おしまい:王妃様
『わかったわ、モーブ。私の求めていたものが……!私はね……!』
どのような理想をお持ちなのですか。王妃様。
『きっと、この窮屈な世界で自由な子であってほしいわ。一人の王妃ではなくて。一人の女でもなくて。一人の、人間として』
王妃様。王妃様は、とても美しいお方であります。王妃様は、とても美しく成長されましたよ。
「それでも、この窮屈な世界からは逃れられなかったわ」
王妃様。それは、貴方が決める事です。これからも、貴方が決める事ですよ。
「鏡よ鏡、白雪姫は寂しいかしら?」
お答えします。彼女は寂しい子ではありません。愛され、呪われた子なのです。彼女のお母様は、彼女の幸せを願って、窓際で刺繍をし、窓から血の一滴を悪魔の住む足元へ捧げたのです。丁度貴方のお母様と同じように。
『悪魔は答えてくれるのね。悪魔はうそをつかないのね。契約は守るのが、悪魔だもの。きっと守ってくれるのでしょう?モーブ』
えぇ、王妃様。高く聳えるブロッケンに誓って。代価は勿論いただきますが。
白雪姫の事はどうされますか?ご主人様。
「だって、あの子は自由だもの。それはあの子が決める事だわ」
王妃様はそう言って、毒リンゴの一欠けを齧りました。果汁に混じって血が滴り落ちます。鮮血は月の明かりに照らされ、赤黒く広がります。いつかのイノシシの臓物の様に。
「わたしは……あの子のお義母さんに、相応しくないもの」
林檎がその手から零れ落ちます。血だまりの中に、美しいシルクの肌と、金髪が沈んでいきます。金髪の髪は赤に滲み、穏やかな表情を浮かべたままで、微睡みの中に落ちていきます。私には亀裂が入ります。そして、王妃様同様に、微睡むように意識が遠のいていくのです。
『だからね、モーブ。お願いがあります。私がいなくなった後も、ちゃんとこの子を守って頂戴。この子が、世界を選べるように』
さようなら、王妃様。そして、どうかお幸せに。
「こらぁ、誰だ着服した奴はぁ!」
喧しい声が玉座に響き渡る。小人たちはバタバタと騒がしく動き回り、林檎を摘めた木箱の前で整列する。そのどれもが顔を伏せ、黙っていた。
「あまり喧しくしない方がいいよ白雪。大臣たちが困ってしまうよ」
「はぁ?貴方ねぇ、国庫を何だと思っているの?山ばっかりの国なのよ?一個のリンゴがどれだけ貴重な物かは……」
白雪と呼ばれた美しい女性はこれまた美しい王子様を怒鳴る。小人たちが更に縮こまる様を見て、王子は苦笑した。
「白雪。その辺で止めておきなさい。折角の美人が台無しよ」
「あら、お義母さん。魔法の鏡と鉄の靴ってまだあったかしら?どれが血税を奪った罪人か、調べたいのだけれど」
白雪は眉を顰め、継母に訊ねる。継母は穏やかな表情のまま、窓の向こうを眺めた。一面に林檎農園が広がる城からは、七つの山が一望できる。ひときわ大きな山に、虹彩の輪が掛かっていた。
「さぁ……。どこかに仕舞ったかしらね」