特等席を一緒に
本日二話目
彼(香取正人)視点
地域の夏祭り当日。事業をやっている俺は、祭りの実行委員である商工会議所に所属しているため、自分の店の他にそちらの仕事もある。
まあ、普段から接客はするなと言われている自分は、店の方は仕込みだけして毎年スタッフに任せているので問題ないのだが。
「おっ、さぁっすが……なんて言うかさ、最近は随分丸くなったように思ってたけど。やっぱり今年もあれだよね、若頭?」
「言われなくても分かってる」
「いいじゃん、歩いて回るだけで威力十分だよ」
主催者側は浴衣かハッピが原則だが、和服好きのばあちゃんのおかげで、毎年浴衣を着る羽目になっている。別に何でもいいのだが、どうにも自分のガタイと強面が災いして我ながら任侠映画のようだ。この、関係者用のネームホルダーがなければ通報されかねないとも思う。
それを見越して常に巡回警備担当の役割を振られるのだが、文句はない。櫓に上がって音頭をとったりステージで司会など無理だし、迷子保護や会場案内なんかはもっての外だ。
どうしても祭り気分の高揚とアルコールでトラブルはつきものだ。うろうろするだけで抑止力になるというのなら、お互いにメリットがある。デメリットは……自分の時間が取れないことか。今までこんなことは思いもしなかったのだが、今年に限っては自由にならない身がもどかしい。それというのも、
「あそこの工務店のかき氷、今年も売れてるよー。昼過ぎに見たときも千耶子ちゃん、忙しそうだった」
「……」
「いや、偶然ね? 俺の担当地区だったから見廻りのついでにね、他意はないよ?」
やっぱり女の子の浴衣はいいね、なんて言うお前は自分の事務所に戻って嫁さんの浴衣姿で満足しろ、と言いたい。こいつは不動産の管理は文句なしなのだが……まあ、この気さくさが接客には必要なんだろうと思う。俺には欠けている部分だ。
祭り会場は広い。駅前広場から商店街を通って、海沿いの花火観覧会場までの一帯に屋台を始め出店が軒を連ねている。大通りでは先ほどまで盆踊りや小・中学生の吹奏楽部なんかのパレードも行われていた。
この辺りでは一番早くに行われる夏祭りで、花火の打ち上げ本数も多い。今年の来場者数も相当なものだろう。
陽も傾き始め、祭り客たちの進む方角は海の方へと流れができる。それに逆らうように駅方向に向かう俺たちの周りは、顔を向けるとさっと目を逸らし心持ち距離を取る人が常な為、混んでいるにもかかわらずスペースが開く……避けろとは言っていないのだが、やはり少々怖いらしい。歩きやすくていいと隣の悪友は軽口を叩くが気分は微妙だ。
事業所の出店は花火開始の時間には終了するところも多い。彼女のところもそうだったろうか、そんなことを思いながら幼馴染の悪友と巡回がてら大通りを歩いていた。
彼女は約束した通り着付けを習いに来て、そのうち何度かは自分も家にいるときだった。和室から聞こえて来る楽しそうな声に意識は持っていかれるが、さすがに邪魔できない空間だ。
何故かそんな時に限ってチャコがす、と戸を開けて和室に入っていく。彼女の喜んで迎える声に、羨ましいというか疎外感というか、この胸は色々なものが湧くということを知った。
一度、何故か戸が全開になっていて、着付けの終わった彼女が姿見の前で嬉しそうにくるくると前を横を後ろを見ていたところに居合わせてしまったが……可愛いなんてものじゃなかった。
白地に紫と薄桃色の藤の花の浴衣。それに合わせてばあちゃんが渡した帯は、浴衣より少し明るめの薄紫のぼかし。着付けの邪魔にならないようにラフにまとめた髪からこぼれた後れ毛がうなじに少し落ちて、はしゃいではだけた裾から見えた足首の少し上の肌――我ながら、あの一瞬でよくもそこまで見えたものだと思う。
はたと目が合って、詫びる俺と、逆に戸が開いていたことを真っ赤になって謝る彼女がまたいじらしい。その全てがしっかりと脳裏に焼き付いて大変だった、色々と。
だから心配だった。ただでさえ魅力的なのに、あんな浴衣姿で売り子なんて。出店の場所はメインの大通り、絶対に大勢の目に――他の男の目に晒される。それを駄目だとも嫌だとも言える立場に俺は無い。
店主と常連客。その関係が酷くもどかしく思えた。
「あれ、」
隣を歩く悪友が声を上げる前に、その光景は目に飛び込んで来た。彼女の会社のテントに思った通りの浴衣姿の彼女がいた……若い男に腕を掴まれて、長机に片手を突っ張って。ニヤニヤと色を浮かべた顔を強引に近づけ話しかけている男、それを面白そうに眺めているもう一人。
嫌がった彼女が顔を背けて、その後ろ髪に俺の贈った髪飾りが揺れる。
頭が煮えた。
悪友が何か言ったかもしれない。俺に聞こえていたのは自分の雪駄がヂャリ、とアスファルトの上を乱暴に滑る音だけだ。体に染み付いた常識という名の縛りで、握力の全てを込めなかったのは賞賛に値すると思う。でなかったら確実に怪我をさせていた。
飄々と追いついた悪友に泥酔ナンパ野郎を押し付け、仕事が終了だという彼女を花火会場まで同行することが決まる。彼女は随分と恐縮するが、冗談じゃない。あんな場面を見せられた後に一人で歩かせるなんてことが出来るわけがない。
自分にこんなに独占欲があったことに驚く。誰かを好きになると、皆こうなるのだろうか。本当に、彼女と出会ってから、まるで知らない自分がぽろぽろと出て来る。
「わ、すごくいい眺めですね!」
花火の観覧会場は通行止めにした海岸沿いの道路だ。でも、地元民だけが知る穴場がいくつかあって、そのうちの一つに彼女を連れて行く。民家の隙間をぬって着いた小さい公園は、遊ぶような子どももいないために遊具もない。少し高台にある砂場とベンチだけのそこは、数組の先客がいたが十分にゆったりと花火を眺められる。
特等席だと喜ぶ彼女が、公園の境となる低いフェンスに両手をついて少し身を乗り出すと丁度、ドン、と低い音が響き最初の一発が打ち上がった。
花火大会の始まりを告げる尺玉。クラシックな菊の花が三発ほど上がった後は、お決まりのスターマイン。次々と打ち上がる光の洪水、潮風に乗って来る空気を震わす振動、観客たちの歓声。
でも俺の眼に映るのは、夜空を見上げて目を輝かせている彼女だ。
自分よりもよっぽど小さい彼女が、どうしてこんなに大きく心を占領するのか分からない。でも、もう黙っているのは無理だった。
「さっきの可愛かったですね。イルカが輪くぐりしてましたよ、さすが『海の街の花火大会』って感じで!……正人さん?」
屈託無く笑ってこっちを見上げる瞳に花火のかけらが映り込む。
「どうしました? 花火、綺麗ですよ」
「千耶子さんは、俺が――怖くないですか」
さっきはかなりな形相だったと思う。助けに入ったつもりだったが、怖がらせていないとは限らない。
「あ、さっきのですか? 迫力ありましたね、すごく頼もしかったです」
おかげで助かりました、と屈託無く微笑む彼女。頼もしかった?『怖い』ではなくて。重ねて尋ねる俺に、きょとんと不思議そうだ。
「『怖い人』と『怖そうに見える人』は違いますよ。確かに正人さんは体も大きくて強面のタイプでしょうけど、私は怖くありません。ちゃんと表情だってありますし、それに……いつも、優しいです」
――両親の修羅場に巻き込まれるたびに身につけた無表情。子どもだった俺が自分を守る為に纏った鎧を、いつしか脱ぎ忘れていた。そんなことを思い出させてくれたのも、目の前の彼女だ。
少し口ごもりながら付け加えた一言を誤魔化すように、風に揺れる髪に手をあてる。その手首に、さっきの男が掴んだ手の痕がうっすら赤く残っていた。考えるより前に手が動く。痕をなぞる指に、痛くないから大丈夫だと申し訳なさそうに言う。
痛かったはずだ。赤い痕が可哀想に思う。でも、それよりも。
「……もう少し余裕があるかと思ったのですが、全くそんなことなかったです」
「え?」
「あの男が千耶子さんの手を掴んでいるのを見たときに、押さえきれませんでした……他の男に触らせたくないと、そればかり」
「あ、あの、」
「千耶子さん。俺は――」
離したくない、この手を、このひとを。俺の告白は途切れず打ち上がる花火に紛れたが、彼女の耳には届いたようだ。少ない明かりに照らされた頬が真っ赤に染まる。何事か口の中で呟いて、涙目で下を向いてしまって……ああ、駄目だったか。胸に重く厚い刃が刺さったようだ。
ゆっくり手を離すと、パラパラと散る花火が束の間の静寂を告げる。動けなくなった俺の浴衣の袖口がくい、と軽く引かれた。
「あ、あの、私、お願いが……」
合わせられなくなっていた目を向ければ、相変わらず頬を染めて目が泳ぐ彼女。ちくしょう、やっぱり好きだ。
少しの間言いあぐねて、もう一度袖を掴み直される。
「……ても、いいで……?」
「え?」
また打ち上がり始めた音に紛れて、彼女の小さい声は聞こえない。屈むと、意を決したような目が合った。首元まで赤くなった彼女と。
「って、手を、繋いでもいいですか? 憧れてたんです、その……す、好きな人、と、一緒に。浴衣で花火で、手を繋ぐの」
「千耶子さん」
「嬉しい、です。私も、正人さんのこ……」
――手を繋ぐ前に抱きしめてしまって、真っ赤な顔で拗ねられた。
その年の花火は、今まで見た中で最高だったはずだ。もっとも、全く覚えていないが。
〈 END 〉