第1話 帰って来たアラシ
物語は惑星ハテロマから帰還して3年、18歳のキリュウ アラシが激闘を繰り広げた2007年世界大学オープンゴルフ選手権を終えて帰国した夏休み明けからはじまる。
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朝、シャワーを浴びたボクは脱衣場で母さんにブラジャーを着けてもらっていた。
普段なら頭と手を通してかぶるだけで済むワイヤレスのスポーツブラなんだけど、オシャレ着をさせられるときは肩ひもやサイドベルトが見えてしまったりするからそうも行かない。自分で勝手にやると乳房がカップにきちんと収まっていなかったり、背中のホックの留め方がいい加減だったりするから、ボクには絶対任せられないって言うのだ。
「あら?アラシ・・・あなた、また胸が大きくなっていない?このブラじゃ小さすぎて合わないわ」
肩ひもの付いていないタイプのブラジャーと、ボクの胸にくっついた形のよい真っ白な二つの膨らみを見くらべながら母さんが言う。
「うっ。む、息子にブラジャーのサイズ指摘するな!」
ボクは慌てて胸を隠す。
「オッパイって体に合ってないブラ着けてると形が崩れるのよ。そうねえ、アラシはCか、いや、これならもうDカップでもいいんじゃないかな」
と言いながら母さんは感に堪えないという様子で、指の隙間からのぞくツンと上を向いた淡い桜色の突起を見つめる。
「な、なに見てるんだよ・・・息子にデ、Dカップ言うな!」
ボクは指と腕の隙間からはみ出そうになる膨らみをさらにギュッと押さえ込む。
「うふふ。隠そうとしたって無駄よ。そんな立派な胸の膨らみがあるんだもの。あなた、ほんと綺麗ねぇ、男の人だったら居ても立ってもいられなくなるでしょうね。そうねぇ、あなたもそろそろ自分の好みを知った方がいいのかな。ブラジャーって色々種類があって楽しいのよ?可愛いブラって女の子は身に着けただけで華やいだ気持ちになるものなの。今度一緒にランジェリーショップに行きましょうね」
母さんは組んでいたボクの腕を優しく解きながら言う。そう、星間ゲートを通り惑星ハテロマからこんな身体になって戻ってからというもの、ボクに触るときはまるで白桃かマシュマロみたいに大事そうに扱うのだ。
「中身は男なんだからね!いつものスポーツブラでいいよ」
「アニメのヒロインみたいな可愛い声で『男なんだからね』って言われてもねぇ。それにそうはいかないの。今日は夏休み明け最初の登校日でしょう?アラシは有名人なんだからしっかりオシャレしなくっちゃ皆さんの期待を裏切ることになるのよ。今日は肩口の開いた可愛いワンピースなんだもの、外に露出しないブラじゃないとね」
「肩口の開いたって・・・はじめからそんなの着せなきゃいいでしょ?」
ボクは不服そうに口をとがらすが、母さんは気にもかけずにマイペースで話し続ける。
「アラシは部活でトレーニングウェアに着替えたら、いつだってそのままの格好で家に帰ってくるじゃない?あれ、ダメよ」
「・・・どうして?」
「着替えるのが面倒でそのまま帰りたいのは分かるけど、見た目は誰もがうらやむ絶世の美少女、学園のアイドルなんだから、きちんと着替えて身だしなみをちゃんとしなきゃ駄目なのよ」
と言いながら人差し指でチョンとボクの頬を突っつく。
「少女って・・・ボクをいくつだと思っているの?大学生なんだよ。ともかく時間もないし、いちいち着替えてられないの!第一、ブラだってホックとかいろいろあって着けるの難しいし面倒くさいでしょ」
「まあ!女の子がブラを着けるのを面倒くさいだなんて!」
母さんはビックリした様に目を丸く見開いてボクを見つめた。
「だったら着け方からちゃんと教えなきゃね。まず、ブラのことから教えましょう」
「いいよ。もう行かなきゃならない時間だし」
「おっぱいをホールドするカップにも種類があるのね」
聞いちゃいない・・・。
「膨らみを全部覆うのがフルカップ、上を4分の1カットして少し谷間がのぞくのが4分の3カップ、そしてこれがハーフカップなの」
ボクは喫水線ギリギリのところまでカットされている得体の知れない布切れを見つめ、嫌な汗が吹き出してくるのを感じた。
「丸見えになっちゃうよ」
「乳首までは見えないから大丈夫よ。これだとショルダーストラップが取り外せるから肩を出す服の時には断然これなのよ」
「大丈夫じゃないよ、全然」
「そうだ、母さんは着けたことないけどアラシが試したいんだったらオッパイに直接貼り付けるヌーブラ買ってあげるけど?あれってサイドベルトもないから後ろから見るとノーブラみたいに見えるんだって。アラシがノーブラで歩いているみたいだったら学校中大騒ぎになっちゃうかも!アラシはお姫様だったから豪華なレースでホワイトなんかがピッタリなんだけど、冒険するなら豹柄で、いっそのこと4分の1カップにTバックショーツなんかにしちゃう?」
4分の1・・・ってことは膨らみの下を支えるだけ・・・オッパイ丸見えじゃん!母さんはそんなボクの姿を想像しているだけでも楽しそうだ。ボクは自分の姿を頭の中に思い描いてブルっと身震いしてしまった。
「わかった、分かった、分かりましたってば。1限目遅刻しちゃうから今日は母さんの用意してくれたとおりにします!いそいで急いで!」
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≪パアパッパッパアア!≫
≪ブロロロロロロロロ!≫
クラクションとエンジン音を響かせ、緑に変わった交差点をハマーが巨大なボディを揺すりながら駆け抜けて行く。暦の上ではとっくに夏が終わっているというのに、あいも変わらず強烈な日差しが降り注ぐ。この暑さで誰もがイライラしているのだ。
じりじり照りつけてくる太陽に五日市街道のアスファルトも悲鳴をあげるように熱気を立ちのぼらせている。
ボクは陽炎がゆらゆら揺らめく溶けかかった横断歩道を渡った。学園のキャンパスへと伸びる見事なケヤキの並木道に一歩踏み入った瞬間グッと気温が下がる。
「ああ~涼しい」
樹高30メートルを超えるケヤキの大樹を見上げながら思わず独り言がこぼれてしまう。ここは都会とは思えない鬱蒼とした緑の空間なのだ。ボクはレースのフリルに縁どられた白いパラソルを閉じながら深呼吸をした。
「ランちゃ~ん!」
緑の空間に黄色い声が響き渡った。カンカンカンカンッとヒールサンダルの軽やかな足音をさせながら女子学生が駆け寄って来る。龍ヶ崎サヤカだ。地球に帰還したばかりの頃、女子高生ライフを強制されて戸惑うボクを、陰になり日向になりサポートしてくれた女の子だ。彼女は法学部なので同じキャンパス内でも今は接点が少ない。
「ランちゃん、ひっさしぶりぃ!夏休みいっしょに遊べなかったから寂しかったよぉ。ユカリもクルミもそう言ってたんだよぉ。あれぇ?ランちゃんの胸に谷間ができてるぅ!そっか!アメリカで女性ホルモン分泌増量イベントがあったんだ!いいって、言わなくても分かるって、エッチしちゃったんでしょ?夏だもん。ひと夏の恋、青春っていいよねぇ!そうそう、3人でいっしょに北海道旅行に行ったんだよぉ。ラーメンとスープカレー、蟹とトウモロコシ、それと夕張メロンに千秋庵のノースマン。美味しかったなぁ。フレッシュマンは一生一度だもん、大学1年の夏はしっかり楽しまなくっちゃ。とはいえ今日から後期だっけ。それにしてもアメリカでゴルフの試合ほんと頑張ったね、ランちゃん、えら~い!」
口を挟む暇を与えないマシンガントークだった。相変わらず口数が多く喧しい女だ。鮮やかなレモンイエローのノースリーブシャツから覗く日に焼けて健康そうな女子大生の顔をまじまじ見つめてしまう。おや?
「サヤカ、おまえ化粧するの上手くなってネ?」
ボクはいま発見したばかりのことを口に出してみた。
「え?そ、そうかなあ?えへっ」
パッと笑みがこぼれる。白い歯も輝いて健康的だ。
「うん。春先はほっぺたが熊本県の人気キャラみたいだったからな」
「ひっど~い!自分は素っぴんでもそんな可愛いもんだから、平気でそういうこと言えるんだよぉ!」
健康的な頬がぷっと膨らんだ。
「お忘れと思うけど、ボクは男なの。すっぴんが普通の状態なの」
意に介さずボクはクールに言い返す。
「あらっ?あらあらあらっ?この間ニュヨークの劇場でばっちりメイクしていたのは誰だったかしら?テレビでお姫様抱っこされてた大振り袖姿のランちゃんのニュースやってたよ」
うっ、痛いところを突かれた。
「あれは・・・フロリダから帰る途中、平成山村座のニューヨーク公演に立ち寄ったら座長が悪乗りしちゃって、無理やり着せられたんだよ。不可抗力だったの。仕方なかったの」
「今日だってそんな素敵な格好してるじゃないの!まるでファッション誌のグラビアから出てきたみたいよ!!」
そう、今日のボクは真っ白なコットンレース地にフリルで装飾し肩口が大きくあいたオフショルダーのサマードレスを着せられている。母さんの趣味だから仕方ないんだけど、日に焼けたくないから少し長めのサマーカーディガンを重ねて着ているものの素肌が相当露出している印象なのだ。全てファッションブランド“アイウエサチエ”を展開する井上沙知絵さんがデザインしたものなのだ。
惑星ハテロマから星間ゲートを通って地球に帰還したばかりの頃にたまたま知り合ってからというもの、自称“年上のお友達”としてボクが身に着けるものなら何でもプレゼントしてくれている。「ランちゃんが着てくれているという事実だけでわたしにとっては十分メリットがあるの」なのだそうだ。
「アイウエサチエだけど単なるセカンドラインだよ、大したことないって」
「セカンドブランドの“princess ran”でしょ? 知ってるよ。いま女の子たちの間で評判なんだからね。お姫様やっていたランちゃんのイメージなんだって井上沙知絵がテレビのインタビューで喋っていたもん」
「好きでボクが選んでるわけじゃないから。みんな母さんが・・・」
「いいよなあ~お友達にファッションデザイナーがいるのって」
こいつも聞いちゃいない・・・。
-3-
「キリュウ君。海外遠征お疲れ様」
2限目の講義が終わって久しぶりに体育会ゴルフ部の部室に行くと、マネージャーの椿原瑠美先輩がさっそく労ってくれた。
「大活躍だったじゃないの。全米学生チャンピオンにはなりそこねたけど、キミが男子ゴルフの世界でも十分通用するっていうことを、ちゃんと証明したよね」
「ありがとうございます。距離は長いしフェアウエイは狭いしラフはキツイし凄くタフなコースでしたけど、4日間しっかりプレーできたので自信がつきました」
「それにしても、そんな細い身体でよく頑張ったものね」
と言いながらスカートの裾からのぞくサマーサンダルの皮ひもに包まれたボクの白くて細い足を見つめる。
「こう見えても一応、男子学生ですから」
「そんな学園をリードするカリスマ女子大生みたいな恰好して言われてもね。それにしてもその編み込みカチューシャ、とっても素敵ね!やっぱりお母様が?」
そうなのだ。シャワーして髪を乾かしたとき母さんが、長いままだと暑いだろうからと髪を編み込んでアップにしてくれていたのだった。
「ええ。ボクにはな~んにも選択権ありませんので・・・抵抗できているのは化粧させないことだけですから」
「メイクしたら君、もっともっと綺麗になるのに」
「嫌です」
ボクは椿原先輩が言い終わらない内に速攻否定する。
「どうして?」
「ボクはアスリート。プロを目指しているスポーツマンなんですよ?限界まで身体をいじめ抜いて汗をかくのに、いちいち化粧なんてできますか!」
「え~?女子プロゴルファーはみんな頭のてっぺんからネイルまで綺麗にメイクしてるじゃない」
「だ・か・ら!ボクは女子じゃありませんってば」
「そんな肩ひじ張らなくたっていいのに。睫毛エクステしたらもっと綺麗になるのにぃ。あれ?キリュウ君、夏休み前より胸が大きくなっていない?」
今日は痛いところを突かれる日だ。
「うっ、こ、これは小さめのブラに無理やり押し込まれたからで・・・って、何説明させるんですか!ぼ、ボクのことは放っておいてください。そんなことより夏合宿はどうだったんですか?」
ボクは少し涙目になりながら言う。
「と~っても楽しかったよ。ご飯は美味しいし、温泉は最高だったし、肝試しで盛り上がったし、カップルが2組もできちゃったし」
「そうじゃないでしょ!みんな上手くなったんですか?ゴルフはレベルアップしたんですか?」
「そうねえ。なにせ、うちのエースでアイドルのキリュウ君が海外遠征に行っちゃったでしょう?なんか気がぬけちゃってねえ。み~んな君と一緒にお風呂入るの楽しみにしてたんだよ?女子も男子も。だって露天風呂が混浴だったのよぉ」
「あ、ありえない・・・合宿を計画するのに何考えていたんですか!」
学生が公式競技に出るには、体育会ゴルフ部所属選手であることが条件なので退部するわけにはいかないのだが、ボクはうちの部の合宿にだけは絶対行かないと心に誓った。
-4-
アメリカ遠征のニュースは学内でも評判になっていた。もちろんニューヨークの舞台のことも。
「キリュウ君、平成山村座ニューヨーク公演で大活躍だったそうですね」
午後のゼミで学園長でもある桜庭教授から言われてしまった。
「あは。先生もご存知でしたか」
「それはそうですよ。あれだけテレビや週刊誌で取り上げられていたら大概は目にします。実に美しい着物姿でしたね」
≪そうだ!そうだ!まったくだ!≫
ゼミの先輩たちも激しく同意している。でも、なんか普段より顔が紅潮してる気がする。視線を追ってみるとどうやら大きく開いた襟口からのぞく肩と胸元のせいみたいだ。教授まで目が離せずにいる。
「あれは、知り合いの座長を楽屋に訪ねたら、無理矢理着せられたんです」
「ま、キリュウ君にとっては災難だったかもしれませんが、良い目の保養をさせてもらいましたよ」
≪そうだ!そうだ!まったくだ!≫
先輩たちが激しくうなずいている。
「そうそう映画監督をしている教え子から、一度キリュウ君に引き合わせて欲しいと依頼がありましたよ」
≪おおっ!≫
全員がボクの顔を眩しそうに見る。
「え、映画・・・」
「そう。なんでも幕末から維新を駆け抜けた歴史上の人物たちの群像映画で、キリュウ君には皇女和宮をやって欲しいそうです」
≪おおっ!大奥だ!≫
≪女だらけの世界だ!≫
≪将軍ひとりに女3000人だ!≫
何か先輩たちが空想、いや妄想をはじめている。
「皇女・・・」
ボクは十二単を着て、髪を大垂髪に、眉が殿上眉となった自分の姿を想像して、思わず身震いした。眉毛を剃り落とすなんて絶対嫌だ。
「ニューヨークの着物姿を見て、キリュウ君の優雅で嫋やかな佇まいに一目惚れしてしまったそうですよ」
「ははは、いや、参ったな・・・」
乾いた笑いしか出てこない。
「でも、先生には申し訳けないのですが出演交渉ということでしたらお断りします」
ボクはキッパリと宣言した。
≪ええ~演ったらいいのに!≫
≪楽屋に陣中見舞いに行けるのに!≫
さも残念そうに言っているが、下心見え見えだ。
「それは残念。でも、なぜでしょう?」
「今年はエントリーしたトーナメントのスケジュールがありますし、先生のゼミにしっかり取り組みたいですし、そんな時間はありません。それに、ボクとしては、 女の役はちょっと・・・」
ボクがそう言った途端、ゼミ室の空気が固まった。
「そうか、そうなのですね。見かけはともかく、やはりキリュウ君の心の中は男でしたか」
≪見かけだけでもいい!≫
≪十分だぞ、俺たちは!≫
≪甘い声!≫
≪輝く笑顔!≫
≪そしてナイスバディ!≫
≪十分!十分!≫
懲りない先輩たちだった。
「そうそうキリュウ君、この後は何か講義が入っていますか?」
「いいえ、空いていますが」
「それは良かった。学園理事の津嶋さんが見えるんです。よければ君も一緒にどうですか?」
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という訳でゼミ終了後、ボクは学園長室に連れられていった。ドアを開けると、応接セットのソファに背を預けたオールバックの精悍な姿が見えた。
「すでにお越しでしたか。お待たせして済みません。そうそう、丁度ゼミで一緒でしたのでキリュウ君を連れてきましたよ」
「お久しぶりです、津嶋さん」
ボクは今の姿にふさわしいよう、前に手を揃えきちんとお辞儀をした。顔を上げると、白い歯が光る日焼けした顔がジッと見つめている。
「ほう。これはまた・・・一段と美しさに磨きがかかったね、キリュウ君」
「あは・・・」
「ゼミ生たちもキリュウ君から目が離せず、まったく講義に身が入らない様子でしたよ」
桜庭教授までそんなことを言い出す。ボクは耳まで真っ赤になってしまった。
「ほほう、キリュウ君もとんだ罪作りですな。それはともかく、海外遠征お疲れ様。実に素晴らしいパフォーマンスだったね」
「ありがとうございます。津嶋さんにご支援いただいたお陰です」
「君のパフォーマンスは、試合の後に立ち寄ったニューヨークでも評判だったようだね」
「え?あ、あれは・・・」
「ふふっ。山村蒼十郎丈から国際電話があってね、ランちゃんが来た、ランちゃんをお姫様抱っこした、ランちゃんを舞台に上げたって、いっぱい自慢されてしまったよ」
「たはは・・・」
八代目はブログにボクをお姫様抱っこした写真を掲載した程だから、知り合いには当然自慢話をしたに違いない。
「そうそう、チームディレクターの菅井君から報告があったが、君に出演依頼が殺到しているんだって?」
チームアラシがそんなことまで報告していたとは。
「ほう。キリュウ君、そうなのですか?」
「あ、いや、その」
「そうだそうですよ。韮川幸雄、二谷幸喜に野間秀樹、ミュージカルの岩本亜門はじめ日本の演劇界をリードする有名所からヒロイン役でとオファーが来ているそうでして」
「それは凄い!私のところにも映画監督から皇女和宮役をと」
「ほほう、それもなかなかの話ですな」
「い、いや、あの、ぼ、ボクは女の役は演りたくありえません!」
思わず口をついて出てしまった。津嶋さんはちょっと驚いた目をしたけれど、すぐに優しい眼差しに変わった。
「分かってるよ。見かけはこうして実に魅力的な女の子だけど、心の中は負けん気のひと一倍強い男の子なんだって」
「すみません。朝からニューヨークのことで何度も言われていたもので思わず」
ボクは再び膝に手を揃えて頭を下げる。
「気にしなくていいんだ。君はこれからのゴルフ界を変える可能性を秘めた逸材なんだ。安易に横の業界から手を出されては困るよ。安心したまえ、キリュウ君が嫌がることは絶対させないから。もちろん君が演りたいと言うのなら話は別だが」
「い、いいえ。絶対演りたくありません!」
慌てて否定すると、津嶋さんは悪戯っぽい目をして笑いを堪えていた。
「ところで、来週はリクゼンTV杯女子オープンだったね?」
「そうか、キリュウ君からゼミの休み申請が出ていましたな」
「はい。公式練習は火曜からですが、必修科目があるので水曜に現地に入ります。学生課には欠席届けをして許可をいただきました。それから、チームアラシの菅井さんたちとは昨日打ち合わせして準備を進めています」
それを聞きながら津嶋さんが少し改まった様子で座り直した。
「君にとっては意に沿わないことかも知れないが、チーム・アラシを支援するメンバー企業のイメージ訴求の方もしっかり頼むぞ」
ボクがチームアラシで用意したウェアを着なかった、アメリカでのことを言っているのだと直ぐにわかった。
「はい。そのことはよく理解しているつもりです。世界大学オープンゴルフ選手権では、わがまま言ってすみませんでした。モノトーンの地味なウェアを持ち込んだのは、男として本気で戦いたくなったからです。今回は支給されたウェアをちゃんと着て、この見た目通りのイメージになるよう愛想よくします」
津嶋さんは安心した様子で大きく頷いた。
「来週のゼミはキリュウ君が欠席なので寂しくなりますが、キリュウ君は『所属:麗慶大学』としてわが校を背負って出場するのです。皆でテレビ観戦しながら応援することにしましょう」
と、自分を納得させるように何度も頷きながら学園長でもある桜庭教授が言った。
「そうそう、亜衣ちゃんもキリュウ君と戦うのが楽しみだと言っていたよ」
「新垣亜衣プロが!出場されるんですか?」
昨年の日本女子プロゴルフツアー賞金女王にして世界ランク上位、押しも押されもしない日本のエースだ。新垣亜衣プロは中学生のときに津嶋さんに見出だされたという。
「そう。アメリカツアーから一時帰国中でね、君が出るなら是非スポット参戦したいと言うことで依頼があったんだ。修学旅行で沖縄に行った時のプロアマ以来だそうだね?」
「はい。日本女子プロゴルフ連盟の井口緋紗子会長にお招きいただいたトーナメントには新垣プロは出場されませんでしたので」
「そうか、亜衣ちゃんがイギリスに行っていた時と重なったんだね」
そう、津嶋さんの会社が主催する女子プロゴルフトーナメントのプロアマ戦で、ボクは新垣プロの組になった。その時メアドを交換したので、ボクの試合が決まったとき、出られなくて残念と事情メールをくれたのだった。
「はい。ロイヤルリザム&セントアンズGCで開催される全英女子オープンに出場するとメールをいただきました」
「あそこは私もプレーしたことがあるが、リバプールから湾を挟んだ北側のロケーションで、強い海風と何よりバンカーの多さに悩まされたよ」
さすが津嶋さんだ。企業集団のトップだから世界中を旅行していて名門コースでプレーする機会も多いのだろう。
「リンクスコースは海風が凄いっていうのは聞いていますけど、バンカーもそんなにいっぱいあるんですか?」
「ああ。全部で220ヵ所以上あるというからね」
それを聞いてボクはびっくりしてしまった。220もあったらコース中が穴だらけじゃん!
「ということは18で割ると1ホールあたり12個!何でそんなに作ったのでしょう?」
「1896年に出来た歴史ある名門コースだからこその経緯があるんだよ。コースを作る際の発起人、つまり資金提供した地元の実業家たちに、コースの設計士が御礼として好きな場所にひとり3つずつバンカーを掘っていいと認めたんだそうだ」
なんでも知っている人だ。
「だから・・・」
「そう。当然バンカーの位置は、自分のライバルが一番嫌であろう場所に決めるだろ?自然と難コースになったのだろうね」
「そうだったんですか・・・確かに、テレビで見ただけでも嫌な位置にボコボコ穴が開いていましたっけ」
「いずれキリュウ君もプレーすることになる。試合中継はプレーヤーの視点でよく見ておくことだね」
そう言われ、ボクはアイリッシュ海から吹き付ける風を受けながらリンクスに立つ自分の姿を想像する・・・あれ?・・・これって男子?・・・・それとも女子?・・・どっちのトーナメントなのだろう?
霧生嵐18歳と6ヶ月、相変わらず性別の定まらぬ奴だった。
注:実際には熊本県の人気キャラクターはこの物語の時点より少し後に生まれています。