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花へと続く道、泥の欲望

 生まれてこの方、鈴木家は中野に居を構える。


 都会のいわゆる狭小住宅である我が家の隣には、小児科医の父が開業した鈴木政夫医院がある。ちなみに私の小学校時代のあだ名は「医者の娘」、そのまま過ぎる。収入はあるそうだが税金や研究等の支出も多く、並の暮らししかしていない。母が税金逃れを指南する書籍を買って、節税のためのセミナーに出席することを促しているそうだが、この点に関して、私は断じて父の味方でいたい。

父はただただ人の病気を治療して快方に向かってほしいと思って頑張っている。それをやれ節税だの投資信託だのビットコインだのと横槍を突っ込むのはフェアではない。そんなことに知恵を働かせている時間があるのなら、他にやることあるだろう。そのくせ母は自分で鈴木家に貢献するようなことは何もせず、ただただ父が稼いだ金を自分のために浪費するのみ。罪滅ぼしか知らないが、私や父にも頻繁にお土産を買ってきてくるが、エルメスの弁当箱包みとかスワロフスキーでデコられたスマホケースとか、そんなものは全く欲しくないんだよ私は。いくら豪華な箱であっても、結局中身は冷凍食品なんだろっ!? 『いらない』と言っても聞く耳を持たず、一回エルメスの弁当箱包みをゴミ箱に捨ててやったこともあるが、母は私を叱ることもなく、『政子。汚したらダメでしょ。まぁ良いわ。今度、会食に行くついでに新しいの買ってきてあげるわ』だの、まるで家の中に宇宙人がいるようで気持ち悪い。母がやってきたことで唯一正解だったのは、『近所の都立で良いじゃん』と言う父の意見に耳を貸さずに清楽館を受験させたことくらいだろう。入学当初こそ、母は学校行事等に欠かさず参加していたが、徐々に飽きてきたらしく、高二からは懇談会であろうが婦人会であろうがお構いなしに自己都合で欠席し、自分の人生だけを楽しんでいる。

 問題は全て母にある。ただ金を持っているという理由だけで旦那を選んだであろう五十路の母は、今日もママ友と下らないランチに行く。私には冷凍食品しかくれないくせに。

愛されてない訳ではない。母なりに私を育てているのだと思う。でもそれを言っても通じない。母は極めて視野が狭い。いちいち正論を主張しても時間の無駄にしかならない。

 だから、黙っちゃうんだ。母の前では。



さぁちゃんにチューしたいと言われた昨日のお弁当は、母が一昨日のうちにポンポン冷凍食品を乗っけるだけだった。『レンジでチンは政子がやっといてね』が暗黙の了解。掃除洗濯の類はダスキンに任せてあるから、特典として数千円分ものドーナツのタダ券を保有している。糖分だらけのドーナツを食べるのは父の役目。だから父は太っている。

「政子ももうすぐ卒業だな。卒業式はできるだけお父さんも行けるようにしておくから、楽しみにしてるぞ」

 太っているけど、私は父は嫌いではない。あんなバカ母に対して文句の一つも言わない聖人君主は尊敬に値する。

「うん。ありがと。

 そうだお父さん。大学生になったらさ。一人暮らしとかさせてくんない?」

 母と離れることが先決だ。

「どうした? てかそれは、もしかしてママのこと

か? 政子はママが子供の頃に苦労していたのを知らないのかい?」

 父が母に優しすぎるのは、母の幼い頃の境遇にあった。

 父は代々続く医師家系で、小さな頃から潤沢な教育を受けてきた。それに対し母はお金や人には苦労してきたらしい。母は自分の親がどこで何をしているか、そもそも生きているかも知らない。その上、母は虐待を受けていたこともあるらしく、その点について私が非難する資格はないだろう。だが、可哀想な幼少期を過ごしたことが家庭を顧みずに自分のことだけ考える浪費癖を肯定することにつながるとは、少なくとも私には思えない。

「てかお父さんは何でお母さんを選んだのよ?」

 父には同じ質問をもう何十回もした。その度に父はにっこりとしながら黒烏龍茶のキャップを開けつつ、打ち明ける。

「お父さんが昔、付き合いで初めて夜の店に無理矢理連れられていったんだよ。そしたらママが出てきてね。色々ママの身の上話を聞くうちに、『この人を救わねばなるまい』って。愛情が芽生えたんだろうね」

 父には悪いがそれは同情だと思う、等と呟くと、父は苦笑いしながら私を諭す。

「まぁまぁ政子。確かに同情かもしれないけど、本当の幸せは、『健康』なんだよ。『健康』であれば何も問題ない。お父さんもママも政子も、体は丈夫だろ? 生きてるだけで、まずは良いんだよ。世の中の大多数の人はママを理解できないだろうけど、お父さんはママの一番のファンでありたいと願ってる。それが奉仕に向かなくても、自分を精一杯生きる人は格好良いんだよ」

 綺麗な言葉に聞こえるが、やはり意味がわからない。

「じゃあお父さんは……私の気持ちは、わからないの!?」

 隣の家にも聞こえるかもしれない大きな声で叫んでしまった。

「政子はママが嫌いなんだろ? それは仕方がないことさ。価値観が違いすぎるからね。一人暮らしをしたいのなら、してくれても構わないよ。

 でも政子にはわかって欲しい。ママは、苦労はしている。政子は優しい子だからな。大丈夫だよ」

 ううんそんなことない。父は優しすぎる。

 母は、父の愛情なんかこれっぽっちも理解してくれていないんだぞ。父は……父が本当に愛すべき女性と早々に再婚をすべきなのに。

「お父さんは何で、他に好きな人がいないのよ!?」

 親に不倫を推奨する子供はさぞおかしいだろう。だが母は鬼だ悪魔だ。


さっさとさぁちゃんに会いにいこう。

さぁちゃんがいたら、何とかやってける。



中野から吉祥寺までオレンジ帯の電車に乗る。逆方面よりかはマシな混雑だけど、まず着席はできない。インフルエンザ予防のためのマスク姿の学生は一様に参考書を読んでいる。そうだ、今週末はセンター試験。私は推薦を決め、さぁちゃんは多分受けないから関係ないけど。

スマホをタップして、さぁちゃんと待ち合わせよう。

『さぁちゃーん!』

スタンプを押して5分後、高円寺あたりで車窓を見上げていると返信がきた。


『政子~! 今日、休むよ!』


……えぇ!? そんなぁ!

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