第四話 逃亡少女
午後八時。
蒼空は母の墓がある墓地から家に帰っている途中である。予定では七時過ぎには帰れるはずだったが幽霊の女の子、幽歌に出会ってしまったために遅くなってしまった。
多少口うるさい親なら塾も部活も行っていない中学生の息子がこんな時間に帰って来たら小言の一つも言われるかもしれないが、蒼空の母はすでに亡くなっており、父は仕事の関係でほとんど家には居ない。
蒼空は周丸との二人で暮らしているが、幽霊が見えない一般の人たちから見たら一人暮らしとそうは変わらない。友達などは親が家に居ないのを羨ましがるが実際はそう快適でもない。両親が家に居ないと家事も多少しないといけないし、蒼空の家はそこそこ広いので、周丸と二人だけでは広すぎて寂しいと思うことがときどきある。
沢崎家は家事の負担を減らすため周丸と交代制で家事をしており、今日は周丸の番なので献立に期待して家に帰ってみると、
「……何これ?」
沢崎家の前では二、三十人ほどの幽霊が居た。幽霊たちの服装を見てみると白凪のおかげで見慣れた霊義団の制服だった。
何をやっているんだろうかと眺めていると、霊義団の団員たちも蒼空に気付き、一人の体格のいい男が蒼空に近づいて頭を下げる。
「お待ちしておりました沢崎さん。隊長がお待ちなので至急ご自宅へお上がりください」
「隊長って……ああ、白凪のことか」
普段が神のパシリとか沢崎家の世話焼きの印象しかないから意識してなかったが、白凪は霊義団の中では全ての部隊の総隊長務め、また神の秘書としてかなり有能らしい。
「で、なんでこんな大人数で集まってんの? 何か面倒くさいことでも起きたか?」
「詳しくは隊長からお聞きください。すでに隊長は周丸さんとお話されているはずです」
「分かった。わざわざ教えてくれてありがとうな」
蒼空は団員たちに礼を言い、自宅に入ってリビングに行くとカップ酒を飲む周丸と渋い顔をしてお茶を飲む白凪が居た。
「よう。やっと帰って来たか蒼空」
周丸が声をかけてくるので蒼空も自分の帰りを告げる。
「ただいまー。わりー遅くなった。んで白凪あんなに団員連れてきて何の用だ?」
訊ねると白凪は困った表情で答える。
「……実は蒼空くんに取り憑く予定だった幽霊が霊界から逃げてしまったんです」
「へえー。そうなんだ。それは大変だなー」
「そ、それだけですか!? 自分のこれからのパートナーが逃げたのになぜこんなに反応が薄いんですか! それでもあなた人間ですか!」
「いや幽霊のお前に人間かどうか言われても……。大体その幽霊が逃げたのって俺に取り憑くのが嫌で逃げたんじゃねぇのか。それなら無理して取り憑かせることはないだろ。自由にしてやれよ」
「そういう訳にもいかないのです」
白凪にアンタ全然分かってないなみたいな顔をされる。
「……なんでだ」
白凪の顔に結構イラっときたが、キレても疲れるだけなのでとりあえず話すように促す。
「蒼空くんに取り憑かせようとした幽霊は女の子でして、実はその子には他の幽霊にはない特別な力があります」
白凪はいつものような柔和な表情を消し、無表情になる。恐らくこれが彼の仕事をする時の表情なのだろう。
「特別な力……ね」
「彼女はその力があるせいで多くの悪霊に狙われています。この間なんとか一人霊界で逃げている彼女を悪霊よりも先に我々霊義団が保護することが出来ました」
「……ふーん」
面白くなさそうに蒼空は相槌を打つ。
自分も普通の霊能者とは少し違った事情があるため、たくさんの悪霊に殺されかけている蒼空はその少女に共感を覚える。少女と違うことと言えば、自分には周丸たちが傍に居て、少女にはたった一人で悪霊から逃げていたこと。
きっと寂しくて仕方がなかったに違いないと蒼空は考えていた。
「それでなんでワシらのとこにそのおなごを連れてこようとしてるんじゃ? 狙われるということはその子には何かがあるんじゃろ? んなら霊義団で保護した方が安全なんじゃねーのか?」
今まで黙って聞いていた周丸が疑問を口にすると白凪は首を横に振った。
「申し訳ございませんが、このことは団長が決めたことなので詳しくは僕にも」
「そっか」
白凪がそう答えると蒼空は思案顔になる。場の空気は張り詰めるが、周丸はそんな空気を気にした様子もなく能天気な声で、
「まあそんなどうでもいいことよりその幽霊が女の子ならとりあえず写真を見せろ。捜してんなら写真くらい持ってんじゃろ。可愛い子か? ほら早く見せろ」
女の子の写真を要求する。その顔は活き活きとしていた。
「……ありますが、あんまり鼻息を荒くして近づかないでください。恐怖を感じますので」
白凪は性犯罪者みたいな顔をしている周丸に怯えながらも写真を取り出すことにする。
「おっし! どんな子じゃ。可愛い子か? 見た目は若いんじゃろうな。ババアは許さんからな」
興奮しまくっている周丸に蒼空は落ち着かせるように言う。
「周丸そんなに興奮すんなよ。大体お前さ、ときどき言ってただろ。人は見た目じゃないって」
「そんな綺麗事は忘れろ」
「いやでもお前が……」
「何を言っとるかぁぁぁぁぁお前は! じゃああれか! お前ただでさえこんなナイスミドルのジジイと冴えないチビガキが二人で暮らしてんのにそこにババアを加えるっておまっ……。これじゃただの両親に見捨てられて傷ついた少年とその少年を支える老夫婦のハートフルホームコメディじゃろうが!」
「むしろそっちの方が面白そうだろうが! あとテメェ次チビ言ったら殴りかかるからな」
「じゃあなんだてめーは巨乳のねーちゃんと太り腐ったババアならババアを取るんっか!」
「それはまあ巨乳のねーちゃんのがいいけどさ、俺が言いたいのはそう言うんじゃなくて……」
蒼空が言葉が見つからずに模索していると周丸はハッと顔になり、
「そうか……そうだったのか……。悪いな蒼空気付いてやれんで」
急に深刻な顔になる。
「えっ何が?」
唐突に深刻な顔になった周丸には蒼空は不安を覚える。そして周丸は重々しく口を開く。
「蒼空……お前胸が小さい女、もしくは小学生かそれ以下の幼女がいいロリコンだったか」
「ちげーよ! 何深刻な顔でアホなこと聞いてんだ! 突き指にすんぞクソジジイ!」
「いい加減自分の気持ちに正直になったらどうじゃ? お前に小学生はお似合いじゃよ」
「よし。突き指から脱臼にバージョンアップだ!」
どうでもいい会話を繰り広げる二人を止めるため白凪はわざとらしい大きな咳払いをする。
「あのー写真を見るなら早くしてください。僕らも捜索などで暇ではないので。あくまで今回は報告でたそちらに立ち寄っただけなので」
どうぞと言って白凪は写真を周丸に渡す。周丸はニヤニヤとした顔で写真の中の人物を確認する。
「ほーう。胸は小せぇけどなかなか可愛らしい顔じゃ。結構上玉じゃな。まあちょこっと無愛想じゃけど。蒼空良かったなお前の好きな胸の小さい女だぞ」
「だから胸はデカいほうが良いに決まってんだろうが! まあでも……可愛いのか。ちょっと俺に見せてくれ」
周丸が可愛いらしい顔と言うので、蒼空も満更じゃないのか興味津々で見てみると、
「………………アレ?」
この顔は見覚えがある。というかさっきまで貧乳とか小学生とか言って言い合っていた。
この写真の人物……幽歌である。
蒼空は写真の中で微笑みもしない幽歌を目を見開いて凝視していると、
「どうかしましたか蒼空くん? そんなに写真を見つめて。……もしかして彼女のこと知ってますか?」
「へ!?」
つい蒼空は間の抜けた声が出る。
鋭い。いつもは周丸に虐められているくせに仕事の時になると白凪はやたらと鋭くなる。
しかしだ。蒼空は幽歌と霊義団には居場所を教えないと約束したため、白凪に幽歌の場所を知られる訳にはいかない。
「どうなんですか蒼空くん?」
「べ、べ、別に何も知らねーよ! 知る訳ないじゃん。アホだな白凪は。さっさと消え去れよゴミクズ眼鏡」
思わず動揺して声がどもってしまう。
「……なぜそんなに動揺されているんですか? しかも後半は完全に悪口ですし」
白凪は何かを見極めるように蒼空を見据える。その間蒼空は白凪の視線で汗がダラダラと流れてくる。
「……まあ知っている訳ないですよね。今日霊界を抜け出したばかりですし。そもそもこっちの世界で日本に居るかどうかも」
どうやらバレずに済んだようだ。
「じゃあ僕はもう捜索に向かいます。お邪魔しました」
白凪は立ち上がり、蒼空の家を出ると、霊義団の団員ごとそのままどこかに消えてしまった。
それからしばらくして蒼空たちは晩ご飯の仕度をして食事を始める。
「周丸お茶とって」
「ほい」
「サンキュー」
蒼空はズーと音を立てながらお茶を飲む音が食卓に響く。周丸は黙々と食べるだけ。それが沢崎家のいつもの生活風景である。
「なあ、蒼空」
「うん?」
「お前さ、あの写真の女に会ったな」
ズバー。驚きのあまり周丸の顔目がけてお茶を噴き出す。
「おい汚いじゃろうが」
周丸は嫌そうに顔にかかったお茶をティッシュで顔を拭く。
「おまっ、お、お、お前いきなり何言い出してんだよ」
「あのよ、蒼空お前さっきから動揺が顔に出すぎじゃ。第一ワシが何年お前に取り憑いていると思っとる。お前の考えとることなんて丸分かりじゃ」
「……マジかよ」
「マジマジ」
「……まっ、お前には隠し通せる訳ないとは思ってたけど、こんなにすぐバレるとはな。予想外だぜ」
「……………………それは自分の演技力の無さを知って言ってんのか?」
普段とぼけた顔しかしていない周丸のドン引きした顔が蒼空はとても印象に残るのであった。