鏡よ、鏡
王妃様は部屋の中で落陽を眺めておられました。眩い陽光が七つの山際に沈んでいくまさにその様を、彼女は眺めているのです。私は特等席で、その夕陽を映しています。王妃様はローブを身に纏ったまま、妖艶な唇を震わせていました。
「怖い、か」
王妃様は呟きます。部屋は広くなり、毒の臭いが微かに残る以外には、バスケットと家具があるだけでした。化粧品はなくなり、枕も薔薇園の中に消えていました。
「鏡よ、鏡。貴方は、そこにいるのよね」
「はい、居ります。確かに居ります」
私は真実を答えることしかできません。
「だったら教えて頂戴。白雪姫に林檎を投げたのは誰なのかしら?」
「それは王妃様ではありません。侍女の一人です」
「その侍女とは、どの様なお方?」
「王妃様に狼の出たことを伝え、白雪姫を産んだお方です」
王妃様は黙って窓の向こうを眺めておられます。空は夜の帳が居り三番星が鮮明になっておりました。微かな欠けた月が、東の空に見え始めています。
「……そういうこと。では、王は私から籍を取り上げるのでしょうね」
私は黙っておりました。王妃様は窓から身を乗り出します。輝くオレンジの斜陽が山の向こうに消えて行きます。それに手を伸ばすと、王妃様は山際に向かって白い息を吐きました。
「王妃様。王妃様。私の名前を呼んでください」
「鏡よ。鏡」
王妃様はいつもの口調で答えました。斜陽は沈んでいきます。漸進的に、深淵が広がっていきます。
「王妃様、そうではありません。私の名前を教えてください」
「雪の積もったある日、私のお母様が私に語ってくれたこと。それは、確か、私がどんな娘になるべきか、そんな話だったと思うの。思い出せなくってね」
「王妃様」
わたしは繰り返します。心の籠っていない、鏡の機械的な声で。それでも、何かが私を揺さぶるのを感じます。太陽が落ち切ってしまう前に、教えてもらわなければならないのではないか、そう、何かが急かすのです。
「ねぇ、モーブ。教えて頂戴。私は、『どんな女の子』なの?」
「それは、貴方が決めるべきことです」
「それは、貴方の言葉なの?」
「いいえ、私達の言葉です。王妃様」
太陽は沈み、月は煌々と照り付け始めました。