第11話 オセアニア・アマチュアゴルフ選手権最終日
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≪ヒ〜ヒュラララホホヒ〜♪ ヒ〜ヒュラララホホヒ〜♪ ヒ〜ヒュラララホホヒ〜♪≫
初夏のそよ風にのって可愛い囀りが、ティーグラウンドまで聞こえてきた。きっとこれ、テレビ・キャスターがボクの声を形容して言っていたグレイ・ウォーブラーとかいうニュージーランドの小鳥に違いない。確かにアリアの旋律を歌っている女声のような鳴き方だ。
オセアニア・アマチュアゴルフ選手権最終日は、今日も南半球の11月らしく穏やかなゴルフ日和になっている。そして午後の日差しが眩しく芝生に照り返す中で終盤を迎えていた。ところがよい天気とは違って、トーナメント会場のキーウィ・スプリングス・ゴルフ倶楽部ではいま、コースの内も外も見渡す限りボクに対する嫌なムードで満ち溢れている。
≪カシーーーーーーン≫
≪Go! Go away!≫
≪Go somewhere!≫
≪Booooo!≫
第1打をユーティリティで打つと、すかさずティーグラウンドを取り囲むギャラリーからボクに向けたブーイングが起きる。ボクの球なんかどっか行っちまえ!だとさ。
「いいぞ!いい球だアラシ!これもナイスショットだ!」
右の拳が突き出されて来たのでボクはグータッチで応える。完全アウェイの中で、いまやボクの味方は美咲だけだった。今日はいつにも増して言葉を投げかけ元気づけてくれる。この夏アメリカのゴルフトーナメントでもボクの専属キャディとして共にに戦ってくれているから、ボクが今どういう心理状態になっているのかよく分かってくれているのだ。
ボクにとって桜田美咲は、かけがえのない唯一無二の相棒だ。ボクは美咲の話す日本語だけに意識を集中し、なるべく英語の雑音は聞き取らないようにする。だって、聞こえてくる英語に、ボクに好意的なフレーズなんかひとつもないんだもの。
「とろこでさ、アラシ」
「うん?」
ティーグラウンドに刺したまま残っていた短いティーペグを、ミニスカートの裾に気を配りながら拾いあげていると、クラブを受け取ろうとしながら美咲が話しかけてきた。
「スタートホールからここまで、お前、今日は1度も笑っていないことに気づいていたか?」
「そう?そうかな・・・」
「ああ。今だってキッツい顔してるよ。眉間に皺なんか寄せちゃってさ、ほれ!」
そう言いながら、ボクの眉間を指で軽く弾く。言い返そうとしたら、早くも次のプレーヤーがアドレスに入ったので視界に入らない所まで下がっておとなしくする。
≪グワシーーーーーン≫
アンダーソンがティーショットをドライバーでフルスイングした。相変わらず目いっぱい振りぬく力強いショットだ。オーストラリアのベテランアマチュアだが、この組の三人の中では一番体格がいい。
「だって、このアウェー感たっぷりの状況じゃ仕方ないでしょ」
勢いよく後ろに飛んだティーペグを拾いに行くアンダーソンを目で追いながら、ボクは言い訳した。
「ま、気持ちは分かるけどな。アラシのスコアは断トツだし、最終日もあと少しだというのに誰も追いつけそうもないし、すっかり見どころが無くなってしまったギャラリーさんたち、つまらなくなってアラシに八つ当たりしているのさ」
風もなくコンディションのよい中、ボクはこれまでの3日間とまったく変わらない正確かつ全然無理しないコース攻略で、1打1打コツコツ手堅くスコアを積み重ねて来た。そのおかげで15番ホールが終わった時点でボクはノーボギー、-17にスコアを伸ばしている・・・そう言えばこのトーナメントで、まだひとつもボギーを叩いていなかったっけ・・・。
でもって2位タイのふたりは-9。ふたりはボクに追いつこうと大胆に冒険してきた結果、ミスも重なりすっかり伸び悩んでしまっている。
地元選手を応援しているギャラリーからすれば、見どころのない面白くない試合になっているのかも。もし見どころがあるとしたら、ミニのワンピースに身を包むボクくらいか。なにせ膝上20cmだから何かするたびに太ももが露わになる。まあボクとしては下にアンスコを履いているから、見えちゃっても構わないのだが、見かけ上この姿で期待されている所作は守らないとね。
≪カシーーーーーーン≫
地元ニュージーランドのマクガバンが同じくドライバーでフルスイングした。ボクと違ってパワーがあるしこのスコアの差だから、どうしてもショートカットしてみたくなるんだよね。林を超えた先のフェアウェイで止まっていればいいんだけど。全員が打ち終わり、球の停止した地点に向かって歩きはじめる。
「だからさ、ここは開き直ってギャラリー・サービスで、アラシとっておきの笑顔見せちゃえば?」
ボクの横に並んで歩くと、担いだキャディバッグをガチャガチャ揺らしながら、続きを美咲が話しはじめた。
「え?そんなことしたら、ますますイラつくんじゃないの?」
「まあ、普通ならそうかもな。だけどアラシは別だろ?おまえ、あっちの女性化プロジェクトとかで顔の表情を完璧にコントロールできるように厳しく修行させられたって言っていたよな?どんな状況だろうと場のムードを一瞬で変えられるとっておきの笑顔があるんじゃないのか?せっかく女装しているんだから女の子の最大の武器を使えよ。誰も文句は言えないぜ?」
確かに惑星ハテロマではヴェーラ博士から厳しく指導されたっけ。何百パターンもある笑顔が自由に使いこなせるようになるまで、顔の筋肉60数種一つひとつのコントロールを死ぬほど特訓させられては来たが・・・。
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『“放送席、放送席、こちら16番ホールです。いよいよオセアニア・アマチュアゴルフ選手権も最終盤、決着まで最終組の3ホールを残すのみとなりました。トップとの差は一向に縮まらずスタート時点よりさらに離れて現在8打差です”』
ボクたちの組についてテレビ中継をするリポーターの声が聞こえて来る。
『“キリュウ選手の第1打は左ドッグレグの曲がり角、フェアウェイセンターで止まっています。ええ、判で押したようなショットと言いますか、まるで機械仕掛けの人形の様に正確無比。過去3日間とまったく同じ地点からの第2打です。ははは、そうそう!おっしゃる通り不愛想なところなんかロボットかアンドロイドみたいですよねえ、確かに”』
機械仕掛けの人形で、無愛想、ロボットかアンドロイドみたい、か。
『“ただ、そんなキリュウ選手ですが一応期待のかかることもあるのです。ええ、そうです。残り3ホールでもしも、もしもですが、3つ伸ばすことができて20アンダーとなると、ニュージーランド・アマチュアゴルフの72ホールで行われる競技会のこれまでの最少スコア19アンダーを更新し、新記録となります!”』
え、そうなの?全然知らずにプレーしていた・・・ニュージーランド・アマチュアの新記録だって。
『“しかし昨日までの3日間、キリュウ選手の上がり3ホールはすべてパー。まったくバーディーが取れていませんので期待はできないでしょう。なにしろ、飛距離のない選手にとってはアンダーパーが非常に困難な、長くて難しい上がりの3ホールですから!”』
言ってくれるじゃないの。
ここまで4日間の69ホールは風も穏やかで天気もよかったから、技術はあっても飛距離に劣るボクとしは無理なくバーディーが取れるホールだけを確実に狙い、他はボギーを叩かない戦法に徹してきた。プロ野球でいったら緻密なディフェンス野球で確率重視型のチーム、森監督時代の常勝軍団西武ライオンズみたいな感じかも。
まあ、ギャラリーをワクワクさせてこなかったことは間違いない。美咲は笑顔でサービスしてみたらって言っていたけれど、ゴルフのアスリートならプレーでギャラリーを魅了するべきだと思う。それがボクにとって矜持というものだ。
ここからピンまで220ヤードか・・・林越えでショートカットできなかったボクにとっては長い長いミドルだ・・・。
「さてと、アラシ。ライはいいみたいだし風もなし。このホールは池の手前のいつものポイントからスリーオン狙いだよな」
と言いながら、美咲が5番アイアンを差し出した。池の手前の、ピンまで丁度いい距離が残るクラブだ。
「いや。狙ってみる」
「え?」
「グリーン手前の池を越えるのにはどれくらい必要?」
何か言おうと口を開きかけたが、美咲は黙ったままボクをしばらく見つめた。
「・・・203ヤード。向こう側のいちばん近い池の縁まで」
「そう。じゃあ、スプーンくれる?」
美咲はキャディバッグから3番ウッドを抜き取ると、タオルで丁寧にクラブヘッドとグリップを拭いてからボクに差し出した。
ボクは少しボールの後方に下がると、改めてグリーン上のピンまでの攻略ルートをチェックする。グリーンのすぐ前には大きな池が球を呑み込もうと待ち構えている。カップの切られている位置は二段グリーンの下の段で、池を超えた先のグリーンエッジのすぐ近く。奥に行ってしまうと距離のある下りの返しパットだ。力加減を誤ると池に落ちかねない意地悪なピンポジションになっている。
ボクの3番ウッドの平均飛距離は210ヤードだから最短を行ければギリギリ池を超えた上り傾斜のところに着地できるだろう。でも、少しでも曲げると左右とも奥にくい込んでいるので直接池に落ちることになる。
『“おや?長いクラブを手にしていますね。これは、池越えを狙うつもりなのか?堅実というか、見ている側にとっては面白味のないプレーをしてきたキリュウ選手ですが、ここで挑戦的なことをすると、これは本大会で初めてになりますが・・・”』
意外な出来事を目撃してしまったかのようなテレビ中継の声が聞こえてきた。
『“池に落とせば、打ち直しを上手く寄せたとしてもボギー。2位がここでバーディーなら2つ縮まりますから少し面白い展開になってきます。これは楽しみな1打になりそうです”』
絶対にボクが失敗すると思っているよ、こいつ。
よ~し、キリュウアラシの潜在能力を見せてやろうじゃないか。ボクはひとつ息を吐き出すと、いつも通りの手順で構えに入る。目標を定め足の位置を確認・・・クラブフェースの向きをチェック・・・まっ直ぐの球のアドレス完了・・・ワッグルを2度・・・ゆっくりクラブを引き上げる・・・トップの位置で一瞬の間・・・限界まで捩じった身体を一気に振りほどく!
≪スパーーーーーーン≫
勢いよく飛び出した球は、フェアウェイを取り囲む木々の間を抜けてまっ直ぐグリーンへと向かった。そして池の手前で落下しはじめる。
≪短いんじゃないか?≫
≪届くのか?≫
球の行方を追うギャラリーから声が出る。
≪トーン≫
≪おおっ≫
球は狙い通り渡る幅が一番狭いルートを通って向こう岸ギリギリ池を越えたところに落下した。そのまま斜面を駆け上がってグリーンへと向かう。よし!まっ直ぐピン方向だ。
≪トントントン ツツーーーーッ≫
≪おおおおおおっ≫
『“これは驚きました!キリュウ選手の第2打は、グリーンオンにはならなかったもののピン手前のグリーンエッジに届いています。ギリギリだったものの池越えには成功!まわりを取り囲む大勢のギャラリーからも歓声が上がりはじめています”』
≪パチパチパチパチパチパチパチパチ≫
「アラシ!」
「ん?」
「ほれ、ハイタッチ!でもってあの拍手に応えろ!この拍手はアラシのいいプレーに対する正真正銘ゴルフファンの拍手だと思うぜ?」
振りぬいたポジションのまま球の行方を追っていたボクは、美咲の声でようやくまわりの歓声に気がついた。
≪パン≫
ボクは、高々と伸ばしている美咲の右手に自分の手の平を叩きつけた。そして拳を握りしめると、拍手しているギャラリーに笑顔で応えながら高く突き上げた。
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そしてボクは第3打をグリーンエッジからのランニング・アプローチで直接決めた。次のホールも第2打でグリーンをとらえ長めのパットを沈めて連続バーディーとした。
ついにオセアニア・アマチュアゴルフ選手権4日目最後のホール18番に来た。距離が長くて難しいミドルだ。これまでにプレーを終えた選手のホールアベレージは、パー4に対し4.56。ボギー以上となった選手が多い最難関ホールなのだ。
ボクたちがティーグラウンドに上がっていくと、まだひとつ前の組がセカンド地点をプレー中だった。ひとつ前?ひとつ前と言えばハンスだ・・・そう、ハンス・フォン・マイヤーの組だ。あ、ちょうど打っているぞ!あれ?打つなりクラブを地面に叩きつけている・・・。
「マイヤーの奴、第1打でベストポジションに行ったのに、きっとセカンドショットを池に落としたに違いないや。相当自分のミスに怒っているぜ」
美咲も今のプレーを見ていたようだ。
「さてと、アラシ。ここも風はない。これまでの3日間はティーショットを正面に打って3オン1パットのパー狙いだったけど、狙うんだろここは?」
「うん。新記録だし、ギャラリーが期待しているからね」
「それにさ、オーガスタの連中にも注目してもらえる絶好のチャンスなんだろ?菅井さん、アラシに言ってたもんな」
「それは、ある」
マスターズ出場は、ボクにとって子どもの頃からの遥か遠くにある夢だった。ところがチーム・アラシになってから、それは実現可能な目標となった。大手広告代理店から派遣されているやり手のチームディレクター菅井さんが冷静に情勢を分析し、マスターズ委員会特別招待枠で選ばれるためには、注目されるアマチュア選手になることがとても重要なのだとアドバイスしてくれたのだ。だから、ここは狙うしかない。
ボクは改めてホール全体を見渡してみた。いわゆる左ドッグレグで「く」の字を180度裏返した型に曲がるコースレイアウトだ。左側はずっとグリーンの奥まで回り込む大きな池が広がり水際は海辺の砂浜のようにバンカーが続いている。フェアウエイは極端に狭く右側はきついラフ、深く茂らせた芝で覆われた不規則な凸凹斜面になっている。
ここでバーディーを取るためには、どうしても第2打をグリーンにのせる必要がある。そしてツーオンするためには、左に曲がっていくフェアウェイをショートカットし距離を稼がなければならない。2打目を長いクラブで打てばグリーンに止まらず奥の池まで転がるリスクがあるからだ。要するにボクにとっては池を越えてギリギリ届く地点がどこなのか、だ。短ければ池の中、飛びすぎれば不規則斜面の深いラフ。どうしてもフェアウェイで球を止めなければバーディーは難しくなる。
『“セカンド地点で時間が掛かっていた最終組のひとつ前ですが、ようやくグリーンに向けて動きはじめました。さて、いよいよ注目の最終組最終ホールです。トップを走るキリュウ選手は16番、17番の連続バーディーで19アンダー!ここがパーならタイ記録、バーディーならニュージーランド・アマチュアゴルフ72ホール最少スコアの新記録達成です!”』
中継リポーターも少し興奮した声に変ってきている。ボクはキャディバッグから1番ウッドを抜き取ると、ティーイングエリアの中で水平な場所を見つけてティーペグを少し高めに刺し、球をセットした。
『“やはりここでキリュウ選手が選んだのはドライバーでした!池越えのショートカットを狙っています!”』
他の選手ならもっと左を狙うのだろうけれど、ボクの飛距離だとここが限界。対岸に見えるコテージの屋根を目印に慎重に狙いを定めると、いつも通りのショット・ルーティンに入った。
≪カシーーーーーーン≫
よし!芯で捉えた。ボクの打った球は池の上に高く舞い上がると、加速しながらまっ直ぐにターゲットに向かう。放物線の頂点に達して減速、下降に入る。
「越えろ!」
美咲が叫ぶ。
「まずい・・・」
微妙に左に旋回しはじめているのを見てボクは呟く。
≪パシャ≫
≪あああっ≫
『“残念!飛距離が足りない!手前のバンカーに落ちてしまいました!池の直撃ではなく水際の砂浜、ボールが水面に見えているのが不幸中の幸いかも知れません”』
ボクの冒険は失敗だった。でも、ゴルフはカップインする最後までは分からないもの。すぐに気持ちを切り替える。
「美咲、予備のゴルフシューズ持ってきている?」
「・・・アラシ、おまえって・・・大した奴だな。靴もあるしソックスも用意してあるよ、使うなら雨具もあるけど?」
「え、雨具?大した奴は美咲の方だよ。絶対雨降らないって天気予報でも言っていたのに」
「へへ。アラシのキャディをしていると、国内、海外、プロにアマ、男も女もカテゴリーを超えた試合を経験できるだろ?そうすると凄いキャディもいてさ、心構えとか整備の仕方とか、プレイヤーの支え方とか、ほんと勉強になるんだ。以前ならゴルファーを目指すことしか考えられなかったけど、いいキャディだけがプレイヤーを勝たすことができるって知った今は、プロのキャディもいいかなって。アラシのおかげさ」
いつもボクの出る試合の都合次第で大学を休んだりいろいろ無理させているだけに、はにかんだ様子で自分の目標を話す美咲を見て少しほっとさせられた。ボクは改めて美咲といっしょにオーガスタの舞台に立つことをイメージした。そのためには、まずこのアクシデントをしっかりリカバリーしてみせることだ。
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ボクの球は、水際で下側半分が水に浸かっていた。落下の衝撃を水面が吸収してくれたのか、球は沈み込まずに済んだようだ。もしバンカーを直撃していたなら水がしみ込んで固くしまった砂の中にめり込んでいたかもしれない。砂の固さを確認するために足を浸けてみた。
「やっぱり裸足だとしっかりスタンスできないかも。このまま打つね。びしょ濡れになりそうだから予備の靴を頼むよ」
「OK。ほい、着てるもん濡れちゃうからこれを着て。まさか衆人環視のなかで生着替えするわけにいかないだろ?」
と言うと、美咲が防水のワンピース型レインコートを投げて寄越した。ありゃあ、よりによってピンクだ。王都アビリターレの公爵家養女だったプリンセス時代のボクのイメージカラーだ。よく見ると細かいハート柄で、女性用らしく丸みのある襟元には、きゃぴっ☆て感じでリボンがついているし・・・。
「色もデザインも文句はなしだ。彩さんが用意したのってこれしかないんだから」
チーム・アラシのウェア担当の島野彩さんが、日本は秋だというのに南半球にあわせて急遽来シーズンの春夏モデルを用意してくれていたのだ。だから無理は言えない。
「分かってるって。ウェアがゴルフしている訳じゃない。ゴルフするのは中の人。ボクだから」
と言いながらボクは袖に腕を通す。さあ一か八か、これから極度に緊張を強いられるショットが待っている。
「それ、アラシのイメージにぴったりだな。ほんと可愛くなっちゃって」
「美咲はこういう系のギャルが好みなの?」
「そりゃあな。オレが付き合うとしたらやっぱ女の子女の子したキュートな天使じゃなきゃ」
「そっか。うちの大学でそういう娘を見つけたら今度紹介するよ。だから、今は眺めるだけな」
「了解。我慢する」
美咲が片目を瞑りながら両手をワキワキさせた。ボクの緊張を少しでも緩めようとしてくれているのだ。
『“さあ、キリュウ選手注目の第2打。水中にあるボールをどこまで持っていくことができるのか!両足を水の中に入れてアドレスに入りました。慎重に方向を確認しクラブを振り上げて、打った!”』
≪ビシャ スパーーーン≫
球といっしょに派手な水しぶきが上がって全身に被ってしまったが、なんとか球は舞い上がってくれた。少しでも先に行ってくれよ。
≪トーン トントントントントントン≫
急いでバンカーから駆け上がると、100ヤード先のフェアウェイに落下した球が勢いよく跳ねながら向こう側のラフに消えていくのが見えた。クラブフェースと球の間に入った水でほとんどスピンが掛からなかったのだ。
「ナイスリカバリー!ラフには入ったけど、あそこからならピンを狙える」
ずぶ濡れになったボクの髪をタオルで拭いてくれながら励ますように美咲が言った。
ボクの球は10cmほどに伸びたラフに入りこんでいたが、幸いにも葉は覆いかぶさっていなかった。おや?よく見ると球の勢いに押し倒されたのか葉の上に乗っている。それで草の中に埋もれずに済んでいたのだ。
『“深いラフですがボールは見えているようです。キリュウ選手の第3打は残り30ヤード。カップに直接ねじ込めば新記録達成!決して入らない距離ではない!その瞬間が見たい!いや見せてほしい!”』
ハードルをどんどん上げて、ボクのプレッシャーになるようなことを言っている。でも、観戦している人たちの期待が膨らめば膨らむほど注目されもするのだ。やってやろうじゃないか!ここが勝負どころだ。
久しぶりにボクは意識を拡大することにした。結構エネルギーを使うので消耗するのだが、上手くすればこれが最後の1打になる。グリーン上のピンと球を結んだ線の後方に立つ・・・静かに目を閉じる・・・深く深呼吸・・・意識を拡大・・・ボクの周りに球体のイメージ・・・直径1m・・・5m・・・10m・・・20m・・・30m・・・見えた!
「ピッチングウェッジで行くね」
ボクは手にした3本のウェッジの中から一番ロフトのないのを抜き取り、残りのクラブを美咲に返した。
そして、構えに入る。今見えたイメージをなぞりながらスイング・・・1度目・・・2度目・・・半歩前に・・・球の真後ろにセット・・・始動・・・ゆっくり・・・振り子のトップ位置・・・クラブヘッドを球の後ろに落とす・・・あっ動いた。
≪コン≫
打球はラフをギリギリ越える高さで低く飛び出す。
≪トン≫
10ヤード先でグリーンエッジに落下。
≪トン トトトツツーー≫
ラインに乗った。まっ直ぐピンに向かって行く、
≪カシャ コロン≫
≪うおおおおおおおおおっ≫
ピンに当たって直接カップインしたのを見たギャラリーがどよめく。
『ナイスバーディー!』
『ファインショットだ!キリュウ』
いっしょにプレーしているマクガバンとアンダーソンが、こりゃあ敵わないぜと苦笑しながら声をかけてくれる。
『いや。打ち直しをさせてください』
ボクが表情には何も出さず何事もなかった口調で言ったので、ふたりはポカンとしてしまった。
『え?なぜだ?』
『どうしてだ?』
『アドレスした後、スイングに入るとクラブに当たる直前球が動き出してしまったのです』
そう言うと、説明に納得がいかないのか手を広げて頭を横に振っている。
『見ていたが、まったく気づかなかったぞ。本当か?』
『本当です。クラブフェースが球をとらえる直前に動いたのが見えました。既にクラブを振り下ろしていたのでスイングを停められなかっただけです』
生命力が強く成長の早い時期は、茎や葉の伸びる力によって稀にボールが動き出すことがある。ここ数日続いた好天は夏に向かう芝のグングン育つ時期だったのだろう。たまたまボクがスタンスした時にボールを支えていた芝の一叢が午後の強い日差しを浴びてグンと伸びたのかもしれない。
『なので誤所からのプレーです。ペナルティの2打罰を加えて第6打からのプレーで打ち直します』
ボクは次のショットでピン横1mにつけた。練習した2度目だったからね。そして最後のパットを沈めると拍手が起きた。まばらな拍手だった。まあ、優勝パットには違いないけれどトリプルボギー、パー4を7打かかったのだから仕方ない。ボクは、自らの申告でニュージーランド新記録更新の機会を失った。でも優勝はできた。
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優勝トロフィーを受け取って授賞者と握手をした後、勝利者インタビューとなった。
『“キリュウ選手、優勝おめでとう。4日間通算16アンダー、初日から首位を守り通し2位に5打差をつけての完全勝利だったね”』
そう言うと、エメラルドグリーンのジャケットの胸を少し反らして口元を軽く歪めた。インタビュアーは例の地元テレビ局の人気キャスターだ。
『“ありがとうございます”』
『“それにしても先ほどのショットだ。ピンを直撃して直接カップインだのバーディーだ新記録だのと言っていたら、なんと打ち直し。ペナルティになった結果トリプルボギー。歓声をどっとあげた直後だっただけに、観ている方としては何とも気の抜ける結果になってしまったよ”』
『“ご期待にそえなくてすみません”』
『“まあ、君のような選手がオセアニアを代表するアマチュアゴルフトーナメントを勝抜くことになるなんて予想してもいなかったからね。ましてや新記録がかかるだなんてさ”』
『・・・』
『“いっしょにプレーしていた選手も競技役員も、あの時ボールが動いたのは見えなかったって言っているよ?”』
『“そのボールを打ったのはボクですから”』
『“ひょっとして、君は遠慮したんじゃないのかい?”』
『“・・・どういう意味でしょうか?”』
『“この権威あるトーナメントに、君のような、そう、君のような選手が勝つのだってオセアニアのアマチュアゴルファー男性たちにとっては、何かと思うところがあるはずだろう?ましてや更新されるまでずっと君の名前が国内記録として残るスコアなんか出そうものなら・・・”』
『“それは・・・ボクが・・・日本人だから・・・それより、この姿だから・・・女装だからっていう意味ですか?”』
インタビュアーが何かを言いかけたとき、
『“いいじゃないか。彼より男らしいプレーをして見せた漢が、この場にいるのなら名乗り出てみよ”』
と、よく通る声が低音を響かせて言った。
『“ああ!チャールズ・ロバーツ卿でしたか!”』
人気キャスターの態度が一変した。振り向くと、あのオジイちゃんが立っていた。チャールズ・ロバーツって名乗っていたけど・・・卿?そういえば大会役員と同じ仕立てのゴルフジャケットを着ている。
『“勝利した者に対して少々敬意が足らんようじゃな。君も著名なテレビキャスターなのだからあの1打の意味をしっかり噛みしめて、観ている者たちに伝えなければならんのじゃないか?”』
冷や汗を搔いたのかインタビュアーが額をハンカチで抑えている。
『“お前さんの言うようにあれは記録のかかる1打だった。だが同時に、水中から深いラフ、連続でリカバリーを決め直接カップインさせた大会史に残る1打でもあったのじゃよ。そうなればキリュウ君は完全無欠の優勝じゃ。キリュウ君にとってはゴルファーとして名声をつかむ大きな機会じゃったろう。しかしキリュウ君は自らペナルティがあったと申告した。実に立派であった。たとえ不可抗力があったとしてもルールはルール。競技者であると同時に審判として自分を裁くことが求められるのがゴルフなのじゃよ”』
そう言うと、話に聞き入っていたまわりの人々をジロッと見渡した。
『“彼より男らしいゴルフをして見せた漢がおるか? おらんな”』
≪パチパチパチ≫
誰かが拍手した。
≪パチパチパチパチパチパチ≫
思いがけない展開に戸惑っていたギャラリーからも拍手が出はじめる。
≪パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ≫
≪Congratulations!≫
≪You did it!≫
そして次第に大きくなって表彰式が行われているグリーンを包むように鳴り響いていった。
『さてと、キリュウ君。ここに約束したサインを認めて貰えるかの?』
オジイちゃん、いやチャールズ・ロバーツさんが目を細めニコニコしながらボクの前に帽子を差し出した。
ボクにとっては初めての海外優勝だったけれど、ペナルティで失うことになった新記録よりもっと大きなものを手にしたのかもしれない。
古今東西昔から最も個人の性格が出てしまうスポーツはゴルフだといわれています。ショットやパットの技術だけではなく、正直なプレーで一日を誠実に生きたかも問われるスポーツだからです。今回のストーリーはアラシが自らを律し正しきゴルファーとして振る舞うことができたかが重要なテーマです。特に悩んだのは球の動く原因でした。というのもゴルフの規則は、総本山R&A(Royal and Ancient Golf Club of St'Andrews 全英ゴルフ協会)とUSGA(United States Golf Association 全米ゴルフ協会)によって4年ごとに改定されているため、アラシのいる2007年時点と今とでは大きくルールが変更されているからです。細かいことになりますが、風によって動いた場合や今回みたいに球の重みで動いてしまった場合でもルールが違ってくるのです。今も同じルールであれば、スイングを止め球を置き直して打たせていたと思います。その方が一層ルールを熟知し忠実に従う紳士として、アラシを描けそうですから。ということで、やむなく現在も共通するルールの方を採用するに至ったことへの愚痴でした。びんが