廃病院の恐怖
最近ダゴンを読んだので、それに影響されて書きました。
ほんのりと赤みがかった明かりがさす部屋の中。
今日も今日とてサークル活動が行われていた。
友達というよりも悪友たちとの何気ないやり取りは、朝が来て夜になるように、ずっと繰り返された日常風景だ
そんな中で行われた何気ない会話からすべてが始まった。
「おい、聞いたか! 出たんだとよ。廃病院で」
「出たって何が」
「その話はおれも聞いたぜ。というか、廃病院で出たって一つしかないだろう。幽霊だ幽霊」
生憎と、察しが良い方ではない僕は彼が正解を言ってくれるまで回答が分からなかった。
まあ、聞いておいてなんだが、会話に興味が持てず、生返事を返すだけ。
正直言って、どうでもいい。
「それでどんな幽霊だ」
「首なしの幽霊だよ」
「病院なのに首なし? それって即死だから出るとしたら道路とか事故現場だろ」
「それがよ。事故が起きたのは病院の敷地なんだよ。ブレーキとアクセルを踏み間違えるっていう良くあるパターン」
「絶対それ与太話だぜ。
やくざの幽霊みたいなものだ。
怖いものと怖いものを安直に混ぜたらものすごく怖いものが生まれると考えてみたが、かえってお互いの持ち味を殺しちまうな」
確かに!
説明からして設定過多だとは感じた。
「まあ、ガセの類だろう」
「俺もそう思うぜ。絶対に嘘だ」
「これは確かな筋から聞いたんだよ。絶対出る」
「ハイハイ」
くっ、だらねえ。
その一言を発しないためにどれだけの自制心を使用したか。
「上等だよ。そこまで言うのなら今日その廃病院に行くぞ」
「上等だ。てめえ、もし幽霊が出なかったら奢れよ」
あれ? これって僕も行くパターン。
多くの人がはっきりと認識したものが、全て勘違いだったということは無数にあるのだ。
せいぜいが、遊園地側が客寄せのために流した噂程度に考えていた。
「はぁッ」
「一体何度溜息ついてんだ」
全ての元凶がそういってきたことに思わず殺意すら感じてしまう。
無論、その燃え盛るような感情をこの薄暗い夜道で発揮しようとは思わないが。
時刻は深夜二時。
あたりに人気はなく、さびれた森の中を進んでいく。
文明の光は道路にかけられている街灯を除けば、遠くに見える街の明かりのみ。
流されるままにここまで来てしまったが、今では後悔している。
単純に眠い!
こんなつらい思いをしてまで肝試しをする意味なんてあるのだろうか。
車の中でため息と愚痴ばかりはく僕は他のメンバーからはさぞ鬱陶しかっただろう。
眠気をどうにかするために、道中にあった自販機で買ったカンコーヒを飲み。
眠りそうになる目をこすりながらも、やがて僕は眠りに落ちた。
浦島太郎という童話をご存じだろうか。
亀を助けて竜宮城へ、そこで遊んで帰ってみるとタイムスリップ状態になって、玉手箱を開けると無視していた時間が追い付いてくる。
自分はこれを眠りに近いものがあるのではと思ってしまう。
目をつむり時間がたてば一気に時が過ぎ去っていく。
まるで過程を省略したかのような行為だ。
それが車や船、飛行機などの乗り物に乗っていたならばそういった思いは一層強くなる。
暗闇の中、目を開ければまったく知らない風景が目の前にあるのだ。
「さて、行くか」
その一言で僕は目を覚ました。
悪友の言葉に普段の軽薄さではなく緊張が感じられた。
数歩前にある廃病院が持つ奇怪な、まるで口を広げて獲物を待っているかのような圧力が彼の警戒心を引き上げたのだろう。
バキ、バキ。
枯れ枝が折れる音と感触を足を踏むごとに感じられた。
何年も人が整備していないからだろう、落ちている枝の数は多く、雨のせいか古いもの黒く、腐り堕ちていた。
入口も、これまた曲者で、年月のせいか、それとも悪戯か?
ガラス張りの扉は見るも無残に砕け散り、足元には壊れ薄汚れたガラスの残骸が散乱していた。
「分かってはいたけど、雰囲気あるな」
「夜中の廃病院だ。そりゃそうだろう。それにこれくらいじゃないと肝試しする意味なくね」
僕としては独り言のつもりだったのだが、耳ざとく聞きつけられた。
「あ! 懐中電灯用意してたんだ。。本当はろうそくにしたかったんだけど、今日は風が強くて」
「お前、さっき車の中でめんどくさいって言ってたけど、実はノリノリだっただろ」
そんなことはない。
ちょっと肝試し時のイベント用として百均でパーティーグッズを買いに行ったが、途中でめんどくさくなってやめたけど、楽しみにしていたなんてこと断じてないぞ。
「何時までもこんな所でうろちょろするのもなんだし、そろそろ行くよ」
停滞に嫌気がさしたのだろう。
携帯のライトで灯りを確保しているもう一人が先に進もうと足を進めたので、僕たち全員もそれに倣った。
壊れた硝子戸の先にあったのは病院のはエントランス。
検診待ちのために使われていたであろう大量の椅子と、ナースがちょこんと座っていたであろう受付。
「やっぱり、廃病院だけあって、汚いよな。
物が散乱しているし、いろいろ……」
あたりを見渡す。
もう少し何とかならないものか、これでは足の踏み場もないではないかという愚痴をこぼそうとした瞬間。
バキッ!!
何かが砕けるような音が響いた。
ついで、悲鳴も。
まさか、幽霊か!
心臓が何者かに掴まれたかのような圧迫感に襲われ、スポーツ選手張りの速度で音がした方向へと灯りを向けた。
「お前、一体何やてるの」
「……いや、椅子があったからな。座ろうと思うだろ? 普通」
「こんな汚い椅子に座ろうとする物好きはお前くらいだ」
思わずホッ! とした。
目の前にあった光景は幽霊やオカルトとは一切関係ない、論理的な展開。
古くなった椅子に座って椅子そのものが壊れてしまったという自業自得だったからだ。
「まったく、まるで幽霊が出たみたいに、現実のハプニングで騒ぐなよ」
「わるい」
それだけ言うと彼は手を伸ばす。
立ち上がる姿には一切の違和感がないので怪我はしていないらしい。
「それでどうしようか、いきなり転ぶなんて縁起が悪いし。ここらで引き返せって神様のお告げかもな」
「ついさっき、そんな霊的な物がただの現実のハプニングだって確認したばかりだぜ」
「違いない、それに君は寝たいだけだよね」
まあ、そうだけど。
なんとなしに不吉さというものを感じたのみ事実だ。
二人は楽しげに笑い前に進もうとしているが。
僕の忠告は、前に進むという好奇心を刺激するだけだった。
二人を見ていると心配は杞憂だったとそんな気持ちが芽生えてきた。
それに、ここで引けば怖がられているとみられるかも知れない。
男子として、受け入れがたい状況だ。
「それにしても怪我がなくてよかったよ」
「こんなことでへばる俺じゃないぜ」
「まあ、ここは病院だし。怪我をしてもきっと見てくれるだろ」
「もしも、医者がいればだけどな」
「医者の幽霊は要るらしいから、大丈夫じゃね」
「いや、幽霊なら物を持てないだろ」
自分にとって、この冗談は大して愉快なものではなかったが友人には大うけしていた。
いたたまれなさを感じてしまう。
他人が笑っている横で、自分はしかめっ面。
空気を壊してるんじゃないかという不安だ。
廊下を進む。
逃げ出したのほうが近いかもしれない。
汚れ、独特の曇りを持った窓から月の明かりがほのかに漏れ出す。
聞いた話だが、ラテン語における月の呼び方ルナは、元来狂気を表すルナティックからきているらしい。
日本は月に対して月見や仲春の名月といった風に尊ぶ風潮があるために理解できなかったが、夜。薄暗い場所で肝試しをしている身分としては、改めて月が持つ不気味さというか狂気性を確認してしまう。
「次見る場所は……ヒッ!」
「おい! どうした」
突然の悲鳴。
先ほどまで何事もなく話していたというのに!
「そ、そこに鬼火、オーブが」
そういって彼は窓の外側の一点を指さした。
「何もないぞ。幻覚でも見たんじゃないか?」
「確かに俺は見たんだよ! あそこ、あそこによく分からない光が」
その一言を聞いて、僕はピン! ときた。
「すまないが、数歩下がってくれていいか」
「構わないが」
「そう、そこでライトを左右に揺らして……やっぱりそうか。
さっきの椅子と同じだ、単なる勘違いだ!
見てみろ。窓に光が反射しただけだ」
原理は単純だった。
窓に反射した光を、謎の光だと勘違い。
どこにでも存在する、黒歴史の一つとして、彼の人生に刻まれるだろう。
顔に浮かびそうになる失笑を我慢していると、
「でも、俺が見た光はこんな感じじゃなかったんだが」
「緊張していたし、それくらいの見間違いは普通だろ」
そう指摘すると、彼も不承不承ながらも納得してくれた。
後から思い返してみると僕の主張の方が正しいと思ったのかもしれない。
まったく、こんなことで騒ぎだすなよ――と、冗談めかしに行っていたとき。
僕もまた、光を見た。
きっと、ランプの光だ!
最初はそう思った。
先ほど出した結論が、尾を引いていた。
けれど、何かがおかしい。
その光はふらふらと、蛍のようにあちらこちらを不規則に浮遊していた。
それは、窓がないコンクリートの壁でも変わりない。
光が反射するはずのない場所でもその光は輝いていたのだ!
そこで背中に冷や汗が走るのを感じてしまう。
独りでに動いているあの光は何なんだ! と。
スーーッと、その光は悪友の体の中へと入っていった。
思わず、恐怖の叫びを挙げそうになった。
叫ばなかったのは、単に自尊心によるものだ。
幸いなことに、光は友人の体に未練はないらしい。
そのまま通り抜け、虚空へと消えていった。
「おい、大丈夫か」
「お前こそ、大丈夫か。顔真っ青だぞ」
心配のあまり声をかけたのに、逆に心配されてしまった。
あの異常現象は、体に変調をもたらす類の物ではないようだ。
その事実に、ホッ! としてしまう。
「あ、あのさ……いや、なんでもない」
僕は、今見た光景をみんなに伝えるか伝えないかを迷ってしまった。
伝えるべきだとは思ったが、さっきのこともあって、これをただの錯覚だとしかオッも割れないだろうと考えたのだ。
いや、違う。これは単なる建前だって自分でも分かっている。
怖かったのだ、恐ろしかったのだ。
皆にバカにされることが!
その怖れが僕の口を閉ざしてしまう。
「次行くのは、確か手術室だ」
「ああ、そうだ」
「お前、良く廃病院の立地知ってるな」
「僕はここらの出身で。昔ここに来たことがあったんだ。
今となったら、病弱だったあの頃が懐かしい」
「そんなつらい過去を懐かしむな」
「のど元過ぎれば熱さ忘れるだよ。辛い過去でも今が幸せならどうでもよくなるんだ」
「そう言うものか」
自分にはよく分からなかったが、そういうものらしい。
先頭に立ったやつ、懐中電灯を持っていないので姿がよく見えないが、手術室の扉を開け、僕たちもその後へと続いた。
「え、なんだ?」
扉の感触に違和感を感じた。
慌てて懐中電灯を当てて何が起こったのかを確認してみると、僕の手に真っ赤な血がこびりついていた。
これまでの恐怖で散々青白くなっていた僕の顔色が、さらに青みを増した。
緊張のせいか懐中電灯を持つ手が大きくぶれ、あちらこちらに光が行きかう。
「今、手に血が! 血が!」
「落ち着け、それは単なる錆だ。血に見えたのは単なる気のせいだ」
そんなはずはない。
あのねっとりとした感触は錆びなんてものでは断じてなく、もっと生ぬるい、そう血液だったのだから。
恐る恐る手を確認する。
そこにあったのは錆びに覆われた手だった。
あれ、気のせいだったのか。
そう思ってしまったことが恐ろしかった。
先ほどから奇妙な出来事が連綿と、時計が針を打つかのように続いている。
「なあ、もう帰らないか」
「おい、まだ夜は……いや、眠くなってきたわ」
「俺もいいと思うよ」
「僕も」
もここが持つ不可思議な魔力というか、狂気を感じ取っていたのだろう。
帰ろうかという提案に即座にではないがのってくた。
一、二、三、四人分の足音が病院の廃材を踏みしめていく。
病院のエントランスに戻ってきた時だ。
僕はある異変に気が付いた。
「あれ? ここに来たメンバーて三人じゃなかったけ」
あまりにも自然に異物が混じりこんでいたものだから気が付かなかったのだが、おかしい。
「あ! いえね、僕もここに肝試しにやってきた口でね。仲間とはぐれてしまったんですよ。だからあなたたちに同行させてもらった。
何の突込みもないものだから、てっきり気が付いているものだと」
何だ、ただの杞憂か。
でも、考えると一番しっくりくる説明がそれだった。
「何だよ、驚かせるなよ。
ところでお前服を反対にきてるから直しておけよ」
ここは玄関口だからこそ、外の様子が見える。
だからこそ、気が付けた。
車なんてどこにもないと。
それに、あの扉。あのとびに最初に触ったのは誰だ。どうして血が付いているのだと……。
「おっと、失礼。うっかりしていた。
そういうと彼は自分の首をグルンと回した。
鮮やかなピンク色、生命の象徴とでもいうその色彩が、この死者の異常性をより際立たせた。
皆が絶叫を挙げ、一目散に逃げ出していく。
車のカギに多少手こずるもどうにかエンジンをかけ出発した街道で。
「いったいどこに行こうっていうんだい」
そんな声が聞こえた。
視界が……黒く染まり……後には…………。