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糸は切れた、花に出逢った

 私は高一から高三の途中まではバドミントン部で汗を流していた。

 その時、私の横には、さぁちゃんではなく岩上がいた。岩上は私と同じく高等部からの入学者であり、ビジュアル的に私と同じ穴の狢で、「清楽館の刺身のツマ」として僻みあっていた。井の頭公園をランニングしていても、声を掛けられたり視姦されたりするのはいつも他の女の子。わかるものはわかる。私と岩上はモテる部類の女子ではない。常にピエロでいなければならない。外界から閉ざされた清楽館には巷で流行っているようなスクールカーストのようなものはないが、女子同士のグループは自ずと美貌に比例していた。私と岩上らのグループは「寄せ集めグループ(活発系)」とでも言うべきか、端から見る分には普通によろしくやっているようには見えるが、実際は裁縫用の細い糸でレインボーブリッジを吊っているようなものだったわ。


 転機は高三の秋、私が大学の指定校推薦の資格をゲットしたことだった。一応一般入試も視野に入れながら代々木にある塾に岩上と通っていたが、もう塾に行く必要もなくなったので退塾手続きをとろうした矢先のことだった。

 私もはしゃぎすぎたところはあった。職員室で担任の先生に指定校推薦の枠に内定したことを告げられた瞬間、喜び勇んだ私は塾の自習室で勉強していた岩上のもとへわざわざ出向き、『ふふふ、話したいことがあるのよ!』

と岩上を近くのファーストフード店に呼び出し、岩上の勉強を邪魔してしまったりもした。

『そうなんだ。政子。おめでとー』

 その時の岩上の、落ちついた声が忘れられない。

『じゃあ政子は、今までコツコツ、みんなの見ていないところで一生懸命勉強していたってことなんだね?』

 そしてこの質問に対する答えが、私の運命を変えた。

『うん! 私めっちゃ頑張ったんだよ~!』

 この言葉を放った瞬間――

 岩上の瞳の色は、いや、放たれる私へのオーラが変わってしまった。




 清楽祭と言うささやかな文化祭が十月にあり、出し物については夏休み前から決定していたので、必然的に岩上と絡む場面が多くあった。高校生活最後の文化祭なのではっちゃけたかった。でも岩上は、水に流さないのだ。

『あら。進路決まってる人は余裕よね~』

 劇の練習を満足いくまで繰り返して行っていただけなのに……

『勉強忙しいから、演者パート以外にもう一つやってくれない?』

 どう切り返したら良かったんだよ、その質問。

てか首を縦に振るしかなかった。

 実際新たに割り当てられたのは、岩上グループではない人達が担当するパート、大道具作りだった。華奢なモヤシお嬢様や学業以外の活動を優先してそもそも文化祭不参加な面子の多い、死のグループ。連帯などあり得ず、ただ黙々と作業をするだけ。

 挙げ句、次第に演者グループからハブられ、路傍の木の役からも追いやられていった。

 岩上。

何がしたいの?


 隙を見計らって謝ってもみた。直接、メール、電話。

『え? どしたのよ鈴木さん~。友達友達ぃ♪』

 じゃあなぜ名字呼びに格下げした?

 幼稚園からこの時まで、私はその時に応じて学校生活に対する不満はあったものの、いつも誰かとチームみたいなものを組んでいた。目立たないこの容姿は、友達や話し相手を作るにはちょうど良い、相手を引き立てるだけの役割はあったのに……独りぼっ

ちになるのは初めてだった。アカン便所飯はアカンねん……唐突な関西弁を挟んでみてもマイルドにはならない。やっぱ仲直りしよう。手紙書こうか? それがダメなら土下座しようか? それでも許してくれなかったら、法に抵触するような手段に出ようか?


 そんな孤独に負けた私は、昼休みの退屈を潰すことに注力するようになった。勉強? そんなものはどうでも良かった。一日誰とも連絡とらないだけで疎外感ハンパなかった。ここは私学のお嬢様学校だから、他の学校と比べたらそんなこと思わなくても良いのだろうけれど、それが私の肌にはどうにも合わなかった。だからこれまでと変わらず、同情だけの結びつきにしか自分を見いだすことができなかった。


 ーーそんなことにすら、その時までの私は気付いていなかった。


 「みんなやってること」っていうクラウドシステムみたいなものに体を預けていても、自分自身が不要物としてデリートされる日が来るなんて考えてもみなかった。謝っても通じないなんて……自業自得なとこはあるけど、それにしても岩上が許せなかった。鍵をつけたSNSで愚痴りまくってやったりもしたけどフォロワーからの返信もいかがわしいのばっかだし、高三の後半から友達なんかできやしないし、昔の友人からは既に総スカンだし、入学予定の大学の新入生アカウントも盛り上がらない。昼の弁当を家族に隠れて朝のうちに食べる生活がしばらく続いた。




『おーい!』

 秋の気配が高まってきた頃、昼休みに身を隠すために丘をさまよっていた時に耳にした可憐な声は冗談抜きで天使そのものだった。

 さざれ石のベンチはその時から存在していた。さぁちゃんは二人分あるうちの律儀に一人分のみに腰掛けていた。まるで誰かを待っていたかのように。

『わ、私?』

 大きく手を振るさぁちゃんの声は、「花円」のビニルハウスに木霊して籠もっていた。「花円」の中と外では世界は変わる。私はもうこんな世界が、嫌だった。変わりたい。本当

の自分になりたい。安っぽい言葉だけど、それが私にとっての真実なんだから。

 呼びかけが私に対してであることを信じて、「花円」のビニルハウスの薄いプラスチックの扉を開いた。

『どうしたの?』

『まぁ横に座りなよ雪組の鈴木さん。ここを通る人とか結構レアだよ~。てかさ。よく気づいてくれたよね! 来てくれたのは政子ちゃんが初めてだよ~』

 星組のさぁちゃんが雪組の私を鈴木さんと呼んだのは、この一回だけだった。

『そうなんだぁ』

 この時の「花円」には、秋咲きのカトレアが満開だった。

『綺麗なお花達だねぇ』

 昼休みに、同級生と喋れて嬉しかった。この「花円」の中心で一人佇む一輪のカトレアと。クラスメイトだったから元々存在は知っていたが喋ったことはなかった。不思議な子だった。目線が合ったと思ったら、もう私の鼻先まで近づいてきて、微笑んだ。さぁちゃんの靨は蟻地獄のように私を感情の海に溺れさせてくれた。

『そうなんだよ~。わかってくれて嬉しいなぁ!』

 さぁちゃんはベンチから立ち上がると、私のところに駆け寄った。

『政子ちゃんが現れたら、ここに空が現れたみたいだねっ!

 あっ、そうだ――あたし、カトレアなんだよ』


 この時から、さぁちゃんは自身とカトレアを準えていたっけ。

 この子は何を言ってるのだろう?

 正直、そんな感情を抱いた。

 だが人ではない花のような人に抱く感情は、あながち嘘ではなかろう気もする。愛で咲いたのは彼女ではなく、私の心――

 さぁちゃんはカトレアなのかもしれない。

 その時も、今も、「花円」には薫りが溢れている。変わったのは季節とお互いの呼び名くらい。

 さぁちゃんとカトレアは、少なくても私には同義だ。

 いつもいつも、私の中にいる――


  ●


 そんなさぁちゃんが今、悲しみの淵にたった一人で佇んでいる。

 さぁちゃんの家庭の問題だから、私が赴くのはお門違いかもしれない。でも、提案するだけなら、許されるんじゃないのかなぁ? と思いたい。さぁちゃんがあの日、声をかけてくれた時のように。岩上のように散ることはないとは思う。

 五限終わりの休み時間にメールを打ってみる。

『さぁちゃん。落ち着いたら、今度スイーツ食べに行かない?』

 さぁちゃんは私の知る限り、カトレアとスイーツを愛する女の子。スイーツで悲しみが癒せるかはわからないけど、何かをしてあげたかった。

 さぁちゃんはコンビニスイーツでも満足する子だけど、今回ばかりはガチなお店に連れていってあげたい。

『政子~! いいねぇ! 明日行こう!』

 明日!? センター試験だぞ!? って、よくよく考えたらさぁちゃんの口から大学受験するなんて聞いたことがない。私も進路決まってるし、別に支障はないか。

『明日? お家の用事は大丈夫?』

『心配ないって♪ だってあたし、大好きな政子に会いたいぜ!』

 この文面を見るなり、私は思わず両手で顔を覆ってしまった。


なんだよ……私なんか大好きになるとか、もったいないのに。

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