理をしますね。アンダーヘアの方はどうされます?」
デリケートゾーン・・・?アンダーヘア・・・?
「形とか整え方でご希望はありますか?」
「アンダーヘアって・・・い、陰毛のことですよね」
「はい。エピュレーションされていない部分なので整える必要があります」
「それって・・・しないといけませんか?」
「なさらないとビキニラインからはみ出してしまいますよ」
そうか・・・女性化の過程でボクの身体を脱毛処理した惑星ハテロマでは、ミニスカートですら社会に衝撃を与えることになったのだった・・・ヘソの出たセパレート水着も凄い騒ぎになっていたっけ・・・それでも地球に比べればまだまだ露出の少ない水着だったものな。陰毛が見えてしまいそうな範囲は地球とは違うわけだ。だから脱毛処理されていないんだ・・・あれ?地球に戻ってから母さんに白ビキニを着せられたぞ?・・・そうか!あれは子供っぽいタイプだったよな。だからしっかり毛が隠れたんだ・・・でも今回はプロカメラマンによる写真集の撮影だ。アイツのことだ、ぜったいボクの水着姿を撮ろうとするはずだ・・・そうなると当然着せられるのはビキニ・・・それも相当に本格的なやつ・・・すると毛がはみ出す・・・あ!
「それは困ります!・・・毛の形?・・・いえ・・・よく分からないです・・・お、おまかせします」
「じゃあ、キリュウ様にいちばんお似合いと思う形にしてさしあげますね!」
「あらあ!すっかり、ぷにゅぷにゅになったわね」
キワミ支倉が、人差し指の先っぽでボクの頬っぺを突っつきながら言った。
「うちの特製フェイスパックの効果は抜群なのよ。アラシちゃんの様に若くてお化粧っ気のない子は、一発でこんな赤ちゃんみたいな肌になっちゃうんだから!ほら、自分でもぷにゅぷにゅしてご覧なさいよ」
言われてボクも頬を触ってみた。おおっ!しっとりとした肌が指先に吸い付いて来た。
「ほんとだ」
「でしょでしょ?それにしても、ゴルフでお日様に炙られているのに不思議なくらい肌が白いわね、アナタ」
確かに、キャディバッグを担いでいっしょにラウンドしている桜田美咲は日を追うごとに日焼けして黒くなっていくのに、ボクはと言えば日に当たっても少し赤くなるだけで一晩たてば直ぐにもとの白い肌に戻っていたのだ・・・。
「ボク、日差しを浴びてもあまり灼けないみたいなんです」
「いまの言葉、私のお客さんたちが聞いたら羨ましがって卒倒しちゃうかもよ。こんなキレイで真っ白なアラシちゃんの肌みたいになれるなら、いくらだってお代を出すって言うに違いないわ」
思えば女性化プロジェクトで最初にボクの体内に投与されたのは、惑星ハテロマ人の女性ホルモンだった。それによってボクはすっかり女性の身体つきになってしまったのだが、なぜか筋力だけは落ちずに以前のままだった。
それが、ボク自身の細胞を培養して造った卵巣と子宮を移植し女性としての内分泌活動を自己完結できるようになってからは、脂肪と筋肉の女性化が一気に進行して筋力が弱くなって行ったのだ。それは、ハテロマ人類型女性ホルモンから地球人類型に移行した結果に違いなかった。とはいえ地球に帰還してみると、女と言うよりは並の男の筋力を維持し続けていることが分かってきた。
日焼けに強い肌もそういうことなのかも知れない。だって惑星ハテロマ人は、3つの太陽から放出される強い日差しや酸とアルカリ成分を多く含む雨に負けない肌をしていたから。ボクは、地球人と惑星ハテロマ人のハイブリッドになってしまったのかも知れない。
「さあて、これでおしまい。完璧に仕上がったわよ。アラシちゃん、どう気に入った?」
「あ・・・」
鏡の中に映っている自分を見て思わず声が出てしまった。髪をカットしてもらう間は無念夢想ずっと目を閉じていたから、急に視界に入って来た像を見て戸惑ってしまったのだ。ぬける様な透明感のある白い顔に、淡い桜色に染まった頬と形のいい唇、それを包みこむように軽くカールした青緑に艶が光る黒髪。長い睫毛に縁取られた鳶色の大きな瞳がこちらを見つめていた。
「素顔でこれだもの、きちんとお化粧したら凄いことになるわよ」
「ふう、こんなにアラシが綺麗になるなんて。支倉先生ありがとうございました。アラシったら目を大きく見開いたまま自分の姿に見入っていましてよ」
「それじゃあまるでアラシちゃんがナルシスみたいになっちゃうでしょ、お母さま」
「うふふ、水仙に変身しちゃう前にこっちの世界に戻さないといけませんわね、先生」
ナルシス・・・確か妖精から求愛されたけど「ごめん。ムリムリ無理」って拒んだら、呪いをかけられて自分の姿しか愛せなくなった若者だったっけ。え、ボクってナルシストなの?
いやいや、それは違うと思う。見入ってしまっているのは、鏡の中の女の子があまりに綺麗で目が離せなくなったからだ。ボクの場合は完全に男目線なのだ。断じて自分の姿に酔いしれ自惚れているのではない。男の子として異性に心惹かれているだけなのだ。
でも、ナルシスは水面に映る自分の姿にキスをしようとして溺れてしまったのだった・・・決して触れ合うことのできない虚像なのに・・・この鏡の中の女の子も虚像・・・ボクとは触れあうことさえ叶わず、決して結ばれることは無い運命・・・ということはやっぱりナルシスト?
いやいやいや、それは違う。だって、鏡の外ではボクがこの女の子なのだけれど、地球に戻るための取引で仕方なくこの姿にされて以来ずっと馴染めずにいるのだから。女の子の“中のヒト”は、楽しんだり悦んだりしてはいないのだから。
「フッ」
ボクはひとつため息を吐くと、思いを胸の奥深くしまい込んだ。