男と言うものは
「王妃様……王妃様?」
私が呼びかけますと、王妃様はゆっくりと身を起こし、窓の外を見ました。夜は更け切り、今宵も部屋は大層美しい満月で照らされておりました。窓の向こうには城の外壁と庭、城下町、城壁、王の狩場、そして向こうに七つの山が見えます。王の狩場からは林檎の好い香りが漂い、素晴らしい満月をさらに素晴らしく魅せるのです。既にウォールミラーに戻された私からは、王妃様の表情を窺うことはできませんでした。王妃様は、静かに、穏やかな声音で、私に訊ねます。
「鏡よ、鏡……あの狩場には、狼がいるのでしょうか?」
「居ります。確かに、居ります」
王妃様は満月に見惚れるようにしながら、ご自身の髪を軽く撫でるのです。私は狼の様子を映しましたが、彼女は見向きもしませんでした。王妃は小さくため息を吐くと、その官能的な声帯を揺らします。
「鏡よ、鏡……今狩人はあの狩場の中に居りますか?」
私は汗をかくこともできず、然し人間であれば汗をかいていたであろうと思えるほど、声を震わせました。
「居ります、確かに、居ります」
ここまでは前座なのです。化粧台にはたくさんの化粧品が並びます。一頭高いのは最新の化粧品で、花のエキスをふんだんに使った、芳しい物で御座います。その化粧台の中に、異質なものが置いてあります。何かの臓物です。奇妙な形をした臓物は、瓶詰めされ、大切に保管されております。ベッドは勿論天蓋付きの立派な物で御座います。これは王が前王妃の為にこさえたものです。その上には別の主人が居ります。そう、白雪姫の継母の、悪名高き王妃様で御座います。王妃様は今、部屋の名だたる陶磁器に目もくれず、窓の外を眺めておりました。
「……では、鏡よ、鏡。この世で最も美しいのは誰?」
「それは、『貴方様では御座いません』」
王妃は静かに、息を吐き出します。見れば、ベッドの上には滴が数滴滴り落ちているではありませんか。染みは続々と一転に降り注ぎ、王妃様は肩を揺らします。嗚呼、おいたわしや、王妃様。
王妃様はすこし落ち着きを取り戻すと、化粧台を見ました。化粧台にはやはり奇妙な臓物が、瓶詰めにされております。
「どうして?私は三番目だったの?」
「いいえ、二番目で御座います。一番美しいのは白雪姫で御座います」
王妃様は驚き、私の方を始めて向きます。私は白雪姫の様子を投影していました。七人の小人に拾われた白雪姫は、シーツの取り換えなどをしつつ、賢そうな小人の一人に何かを指示しています。
「あの臓物は何!」
王妃様は声を荒げます。私はいたって冷静に、悲しみをこらえて答えるよりほかにありませんでした。
「イノシシの物で御座います」
そう言うと、王妃様は枕を窓の外に投げ飛ばし、化粧台の上にあるものをすべて叩き壊しました。ものすごい勢いで吹き飛ばされた瓶詰めの化粧品の数々は、途轍もない音を立てて砕け散ります。床には散り散りになったガラスの瓶の輝きの他に、醜く獣臭いイノシシの臓物が落ちておりました。
床の上に撒き散らされた化粧品がキラキラと輝く様に、王妃様は我に返ります。苦虫を噛み潰したような表情を見せながら、小さな声で、怒りを堪えながら言いました。
「……男は、信用ならないわ。腰帯でも売りに行って首を締め上げてやりましょう」
「王妃様、いけません!」
私は白雪姫の様子を映すことをやめました。王妃様は目をひん剥き、私を睨み付けます。
「なぜおまえが止めるのか!お前は私の持ち物ではないのか!私は殺します。殺します、殺します!」
王妃様はくすんだ赤色をした臓物を踏みつけます。飛び散った肉片はねっとりとした化粧水に浸され、音もなく漂っています。
「覚悟しなさい、白雪姫、必ず、この手で……」
化粧水の芳ばしい匂いが、獣臭さを陰らせていました。