第2話 第2章 アウラの僧侶
恩には礼を 恵みには感謝を
愛には愛を 憎しみには微笑みを
生けとし生けるすべてのものに愛を 希望を
私は全てを祝福します。
「アウラ教典」より
第2章「アウラの僧侶」
「…はぁ、なんだか疲れました、拝まれるというのも大変なものですね」
メアは多くの巡礼者に拝まれてすっかり気疲れしてしまったようだ。
ちょっと拝まれただけでこれなのだから、毎日人々の祈りを受け止める女神様の重責たるや、想像を絶するものがあるとメアは痛感した。
「まぁ言われてみればあなたの銀髪は目立つわ。祈りを捧げる様子は本当に女神様のようだったしね」
「素直に喜んでいいんでしょうか…」
礼拝所に寄るたびにこんな事になるとしたらとても身が持ちそうにないとメアは思った。
「まあ、気を取り直して斡旋所に行ってみましょう。何かいい仕事が入っているといいけど」
そう言いながら二人は礼拝所を後にした。
この様子を遠巻きに見ている男がいた。
元火竜の団のデムである。彼は手下数名を伴いヒルトの街に流れ着いていた。
「ちっ、戦士様ご一行は呑気に礼拝なんぞしてやがる…」
レティーアが敗れ、火竜の団は事実上壊滅、その話がゴーラの街に広まった事で街で以前のように場所代や通行料をせしめる事が難しくなり、アイーシャ達を追いかける形でヒルトの街まで出てきたと言うわけだ。
デムは火竜の団を壊滅に追いやった張本人、アイーシャへの復讐心に駆られていた。
駆られてはいるのだが、
「兄貴、あいつらが油断してる今が好機なんじゃあねえか?」
「そうだ、この人混みに紛れて近づいて一発かましてやりゃあいいんだ」
手下二人の提案に苦い顔をするデム。
というもの彼は二度アイーシャと対峙しいずれも完膚なきまでに叩きのめされている。
彼はアイーシャの強さをその身で思い知っているのだ。
とはいえ手下からここまで言われて何もしないのも兄貴分としての沽券にかかわる。
デムはおっかなびっくりアイーシャ達の後をつける事にした。
人混みの多い大通りを歩くアイーシャ達をつかず離れず後をつけるデム達。
アイーシャ達は呑気に通り沿いの商店で買い物をしている。
何か珍しい物でも見つけたのかアイーシャは品物にすっかり気をとられている様子だ。
(…完全に油断してやがる…今なら…行けるか?)
デムは懐に小刀を忍ばせアイーシャの死角からそろそろと近づいていく。
デムは人混みが切れ、アイーシャとの間が空く瞬間を狙った。
(…待て…もうすぐ…今だ!)
デムが小刀を腰だめに構え、走り出そうとしたその瞬間、
突如アイーシャがこちらを振り向いた。
瞬間、目が合う。
そして猛禽を思わせるような刺すような視線を放ってきたのだ。
突然のことにデムは腰を抜かして小刀を取りこぼしてしまった。
(…き、気づいてやがったのか…?…そんな馬鹿な…!)
そして取りこぼした小刀はデムの足にサックリと刺さったのだった。
『い、いでええええぇぇぇ!』
通りにデムの絶叫が響き渡った。
「今後ろの方で悲鳴が聞こえなかった?アイーシャ」
「きっとどこぞの間抜けがやらかしたのかもね。
それにしてもメア、この食べ物は何?とても美味しいわ」
「ああ、これは木の実を蜜で固めたお菓子です。イースファリアではどこにでもあるお菓子ですよ。気に入りました?」
「ああ、甘みがほどよい。携帯食に是非買っておきたい」
お菓子を満足そうに頬張るアイーシャ。
「ふふ、アイーシャって甘いもの好きなんですね…」
「あ、兄貴!無事ですか」
「ちっくしょう…あのアマ、気づいてやがったのか?」
デム達は一旦アイーシャ達から離れ作戦を練り直す事とした。
あの様子では気付かれずに接近するなど無理な話である。接近する前に気付かれて魔術で返り討ちに遭うのがオチだろう。
たとえ近づけたとしても実力の差は歴然としており、自分の力だけでは勝てないのも確かであった。
戦力が必要だった。あの少女の皮を被った化け物に互するような実力の持ち主が。
「とは言え、そうそう都合よくそんな奴が見つかる訳ないか…くそっ」
手に持ったパンをかじりながら悪態をつくデム。
算段がつかず堂々巡りをしていた思考は、突如として聞こえてきた腹の虫の音で遮られた。
気付くと法衣を着た男が鉢を置いて座り込んでいる。
いわゆる托鉢僧である。
アウラ教では修行中の僧侶が鉢を持って回って施しを受ける事がある。
ヒルトはそれなりの規模の街ということもあり、何人もの托鉢僧が施しを受けていた。
男は熊のような大男で目はぎょろりと大きく見開かれており、座っていてもなお大きな存在感を放っている。だがその威圧感のある風貌のためか人が寄り付かず托鉢の成果は今一つのようだ。
腹の虫の主はこの男のようだ。
それはほんの気まぐれだった。デム自身は熱心なアウラ教徒ではなかった。托鉢僧に施しをした事など皆無であった。ただなんとなく、自分より貧しい境遇の相手に施しをして自己満足に浸りたかっただけなのかも知れない。
「ほらよ、僧侶さん。腹が減ってるんだろ?」
デムは持っていたパンの半分を托鉢僧に差し出した。
僧侶はその大きな目でデムを見据え、
「おお、拙者に恵んでいただけるのか…かたじけない。ここ数日ろくな食事をとっておらず困り果てておったところです」
僧侶は差し出されたパンを噛みしめるように食べた。
「申し遅れた、拙者アウラの僧ゲンプと申す。そなたの名前は?」
ゲンプは臣下の礼でも取るかのように片膝を付き、慇懃な態度で名前を尋ねてきた。
「俺はデムってんだ」
「ではデム殿。ここでお恵みを頂いたのも御子のお導きに違いない!
是非恩返しをさせていただきたい。何か拙者に出来ることはござらんか?」
食い気味に迫る僧侶にデムは思わず後ずさる。
「そんな事急に言われてもなぁ…」
急な話に困惑するデム。まさかほんの気まぐれでここまで感謝されるとは思わなかったのだ。
「このまま恩を返さずにいるのは御子の教えに反する事。是非に!」
どう断ったものかと考えを巡らせていたところ、ふとある考えが浮かんできた。
「ゲンプさん、あんた腕は立つのかい?」
「拙者、腕には多少の覚えはあり申す。」
ゲンプはそう言うと構えを取り丸太のような腕を振ってみせた。腕を振るごとに風切り音が鳴り、相当の実力がある事が見て取れた。
「あんたの腕を見込んで折り入って頼みたい事がある。…実はどうしても許せない悪党がいてな…」
デムは困ったような表情をしてある少女の悪行について語り出した。
◆
「…なんとそのアイーシャと言う娘の悪逆な事か!
デム殿も大変な目に遭われたようでござるな。…もしやその足の怪我も」
「ああ、無抵抗の俺の足を刺してきやがってよ」
平然と嘘を付くデム。ここまで嘘を並べ立てられるのは一種の才能と言っていいだろう。
「卑劣、ここに極まれり!」
ゲンプはデムの話をすっかり信じ込まされた様子でアイーシャに対する憤りをますます強めた。
「そうなんだ、お頭の仇を討ってやりたいのは山々なんだが、そいつが悪魔じみた強さでよ、ほとほと困り果ててたんだ…」
「これも御子のお導き!是非ともその非道の娘に誅罰を与えねばなりますまい!」
ゲンプも語り口が熱っぽくなってきている。
今こそ自身の信仰が試される時と、一段と張り切っているように見える。
「こうしてはおれん、今すぐにでもその娘の元へ!」
「待った、ゲンプさん。相応しい機会ってもんがある。そこは俺に任せてくれるかい?」
「なるほど、そこまで思い到らなんだ。ではその時には存分に力を尽くしましょう!」
デムの脇で話を聞いていた手下達は不安げにそのやり取りを聞いていた。
「…兄貴、あんなホラ吹いちまって良かったんですかい?嘘がバレたらどうするんでさあ」
「なに、坊さんをあの娘にぶつけられりゃあそれでいいんだ」
デムはそう言うと不敵な笑みを浮かべた。
「使えるものは何でも使ってあの娘に一泡吹かせてやるぜ」
「っくしゅん!」
アイーシャは不意にくしゃみが出た。
「あらアイーシャ風邪ですか?」
「体調は問題ないわ。誰かの口にでも上ったかな…?」
「それにしても、やっぱり仕事の口はなさそうですね。せっかく斡旋所まで来たのに…」
二人はヒルトの街の斡旋所に来ていたが、めぼしい仕事は朝一番で持っていかれてしまっていたようだ。
「仕方ないわ。一旦宿に戻りましょう」
宿に戻ったのもつかの間、アイーシャは剣を片手に外に出ようとしていた。
「アイーシャ、何か用事でも?」
「ちょっと街の外で気晴らしに剣でも振ってくるわ」
「もし邪魔でなければ、私もご一緒していいですか?」
「メア、今はちょっと一人で集中したいの。すまないけど待っていてくれるかしら」
やんわりとメアの申し出を断るアイーシャ。
「ご、ごめんなさい。私ったら…」
「夕方には戻ってくるわ」
そう言うとアイーシャは宿を後にした。
◆
ヒルトの街の外、街道からも離れた森の中にアイーシャの姿はあった。
しかし剣の鍛錬という様子ではない。しきりにあたりを警戒している様子である。
「…そろそろ出てきたらどうだ?」
アイーシャがそう言うと木の陰から男が姿を現した。
「へっ、バレちゃあしょうがねえ」
デムの姿がそこにあった。
「わざわざ街の外まで出て来てくれるとは、手間が省けたぜ」
「前の街からわざわざ付けて来るとはご苦労な事だな。
いい加減決着を付けたいと思っていたところだ」
射抜くような視線を送るアイーシャ。
「おうおう気が合うじゃねえか、俺もだよ」
余裕の笑みを浮かべるデム。
デムがしゃべり終わるか終わらぬかの内に腰の剣に手をかけるアイーシャ。
「おっと、今回の相手は俺じゃねえ、…ゲンプさんよ、頼んだぜ!」
デムの合図とともに茂みから一人の大男が飛び出して来た。
「拙者、アウラの僧、ゲンプと申す。故あってデム殿に助太刀するものである、
拙者、女子といえど悪逆の輩には容赦はせぬぞ!」
ゲンプは大見得を切って口上を述べた。
「悪逆…?なんの事だ?」
いまいち相手の話の要領が掴めないアイーシャ。
「この後に及んでシラを切るとは許し難し
この手で調伏してくれよう!」
「ゲンプとやら、何か勘違いしていないか?あたしは…」
「問答無用!」
これ以上言葉は不要とゲンプは拳を突き出し戦う構えを見せる。
「訳が分からないが…やるしかない…か」
ここに戦士と僧侶の戦いが始まろうとしていた。