第三話 唄う幽霊少女の名は
学校の帰り道、蒼空はもう少しで日が沈む時間帯にある場所へと向かっていた。
「……相変わらずこの時間帯だと不気味だな」
ある場所とは墓地のことだった。墓地と言っても別に霊能者の仕事という訳ではない。母の墓参りに来たのである。蒼空の母は蒼空が小学五年生の時に亡くなった。母が亡くなってからは週に一回のペースで母の墓参りに来ているのだ。
蒼空は母の墓の前でしゃがみこみ、静かに手を合わせた。母が安らかに眠れるように心を込めて蒼空は手を合わす。しばらく手を合わせていると、唄が聞こえてきた。歌詞のない唄が。その唄は歌詞がないのに誰もが聞き入ってしまうんじゃないかと思える程綺麗で優しい唄だった。
「……なんだこの唄……?」
蒼空は自分でも気付かない内に唄の方に吸い寄せられて行くと、そこには白い着物を着た女の子が墓石に座りながら歌っていた。
女の子は蒼空と同い年か少し上くらいの見た目で、綺麗で傷一つ付いていない長い黒髪に肌は白く触れたら壊れてしまいそうな華奢な体の女の子が綺麗で優しい唄を悲しそうに歌っている。
「…………」
蒼空は女の子が歌っている姿に見惚れてしまう。女の子は彼女自身が歌っている唄と同じくらい綺麗に見えた。
蒼空がしばらく女の子の歌っている姿を眺めていると、女の子は蒼空に気付いたのか歌うのをやめ、さっきまで悲しそうな表情をしていた人物とは思えないような剣幕で厳しい声を浴びせかけてきた。
「誰!」
まるで親の敵でも見るかのように女の子は蒼空に問いかける。
「えっと……そのなんか墓参りに来て見たら唄が聞こえてきたから誰が歌ってんのかなと思って、あーその覗き見みたいになっちゃってごめんな。その綺麗だなアンタの唄」
蒼空は女の子の剣幕に若干怯みながらもじっと見ていたのは悪かったと思い、素直に謝ってから先程まで歌っていた唄の正直な感想を言う。
しかし女の子は冷たい表情で、
「そんなことは聞いていません。私はあなたが誰なのかと聞いたんです。見たところ人間のようですけど、なんで人間が私の姿を見ることが出来るんですか?」
女の子は警戒するような目つきで蒼空に訊ねる。
蒼空も女の子の話で女の子が人間じゃなく幽霊だということが分かった。なんとなく人間と幽霊の雰囲気は違うのだ。
「ああ。その事なら俺は霊能者だからお前が見えるんだよ。とりあえずお前の敵じゃないから安心しろ」
蒼空は女の子を安心させるために自分の正体を明かす。女の子は蒼空が敵じゃないと分かると警戒心が溶けたのか安堵した表情になる。
すると突然女の子は蒼空の顔に近づき、じろじろと顔を観察するように見つめてきた。
「うおっ! なんだよいきなり」
顔近っ! 蒼空は内心そう思いながら女の子に聞いた。
「………………」
女の子は何も言わずにただ蒼空をじっーと見ていた。こうも顔が近いとなんか超ドキドキする。蒼空は自分でも顔が赤くなっていくのが分かる。
それも当然で女の子は誰がどう見ても美少女といった容姿なのだ。だって目はデカイし、髪は長くてなんかいい匂いがする。可憐という言葉がとても似合う少女だ。
そんなことを思っていると、
「ふふっ」
女の子は突然笑い出す。 そして目の前にあった綺麗な顔も元の位置に戻っていく。
「どうしたんだ? 人の顔なんか見て笑い出して」
「だってあなたどう見ても小学生なのに霊能者って可愛らしい嘘だなと思いまして」
女の子はどうやら蒼空のことを小学生だと思っているらしい。
「…………………………」
沢崎蒼空にはこの世でもっとも気に入らないことが二つある。
一つは霊能者みたいな命懸けの仕事をしないといけないこと。
そしてもう一つは中三になるのに未だに初対面の奴は本当にどいつもこいつも人を小学生と間違いやがること。
蒼空はプルプルと体を震わせ、吠える。
「小学生言うなァァァァァァ!」
心の底から吠える。しかし蒼空の魂の叫びも虚しく女の子はキョトンとしている。
「えっ? 小学生言うなって言われましても私ボクの名前知らないし」
「ガキ扱いすんな。俺は中三だ! 小学生じゃねぇ!」
「……嘘!? 中学生ってあなたが? ……えっとあの小さいからつい……すいません」
女の子は驚いたような顔をしながら頭を下げ、もう一度しげしげと見てから一言。
「……やっぱり小さい」
女の子がぷっとバカにしたように笑ったことを蒼空は見逃さなかったが、ここで怒っても埒が明かないのでここは怒りを必死に抑えて、蒼空は話を進めようとする。
「んで、幽霊のお前はこんなとこで何してんだ? 霊界に帰れなくて彷徨ってんのか?」
幽霊が霊界に行けず、彷徨うのも割りと珍しくないので蒼空は女の子に聞いて見るが、女の子はさっき人の見た目を散々バカにしたような笑い顔から一転不機嫌な顔になり、
「さっき会ったばかりのあなたなんかに教える義理なんてありません」
女の子はどうやら蒼空に話す気はないらしい。女の子はそのまま話を続ける。
「大体あなたが中学生だというのは認めましたけど、霊能者だというのは認めていませんから」
「はあ? なんでだよ?」
「だってあなたが中学生だとしても霊能者というのは若すぎるじゃないですか! 私は霊能者は才能のある人が何年も何十年も努力してやっとなれるものだと聞きました。そんな若い年齢で霊能者というのは数少ない天才でしかあり得ないはずです。悪いですけどあなたはどう見ても努力すらしない凡人面です。せいぜい霊能者の卵Aくん程度のはずです」
犯人はお前だ! と探偵のように女の子はビシッと蒼空に指を指して言い切る。
この女、初対面の人間をに対していきなり凡人面とはなんて失礼な奴だと蒼空は思う。確かに最近修業っぽいことはしてないけれども。
「でもしょうがねえだろ。なっちまったもんはなっちまったんだ」
本当にしょうがないのだ。蒼空だって今はもう霊能者なんて危険な仕事を辞めれるものなら辞めたい。無理だということは分かってはいるが。
蒼空は憂鬱になり、ため息をつく。
女の子は蒼空が霊能者だと主張し続けても信じた様子はなく、さっきよりも疑い深く観察するように蒼空を見ている。
「じゃあ霊能者だということを証明してくださいよ」
「幽霊のお前とこうして話してるだけで結構証明してんだろ」
「いいえ 幽霊なんか私だって話せます!」
「お前は幽霊だから当たり前だろうが。言っとくけど傍目から見たら俺一人で喋り続けてる変な奴だからね。幽霊と話せんの実はすげぇんだぞ」
蒼空がそう説明すると女の子はうわーとか言いながら白けた目で蒼空を見ていた。
「なんだよその目は……?」
「別にたいした事ではないんですけど、自分で自分のことをすげぇとか言うなんて自意識過剰な方だなと思いまして。チビのくせに」
「うっせえよ!」
蒼空は女の子と会話しながら理解する。この女の子は変な子だと。霊能者をやっていた経験で変な奴と関わると大抵厄介ごとになる。
厄介ごとに巻き込まれないためにも蒼空は、
「まあたいした事なさそうだし、俺は帰るわ。悪霊に襲われないようにな」
帰ることにした。
厄介ごとに巻き込まれないためには家でおとなしくしておくのが一番だ。そんなに困ってなさそうだし。第一これから新しくやって来る幽霊のことも考えないといけない。忙しいのだ。そう自分は忙しい。蒼空は自分に言い聞かせてそのまま帰ろうと――
「そうだ。クイズをしましょう!」
「アンタ人の話聞いてた!?」
「もちろん聞いてましたよ。霊能者だということを認めて欲しいんでしょ? なので、特別に私の出したクイズを正解したら霊能者だということを認めてあげましょう」
「いや別にもう認めてもらわなくていいから。面倒なんで帰っていいですか?」
「では、第一問」
「人の話を聞けっつってんだろうが!」
――帰ろうとしたが結局帰ることは出来なかった。
蒼空は思う。この女の子全く人の話を聞かない。どこか神と同じニオイがする。女の子は何かのクイズ番組で流れているような曲を鼻唄で披露しながら問題を出す。
「私たち幽霊はなんでこの世には存在しないはずなのになぜこちらの世界の食べ物を食べたり、物を触れることが出来るんでしょうか?」
ドヤ顔で問題を出す女の子を面倒くさいと思いながらも蒼空はさっさと答えて帰ることにする。
「あれだろ? 確か『実体化』ってやつで人間界に居る幽霊でも物理干渉が可能とかっていうポルターガイストみたいもんだろ。ま、幽霊が見える俺には関係ないけど」
この『実体化』という現象は幽霊なら少し鍛錬すれば出来るらしく、幽霊の姿を見えない人間にとっては大変厄介なものである。そのため霊界に居る幽霊は基本私情で人間界に行く事が禁止されている。……神などの例外は別だが。なので人間界に居る幽霊は仕事で人間界に行く幽霊と幽霊になってもうまく霊界に行けなかった者たちだ。
「む、正解です」
女の子は少し悔しそうな顔で正解と告げる。蒼空では答えることが出来ないと思ったようだ。しかし仮にも霊能者なのだからいくらなんでもこれくらい分かる。
「よしこれで俺が霊能者だってことは証明出来たな。そういうことなので俺は帰るぞ」
今度こそ蒼空は帰ろうとしたが、
「では第二問!」
「ええ!? 今俺帰ろうとしてたよね! なんでまた問題出すんだよ!」
「だってまだあなたが霊能者だっていうことが信用できないです」
「分かった! もう俺は霊能者じゃないただの幽霊が見える痛々しい中学生だ。だから帰らせてください」
「幽霊が見えるのが痛々しいってなんですか! 謝ってください! 全てのホラー界に!」
「無駄に規模デケェな! いいから早く帰らせろアホ女!」
しかし女の子は帰してくれる様子はなかった。真面目に早く帰りたいと困った顔で考えていると、女の子はクスクスと笑い出す。
「なんだよ人を帰さないくせに一人で笑いやがって」
「すみません。あなたの困った顔を見てるのが面白くて」
「テメェが困らしてんだろうが! さっさとここから立ち去るか、俺が霊能者っだっつことを信じろよ」
大体コイツは俺が霊能者じゃなかったら困るのかよと思っていると、女の子は難しそうな表情をしながら蒼空に言う。
「あのですね、私やっぱり信じられませんよ」
「だから信じろよ。俺は霊能者だ!」
「そっちじゃないです」
「じゃあなんだよ?」
蒼空が訊ねると女の子は蒼空を真剣な顔で答える。
「実はさっき私はあなたを中学生だと認めかけましたが、やっぱりあなたが中学生だと信じる事は出来ません。だって……プッ、さっき自分が霊能者だって言い張る顔が子供っぽすぎて」
答えた後女の子は笑う。大笑いしている。
「…………」
蒼空が肩を震わせて黙っていると、女の子はそのまま続ける。
「だから正直に自分が小学生だと言ってください。歳を誤魔化す人が霊能者だと何度言い張られても信用できませんからね。あなたは一体小学何年生ですか? 五年生?」
言ってしまった。本日二度目の小学生発言を女の子は言ってしまった。その言葉で蒼空は完全にキレてしまう。そしてついに口にしてしまう。
「うっせえんだよ! てめぇこそ貧乳女のくせに!」
蒼空も言ってしまう。一部の女の子には絶対に言ってはいけない一言を蒼空は言ってしまったのだ。
瞬間女の子の顔色は赤く変わり、
「私は貧乳じゃないっ!」
「ゴファ!」
叫ぶと同時に女の子は綺麗な右ストレートを蒼空に放ち、鮮やかにヒットする。
やはり貧乳だということを気にしていたらしい。なんだか目に涙もためている。
「テ、テメーなんつー一撃を……痛い……」
「あ、あ、あなたが悪いんです! 私は貧乳なんかじゃないんですっ! 着物だから目立たないだけですから! 変態!」
女の子は両手で胸を隠すようにして、殴ったことについての正当性を語り出す。
「お前が先に小学生とか言い出したんだろうが!」
蒼空も当然のごとく言い返す。しかし女の子は不思議そうな顔で、
「え? 本当のことだからいいじゃないですか」
「今すぐ口を閉じろ! ぶん投げるぞ。そんなら俺も本当のことだから悪くない」
「わ、私が貧乳だと言うんですか!」
蒼空は女の子の胸元を見て、冷笑する。
「いや見た通りだろ」
「死ね!」
さっきの強烈な右ストレートが再び蒼空を襲う。
「のわっ」
ぎりぎり避けることが出来た。
しかしこの女初めて会った相手に二度も殴りかかるなんて一体どういう思考回路なんだろうか。しかも一発はまともに喰らってしまったし。
抗議しようと女の子を睨みつけるが、
「チッ!」
帰って来たのは舌打ちだった。
「舌打ちってお前、人に殴りかかっといてどういう神経してんだクソガキ」
「ガキとはなんですか! あなたの見た目の方がよっぽどガキだと思いますけど」
「いんやーお前の方がガキだね。性格とか、あと胸とか」
「また言ってくれやがりましたね!」
「あー言いましたよ。いやこの胸なら小学生の方がまだデケーよ。やーいガキ以下女」
「ほーう。フフ、じゃあ私と殴り合いでも始めますかチビ野郎」
「いやいやそんな痛てーこと誰がするか。よく考えてものを言えこの絶壁女」
そうして二人はお互い睨み合いながらバーカバーカやちーびちーびと本物の小学生のような口喧嘩が始まる。
しばらくして二人は肩で息をして呼吸を整える。口喧嘩もようやく終わったようだ。
「……とりあえずあなたが霊能者だということは認めます。そこであなたに頼みがあります」
どうやら女の子は蒼空を霊能者だと認める気にはなったらしい。
「なんだよ?」
「実は私今霊義団から逃げているんです」
「……え。もしかしてお前悪霊なの」
蒼空は即座に女の子から距離を取り、警戒するような体勢で女の子に訊ねる。その目はすでに霊能者のものだった。……体は異常に震えているが。
「いえ私は悪霊ではないのでご安心してください。というより仮にも霊能者ならそんなに怯えないでくださいよ」
「ち、ち、ちげーよ! これ武者震いだから。これからやって来る強敵にワクワクしてるだから」
「どこの戦闘民族ですかアナタは」
「知るか。そんなこよとよりお前はなんで霊義団から逃げてんだ?」
誤魔化すように聞くと、女子はそっぽを向いて、
「なんでそんなことあなたに教えないといけないんですか」
「お前から頼みがあるって行ったんだから理由は聞くのは普通だろ。というか一応俺も霊義団の仲間みたいなもんだぞ」
「そこは置いといて」
「置いとくなよ!」
「とにかく! もし霊義団に私のことを聞かれても隠しといてください」
「だから理由は?」
もう一度蒼空は女の子に聞く。しかし、
「…………」
女の子は黙り込んでしまう。
その時の女の子の表情は歌っていた時と同様とても悲しく見えた。
もしも霊義団に女の子の事を聞かれたら正直に答えないといけない。これでもプロだ。給料も貰っている。でも……女ってのはつくづくずるいと思う。そんな表情をされたらどんなに口が悪くてムカつく相手でも協力してやりたくなる。
しょうがない。
蒼空は一人心の中で呟き、女の子に言う。
「分かったよ。お前のことを聞かれても黙っとけばいいんだろう」
「…………ありがとうございます」
女の子は素直に感謝の言葉を言う。何となく蒼空はこそばゆい気分になる。
「じゃあ今度こそ本当に帰るからな」
「はい。ではさようなら」
少し寂しそうな顔で言うと女の子は蒼空より早く墓地から立ち去ろうとする。
「ちょっと待った!」
その後姿を見てなぜか蒼空は声をかけなければいけないと思った。
「なんですか?」
「お前明日もここに居んの?」
「はい。たぶん明日もここに居ますけど」
「そっか……」
安堵したような声が出る。蒼空は自分のそんな声を聞いて、疑問に思う。自分はまたこの幽霊の女の子に会いたいのだろうか?
「他に何か用は?」
「ああ、もう特にはない……あ!」
大事なことを聞くのを忘れていた。
「俺の名前は沢崎蒼空。お前の、お前の名前は?」
蒼空が自分の名前を言うと、女の子は小さく笑い出した。
「何笑ってんだよ。またバカにするつもりか?」
「そういう訳ではないんですけど、単純に今ごろ自己紹介するなんておかしくて」
「そうか?」
「そうですよ蒼空さん」
女の子は今知ったばかりの蒼空の名前を呼ぶ。
そして名乗る。
「……幽霊が歌うで、幽歌。それが私の名前です」
幽歌と名乗った女の子は歌っていた時よりも、黙り込んでいた時よりも悲しそうな顔だった。