第10話 アラシと男の約束
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≪コロ~ン♪≫
「ナイスパー!アラシ」
「ナイスフォロー!美咲」
ボクは、地球に戻ってからずっと専属キャディーをしてくれている兄貴分の相棒女子大生と、グータッチで健闘を称えあった。
オセアニア・アマチュアゴルフ選手権初日、インスタート組の最終9番ホールを終えたボクのスコアは−4の68だった。
同じ組でいっしょに回った背の高いニュージーランド人ウィル・マクガバンは−1の71。『カマ野郎には虫酸が走る』って毎ホール毎ホールボクに突っかかって来たオーストラリア人のハンス・フォン・マイヤーは、出入りの激しいゴルフになり+5で77のラウンドだった。
「Fucking! You've got won!」
肩を怒らせながらもマイヤーが潔く負けを認めた。
ボクたちから見れば目いっぱい対抗心を燃やして勝手に意識した結果、どんどん自滅していっただけだった。でもまあ、ボクに対して突っかかってきたのは言葉の上だけ。姑息な手を使ってプレッシャーをかけて寄こしたり、打った球がペナルティとなった際にも自分に有利なように解釈することもなく紳士的なプレーだった。そういう点では男らしい奴だったかも。
「Thanks.You are good louser」
ボクは右手を差しだす。こっちの習慣では握手のとき女性の方から手を差し伸べるのが作法だそうだから。一応、見かけ上レディスウェアを着ている立場なのでそうしたのだ。ちなみに女性同士のときには握手なんかせずハグなのだ。マイヤーは一瞬戸惑いを見せてボクの顔を見つめたけれど、握手に応じた。
『オマエ、見かけと違って正統派ゴルファーなんだな。勝負は勝負、負けは負けだ。証に何をすればいい?』
そういえば何も考えていなかった・・・どうしようか・・・そうだ!
『じゃあ、これからはボクのことを一人前の男として認めてください』
『はあ?』
言っている意味が分からない様子だ。
『予選2日目明日もボクと同じ組でまわるんですよね?だからラウンド中は男として普通に接してくださいっていうことです』
『男として?と言っても、見た目オマエさんは・・・』
そう言いながら、フェミニンに括れたボディラインのミニワンピースの裾から覗く、ボクの白くて細い足を見下ろした。
反駁しようと口を開きかけたら、美咲が手でボクを制し「オレが話をつけてやるから」と目くばせした。
『あのさ、マイヤーさん。事情を全部説明すると長いことになっちゃうんだけど、こいつにはとっても悲しいわけがあってさ、こんな形していても心の中はいつも漢でありたいと思っているんだ。今はなにも言わず分かってあげなよ』
しばらく美咲とボクの顔を見比べていたマイヤーが口を開いた。
『よく事情は分からないが、どうしろと言うのかは分かった。要は、これからはオマエを一人前の男として扱えばいいんだな?』
『その通り!理解が早いよ、マイヤーさん。それでいいんだろ?アラシ』
美咲が振り向いて確認したのでボクは頷いた。
『ならば、男の挨拶だ』
と、マイヤーがグーを突き出した。ボクもグーで応える。
『そうだ、どうせならもっと男らしく見える挨拶をしよう。オマエに俺の所属するクラブのハンドシェイクを教えてやるよ。まずはこうだ』
指相撲するみたいに互いの指を軽く握り、すぐに手の甲の方でタッチ、それから掌を叩き合って、腕相撲するみたいに腕を絡めてクルリと回転させると最後にハイタッチした。男たちが仲間同士の結束でやっている複雑な挨拶のやり方、外国映画のシーンで見たことのあるやつだ。
『というわけさ。これが出来ればオマエさんも俺たちの仲間だ』
複雑な組み合わせだったけれど、何度かやるうちに馴染んできてスピーディーにできるようになった。
『よ~し覚えたぞ。じゃあ、これからはボクのことアラシと呼んでください』
『アラシか。じゃあ俺はハンスだ』
『了解、ハンス』
ボクたちは、覚えたてのハンドシェイクで仲間となったことを確認した。
-2-
『インタビューいいかい?』
予選初日のスコアカードを提出してクラブハウスに戻ると、例の地元テレビ局の人気キャスターとカメラクルーが待ち受けていた。
『ええ、構いませんよ』
ボクは笑みを浮かべながら愛想よく応える。チームアラシのディレクター菅井さんから、オーガスタを目指すなら海外で注目される選手になることが大切であり、ボクを見たいと思うファンが出来るよういつも心がけなさいと言われていたから。
『初日のスコアは4アンダーか。まだ全員がホールアウトしてはいないけれど現時点でのトップ、素晴らしいスタートダッシュだね』
『ありがとうございます』
『それにしても、君のような・・・美形が・・・これほどのゴルフをするとはね』
と喋り終わるなり口元を軽く曲げて笑みを作った。どうやらこれが彼のトレードマークらしい。
『ボクのこと、どう思っていたのですか?』
『どちらかと言うと、スコアよりは見た目で楽しませるアトラクティブ・トランスジェンダーだと思っていたんだ。声だってそんな風に愛らしい声だしね。ごめんな』
謝罪の言葉を口にしながらもやっぱり口元を軽く曲げて笑みを作る。全然悪いとは思っていそうもなかったからちょっとだけ皮肉を込めて返してやることにする。
『それはお生憎さまです。じゃあ、すっかりあなたの期待を裏切っちゃいましたね、ボク』
『いやいや、君が先頭に立ったことでこのオセアニア・アマチュアゴルフ選手権はこれまでにないほどの見ものになってきたよ。キーウィガイとオージーメンにとっては決して心中穏やかじゃないだろうけどね』
えっと、キーウィって言ったら毛が生えた卵みたいなフルーツだったっけ?オージーって女版OBのことだろうか?だとするとOG男・・・なんだそれ?ボクの頭の上にはいっぱいクエスチョンマークが浮かんでしまった。訊くは一時の恥、ここはひとつ尋ねてみることにした。
『キーウィー・・・ガイと、オージー・・・メン?いったいそれって何ですか?』
『君、キーウィって鳥を知ってるだろ?』
そうか、果実じゃなくて鳥の方だったか。ボクは少し皮肉を込めて答えることにする。
『はい。ここにしかいない、確か・・・そうそう!飛べない鳥でしたね?』
やった!一瞬だけど嫌そうな表情になったぞ。直ぐに立ち直ったけどね。
『そう。ニュージーランドの国鳥なんだ。だから、ニュージーランド人は自分たちのこともキーウィっていう愛称で呼んでいるのさ。オージーはお隣のオーストラリアの愛称で、オージービーフとかオージーボールって一度くらいは耳にしたことがあるだろ?』
『と言うことは、ニュージーランドの男とオーストラリアの男っていう意味でしたか・・・つまり、あなたが仰りたいのは、ボクみたいなアジア人がニュージーランドやオーストラリアの選手に勝つのか?まさかね、とこちらの男性たちが思うだろうなっていう意味ですか?』
『そう。でもアジア人というよりは、君の見た目の“女”の方だろうけどね。それは仕方ないと思うんだ。君がプリティでビューティフル過ぎるからね』
と言うと、また口元を軽く曲げて笑みを作ってみせた。たぶんテレビではお馴染みの仕草なんだろうけど、ファンでもないボクには不愉快な表情だ。でも、ここは我慢。ボクは惑星ハテロマの王立スポーツ研究所で訓練させられた“世間の事情に疎いプリンセス”ならではの天真爛漫な戸惑いスマイルを浮かべて言った。
『見た目の“女”の方・・・仰る意味がわかりません。ゴルフでよい成績を目指すことと“女”とに何か関係があるのですか?』
『うっ・・・』
さしもの人気キャスターも返答に詰まってしまった。
『ま、誰もが君のことに注目し始めている、ということだ』
一瞬の間の後、とり繕うように言った。ボクは男だから別に気にしないんだけど、見た目が見た目なので、ここで下手な返し方をするとこれを見ている視聴者からは女性差別発言と取られかねないものね。
『それは光栄です。皆さんのご期待にそえるよう明日からもいいプレーを目指します。ありがとうございました!』
ボクは、惑星ハテロマの女性化プロジェクトでヴェーラ博士から完璧な女性として叩き込まれた、表情筋をコントロールする能力の全てを駆使して、女の子の笑顔の中でも破壊力抜群の、透明感のある妖精スマイルを浮かべながらインタビューを締めくくった。
-3-
≪カッコ〜ン♪≫
≪パチパチパチ≫
18番ホールのグリーン上でスタンドから拍手がわいた。ボクたちの組で今日最後のプレーとなる1mのパットをマイヤーが沈めたのだ。
『ナイスパー!』
『ありがとう、アラシ』
『お疲れさん。予選通過できたようだな、マイヤー』
『ああ、マクガバン。今のパーでどうにか首がつながったぜ』
今日一日いっしょにラウンドした競技者としてお互いに健闘を称えあう。
『2日目が終わってアラシは-8、マクガバンは-5か』
『キリュウのクレバーな攻め方を見せられ、普段なら無理するケースでも俺にもあんな風に冷静なコース攻略はできるはずだと、キリュウに引っ張られていく内にいつの間にかスコアも伸びたのさ。この2日間の俺の好成績は皆キリュウのおかげさ』
『俺もだ。キリュウに突っかからず初日に大叩きさえしていなけりゃ、きっとマクガバンと同じくらいは行っていたさ』
あんなに突っかかっていたマイヤーも、今日は約束通りラウンド中ずっとボクのことを一人前の男として扱ってくれたから、とても気分良くプレーすることができたのだ。だからボクのスコアも伸びたのだと思う。
『そんな、買いかぶりすぎですよ。むしろ、感謝しなくちゃならないのはボクの方ですから。そうだよね?美咲』
『そうですとも。こいつって結構気に病むタイプなもんで、こんな可愛い格好させられてますけど今日一日男として気持ちよくプレーしてましたもん』
ボクが相棒に同意を求めると、見事に空気を読んで応えてくれる。
『そうか。だが、買いかぶっちゃいないぜ』
『そうさ、キリュウのプレーは緻密かつ大胆、実に男らしいゴルフだった。さすが世界大学オープンゴルフ選手権準優勝者だけのことはある、と実感したよ』
『キャディの君も、クラブの渡し方やグリーン上での立ち位置とか、プロキャディに負けないいいセンスをしていたよ』
と言ったウィル・マクガバンは、決しておべんちゃらではなく真剣な表情だった。まわりで話を聞いていた彼らのキャディも頷いている。美咲のキャディとしてのセンスを皆で褒めてくれた。これって相棒のボクとしては嬉しいかも。
『どうやら明日もオマエたちはいっしょの組のようだな。オマエたち最終組と違って俺は早いスタートになるが、最終日にはせめてオマエたちの姿の見えるあたりまで順位を上げて見せるぜ!』
『じゃあ男の約束です、ハンス』
そう言うと、ボクはマイヤーに向かって拳を突き出した。マイヤーはニヤッと笑うと例のハンドシェイクで応えてくれた。
競技委員にスコアカードを提出したボクは、いつも通り美咲に付き合ってもらい、ラウンドした後のルーティン、自分で納得のいくまでショットを振り続ける練習に向かった。イメージとその結果が異なるショットが出たとき、その日の内にひとつひとつスイングを修正する必要があるのだ。さもないと、翌日まで失敗したときのイメージが残ってしまうからね。今日は特にパッティングを念入りに調整したので、練習グリーンから引き上げる頃にはすっかり日も落ちて照明の点る時間になっていた。
『やあ』
キャディバッグを片付けに行く美咲と別れ、誰もいない薄暗いクラブハウスの廊下を歩いていたら後ろから声をかけられた。振り返って暗がりに目を凝らすと、真っ白なあご髭に深く刻まれた皺だらけの顔が笑顔で一層皺くちゃになっている老人が立っていた。
『あ!ここへ来るときフェリーの甲板で会ったオジイちゃんだ』
『覚えていてくれたのかい?』
『もちろんですよ。会場にいればどこかでお会いできると思ってました』
『君の姿を遠くに見つけてはいたんだが真剣な顔でプレー中だったので遠慮していたんだよ』
と、なお一層目を細めて微笑んだ。ボクとの再会が本当に嬉しそうだ。
『オジイちゃんとまた会えて嬉しいですよ、ボクも』
『ほほ、老人には嬉しい言葉だ』
『だって、ここでは知っている人がいないし、話するのはボクのキャディか競い合っている同じ組の選手くらいでしょ?』
『君にとって知り合いなのかね、わしは?』
『そりゃあそうですよ。あ!でもまだお名前もお聞きしていませんでしたっけ・・・』
『アハハハハ!』
さらに目を細めたので皴の中にすっかり隠れて見えなくなってしまった。
『面白い子だ。わしはすっかり君のファンになってしまったよ』
『じゃあ、オジイちゃんは応援してくれるんですよね?ボクのこと』
『ああ?ハハハ、よかろう!承知した。明日からの決勝ラウンドは君を応援しよう』
『やったあ!これで明日から頑張れます!ありがとう、オジイちゃん。あ、お名前をお聞きしてもいいですか?』
『そうさな、君が優勝したときにワシ宛に名前を入れたサインを書いて貰いたいからね。わしはチャールズ・ロバーツじゃよ』
『ロバーツさん、ですね。じゃあ、サインが書けるようしっかり頑張らなくちゃ!』
『アハハハ!ほんに面白い子じゃ』
こうしてボクは、ニュージーランドのファンをひとりゲットした。
-4-
≪パチパチパチパチ≫
≪パン!パン!パパン!≫
3日目が終わり美咲の運転する車で宿舎に帰り着いたボクは、玄関を開けるなり拍手とクラッカーの破裂音に包まれた。チームアラシのメンバーたちが待ち構えていたのだ。
「やったね!」
「すごいよ!」
「よくやった!」
口々に賞賛してくれている。
「アラシ君。今日のラウンドは実に見事だった!」
いつも沈着冷静で、事実のみを評価し分析した結果は言うけれど褒めることのないディレクターの菅井さんまで興奮気味だ。
「それにしても素晴らしいよ、アラシ君。初日から首位をキープしたまま最終日最終組。歴史の浅い大会とは言え、このオセアニア・アマチュアゴルフ選手権では初めての快挙なんだよ!」
「そうだったんですか」
「そうだとも!3日目までで11アンダー。2位に5打差をつけての最終日なんだから凄いことなんだよ、これは!」
「はあ、そうでしたか」
「ん?なんだか元気がないな?」
そうなのだ。2日目までは一緒にラウンドするのは同じメンバーで気心も知れていたし、スタート時間も順位に関係なく割り当てられていたからギャラリーも少なく注目されることはなかったのだが、今日は違っていた。
「オレから説明してやるよ、アラシ」
心配するなと目配せしながら美咲が言った。気が重くて口を開くのも億劫なボクの様子がすぐ分かっちゃったみたいだ。
「なにかあったのかい?美咲君」
「今日からスコア順の組み合わせだったでしょ?予選初日から一緒のウィル・マクガバンはそのまま同じ組だったので、まだしもよかったのだけど、もうひとりは初めての奴だったんです」
「まあ、そうだろうけど。それトーナメントでは普通のことだよね?」
「ええ。でも今日のアラシって、この格好でプレーさせられていたんですよ?」
「それって、いつも通りのコンピタンスポーツのウェアだろう?」
「いつも通りですかね?これ」
ボクを指差しながら、美咲がジロりとみんなを見回した。
「ノースリーブの真っ白なミニワンピにニーハイソックス。アラシ君にピッタリ。初夏の装いらしく涼しげで、とっても可愛らしいデザインじゃなくって?今日は注目のまとだったんじゃない?」
チームアラシができた当初から、ボクのユニフォーム担当としてコンピタンスポーツより派遣されて来ている島野彩さんが、そう自慢して応えた。
「彩さん、確かに注目のまとでしたよ。でも、アラシの身にもなってみてください。これじゃあ、まるで・・・まるで、金持ちのオヤジゴルファーが自慢しようとコースに同伴してきた若い愛人か馴染みのホステスの格好ですよ!」
「同伴してきた・・・愛人って・・・馴染みのホステスって」
「そうですよ!なんでわざわざ、ところどころシースルーにして、すけ透けにする必要があるんですか!それこそ、同伴している一緒の組の奴からも、どこかで噂を聞きつけたのかホールを重ねるごとにどんどん増えていくギャラリーの男どもからも、胸や太ももを食い入るように見つめる痛い視線を浴びて、ショットしたり屈んだりするたびに口笛を吹かれる始末。大騒ぎだったんですよ!」
「そっか・・・涼しげに見せようとデザインしたレース編みのパーツが透けて見えちゃったんだ。それに、少しばかりボディコン気味で身体の線が出ちゃった、かしらね・・・」
「アラシはよくそんな中で今日のスコアで周ったもんですよ!」
「アラシ君を可愛くしよう綺麗にしようっていつも以上に張り切っちゃったのよぉ。ゴメン。このとおり、アラシ君」
彩さんが、ボクの方を拝むようにして謝った。
「・・・彩さん、謝るなら美咲にもです。ボクの大切な相棒も今日一日、ボクのと同じ生地でデザインされた彩さん特注の衣装を着ていたんですから。動きやすいサロペットとはいえレース編みの部分がすけ透けで、相当恥ずかしい思いをしたはずですよ」
「まあな、それでもオレはズボンだったから。胸の谷間と脇腹のくびれと、ただでさえ短いミニスカートの裾が透けて丸見えだったアラシほどじゃなかったけどな。それでも、見られてると思うと緊張したぜ」
「美咲君もゴメン」
「まあ、彩ちゃんもチームアラシにとって良かれ、と考えてやったことだから、ふたりとも勘弁してあげてもらえないかな?」
そんなやり取りがあって、少しずつボクの気分も落ち着いていった。そしてその晩は最終日の決戦に備えてゆっくり休むことができた。
-5-
オセアニア・アマチュアゴルフ選手権4日目、いよいよ最終ラウンドの当日を迎えた。
思えば予選初日からずっと晴天続きで、ショットを左右するような悪コンディションがないまま来ている。オージーやキーウィーの猛者アスリート・ゴルファーにくらべると飛距離でどうやっても劣るボクとしては、よくやれている方だと思う。そういう意味では悪天候を味方に、状況分析とショット技術の差で勝ってきたこれまでの大会とは様子が違っているようだ。
与えられた状況の中で自分に出来る最善の選択肢が何か冷静に分析し、愚直にコツコツ正攻法で球を打ち続けてきたのがよかったのかも知れない。などと考えながら皿の上のフルーツを摘まんで頬張る。今朝も朝飯は草食系のいつものメニュー。肉や脂だと試合中ずっともたれるし感覚が重い感じになってしまうのだ。
「アラシ君、用意した今日のウェアはこれなんだけど・・・」
と、彩さんがハンガーを掲げながらダイニングに入って来た。ボクがどういう反応をするのか心配そうだ。
「・・・いいんじゃないですか。おとなしい色使いだし」
昨日の一件があったので、少しは反省してチョイスしたみたいだ。
「よかったぁ。最終日最終組の勝負服なんだし、どうやってアラシ君を目立たせようか随分迷ったんだけど」
「そこ、迷わなくていいですから。ひとりだけ女装してプレーしているので十分目立ってますから」
「でね、いろいろ考えたんだけど、アラシ君に気分よくプレーしてもらうことがいちばん肝心なのよねって思い至ったわけ」
「あのね彩さん、いちばん最初に思わなければいけないとこ、そこですから」
と言うわけで、ボクの“勝負服”は半袖襟付きのグレー系ミニワンピースにグレーと黒のツートンカラーのシューズという、持参した中でもいちばん地味目の組み合わせに決まった。
『よお!』
スタート前の練習で、ショットを終えてパッティングをしに行くと、練習グリーンから聞きなれた声が呼びかけてきた。
『あ、ハンス。昨日はあわやコースレコードだったとか。絶好調じゃない?』
『絶好調はオマエの方だろ、アラシ。今日はひとつ前の組だから、アラシの男らしいプレーを拝ませてもらうよ』
ボクたちは、再開を喜び合って例のハンドシェイクをスピーディーに恰好よく決めた。その様子を見ていたのかまわりの選手やギャラリーから低い響きが起きた。
≪アイツ、女のくせにハンドシェイクできていたぜ・・・≫
≪華奢な割りに動きに力強さがあった・・・≫
≪無駄に流さず止めるところはしっかり決めていたぞ!≫
≪エロっぽい衣装を着ていた昨日と同じ女なのか?≫
そんな会話がこちらにも聞こえてきた。
『そうそう昨日はオマエ、ゴルフボールだけじゃなく、話題性でも飛ばしていたらしいな』
マイヤーが言い出した。昨日は早いスタートの組だったから顔を合わせずに済んだのだが、どうやら知っていたようだ。
『あは、ハンスの耳にも入ちゃってました?見られてなくてよかったぁ。相当に恥ずかしい思いをしたんですよ』
『事情は分からんが、オマエも苦労させられているんだな』
男として扱う約束を交わしているから、その立場でものを言ってくれているのが分かる。
『ボクひとりのオセアニア・アマチュアゴルフ選手権ではありませんから。チームのサポートあってこそのボクですから』
『何かと背負わされているものがあるんだな、オマエも。だから、そんな形してでも全力でプレーして返さなければならんわけだ』
『そんな形は余計です。たまたま身体に合う男物がないから、仕方なく女物着ているだけなんですぅ』
『そうか。確かに・・・その胸、その括れで・・・その尻だとな・・・それにしてもなんて細くて綺麗な足だ』
あ、視線が下がっていく。マイヤーの口元に猥らな歪みが現れた!
『ハンス、その目つき禁止!男の約束ですからね!』
『おっと!すまん』
こうして1組前にスタートするマイヤーを送り出した後、美咲にパットを最終チェックしてもらいながらボクは最終日のスタート時間を迎えた。
1番ホールのティーグラウンドで、ギャラリースタンドに取り付けられているスピーカーからアナウンスの声が場内に響き渡る。
『“ギャラリーの皆様お待たせいたしました!いよいよ最終組のスタートです。それでは最初の選手をご紹介します!現在2位タイ、6アンダー、ウィル・マクガバン、ニュージーランド!”』
≪パチパチパチパチパチパチ≫
≪Go!Go!Will≫
≪We wanna see win!≫
≪Don't lose,Willie!≫
さすがマクガバンの地元だけあって凄い声援だ。帽子のひさしに軽く右手を添えると、彼は笑顔でギャラリースタンドに挨拶した。結局ボクは初日から最終日まで4日間通してマクガバンとラウンドすることになったわけだ。ティーペグを刺して球をセットすると一歩下がり、ゆったりとした構えで身体を解すように2度スイングしてティーショットのアドレスに入った。
≪カシーーーーーーン≫
190cmを超える長身を活かしマクガバンは大きなアークでクラブを振りぬく。高い弾道で曲がりながらフェアウェイ左サイドのなかなかいい位置で止まった。あそこなら距離もしっかり出ているだろう。
≪パチパチパチパチパチパチ≫
≪Good shot!≫
≪You did it!≫
『“ふたり目の選手をご紹介します!同じく2位タイ、6アンダー、ジャック・アンダーソン、オーストラリア!”』
≪パチパチパチパチパチパチ≫
≪Catch up with asian shemale!≫
3日目にスコアを大きく伸ばして2位タイまで上がって来た選手だ。やはり大柄なのだがマクガバンよりはガッシりした体形、ただ顔の皴が多いのと髪が少なめ、額も後退しているからキャリア豊富なベテラン・アスリートかもしれない。
≪グワシーーーーーン≫
その日最初のショットはそれなりに緊張するものなのだが、ボクから見ると時間もかけずいきなりティーショットを打った。高々と舞い上がった白球は真っ直ぐフェアウェイ中央に落下、トントンと跳ねながらマクガバンの少し先で停止した。
≪パチパチパチパチパチパチ≫
≪Fine shot!≫
『“そして最後はトーナメント・リーダー、3日目終了時点で11アンダー、アラシ・キリュウ、日本!”』
≪パチパチパチパチ≫
≪Boo!≫
≪Booo!≫
あれ?拍手に交じってブーイングも聞こてきた。アジア系それも女装しているような奴になんて絶対に勝って欲しくないのかも。ニュージーランドもオーストラリアも七つの海を支配してきた大英帝国の仲間だ。ゴルフ宗主国の系譜を誇る国なのだ。ボクにとって、最終組はまさしくアウェイでの戦いになったわけだ。
1年ぶりの続編でした。チャイナ武漢から地球全体に拡散してしまった新型コロナウィルスの災禍でマスターズや全英オープンはじめ海外ツアーも国内ツアーも延期・中止に追い込まれてしまいました。ランアラはゴルフを愛する主人公たちの物語です。思えば、今から振り返ると舞台となっている2007年平成19年は、まだしも穏やかで災厄の少ない時期でした。世の中全体が閉門蟄居状態にある中、せめて物語の中だけでも元気にゴルフを続けてもらおうと考えています。びんが