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ただいま、花のない夜

 私も、もといた場所に帰るように、前夜祭に向かった。涙などなかった。嬉しくもなかった。ただただ、私は私でありたかった。新しい世界には、さぁちゃんがいる。でもさぁちゃんには触れることができない。旅立ちなんだ。それは岩上との間でも。大学に進学するんだし、そこで新しい人々と出逢う。東京の人だけじゃなくて、全国からやってくるいくつかの価値観と向き合う。そのための私が今までの私では、やはりマズい。まずは岩上を受け入れる私から始めよう。友情は壊れやすいけれど、直せば良いんだ。継ぎ接ぎだらけ隙だらけのほうが、味わい深い。

 春休み中の大学生で賑わう吉祥寺の夜に制服は条例違反なので、一度中野に帰って私服に着替える。いつぞやの川崎に行った時の服装で大人感を演出する。私服とは言え、夜に女子だけで出歩くなんて清楽館の女学生としては失格だろうけど、私や岩上には関係ない。


「政子っ! おつかれぃ!」

 ボウリング場の受付で、岩上は何人かの同級生とボウリングシューズの明らかに小さめのサイズを、無理矢理爪先部分を地面に打ちつけていた。

「円は相変わらず横着だなぁ」

 そんなかんじで岩上は常に不格好で不器用だから最後に色々と報われたのね。

「政子って案外気取るもんね」

 嫌味にも聞こえたが、当たっているからしょうがない。

「そうだ円。さぁちゃん来れないみたいだわ」

 ここにさぁちゃんもいて欲しかった。岩上も加えたやり取りも見たかった。

「ありゃ~残念」

「彼氏のとこに行ったよ」

「ええマジっ!? 彼氏いるんだぁ。てかまぁあんだけ可愛いんだし、いるわよねぇ」

 心なしか、岩上が何かに納得したようだった。

「政子さぁ。今日、昼頃かなりご乱心だったよね」

 いきなり過ぎるぞ岩上!

「ええっ!? ま、まぁ」

 でも岩上に理解できるような代物ではないけど。

「明葉さんに振られたなっ!」

「ふ、振られてないしっ! てか女子と女子だよ!」

「いやいやいや、清楽館だよ。女子高だよ。まぁそんなことの一つや二つあっても私は動じないよ」

 何で上から目線なんだよ。

「よし、まぁとりあえずは投げるよっ!」

 こう言う時、体を動かせるのはありがたい。さぁちゃんへの思いを込めてボウリングの穴に指を入れよう。新しい世界にはさぁちゃんはいないけど、何とか、やっていくよ。


『ギリギリだったけど、政子とまた喋れるようになれて良かったよ』

 不意に、聞こえたような、聞こえなかったような……

『明葉さんの友達になれた政子はさ。前よりも綺麗でカッコ良いよ』

 やっぱり、不意ではないわね……


 正直、岩上は平凡過ぎるし、私と似ていて品も足りない。その上に生意気にも指定校推薦が決まった私に嫉妬してハブりやがった。本当とんでもない奴だよ。許せない部分はある。

 でも、何だろう?

 今の私にはしっくりくる。

 岩上にも大学受験のストーリーがあって、そこで色々何かあったのだろう。もしかしたら、そこで何もない私だったら、今の今も誘いを断って、置き去りの「花円」とともに、朽ちていくだけだったかもしれない。それを真実の愛、耽美と呼ぶのは自由だけど、誰もそれを望んではいない。もう、そんな時間じゃない。大人になってしまう。子供のままに愛し合い、ともに枯れてしまうカトレアの花のような恋は、花言葉曰くの成熟をそう捉えるならば、私達は何も熟していない。

 未熟だから、またここに来れた。

 今のままでは足りないから、今の私に足りないものを、学びに来た。

「ありがとう、円」

 さぁちゃんと一緒にいたから優しくなれた。

 さぁちゃんと見た花を手向けよう。

 岩上のことを、円と呼ぼう。

 友達は一人だけじゃなくて良い。円といることで心が躍る。

「政子! スペア頼むぜぇ! 最近の政子は元気なかったし、ここで一発頼むよぉっ!」

 何だよ円。円の服装もニットキャップによれよれのタートルネックとかどこの勘違い大学生だよ。モテないぞ全く。でもそれが良い。笑える。バカにしてんじゃない。

「っしゃあ!」

 清楽館で過ごしても、結局普通の私達は、ボールを投げて閉塞館を打倒するのがよく似合う。

「政子ぉ~!」

 そう言えばさぁちゃんと来たことなかったよなボウリングって。

 もっと色々と、体動かしてみても良かったな。


 いやいや、人生はこれからだぞ。さぁちゃんとも行けば良いんだよまた今度。

 ――安の彼女としてのさぁちゃんと。

 不意に、今し方別れたばかりの恋人さぁちゃんが、今頃どこかで私が奪ったものを、また奪っているのかと思うと――全く、さぁちゃんはこの喧噪の中で私を泣かせたいのか? ボウリングの球の感触も、さぁちゃんの柔肌であることを願うほどに。

「政子っ~!」

 円の声が暖かい。今頃さぁちゃんはもっと暖かいことをしているかもしれない。私はそこに行くことができない。

 さぁちゃんと私はこんなにも違う。

 さぁちゃんに叶わないことなんかないのだろう。

 私は、さぁちゃんに――もう何もできないのかな? 

「政子どしたの? 悩んでるの?」

 円の問いかけに、首を縦に振ってしまった。

「うん。ごめん。そうだよ」

「明葉さん?」

 そうだよ。それしかない。放課後の様子を見ていたら誰でも気づく。

「あの子、めっちゃ可愛いもんね。私達と違って、本人の自覚があれば人生無敗だろうね」

 さぁちゃんは傷つけない。

 だろうなぁ。さぁちゃんは誰かが助けてくれる。

「政子は、それって羨ましい?」

 羨ましいかと言われたら――羨ましいけれど、可哀想でもあるが、ぶっちゃけ。

「わからん」

 投げよう! 遊ぼう!

 全然物事が解決していないけれど、そんなこともある。しょうがない。

 私達は花になれない代わりに、花を知ることにしよう。

「さぁ政子! 夜はこれからだぜぇ~!」


 私の感じ方とさぁちゃんの与え方は違う。

 自滅したあの日の私の影を、このボールで倒したい。自分の幸せしか考えてなかったあの日の私。何の代償も払わなかった私。

 明葉一族の文化に対する貢献は、エスの書架以外に全く手がかりはない。明葉旗三郎が築いた武蔵野の情景も、全て私達は私達のものとしている。この空も大地も、私達のものであって私達のものではない。私の善良は、私にしか価値がない。

 きっとさぁちゃんは、それに気付いていた。だからこそ優しかった。そして優しい彼女を、私は今も愛している。

 さぁちゃんの価値は人それぞれ。

 私は何年かかっても挑み続けるよ。変わり続けるよ。明葉家の住むこの武蔵野で、人々が生まれては消えていくように。



「やったぁ!」

 ほら、真っ直ぐに投げたらきちんとストライクじゃん。


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