第2話 第3章 剣と拳
第3章「剣と拳」
「御子アウラが使徒ゲンプ、参る!」
ゲンプは大きく足を踏み出しアイーシャ目掛けて突進してくる。
対するアイーシャは、突進に合わせ、足払いを仕掛けようとした。
が—–––
ゲンプはアイーシャの手前で横に飛び、その体躯に見合わぬ俊敏さで側面に回り込む。
回り込んだ勢いを生かした左の拳がアイーシャ目掛けて放たれる。
アイーシャは慌てて前方に転がり拳をかわす。
起き上がったアイーシャは後ろに飛び間合いを取り直した。
(以外に…素早い)
ゲンプはその大柄な体格に似合わず俊敏な動きを見せて来た。
相手の身のこなしから、素手とはいえ手加減できる相手ではないとアイーシャは悟った。
「本気で行かせてもらう…」
抜刀の構えを取るアイーシャ。
拳を構えたゲンプとの間をじりじりと詰めていく。
アイーシャとゲンプの攻撃範囲が重なるか重ならぬかの
ところで両者はぴたりと止まり、攻撃の構えのまま暫時にらみ合いが続いた。
アイーシャは鞘に剣を収め、打ち抜きの構えを取っている。
対するゲンプは左の拳を前に突き出し半身の構えだ。
各々の体勢のまま、その場に乾いた殺気がみなぎっていく。
「破っ!」
沈黙を破ったのはアイーシャだった。踏み込むや否や鞘から剣を走らせ、一瞬でゲンプの胴体を切り裂く筈、であった。
アイーシャの打ち抜きに対してゲンプは驚くべき行動に出た。
アイーシャの放った剣を左手で鷲掴みにしたのだ。
「なっ…!」
予想外の事に瞠目するアイーシャ。
そして次の瞬間、ゲンプの右の拳がアイーシャ目掛けて繰り出される—––
(ちっ—–)
アイーシャは瞬時に術を練り、風の刃をゲンプ目掛けて放った。
ゲンプは風の刃をすんでのところでかわす。だがかわした事で体勢を崩しアイーシャへの一撃は急所を外れたものとなった。
辛くも急所は外したものの、それでもゲンプの腕力は並みではなく、アイーシャは後ろに吹っ飛ばされた。
「くっ…」
地面に背中をしたたかに打ち付けて思わず息を漏らす。
「むぅ、仕留めたと思ったが、貴様魔術使いであったな、失念しておったわ」
その剣を掴んだままの左手からは一滴の血も流れていない。
「その手…肉体強化の術か」
「左様。これもアウラの加護の賜物。貴様の剣は拙者に通じぬと知るが良い!」
魔術の中には風や炎を生み出す術のほか、術者の身体能力を高める術が存在する。
ゲンプは自身の腕を鋼鉄並みの硬さに強化してアイーシャの剣を掴んでみせたのだ。
ゲンプは剣を放り投げるとアイーシャへにじり寄った。
「もしおのが悪行を反省するというならばここまでにしてやるが?」
「…覚えのない悪行の反省などできるか」
「減らず口を…。ならば後悔するが良い」
告げ終わるが早いか再びアイーシャへ迫るゲンプ。
アイーシャは風の刃を放ち牽制をする。
「効かぬわぁ!」
風の刃はいずれも両の腕で叩き落される。
なおも突進してくるゲンプ。
「ちっ…!」
アイーシャは悪態をつきながら跳び退りゲンプとの間合いを取る。
退きながらもアイーシャは考える。
(魔術を腕で防いだという事は、腕以外は身体強化が及んでいないという事、ならば…)
アイーシャは左手で防御されたゲンプの顔を見やる。
(頭を…狙う!)
後退を重ね、大木を背後にするアイーシャ。
「もう後がないぞ、まだ抵抗するか」
歩みを止め、暗に降伏を勧めるゲンプ。
「あいにくとあたしは戦士だ。戦士は最後まで諦めない」
「ならばもう何も言うまい」
ゲンプは構えを取り、拳を繰り出して来た。
アイーシャは片膝を付き両手を地面につけた姿勢から、
「—–風よ!」
と叫んだ。
その瞬間、アイーシャの体は猛烈な風に後押しされ加速を得た。
ゲンプの拳とアイーシャの体が交錯する。
アイーシャはギリギリでゲンプの拳をかいくぐり懐に飛び込むや、
加速を得た蹴りを腹部に叩き込む。
「ぐうっ!」
さしものゲンプもこたえたと見えて、苦悶の表情を浮かべ、体をよろめかせる。
思わずゲンプは防御の手を下げ、顔ががら空きとなる。
アイーシャはゲンプ顔の真正面へ飛び上がる。
「そこだ!」
渾身の力を込めた膝蹴りをゲンプの顎に叩き込んだ。
着地するアイーシャ。ゲンプに反応は見られない。
(浅かったか?)
懐に飛び込む際の加速にありったけの魔力を使ってしまった。
もう同じ手は使えない。
数瞬ののち、ゲンプは膝をつきうずくまった。
「…見事!」
ゲンプは半ば感心したような表情を見せた。
「アイーシャよ、そなたそれほどの腕を持ちながら何故悪事に手を染めるのか」
「またそれか。あの男達に何を吹き込まれたか知らないが、あたしは悪事なんて…」
「そこまでだ小娘!」
アイーシャの声はデムに遮られた。
デムの隣にはメアの姿があった。首元に小刀を突きつけられている。
「アイーシャ、ごめんなさい。私あとをつけて来てしまって…」
「へへっ、いい手駒が手に入ったぜ。そっちの坊主は用済みだ」
「デム殿、どういう事か!」
困惑した様子のゲンプ。
「どうもこうもないだろう。要するに騙されたんだ、あの連中に」
アイーシャはそっけなくゲンプに告げた。
「なっ…!」
絶句するゲンプ。
「さあ戦士様よ、大人しく降伏しな。この娘がどうなるかは俺次第だぜ」
「アイーシャ、私は大丈夫。こんな卑怯者のいう事なんて聞く事ないわ」
気丈に振る舞いデムをなじるメア。
「ちっ、この小娘が大人しくしやがれ!」
小刀の柄でメアを小突くデム。
「何度でも言ってやるわ。この卑劣漢、小心者!アウラ様の罰が下るといいわ!」
あらん限りの言葉を尽くしてデムを罵倒するメア。
「このアマ、黙れっての!」
頭に血が上ったのか逆上したデムがメアの首を絞めにかかる。
その時、デムの注意が一瞬アイーシャからメアに向けられた。
その一瞬で十分だった。
瞬間、風の刃がデムの手に命中し、小刀が地面に転がった。
「あっ…」
デムは自分の致命的な失敗に気づいたが、時すでに遅し。
「おい」
デムの目の前に無表情で立ちはだかるアイーシャ。
「何か言うことはあるか?」
アイーシャは冷え冷えとした声でデムに尋ねた。
「あ…いや…」
しどろもどろになるデム。
アイーシャが拳を振り上げようとしたその瞬間、アイーシャの脇を猛烈な風が通り抜け、
次の瞬間デムの体が宙に舞った。
そこには怒りにわななくゲンプの姿があった。
「貴様、拙者に語った事、嘘であったと言うのか…」
「ま、待て。話せばわかる…これは全部」
何がわかると言うのか。
「よくも謀りおってええええ!」
ゲンプは怒りのままに拳を振り下ろした。
アイーシャはその様子をただ眺めるしかなかった。
◆
「アイーシャ殿、誠に申し訳ない!」
ゲンプは土下座してアイーシャに詫びた。
「デムのような卑劣な輩の言葉を真に受け、アイーシャ殿に働いたに数々の無礼。なんと詫びたら良いか…」
誤解が解けた後のゲンプはひたすら平謝りでアイーシャ『殿』呼びである。
「誤解が解けたなら別にいいけど…相手の話はよく聞く事ね。あたしはあんたを斬る覚悟でいたんだ。下らない誤解で無用な血を流すのは御免被る」
「アイーシャ殿のおっしゃる事至極真っ当な事でござる。此度の失態はひとえに拙者の修行不足によるもの。より一層修行に励み物事の真贋を見極める眼を養う所存」
「まあ、達者でな。」
「そこで、アイーシャ殿」
なんとなく嫌な予感を感じ取るアイーシャ。
「我はアイーシャ殿に付き従い修行を続けて行きたいと思うております」
「…へ?」
絶句するアイーシャ。
「拙者先程の手合いを通して確信いたした。アイーシャ殿こそ拙者の求道に光を照らしてくださる方であると!」
「待て」
予想外の展開についていけないアイーシャ。
「是非アイーシャ殿の旅に同行し修行に励む所存でござる」
「おい…」
アイーシャの言葉は残念ながら届かなかった。




