第3話 第3章 ラトスの街
武者修行の旅をする少女のアイーシャと魔導士見習いのメアはひょんなことから共に王都イースファリアを目指すことになった。
途中謎の襲撃者の奇襲に遭うも、突如現れた魔導士アドニカの加勢もあり辛くも襲撃を逃れる。
そしてラトスの街に辿り着いたアイーシャ一行は…。
「失敗したということね」
「申し訳ございません、思いがけぬ邪魔が入り…」
「言い訳は聞きたくないわ」
冷え冷えとした声が部屋に響いた。
「既にラトスに入られたのですね。あの街からオルバルトまでの街道は人通りが多い事は知っているでしょう、次の機会をどう作るつもりかしら?」
声の主は呆れたように言い放った。
「す、すぐに追撃の手を打ちましょう」
「状況が変わりました。我々だけで対処は難しいでしょう。次の手を打ちます」
「…面目次第もございません。この不始末はー」
「その話は後になさい、今は時間が惜しいわ」
「彼女」は苛立ちを隠すこともなく相手の言葉を遮り、続けて命じた。
「将軍を呼びなさい」
◆
早朝のラトスの街郊外、オルバルト地方特有の鬱蒼とした森が広がっている。
鳥たちも目覚める前と見えて、森は静寂に包まれている。
木立の中に金髪の少女の姿があった。アイーシャである。
彼女は目を瞑り脚を肩幅に広げて何やら神経を集中させている様子だ。
大きく、ゆっくりと息を吸うアイーシャ。
すると呼吸に呼応するように彼女の周囲に燐光が現れる。
大気中の外気が彼女の体に集まって行く。
呼吸を止め、外気を練り魔力と成す。
そして―
「破ッ!」
一気に息を吐き出すと、魔力が解放され周囲に風が巻き起こった。
風は土埃を巻き上げ、しばし木々の梢を揺らした。
木々のざわめきが収まり、森は再び静寂に包まれる。
アイーシャが再び息を吸おうとしたその時、人影が現れた。
「おはようアイーシャ。こんな朝から修練とは、元気ねえ」
黒髪の少女はアイーシャに呼びかけた。
「必要だからしてるだけよ」
アイーシャはそうアドニカに素っ気なく返事した。
「昨日は運良くあなたに助けられたけど次はどうなるか分からない。出来ることはしておきたいわ」
「生真面目ねー。ま、それがあなたのいいところなんでしょうけど。あんまり肩に力を入れ過ぎるともたないわよ?」
「話はそれだけ?」
修練を続けようとするアイーシャ。
「待ちなさいな。あなた、無手で魔術を使っているでしょう。この先も杖なしでやっていくつもり?」
魔導士は基本的に杖を媒介して術を行使する。実戦でアイーシャのように無手、杖を使わないのは例外と言っていい。
「そのつもりだけど。あたしは剣を持ってる訳だし、二刀流という訳にはいかないわ」
「でも無手じゃあ非効率的よ。術の展開がどうしても遅くなるし、一瞬の遅れが命取りになる事もある」
アドニカは暗に昨日の襲撃者との戦闘時の事を言っているのだ。メアを守る術の展開が間に合わず、危うく襲撃者の攻撃を許す所だったのだ。
アイーシャも内心忸怩たる思いがあり、こうして早朝から修練に励んでいたのだが–––
「まあ、修練を積めば改善はするでしょうけど付け焼き刃じゃ限界は見えてるわ」
「あなた、あたしの修練を辞めさせに来たの?」
うろんな目でアドニカを見やるアイーシャ。
「まさか、その逆よ。あなたが修練するにあたって効率的な方法の提案に来たのよ」
「効率的?」
話の要旨がつかめず怪訝な顔をするアイーシャ。
「剣も魔術も使いたい戦士様に丁度いいものがあるんだな、これが」
アドニカはにやりと笑うと懐から腕輪を取り出した。
その腕輪は銀色に鈍く輝き、翡翠色の宝石があしらわれている。
「それは、まさか」
「そう、お察しのとおり腕輪型の〈杖〉って訳」
アドニカはそう言うと、試しとばかりに外気を杖に込めて見せた。
瞬時に外気は腕輪に収束し、翡翠色の宝石を中心に光を放っている。
「まあ本来は補助的な用途に使うものだけど、無手で魔術を扱うよりはだいぶましになると思うわ。これなら剣を振るう邪魔にはならないでしょう?」
アドニカはアイーシャに腕輪を手渡しながら言った。
アイーシャは早速腕にはめて大気中の外気の収束を試みる。
「–––これは」
思わず、うめく。
無手とは比べるべくもなく、外気が素早く腕輪に収束していくのを感じ取った。
そのまま数度、風の刃を放つ。無手ではに連続で二、三回が限度だったが腕輪をはめた今はそれ以上に連発できる余裕を感じる。
「ね、効率的でしょ?」
アドニカはにやりと笑った。
アイーシャは驚きもつかの間、再び怪訝な表情でアドニカを見つめた。
「うん?何か不満でもあった?」
「あたしも魔導士としての道理は心得ているつもりよ。この腕輪がそれなりの品物なのは分かるわ。それを簡単にあたしに渡すなんて、一体どういうつもり?」
杖というものは剣などの武器に比べ希少で高価な物であり、家が一軒建つ程の値段が付くものも珍しくない。
魔導士にとって命の次に大切なものであり、おいそれと他人に渡すようなものではないのだ。
「この先どんな敵が出てくるかわからない以上、少しでも手札が多いに越したことはないでしょ?それに、あたしはあなたを買っているのよ、アイーシャ。あなたはそれを扱うに相応しい魔導士だわ」
「…あなたは相変わらず謎が多いわね。落ち着いたらあなたの事についてじっくり話してもらうわ」
「まあとりあえずそれの扱い方に慣れることね」
「その必要はありそうね」
アイーシャは腕輪を眺めながら応えた。
「で、その肩慣らしなんだけど」
アドニカは不敵に笑った。
「ちょうどいい場所があるんだけど、どうかしら?」
◆
メアは夢を見ていた。
彼女がいるのは薄暗い部屋のようだった。
部屋の奥に何か見える。メアは「それ」がある場所へ歩を進める。
部屋の奥、「それ」はわずかに差した日の光に照らされている。黒い長方形の箱だった。棺のように見える。
その棺に座り込み、もたれかかっている少女の姿があった。
その少女は背中を震わせて嗚咽を漏らしている。
メアはその少女の肩に手をかけ、「どうしたの?」と声をかけた。
「…お前が」
声を絞り出すように少女は答えた。その声は怒りに満ちている。
メアにその少女の怒りが、悲しみが、悔しさがといった感情が流れ込んでくる。
「お前さえいなければ」
少女はそう言いながらゆっくりとこちらに振り向く。
「あなたは…!」
メアは瞠目して言葉を失った。
その顔はまるで––––
メアははっとして起きあがった。
鼓動が早鐘のように鳴っている。
(今の夢は––––?)
夢と呼ぶにはやけに生々しく、はっきりとした光景が彼女の頭に焼き付いていた。
(あの子は、誰?)
夢の中の少女の顔だけは思い出すことはできず、ぼんやりとした印象しか残っていなかった。
メアはふと頰を伝う熱い感触に気づいた。
「どうして…?」
彼女は涙をぬぐいながら呟いた。
「どうして悲しいの…?」
◆
メアは身支度をして階下の食堂に降りていく。
食堂からパンの焼ける香りが立ち上ってくる。その香りで彼女はお腹が空いている事に気づいた。昨晩は慌ただしく、ろくに食事を取っていなかったのだ。
食堂では既にゲンプが朝食を食べていて、おかわりをたのんでいる所だった。
「おお、メア殿。起きてこられたか」
こちらに気づいたゲンプが声をかけてきた。
「おはようございます」
つとめて明るい声で返事をするメア。
「アイーシャとアドニカさんは?」
二人の姿は食堂にはないようだった。一緒に食事を取っているものとばかり思っていたのだが。
「おかみの話では朝早く外に出ているようですな」
ゲンプはさして気にするでもなく目の前の食事に集中している。
この大食漢は昨日の件でよほど力を使ったのか、いつにもまして食欲が旺盛な様子だった。
「何か用事でもあるのかしら?」
早朝では街も半ば眠ったままで開いている店も無いだろうに。
「さて。しかしあの二人であれば心配はござらんでしょう」
ゲンプは鷹揚に答えるとほおばったパンを豆のスープで流しんだ。
◆
彼は退屈していた。
ラトス近郊を縄張りとする盗賊団の頭目である彼は、街道を行く商人と「交渉」して通行料を徴収したり、放置された遺跡から物品を頂戴して売り払うなどして日々の糧を稼いでいる。
部下も良く働き、日々順調に過ごしている。過ごしているのだが、
「退屈だ…」
順調すぎる毎日に飽きていた。
彼は刺激を求めていた。もっと自分を熱くさせる、歯ごたえのある相手はいないものか。
そんな折、部下がある報告を持ってきた。
女が二人、彼らの根城に近づいているそうなのだ。若い女で一人は剣士風、もう一人は魔導士の装いをしているとのことだ。
大方正義感に駆られて盗賊退治を気取って来ているのだろう。
「女、か…」
到底歯ごたえのある相手であるとは言い難いが、暇つぶしにはなるだろう。
それに若い女ならば別の楽しみようもあるというものだ。
「へっ、一丁相手をしてやるか」
彼にとっては朝の肩慣らしにもならない些細な出来事のはずであった。
◆
「ラトス近郊を縄張りにする自称〈牙の団〉。ま、ようするに盗賊団ね。地の利を生かして騎士団の討伐を逃れては略奪を繰り返してるって訳」
盗賊団への根城への道すがらアドニカは賊についての説明をした。
「私達なら警戒されずに近づけるというわけね」
「そういう事」
「肩慣らしにはもってこいね」
アイーシャは準備とばかりに指を鳴らした。
◆
彼は焦っていた。
今や彼らの根城は上を下への大騒ぎとなっていた。
爆炎と豪風、悲鳴と怒号。牙の団は混乱を極め、統制も何もあったものではない。
「な、何を手こずってやがる」
そうはいうものの周囲に応える者はいない。
「たかだか娘二人に!!」
彼自身も声はうわずり、思わぬ事態に理解が追いついていなかった。
「お、お頭。逃げ…」
彼の元に駆け寄って来た部下が言葉を発し切らない内に爆風で吹き飛ばされ、彼の脇を抜けてもんどり打って壁に打ち付けられた。
そして、彼の目の前には炎を背に二つの人影が立っていた。
「は、話が違う…」
自分が築いてきた牙の団が二人の小娘によって壊滅寸前に追い込まれている。
こんなはずではない。やつらは悪魔か邪竜の化身か?
「あなたがお頭でいいのかしら?」
黒髪の娘が不敵な笑みを浮かべ問いかけて来た。
「ひっ…」
彼は顔を引きつらせ息を漏らす事しかできなかった。
「選べ。戦うか、降参するか」
射抜くような視線を放つ金髪の娘がそう言った。