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第十二話 雨は再び

「いやーなんか今日はもう疲れたわ。家に帰る気力もねーよ」


「そう言いながら私のとこに泊まって、私のどこを触る気ですか」


「触るか! 胸を押えんな。触らないから。というか触る所すら……、……それは置いといてこんな墓場に風呂とかないだろ。お前いつもどうすんの?」


 途中で胸のことで何か言おうとした蒼空を幽歌はボコボコにしようと思ったが、そんな気分でもないので蒼空の質問に答えることにする。


「ふふ、実は私はお泊りセットを常に常備していましてね。お風呂などは最近霊義団から逃げ出した時に高級ボディソープやシャンプを強奪し、それを使って近所の公園の蛇口の水を使って洗っています」


 ちなみに幽歌がいつも着ている白い着物は二着持っており、基本的に一着は洗濯して、もう一つを着ているのだが、最初は着物を洗濯するのにも苦労したが、今ではもう手馴れてしまった。


「過酷だな。じゃあ食いもんは……?」


「まあ幽霊は別に餓死はしませんし、最近は食べられる草やキノコとか木の実など分かってきましたから三日に一回は食事にありつけます。それに水をたくさん飲むとお腹一杯になります!」


 自慢気に言うと、蒼空は同情した顔つきになっている。というよりも泣きそうになっている。


「……明日にでも食い物持って来るよ。で、寝るところは?」


「私は主に実体化しないで宙に浮いているかもしくはこのお墓の近くの大きな木の上で寝てます」

 幽歌は自分が寝ている木を指すが、改めて見るとやけにゴツゴツしている。


「マジでか!? というか木の上で寝れんのか? 痛くないの?」


「めちゃくちゃ痛いです。起きたらよく腰が痛くて困ります。実は今も痛くて。イテテ」


「……いやもう頼むからお前ウチで暮らしてください。泣けてくるから」

 とこんな具合で会話を繰り返している内に日は沈む時間になる。


「じゃあそろそろ帰るか」


 蒼空がそう言うので、幽歌はせいせいとした声を上げることにする。


「やっと帰るんですか。これでようやく静かになりますね」


「なんだよホントは寂しいくせによ。あんまり強がり言うなよ」


「強がりなんて言ってません!」


「はいはい。……でさ幽歌」


 蒼空の表情はいつしか真剣味を帯びていた。


「いつでも俺んちに来いよ。しょうがなくだけど、歓迎してやるからさ」


 その声は優しかった。幽歌は思わずこのまま蒼空に頼りたいと思ってしまうが、なんとか堪えて、ふざけてみせる。 


「嫌です。私を家に連れ込んで一体どんな不埒なパーティーをする気ですか! いやらしい!」


「だからそんなことを考えるテメェの方がいやらしいってんだよ! ……ったく。また明日な」

 そう言って蒼空は本当に帰ってしまう。


「…………やっと帰りましたか」


 蒼空が居なくなったのを確認して幽歌は恐る恐る声を出す。


「あの人は私がどこに行っても絶対に見つけるって言いましたけど、……見つけられる訳ないですよ。逃げるのだけは私上手いから、きっと誰にも見つけられないよ」


 そして逃げた先には何があるのだろうか。……きっと何もないんだろう。


 でも今ここから逃げないときっと今ある『暖かさ』に甘えてしまう。それはいけない。一度自分はその『暖かさ』を失ったのだ。自分のせいで。


 だからもう心地よい『暖かさ』を求めてはいけない。そう割り切ろうとした時、突然足音が幽歌の耳に入ってくる。ドタバタと落ち着きのない足音が。


「蒼空さん……どうかしたんですか。もう帰ったはずじゃ」

 走って来たのか蒼空はずいぶんと息が荒かった。


「いやそのちょっとやり忘れてたことがあったから」


「やり忘れたことってなんですか」


 幽歌が聞いて見ると蒼空は彼の母親が眠る墓石を指差す。


「ここに来たらいつも墓参りやってたろ。今日はたまたま忘れてたから、戻って頭下げに来たんだよ」


「へー意外と律儀なんですね」


「まあね」

 蒼空はもっと褒めてくれと言わんばかりに胸を張る。幽歌はその人差し指で強く押し返す。


「じゃあさっさと頭下げて帰ってくださいね。ウザいから」


「……ひでー言い草」


 そう言うと蒼空は自分の母が眠っている墓石の前に行くと座り込みながら静かに手を合わせている。幽歌もただそれを静かに見ているだけだった。


 しばらくして蒼空はすくっと立ち上がる。


「終わりましたか」


「ああ」


「ではさようなら」


「お前どんだけ俺とさよならしたいんだよっ!? ……まあいいか頭を下げてもいいぞ」


 唐突に蒼空は頭を下げろと言ってくるので幽歌は不満気な顔で蒼空に文句を言う。


「いつから蒼空さんは人に頭を下げろと命令出来る程偉くなったんですか」


「はぁ?」

 幽歌の抗議を聞くと、蒼空はまるでバカを見るみたいな顔で呆れている。


「な、なんですかその顔は! バカにしてるんですか」


「してねえよ別に。言っとくけどな俺が頭を下げていいって言ったのは、母ちゃんに頭下げるかってことなんだよ」


「えっ? ……私が蒼空さんのお母さんのお墓に頭なんて下げてもいいんですか?」


「別にいいけど……。なんかおかしいことでも言ったか俺?」


「だって……他人なんかの私がそんなことしてもいいのかなって思いまして」


 遠慮深げに言うと、蒼空は楽しそうに笑みを浮かべる。


「他人とか気にすんなよ。母ちゃんだって俺の友達に頭下げてもらった方が嬉しいだろうし」


 蒼空はあたり前のように自分のことを友達と言ってくれる。このことに嬉しさと同時に自分のせいで死んでしまった家族たちを思い出し、罪悪感を覚える。


 しかしその感情を表に出さないように幽歌は出来るだけ無表情を貫き、先程蒼空がやっていたようにしゃがみ込み、静かに頭を下げる。


「…………」


 蒼空の母が安らかに眠れるように幽歌は祈る。蒼空の母はこんなにも蒼空に大事に思われている。きっといい母親だったんだろうなと思う。

 だからこそ安らかに眠ってもらうために幽歌はただ祈る。


「よっこいしょ」


 自分でも若干年寄りくさいなと思うかけ声で幽歌は立ち上がる。


「終わったのか?」


「はい」


 蒼空が訊ねてくるので素直に頷く。そして幽歌は少し考えて遠慮がちに蒼空に一つ質問をしてみる。


「……あの失礼かと思いますけど、蒼空さんのお母さんはいつ亡くなられたんですか?」


「俺の母ちゃんか?」


「もちろん答えたくないのなら結構です」


 自分でも失礼な質問だということは分かっている。蒼空の心の傷を抉ってしまうかもしれないともしれない。

 それでも幽歌は自分のことを友達と言ってくれる男の子のことを知りたかった。


「……ま、俺も勝手にお前の過去を見ちまったしな。俺が話さないのは不公平だよな。俺の母ちゃんは悪霊に殺されたんだよ」


「…………っ」


 悪霊に殺されたという言葉を聞いて幽歌は固まってしまい、すぐにこんなこと聞かなければよかったと後悔する。

 しかし蒼空の口はもう語り出すのをやめなかった。


「母ちゃんが死んだ日は、普通に友達と遊んで、家に帰るのが遅くなって母ちゃんに怒られて、その後は母ちゃんが作った晩飯を一緒に食って寝る。本当にいつもと変わらない毎日だった」


 懐かしそうに蒼空は言った。


「でもその後に俺はいきなり悪霊に殺されそうになった。そん時は今まで幽霊なんか見えなかったのに急に悪霊とか色々見えてビビったよ」


 蒼空は説明する。どうやら蒼空が幼い時は悪霊たちに『海雲の魂』の居所を感知されないために、海雲の霊力を封印していたようだ。代償として蒼空の霊力も封じられ、そのせいで幼い頃は全く霊感がなかったらしい。

 しかし蒼空の霊力がどんどん強くなって行き、ついに封印は蒼空の霊力を抑えきれなくなり、消滅してしまう。

 そしてその隙を狙われ、蒼空は悪霊に襲われた。


「母ちゃんは俺を守ってくれようとした。なんかさ、父ちゃんも母ちゃんも二人とも霊能者だったみてーで、母ちゃんは一生懸命戦ったけどその悪霊に殺された」


 その声は淡々としていた。幽歌も聞いているだけでその悪霊に対する怒りが湧いてくる。どうして人の大切なものを簡単に壊せるかが幽歌には理解出来なかった。


「母ちゃんが死んでからは俺、ただ泣いて、喚いて、その後は呆然としか出来なかった。もう死んでもいいやとか思ってた。でもさ、アイツが来てくれた。俺の『正義の味方』が」


 蒼空は少しだけ表情を和らげ、その『正義の味方』を語る。


「その人は頭がハゲてて、ジジイだし、なんつーかエロいことしか考えてなさそうな顔だった。でもその時の俺はそのじいちゃんが正義の味方に思えた。そんで悪霊を倒した後、そいつは頭をワシャワシャってさ乱暴に頭を撫でてくれた」


 その後蒼空はそのまま眠ってしまい、目が覚めると霊義団の本部に居たらしい。


「俺が起きたら目の前には父ちゃんと偉そうな女の子も居て、幽霊のこととか悪霊のことを説明してくれた。なんていうかあれだよな。いきなりそんな事話されても理解出来る訳ねえよな」


「……ですね」


 蒼空は同意を求めて来るが、幽歌にはただ頷く事しか出来なかった。


「それで当然ふざけんなって話で俺さ、誰も信じられなくなって、母ちゃんが死んだのは父ちゃんたちのせいだって責任を勝手になすり付けて、みんなを嫌いになってた」


 蒼空は自嘲する声で言いながら、そのまま続ける。


「でも霊義団に来て何日からして、聞いちまったんだよ。俺の中にある『海雲』のことを」


 幽歌はふと視線を下に向けると、蒼空の拳が硬く握られていた。きっと自分が憎らしくてたまらないんだろう。話すことさえ辛いはずだ。


 蒼空の気持ちを知っても幽歌は、ただ黙って蒼空の話を聞くことしか出来ない。


「しかもさ、俺の母ちゃんは殺されたんじゃなくて、喰われたんだってよ」


「…………」


 昔、幽歌は黒野に教えてもらったことがある。普通人間は死んだら幽霊になってしまうか、そのまま新たな命に生まれ変わるかのどちらかだが、稀に魂を喰らう悪霊も居る。その悪霊に魂ごと体を喰われてしまえば、ただその悪霊の力の一部になるだけだと。


 蒼空の顔は今にも泣きそうになっていた。母の死を語る声も震えている。


「何が父ちゃんたちのせいだと思ったね。母ちゃんが喰われたのも全部俺のせいじゃねーかって。それは今でも思ってる。俺のせいで母ちゃんが消えたんだって」


 幽歌は蒼空が自分と同じ風に考えているんだなと意外に思っていた。蒼空は自分と違って、バカでアホだけど前向きな人間だ。


 そんな人が自分と同じような過去を持っているとは思えなかった。

 こんな過去があるのならば、蒼空は母を殺した悪霊たちに復讐するために霊能者になったのだろうか。


「で、それを聞いた俺はなんていうのかな。自分が汚く見えてどうしようもなかった。そして俺のせいだって分かってもみんなが嫌いでしょうがなかった。自分じゃどうしようもなくて……一丁前にさ自殺しようとしてたんだ」


「自殺……」


 幽歌が恐る恐る口にすると蒼空は可笑しそうに笑う。


「いやまあナイフで死のうとかしてたんだけど、手は怖くて震えてるんだ……。ビビっちまったんだ。それに結局は止められちまったよ。あのクソジジイに」


 クソジジイと蒼空は悪口を言っているのにその顔は嬉しそうに見えた。


「周丸さんのことですか」

 幽歌が聞くと蒼空は首を縦に振る。


「まあな。突然現れた周丸にナイフを取り上げられて、俺、奪い返そうとしたんだ。でも殴られた。取り返そうとするとアイツどんどん殴って来やがって。大人げねーよ」

 蒼空は少し顔をしかめる。


「そんで周丸になんかムカつくこと言われたから、俺が色々不満とか色々言って、周丸に聞いたんだよ。母ちゃんが死んだのは俺のせいかって。そしたら周丸にあっさり言われたよ。『そうだよ。お前の母ちゃんが死んだのはお前のせいだ。例え他の誰が否定しても『俺』が何度だって言ってやるよ。お前のせいで母ちゃんが死んだって』ってさ」


「……蒼空さんはそう言われてどう思ったんですか?」


 幽歌が聞くと蒼空は少し考えてから答える。


「そりゃあやっぱりはっきり言われたらなんつーか辛いっていうか悲しくなるよ。でもさ、つくづく感謝してるよ周丸には」


「感謝?」


「うん。他の奴はみんな母ちゃんが死んだのは俺のせいじゃないって優しい言葉をかけてくれた。もしさ、周丸がそう言ってくれなかったらいつか俺はきっと母ちゃんを死なせた重圧に耐えれなくなって誰かのせいにし続けてたと思う。そうやって誰かに責任なすりつけながら、みんなを嫌いなままで居たと思う。だから周丸には本当に感謝してる」


「……」


 蒼空が言った言葉を幽歌は自分に当てはめてみる。自分も蒼空と同じように家族が死んだのは自分のせいだと思って生きている。しかしそれでも幽歌は蒼空みたいに前向きに生きていくことは出来ないと思う。誰かを救おうだなんて考えられない。


 幽歌の心にはただ死への恐怖と霧亜に対する復讐心しかない。だから幽歌には蒼空が理解出来ない。

幽歌が考えている間にも蒼空の話は続く。


「まあ色々と御託を並べてもそん時の俺には何を言われたって納得も出来ないし、自分もみんなも許すことなんて出来なかった。だから俺は周丸に言ったんだ。殺してくれって。そしたら周丸はバカにするみたいに笑って、その後、人を荷物みたいに担いだ挙句、急に霊義団の本部の屋上に連れて行かれた」


 蒼空が周丸を語る声は文句を言っている風にも、嬉しそうに言っている風にも幽歌には聞こえた。それだけで蒼空が周丸をどれだけ大切に思っているかが分かる。


「屋上に連れて行かれたら、急に周丸が双眼鏡なんか持って、どっか遠い所を見てると思ったら俺に双眼鏡渡して来て、いきなり見ろとか言うんだあのクソジジイ。最初は断ったけど、嫌々覗いて見たら、父ちゃんが居て、……泣いてた」


「蒼空さんのお父さんがですか?」


 父と言う単語に幽歌は一瞬だけ黒野を思い出しながら、蒼空に訊ねる。


「うん。俺さ、父ちゃんが泣いてるとこなんて見たことがなかった。母ちゃんが死んでからも父ちゃんは俺の前ではずっと笑ってくれてた。俺はもしかしたら父ちゃんにとって母ちゃんって必要なかったんじゃないかなと思った。でも違った。違うに決まったんだ。父ちゃんも悲しかったみたいだ。それを知って俺は不思議と安心出来た」


 蒼空はそのまま話し続ける。悲しいはずの過去を懐かしむように。


「周丸が言うにはさ、父ちゃんも自分のせいで死んだって思ってるんだって。自分が居ない時に母ちゃんと俺が襲われたから。それでも父ちゃんはあん時の俺とは違って笑って生きていく覚悟を持ってるんだってよ」


「笑って生きていく覚悟……?」


 幽歌は蒼空の言葉を復唱すると、蒼空は先生にでもなったかのように、

「そう。笑って生きていく覚悟だ」

 と丁寧に言い直す。


「俺の父ちゃんは守りたいもんを守れなかった。死にたかったに決まってる。それでも父ちゃんは俺みたいに死のうとしないし、笑うのもやめない。まだ守るべきなもんがあるから。一緒に笑っていかないといけないもんがあるから。父ちゃんはそれのために全力で生きるんだって」


「……それは蒼空さんのことですか?」


「さあな? 全部周丸に適当に言われただけだからな。実際に父ちゃんに聞いてないし、分からねえよ。でもさ、俺も周丸にお前と同じこと聞いたらアイツはこう言ったんだ」


 蒼空は周丸の口調を真似て言う。


「『人間は弱い。本当に弱い。弱すぎて惨めな程に。でも人ってのは結構単純なもんで守りたいもんがあると強くなった気になれる。そしてそれのために生きようと思える。それは誰かのためであって、結局自分のためじゃ』」


 蒼空は周丸に言われた言葉を一つ一つ大切に噛みしめるように言い続ける。


「『小僧、お前も今は親父のために生きろよ。それがいずれ自分のために繋がる。それに死んだら結婚とか他にも気持ちいいことも出来ねえ。だから生きろ。生きてれば大事なもんがどんどん増えて行く。もう押しつぶされてしまう程に。邪魔で邪魔で仕方がねえ。でもな不思議と悪い気分じゃねぇぞ』ってアイツは誇らし気に言ってたよ。……今でもはっきり全部覚えてる。つくづくキザな言葉で忘れたくても忘れられない」


 それを蒼空が言うかと幽歌は心の底から思う。ただ幽歌は羨ましいとも思った。妬ましさもある。蒼空と父の関係を。蒼空と周丸との関係を。羨ましくて妬ましい。


「だから俺は今もこうして生きてる。今さら俺が死んでも母ちゃんがせっかく守ってくれたのに死んじまい損だしな。そんなら死ぬことなんかよりも俺は正義の味方みたいになりたいと思った。周丸みたいな。誰かを助けて、その助けた奴に三倍返しで助けてもらうそんな正義の味方に俺はなる。その為に霊能者になって、周丸にも取り憑いてもらった」


 そう言う蒼空の顔はすっきりとしているように見える。


「蒼空さんが霊能者になったのは正義の味方なんかになるために霊能者になったんですか?」


 幽歌は聞いてみる。蒼空の言っていることは立派だ。自分なんかには及ばないくらいの覚悟と強さを持っている。

 だからこそ幽歌はそんな蒼空にイラついた。なんで家族を殺されたのにこの少年は今もそんな綺麗事を言えるかが分からない。間違っている。間違っているに決まっている。だってそうじゃないと自分はあまりにも惨め過ぎる。こんなのはあまりにも不公平すぎる。ずるい。悔しい、と幽歌は気付けば蒼空に嫉妬していた。


「ん? ああ。霊能者になったのは自分の身を守るためもあるけど、基本はまあそれだな」


 当然のように言う蒼空に幽歌は怒りが爆発する。


「バカじゃないですか!」


 気付けば蒼空に怒鳴っていた。怒りをぶつけてしまっている。


「人のために戦う? なんですかその痛々しい偽善は! あなたはお母さんを殺されて憎くないんですか! 悪霊にあなたのお母さんは喰われたんですよ。私たちのせいで家族は死んだんですよ! なのになんで……なんでっ! のうのうと人のためにだって言い切るんですか!」


 蒼空のことを責めている内に気付けば自分自身のことも責めていた。それが情けなくて、悲しくて幽歌は泣きそうになる。


「憎いよ」

 そんな幽歌に蒼空は小さな声でしかしはっきりと憎いと告げていた。


「憎いに決まってんだろ。俺の母ちゃんを殺した奴を思い出すと怖くて、悔しくて、憎くてたまらねえよ。たぶんそいつが目の前に現れたら俺はその悪霊みたいにそいつを全力で殺しに行くだろうし、あいつに大事なもんがあったら、たぶんそれがどんな奴であろうがその悪霊が俺の母ちゃんにしたようにグチャグチャに壊しに行くかもしれねぇ」


 でもな、と蒼空は確信に満ちた声で幽歌に言う。


「生憎、俺のそばには俺が憧れてる『正義の味方』が居るから、俺が何か間違いを起こそうとすれば、あの人はきっと俺をボコボコにぶん殴ってから、バカじゃねーのって言って手を差し伸べてくれる。だから俺は道を外さない。外れねえに決まってる」


 それは蒼空が周丸に対する絶大な証だと幽歌は感じた。


「蒼空さんはどうしてそこまで周丸さんを信頼出来るんですか?」


「んなこと周丸が俺の『正義の味方』だからとしか言えねえよ。…………周丸には絶対言うなよ」


 蒼空は照れているのか顔を赤らませながら釘を刺す。


「私には……蒼空さんの言っていることが理解出来ないです」


 幽歌は正直に自分の気持ちを蒼空に告げる。


「…………」


 蒼空をそれを黙って聞こうとしているのか何一つ答えない。


「なんで私にそこまで関わるのかも全部分かりませんよ。私にこれ以上関われば本当に危険です。それは霊能者であるプロの蒼空さんが一番分かるでしょ。それでもあなたはろくに力も使えない足手まといの私のために危険な目に遭えるんですか」


 幽歌は訴える。すると蒼空は幽歌の言葉をあざけるように笑うのだった。



 *


「出来ねーよ」


 ――――沢崎蒼空は幽歌の訴えを聞いて思う。どうやら幽歌は大きな勘違いをしているようだ。

 自分が誰かのために命をかけて戦う。そんなのは無理だ。無理に決まっている。


 そんな少年漫画の主人公みたいなことは異世界かどっかでやっていればいい。蒼空はあたり前のように戦うのは怖い。というより戦うのはほとんど周丸だし。それでもまあ、何度か命懸けで戦ったことはある。それは結局――

「自分のためだよ。さっきも言ってだろ。俺は誰かを助けたら、そいつに三倍返しで助けてもらうそんな正義の味方になるって。俺は普段全然戦わねえし、戦ったとしてもそれは身返りを求めているだけだよ。自惚れんな。俺はお前のために戦おうなんて気はこれっぽっちもねえ」


 ――自分のため。それこそが沢崎蒼空の戦う理由なのだ。


 

 *


「…………」


 めちゃくちゃだった。――――幽歌は思わず絶句してしまう。


蒼空の言葉はめちゃくちゃで、自分勝手で、とてもじゃないが正義の味方なろうとか言っている者の言葉とは思えない。

 それでも蒼空は迷うことなど一つもないように幽歌に頼み込む。


「だから俺にお前の正義の味方役やらせてくれよ」

 そんなバカみたいな言葉に幽歌の心は思わず傾きそうになる。


「俺さ、カッコイイことばっか言ってるけどな、いつも誰かに守られてばかりで、正義の味方になるとか言いながら悪霊にビビッて、霊能者なんかやめたかった。どうせ俺なんかっていじけてた」


 蒼空は自らの怠惰を懺悔するように言う。


「でも俺は幽歌に会って、やっぱり正義の味方になりたいと思った。お前の前でカッコつけたい。勝手だか偽善だか知らねえ。俺はお前を守りたいと思ったから守るんだ。だからつべこず言わずにさっさと俺のために守らせろ。そしてお前は俺が守ってやったらいつか助けろ」


 俺のために守らせろ、と蒼空は悪態をつきながら言う。悪口を言われた苛立ちよりもますます蒼空のことが理解出来なくなる気持ちの方が強い。

 なんでこの人はこんなことを簡単に言えてしまうんだろうか。……そんなことを言われた蒼空に縋りたくなってしまう。


「……蒼空さん、私さっき明日にはここから居なくなっちゃうかもしれないって言いましたよね。それで私が居なくなったら、絶対に見つけるって言いましたけど、それでも見つけられなかったらどうするんですか」


 我ながらよく分からない質問だと思う。これではまるで行くなって欲しいみたいだ。

 もう誰にも構ってなんか欲しくないのに、必死に壁を造ろうとしているのにこの少年の前ではそれが上手く出来ない。それでも幽歌は壁を造ろうと努力する。


 だがその少年は少女が一生懸命造った壁をあっさりと壊す。


「なら行くなよ」


 蒼空はさっき顔を赤くした時よりもさらに赤くなっている気がした。


「あー実はさ、俺がここに戻って来たのはそれを言うためだよ。だから母ちゃんの墓参りも今日はわざとやらないで帰ったんだ。……幽歌が居なくなったらさ、絶対見つけるって言ったけどさ、実際にお前が居なくなったら捜しに行くのも面倒くさいし、それにほら……さ、寂しいだろ! ……お前が居ないと」


「あの……それってどういう意味……」


「べ、別に告白とかお前が好きとかじゃないんだからな! ただ悪口を言う相手が居なくなってちょっと困るだけだからな! 勘違いすんなよ」


「……なんでツンデレ?」

 思わず口に出る。なんだろうかこのツンデレの権化みたいな男の子は。


「う、うっさい! なんも喋んなバカ! もう帰るからな俺は! とにかく何も言わずにどっか行くなよ!」


 蒼空はくそ覚えてろよと捨て台詞を吐いて、恥ずかしいのかすごいスピードで走って居なくなってしまった。


「……小さいだけあって足は速いですね」


 幽歌は蒼空の足の速さに素直な感想を漏らす。


 風が吹いて来る。少し湿気がある。もう少しで雨が降るのかなと予想する。そう言えば最近晴れていた日が続いていたため、自覚していなかったが現在は梅雨の季節だった。


 雨は嫌いだ。雨音を聞くだけであの日の惨劇を思い出してしまうから。そんな時程、誰かが近くに居て欲しい。今さっき一緒に居た蒼空の顔が浮かんで来る。 


 ああ駄目だなと思う。手遅れなことに自分はもう蒼空に縋ってしまっているのだ。依存している。蒼空を家族と同じくらい大切なものだと感じる感情が芽生えてきている。


 そんな感情はすぐに消してしまわないといけない。

「ここに居たらいけないのに」

 なのに期待してしまう。


 蒼空は自分を守るって言った。しかし蒼空の周りには周丸や月歩、それ以外にもたくさんの大切な人たちが居るんだろう。自分が入って来たせいでその大切なものが壊れてしまうことだけは絶対にしてはならない。


 自分と同じように一度大切なものを失っている蒼空にもう一度大切なものを失わせたくない。それがどれだけ悲しいことか自分には分かるから。何より幽歌は大切な人が出来ても、また自分の目の前で失ってしまうのが恐ろしくて堪らないのだ。


 だからもう大切な人を作らないために幽歌は一人で居続けた。誰に対しても心を閉ざしていた。そうすれば傷つかないで済むから。涙なんて流さなくて済むから。


 やっぱりここから離れよう。蒼空に危険な目に遭わせないために。自分が悲しい思いをしないために。そしてこれからも一人で逃げ続けよう。幽歌がそう決心した時、

「久しぶりだね幽歌」

 穏やかさと同時に狂気が混ざった声が聞こえる。それと共に背後から殺気を感じる。


 今までたくさんの悪霊に自分の力を狙われ、さまざまな殺気を受けてきたが、激しい嫌悪感とどこか安心するような懐かしさも感じるこの殺気の主は――

「…………本当に久しぶりですね霧亜さん」

 幽歌は自分の家族で、自分の家族を殺した男、霧亜に冷め切った声で返す。



 空から雨が降り出す。



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