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またのお越しを

 気付けば迷いも憂いも消えて腕の中にはくつろぐ猫。さっきまでのセンチな気分も何処へやらだ。嬉しくなってお礼を言えば、こんな事でよければと返されたが、少し思案顔でこちらを見る。言いにくそうにしているのを促すと、言葉を選んで話し出した。


「こうしている自分が言っても説得力がないと分かっていますが……もう少し警戒心を持った方がいいかと」

「それは、どういう意味で?」

「貴女のようなひとが初対面の男に、今から住むことになる部屋を教えるような」


 “貴女のような” がちょっと気になったが、まあ、普通に考えて “一人暮らしの独身女性” というところだろう。確かに通常であれば知らない人にほいほい自宅を教えるようなことはない。でも。


「ああ、それは。私こう見えてけっこう計算高いので、この人なら大丈夫だと判断したからお願いしたんですよ」

「何を根拠にそんな」


 信じていないような顔で見られるけど、私の目に狂いはないと思うんだ。


「そうですねえ……こちらのお店はここでもうずっとですよね、そして家族でやってらっしゃる。私自身はこの土地は初めてですけど、職場は長くこちらで営業していて地元出身の従業員もいますから、少し調べればお名前だけでなく、卒業した小学校から最近の素行まですぐに分かると思います。それに、ご自宅も同じ敷地のようですし、今後の生活にまで響くようなトラブルは避けたいはず……違いますか?」

「……参ったな。違いません、ね」

「でしょう? だから、まあ、困ったことにはならないかと。それに実際、そこに気付いて私に注意までしてくれました。そんな人が悪い人な訳はないで、ひゃっ、ふふ、くすぐったいっ」


 猫が急に首元に顔を近づけてきて、ヒゲがチリっと掠った。ええい、撫でてやるぅ。指先でモニモニと首元をくすぐるようにすると気持ちよさそうに目を細める。いやーなにその表情かお、ちょ、写真っ。


「……ものすごい牽制をされたような……」

「え?」

「いえ。そうでしたか」

「はい。教えていただいたこと、とても参考になりました。それに、食事も紅茶もとても美味しかったです。越してきたら常連になりますね」

「それは、ありがとうございます。昼は祖父母がこうして喫茶をやっていますが、夜は食事がメインで、自分は基本、夜にいますので」


 ああやっぱりお孫さん。この時間は昼の一時間ほどの軽い手伝いと、夜の仕込みで店に来ていると言う。昼でこれなら夜も期待できるだろう。よっしゃ、夜ご飯の場所ひとつ確保だ。来て早々ツイてる。


「そいつも随分と貴女が気に入ったようですし、また来てくださると喜びます」

「本当? 嬉しいっ。猫ちゃん、また来るね。んー」


 いやー、どうしよう、すごく嬉しい。アパートで猫は飼えなくても、ここに来たら会えるんだよね。感極まって思わず猫の額にチューしちゃったけど、嫌がられないでよかった。いやあ、勢いって怖いね、 人目があったの忘れてたよ! いや、その飼い主、ドガガンッと椅子がすごい勢いで傾いたんだけど……脚でも折れた?


「あ、あの、大丈夫ですか?」

「……問題ないです」


 猫を降ろそうとしたけど、きゅっとしがみついて来た。ああもうっ、この子は私をどれだけ堕とせば気が済むのかっ! このまま抱き続けるのはやぶさかでない、しかしそろそろ不動産屋に行かねばならぬのだ。

 別れを惜しんだ涙目のまま飼い主を見れば、苦笑いで猫を受け取ろうと立ち上がってくれたので、私もうんしょ、と椅子から離れる。向かい合ったところで差し出される両手――手も大きいなあ。

 重たいフライパンや鍋も余裕なんだろうな。私、手がちっちゃくて小学生の頃はよく同級生の男子にからかわれたっけ。爪も丸っこくてネイルも似合わなくて、我ながら子どもの手だなあっていつも……


「おいで、チャコ」

「あ、はい」


 呼ばれて大きく一歩前に出る――ん? あれ? 目のすぐ前に迫る白いコックコート。あれ、胸元のボタンがこんなに近いよ?……なんで、私ごと(・・・)、彼の腕の中?


 ぴきん、と二人して固まって、ギギギと音が鳴りそうな首を動かす。見上げる私と見下ろす彼。視線が合うまでの距離、およそ二十センチ。


 近い。


 そしてやっぱり背が高い。平均身長よりやや下とはいえ、六センチヒールの私がこんなに見上げるなんて。

 

「……あ、あの、これは」


 頭のすぐ上で響く動揺しまくりの声に現実に戻り、逃避のように自分の行動を分析してみるに……ええと、はい、これはどういう事でしょう。側から見たら恋人同士が抱き合うような構図ですが、さては、手を見て昔の事なんかぼんやり思い出していたから、思わず当時の呼び名に反射的に足が動いてしまったとかそういう感じ? っていうか、あれっ?


「っ、ああ、ご、ごめんなさいっ、呼ばれたからつい!」

「え?」

「え?」


 え、呼んでない。呼ばれてない。あ、そう、そうだよね! 名前とか言ってないし!

 慌てて真上を向いていた顔をばっと横に向けたらゴキッと鳴った……首、痛ぁ。落ち着け、落ち着け私。確認すべきは一つだ。


「あ、あの、『チャコ』って」

「猫の、名前ですが」

「ああぁ……、あの、ちやこ(・・・)

「え?」


 ああ、もう、どうしよう恥ずかしいったりゃありゃしない。言い訳にしか聞こえないだろうけど、でもっ。


千耶子ちやこ、っていうんです私。それで、小さい頃からチーちゃんとか、チャコ、って呼ばれてて……自分が呼ばれたのかと。す、すみません」


 恐ろしく赤くなっているだろう顔をあげれば、きっといい勝負だろうほどに戸惑って赤面している人と目が合う。ものすごい至近距離にいることにようやくハッとして、彼はぶんっと音が出る勢いで私を囲うように出したままだった両手を上にあげた。見事な万歳ポーズだ。触れていたわけではないのに離れた体温に寂しくなるなんて、どういうことだろう。

 私も猫――“チャコちゃん” をあわあわと渡してお互いに一歩ずつ離れる。なんて大失態。いい大人が呼ばれたと勘違いして、なんの疑問もなく自分から腕の中に収まりに行くなんて。自分はどちらかというとパーソナルスペースが広めのタイプで、こんなこと今まで一度だってなかったのにっ。私、疲れてんのかな、うん、きっとそうだ。


「……ちやこ、さん」

「はい、そうなんです。あの、すみ、すみませんっ、勝手なお願いですが今のは忘れていただけると! でないと恥ずかしすぎて、もうお店に来られなくなってしまいます……」


 最後の方は泣きが入っていたと思う。せっかく見つけた「猫付きの美味しいお店」を、こんな事で失うなんて耐えられない。筋金入りの自宅娘の私は、自慢じゃないが毎日の自炊なんて全く自信ない。外食・中食は生命線だ。

 もう一度下げていた頭をなんとか上げると、ちんまりと猫を抱いて眉を下げ、まさに打ちひしがれる姿がそこにあった。


「いえ、こちらこそすぐに動けず本当に申し訳ありません。この図体ですから女性には怖かったでしょうに、自分でも何がどうなったのか……」

「こ、怖くなんてなかったですし、悪いのは私ですので、気にしないでいただければっ」


 本当に申し訳なさそうに肩をすくめて小さくなってしまわれた。あああ、罪悪感が半端無い。外見はともかく、少し話しただけで誠実な人だってすぐ分かるくらいの人なのに。何度も言って、ようやく顔を上げてもらえた。

 頑丈そうな腕の中で窮屈気味に、でも大人しく収まっている猫を見ながら私に許可を求める。


「紛らわしい名前の猫ですみません。ですが、この子もずっとこの名前なので、このままチャコと呼んでも構いませんか?」

「そ、それはもう! 当然です!」

「ありがとうございます……香取かとり正人まさとです。これからも、お越しいただけると」


 ふわりと何か雰囲気の変わったことに戸惑いつつも、フルネームで名乗られてまだ名字を告げていなかったことを思い出す。


「はい、もちろん! あ、重岡しげおか千耶子といいます」

「覚えました。千耶子さん」


 満面の笑顔で名前を呼ばれて、彼の周りがポッと光って見えたのは、サンルームに注ぐ陽のせいだと思う。


「う、あ、あの、もう本当に、すみません……」


 謝らないでくださいと今度は私が慰められて、居た堪れなくなりながらワタワタと帰り仕度を始めた。置き忘れたスマホを手渡された時に指先が触れて、なぜかまた動揺して勝手に赤面する。私の挙動不審さを不安に思ったのだろうか、コックさんの彼は私と一緒に店の外まで出て、不動産屋の方向を教えてくれた。

 店から不動産屋に着くまでに、何度躓きそうになったか正直覚えていない。契約書に記入する段になってようやく気持ちは落ち着いたが――最後に見た彼の笑顔と、それを思い出した時に高まる動悸はいつまでも残ったままだった。






 そして。

 無事に引っ越しを終えた私は多少気恥ずかしさを感じながらも、つつがなくこの店の常連となり。

 頻繁に通ううちにチャコちゃんだけでなく店主一家(ついでに私の借りたアパートの大家でもあったさ! びっくりだね!)とも交流を深め。


 かりそめと思っていたこの地に長く長ーく住むことになるとは、この時の私はまだ知らないのだった。


明日のラスト一話は彼目線でお届けします。

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