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花がそよいで、私はオードリー

土曜の朝の空気が煌めいてる、そんな気がした。

世間の高校三年生はセンター試験一日目。でも私は……あぁぁいても立ってもいられない!

机の上に手鏡を置いて、よそ行きの表情を作りに入ろう。さぁちゃんの私服を想像しつつ、眉の形を微調整する。お肌のベースを作る。作ると言っても薄化粧。こっちのほうがさぁちゃんの好み。よし、まぁ色づいてきた。アイメイクはなるべくアイシャドウは用いない。マスカラで角度を上げる程度。ちょっとだけ目元の睫にも塗る。パンダ目へのリスクは少しは持っておこう。最後にチークをぽんぽんする。誰にも見られない部屋で、女子は綺麗になっていく。メイクに似合うような服を選ぼう。どちらかというと長身の私はスキニーを選んで、真珠の紛い物アクセサリーを飾り立てる。休日の吉祥寺だったらこれくらいが丁度良いかな? なんてね。バッグを持って出かけよう。

「あらあんたどこ行くの?」

 ただ金を持っているという理由だけで旦那を選んだ五十路の母の言葉には耳は傾けない。

 中野から引っ越さないのは、父が小児科の開業医で地域からの信頼があるからだ。母は都内だったら中野じゃなくてもっと富裕層であることが一目瞭然である田園調布やら流行の武蔵小杉に住みたいらしいが、そんならもう少し家事をちゃんとやってほしい。専業主婦がダメとは言わないが、どうせ母はこれから友達と横浜に繰り出すんだろう。時計の針が再び頂点にたどり着くまで。


吹雪いてはないものの、コートを着てマフラーを巻いても寒いことが分かる。中野駅までは徒歩九分の道のりで、中野サンプラザに近い。全国から集まったアイドルオタクやらアニメオタクやらがいつの間にかこの町を浸食していった。清楽館にも確かにそういうものを好む一派は存在するし、そういう人たちはどちらかと言うとさぁちゃんのように、狭い付き合いをする人達だ。さぁちゃんとはレベルが違うけど。



 清楽館のなかでも特にヒエラルキーの高い花組(小学部)出身生徒御用達の喫茶店で、さぁちゃんとガレットを味わいにいく! ハッピーすぎる予定に、世間様に対して申し訳なさすらあるわ。

ガレット専用に安曇野の契約農家が栽培している蕎麦粉をふんだんに使用し、マスカルポーネのクリームチーズに、マダガスカルの港からやってきたバニラビーンズが散りばめられた雪原のようなアイスクリームが、野苺と蜜林檎のジャムとコンポートの虹を纏う、乙女にはいささか罪深きガトー、とのことらしい。

もうとにかくハッピーがヤバいっすわ!

 てかおいおいさぁちゃん、『大好きな政子に会いたいぜ!』だなんてメールに書かれたら……いててて。家に帰ってからもメールを見返して、舞い上がって天井に頭ぶつけちゃったじゃん。男ならずとも、さぁちゃんにはドキドキするものなんだよ。ましてや私のような、高校生活において、異性とのデートらしきものは一回も経験できなかったような人間は。中学時代の部活動つながりでみんなでわいわい遊園地に行く的なものは高一まではあったけど、今は彼らとも疎遠になっちゃった。


 ーー変わらないものがほしい

 

いつしか私は、そう願うようになっていた。


  ●

 

『ついたよー♪』

 ひっきりなしに発着する井の頭線のカラフルな電車からどんどん人が降りてくる。通勤ラッシュでもないのに混みあうなか、さぁちゃんの目印はわかりやすい。明らかに一人だけ可憐な薫りを滲ませたカトレアのような人、周りの人達からの視線にすら気づかない生まれながらの花、それがさぁちゃん。

「おっはよぉ! 政子ぉぉ~」

 さぁちゃんの声を聞くと、嫌なことは全て忘れることができる。愛の塊だもん。

「さぁちゃ~ん!」

 私が手を振ると、

「まっ・さっ・こぉ~! 会いたかったよぉぉ~!」

 私の予想は完全に外れた。

 いつもよりもさぁちゃんのテンションが高い。

私服姿のさぁちゃんはつやつやに煌めいた髪をゆるふわロングにして小さな顔を覆っている。すっぴんが既に完成されているのに今日はいっぱしのアイメイクなんかしちゃってるからさぁちゃんの瞳はカラコンしてるかのように大きな黒目で素晴らしい。それでいて武蔵野の名士の娘らしく気品溢れる出で立ちは、白の厚手の素材で作られたPコートにリボンと見間違う深紅のベルトを巻いている。手に持つ小さなバッグは栗色で、左腕にはマンダリンゴールドのブレスレットを填めている。着ている服装だけでもう美味しそうじゃないか。言うなれば今日のさぁちゃんは歩くショートケーキ、はたまた走るモンブラン。

「政子ぉ~! おっされぃ!」

 さぁちゃんが私のファッションを手放しで評価してくれた。嬉しいよ。

「そんなぁ~! さぁちゃんこそ超素敵じゃん~!」

 素敵過ぎて反射的にスマホでシャッターを一発押しちゃったぜ。


「ま~さこっ!」

「う!? さぁちゃん?」

 出会うなり、さぁちゃんが……私の体を抱きしめた!

 朝っぱらから人混みの中でハグとか……きっとさぁちゃんのキスに対するハードルは低い。ただ、キスは違う。私にとっては友達と色恋の境の一つなのだよ。多分、マリア様が見てると想う。

「お、落ち着いてさぁちゃんっ! てか昨日はご愁傷様でした」

 一応忌引き空けなので、こちらとしても気がひける。

 さぁちゃんは体を離すと、まじまじと私の目を見て喋ってくれる。

「あ。そぉそぉこないだおばちゃん死んじゃってさぁー」

 えぇっ!?

 人が一人死んでるのに、さぁちゃん、軽すぎやしないか!?

「さぁちゃん? 大丈夫? 心は確か?」

「政子どうしたのよ? あたしは平常運転だよ。まぁこないだは悲しかったけどさ。始まんないじゃん泣いてばっかとか。だからそれはそれこれはこれよぉ~」

 それはちょっと気持ちの切り替え早すぎだと思うんだけど。

「そうだ政子。メールでも確認したけどさぁ。カトレアに水やった?」

「勿論ですよ」

「ありがとぉ~!」

 子持ちの主婦が託児所に預けた子供を引き取りにきたように、さぁちゃんにとって「花円」のカトレアは子供みたいな存在なのだろう。

「うん。でもさぁちゃん。あのカトレアと「花円」は卒業したらどうするの?」

 てかそもそも、高校卒業した後のさぁちゃんはどうなるのだろう? 

「進路、決まってないんだよね?」

 さぁちゃん家は武蔵野を代表する金持ちだし、別に家事手伝いでも良いっちゃ良いのだろうが。

 てか、しまった。

何自分からネガティブな話題を提供してんだよ!

「うーんまぁどぉだろ。政子とは大学行かなくても会えるし。政子が心配してくれるお気持ちはしかと受け止めさせていただきます~」

 さぁちゃんは肩をくねくねさせておどけてみせた。

 国よ。さぁちゃんの可憐さを、AO入試に使わせてはくれまいか。


「……ねぇ、政子?」

 さぁちゃんがナチュラルなのに何となく整っている眉をしかめていた。

 何で、私はドキドキしちゃってるんだろう。「ああ……あはははははっ! ポーッとしちゃったぁ」

 しかもテンパる。

「政子可愛いじゃん~っ!」

 緑の髪から焦がした蜜のような甘い匂いを煌めかせ、彼女より十センチ高い私の肩にその蜜をぴと……と接着するさぁちゃん。

 私の今日のテンションはおかしい。だってさぁちゃんとスイーツだぜ。デートだぜ。もし私が男だったらこんな可愛い子は誘えない。女の子でマジで良かったと思う。

 てか近いよさぁちゃん、ああ! 心臓が麻痺しよう!

「さ、さぁちゃん~」

「政子ぉ~!」

 さぁちゃんは私の胸の谷間(僅かにある谷間だからね)あたりを執拗に頭でぐりぐりしていた。胸が痛い。物理的な意味で。

「周りの人に見られてるよさぁちゃん。そう言うのはせめて人がいないところで」

 私がそう発するのは恥ずかしさが半分だが、もう半分は清濁の坩堝こと吉祥寺でイチャイチャしている姿を、通行人に見られたくないんだよ。だって、言い方悪いけどもったいないじゃん。特に若い男。イケメンなんて全然街を歩いてない。さぁちゃんが視姦されちゃう。死にかけの獣のような隈を抱えた瞳で涎垂らしながらさぁちゃんに欲情されちゃう。さぁちゃんにもしものことがあってはいけない。友達として守るべき人は守らねばなるまい。

「政子は真面目ちゃんだね」

 ぐりぐり頭は去ったものの、交差点の赤信号で立

ち止まった隙に大判な手を握ってきた。

「さぁちゃん! こらぁっ!」

「良いじゃん~政子。あたしはハッピーだよ」

 学校内でもそうだけど、さぁちゃんは誰かに見られているとかあまり気にしないタイプだから、ケータイ小説の主人公に出てくるポメラニアンみたいな瞳のホストに騙されやしないか不安でしょうがない。

「政子は嫌なの?」

 嫌じゃないけど、ここは心を鬼にせねばならぬ。さぁちゃんの未来のために。

「あんまりベタベタスキンシップとるのは、私は好きじゃないほうかな」

 あちゃー、心にめっちゃ嘘ついてるぞ私。

 しかも、見透かされてるっぽい。

「政子の今の表情オードリーみたい」

 へっ!? よもや私がヘップバーン?

「え? それどの映画?」

 いやいやいや、どう考えてもヘップバーンはさぁちゃんのほうだよ。私はさしづめお相手役だよ。

「春日と若林のほうだよ」

「はぃぃっ!?」

 あのピンクの悪魔と!?

「トゥース!」

 さぁちゃんが春日の真似をする時代がくるなんて……キモいと可愛いはやっぱり水と油だよさぁちゃん。

「全然似合ってないよさぁちゃん。そもそも何で春日?」

 さぁちゃんは両手で頬を押さえながら上目づかい。

「春日って多分さぁ、あたしが思うに、根は良い人なんだよ。だからボケててもクズ発言しても表情がすっごく優しい。あ、若林もだけどね。一応、褒めてるよ」

 褒め方が下手過ぎる気がしないでもないが、許す。さぁちゃんは可愛いから。

「さぁちゃんが可愛いし、天才なんだよ」

 そんな天才を無二の親友としている私、超絶ラッキー。

「そうだよ。あたしは天才だよ」

「ちょ、ちょい、自分で言うなよっ!」

「あはは。言ってみたかっただけだよ。天才だったら良いよね。好きでそうありたい、感じかなぁ~」

 たまに難しいことをさぁちゃんはほざく。何にも考えてなさそうな、存在そのものが哲学になる妖精じみた笑顔で。

「でも政子。あたしはね。天才になりたい。てかそう振る舞いたいな」

「どゆこと?」

「あたし、才能で自分をカバーしていきたいんだ。あたし達ってさ。武蔵野のこんな静かな住宅街に隠れるように存在する女子校出身じゃん。世間のこと何にもわかってないよ。躾とか、作法とか、令嬢として必要なことはある程度は知ってるかもしれないけど、品格は人格じゃないからね。そんな世に移ろうものに対しては、知る必要はあっても。

あたし、才能で自分をカバーしていきたいんだ。あたし達ってさ。武蔵野のこんな静かな住宅街に隠れるように存在する女子校出身じゃん。世間のこと何にもわかってないよ。躾とか、作法とか、令嬢として必要なことはある程度は知ってるかもしれないけど、品格は人格じゃないからね。そんな世に移ろうものに対しては、知る必要はあっても、溺れたらダメなんだよ」

 そういう割には、私にチューしたいとか言い出したその神経は一体何なのか? 

疑問だがこういうとこで敢えて聞いてはみない。


だって、さぁちゃんは天才なのだから。

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