第一話 沢崎蒼空は霊能者で、霊能者をやめたい
六月の中旬の真夜中の廃工場で学生服を身に纏った少年はまるでRPGに出てくるような巨大な怪物と対峙していた。
少年の手には木刀が一本。たったそれだけの装備しかなかった。だが少年は不敵に笑っていた。まるでこの状況を楽しんでいるかのように。
怪物は少年の笑みを見て不機嫌そうに唸りを上げて、巨大な手で少年を潰そうとする。目の前の敵を殺すために。しかしそんな状況でも少年は笑みを崩さない。少年の足の周りには白い気体が発生していた。
少年は足に力を込める。恐らく今から木刀で怪物を斬るためだろう。そして地面を力強く蹴り出して――
「やっぱ無理ィィィィィィ!」
……逃げた。見事に逃げた。
さっきまであれだけ余裕そうな表情をしていながら逃げるとはお世辞にもカッコイイとは言えない。まあ実際にあんな大きな怪物が襲いかかって来たら逃げたくなるのもしょうがない。その間にも少年は必死に走り続けていた。まさに命懸けである。
「周丸! 助けてくれぇぇぇ!」
少年は逃げながらある人物の名を叫ぶ。
すると黒い袈裟を着て、頭がハゲていた老人が少し先にある大きな木の下で寛ぐようにもたれかかりながら、少年の様子を眺めているのが分かる。
「なんの用じゃ?」
老人はいつものようにわざとらしい老人口調で訊ねてくるが蒼空にはゆっくり説明している余裕などない。
「見たら分かんだろ! 追われてんの! 殺されそうになってんの! だから助けてくれ!」
「ああ、悪い。ワシ今めちゃくちゃ忙しいから」
そう言う老人の手にはエロ本があった。
「テメェエロ本読んでるだけじゃねえか!」
「失礼なエロ本じゃない! エロ漫画じゃ!」
「どっちでもいいだろうがぁぁぁぁぁぁぁ!」
怪物から逃げながらも少年は器用に老人に突っ込んでいる。
しかし少年も体力の限界なのか徐々に走る速度が落ちていく。その様子を見ていた周丸という名の老人は渋々立ち上がる。
「しょうがねーの。助けてやるから月歩ちゃんにワシの伝説をちゃんと伝えとけよ」
そう言うと周丸はやる気のなさそうの目から一転して鋭い目つきになり、白い気体が周丸の身を纏う。
懐から黒い木刀を取り出し、一つため息してから――刹那、怪物は周丸に斬られていた。そして怪物は消滅する。
まさに早業だった。
「除霊完了」
周丸は手を合わせて祈りを捧げるかのように言う。
「……すげぇ……」
この光景にさっきまで逃げていた少年も思わず見入ってしまっていた。
つい先程まで逃げていた少年の名前は沢崎蒼空。中学三年の十四歳。ボサボサとした黒髪に、常に何かにイラついているかのような不機嫌そうな目が特徴の少年。
特技は逃げることと裁縫。気にしていることは年齢の割に背が低く、顔も幼く見えるのでよく小学生に間違えられること。
その蒼空の隣に居る老人の名前は周丸。ハゲた頭に悪ガキがそのまま歳を取ったかのような顔でいつも黒い袈裟を着て、坊さんのような格好をしている。
趣味はエロ漫画を読むこととキャバクラなどの飲み屋に通うこと。ただのエロジジイにしか見えないが、実は周丸は『幽霊』である。
幽霊とは死んだ者たちがそのまま生まれ変わることなく、自我を保ったまま存在している者のこと。またその幽霊たちが作った人間たちの世界とは違う世界を『霊界』と呼ぶ。
周丸もそんな幽霊の一人であり、現在は蒼空に取り憑いている。
なぜ幽霊である周丸が蒼空に取り憑いているかというと蒼空には人とは違う事情があるからだ。その事情とは――
「どうやら悪霊退治は終わったようですね」
そこで穏やかな笑みを浮かべた一人の男が蒼空たちの前に現れた。
男は綺麗に整った黒髪に、青い生地に白い刺繍が入った軍人のような服を着て、眼鏡をかけている理知的で美形な男だった。
その男を見て蒼空は偉そうに胸を張り、
「まあな。主に俺の活躍で」
平気で事実を脚色する。
「何が俺の活躍じゃ。倒したのはワシで、活躍したのもワシ。お前は小便漏らして逃げてただけじゃろうが」
「うるせーな。あれは逃げてたんじゃなくて誘き寄せてたの。お前こそ途中までエロ本読んでただけじゃねえか」
「エロ本じゃない! エロ漫画じゃ! 間違うなボケェ!」
「いやだから何その無駄なこだわり!?」
そう突っ込むと周丸は顔を赤らませて言う。
「……なんというかそっちの方が可愛く見えるじゃろ!」
「全然可愛くねぇからな! むしろ今のお前の顔を見て殺意覚えたわっ!」
「ふん小僧が。男のお前はそうでも女の子から見たら、おじいちゃんなのにこんなの見て可愛い~みたいな感じになるんじゃよ」
「それたぶん女の方が目が腐ってるだけだと思うぜ」
蒼空と周丸が漫才みたいな会話をしていると先程現れた男が申し訳なさそうに手を挙げて二人の会話に割って入る。
「あの~すいません。僕ここに着てからまだ一言しか喋ってないんですけど」
それに対し、蒼空と周丸の反応は、
「…………あれお前居たっけ?」
「つーかお前は一体誰じゃ? 新手の悪霊か? ボコボコにした方がいいのか?」
と酷いものだった。
「…………いやぁー酷い言われようですね。あの一つ聞きますけど……あなたたちはいじめっ子ですか!?」
影が薄くて存在を忘れられた男は目を潤ませながら訴えるも、周丸はそれを無視して訊ねる。
「で、なんでお前がここに居るんじゃ? いかにも上司の影口を言うだけが生きがいそうな腹黒鬼畜変態根暗眼鏡が一体なんの用じゃ? わざわざお前みたいな奴が悪霊退治の労いに来た訳でもあるまいし」
「……周丸さん。いちいち悪口言うのやめません? これでも僕結構傷ついてるんで」
「すまんのう。ワシ嘘がつけん性格じゃから。ごめんなロリコン」
「ぶん殴ってもよろしいですか?」
男は半ば本気でキレていた。
「それより一体なんの用だよ白凪? また『霊義団』のあの女からか?」
蒼空はものすごく嫌そうな顔で聞く。ちなみに霊義団とは幽霊の世界、霊界の警察兼軍隊のような組織である。
周丸に虐められている男も霊義団の団員であり、名前は白凪。
霊義団の中でもかなり上の立場にいる幽霊らしくそれに加えて美形ということで、いかにもモテますといった感じだが、実際には霊義団のトップである『団長』にはよく仕事を押し付けられ、周丸には会う度にキツく当たられるといった風に色々と可愛いそうな男である。
「まあお察しの通りです」
そんな可愛いそうな白凪は申し訳なさそうに蒼空の問いに答えると、蒼空はこの世の終わりみたいな顔に変わる。どうやら蒼空も霊義団の団長とは何か関係があるらしい。
「大体なんでただの中学生の俺が真夜中にあんな怪物と命懸けの鬼ごっこなんかやんなきゃなんねえんだよ!」
蒼空は白凪に文句を言うと、白凪は呆れたように言う。
「ただの中学生って……。しょうがないですよ。あなたは――『霊能者』なんですから」
霊能者というのは簡単に言えば、幽霊関係の問題を解決する仕事。
さまざまな仕事があるが、中には人間界や霊界でさまざまな問題を起こす幽霊を霊義団が『悪霊』と定め、その者たちを捕獲したり、そのまま除霊したりする危険なものまである。
また霊能者は人間の蒼空と幽霊の周丸たちのように協力関係を結んで、幽霊を取り憑かせている者たちも稀に居る。
そんな霊能者たちをまとめているのが『霊能会』という霊能者たちの協会である。
霊能会は霊界で活動している霊義団が人間たちの世界に出来る限り干渉しないために作られた組織。
主な仕事は霊能者たちを束ね、人間界の心霊関係を対処するために霊能者に仕事を与えること。霊義団とも協力関係を結んでいるため、互いに協力を要請されたら出来る限り力を貸していたりもする。
霊能者の報酬も霊能会が払っており、大変危険な仕事のためその報酬の額もそれに見合ったものにしている。
また霊能会はその報酬を与えている霊能者たちを育成するための育成機関も作っており、霊能者にとってはスポンサーみたいな組織である。
霊義団、霊能会、霊能者たちは人間界にとっても悪霊たちから守るためには無くてはならない存在だが、その存在を多くの人間たちは認知していない。
なぜならほとんどの人間は幽霊が見えないからである。
人間は基本的に目で見えないものは信じない傾向があり、もし信じたとしても見えないため幽霊たちが何をしているかが分からない。
そのため霊能者たちは自分たちが住んでいる世界をパニックにさせないために一部の関係者以外の人間には霊義団や霊能団などの存在を話さないことにしている。
そして蒼空も霊能者の一人だ。
蒼空は『普通』の霊能者とは違うため多くの悪霊には狙われるわ、殺されそうになるわで常に命の危機に晒されている。
蒼空の霊能者として才能は充分だが、実力は不安定なためかなり危なっかしい。そんな蒼空が常に命の危機を脅かされながらも生き残っているのは蒼空に取り憑いている周丸の存在が大きい。
周丸は幽霊や霊能者たちの間ではその名を知らない者は居ないという程の実力のある幽霊であり、『とある事情』により蒼空を守るために蒼空に取り憑いている。
周丸に守られているためか蒼空は始めこそ『正義の味方』になるために始めた霊能者としての活動も、現在では毎日やっていた鍛錬もやらなくなり、霊能者の仕事も周丸に任せっきりになっている。
「つーか一体なんだよ霊能者って! こんなに毎日死にそうになってんだからボーナスくらい出せよ!
」
「……そういう問題ですかね?」
白凪は蒼空の発言に疑問の声を上げながらも蒼空たちに用件について話を切り出す。
「とにかくまた蒼空くんに何か依頼をしたいらしいです。あの人は蒼空くんのことを気に入ってますからね」
「迷惑な話だな。マジで」
「もうすぐでやって来ると思いますので少々お待ちください」
周丸はエロ漫画を熟読しながら黙って頷き、蒼空は諦めたような表情で呟く。
「霊能者やめたい……」
その呟きは真夜中の闇に消えていく。