キラキラ、枯れゆく花を涙で飾ろう
ビニールハウス越しに眩い夕陽が射し込むなかで瞼を開く。
私は生まれ変われたのかなぁ。
何となく少し時間が進んだ感はしているのだが、夢を見ることもなかった。
「政子がさ。何か疲れはてた感じで、気を失ったんだよ。でもよく見たら眠くなったのかなー、と思って。今もう六時だよ」
そんなに寝てたの!?
「寝すぎでしょ?」
「仰る通り」
笑けてくる。己のアホさ加減に。
「と、とりあえず、膝が大爆笑で歩けないんですけど……。そんでもってさぁちゃん。私が眠ってた時、何してたの?」
さぁちゃんは呟いた。
「永遠にするんだよ。今度こそ。政子。膝が落ち着いたら、持っていくよ」
「何を? どこへ?」
「明日にね」
さぁちゃんは腕組みしていた。
「どゆこと?」
「まぁまぁ政子。行くよ」
見渡す限り、「花円」のカトレア達は一輪も残されていなかった。さざれ石だけになった殺風景な「花円」は、時期に解体されるのかしら。
「カトレアがないじゃんさぁちゃん!」
「そうだよ政子。
『花円』は春の夜の夢に消えました」
「そ、そっかぁ……」
両腕を重ねて、筋肉の緊張をほぐす。失神か仮眠か、凝りまくったものを解放する。
ここはただの現実なのね。
あのチューは何だったのか。後からじわじわ来るものだろうか。それにしても恥ずかしい。思えば今日は告白してチューしてって、端から見たらむっちゃくちゃな一日だったろう。明日の卒業式で全て終わるからこそだが、とりあえずは、これで良かったのだろう。
「行こうよ政子」
さぁちゃんの笑顔が喉から手が出るほど欲しかった。願った世界が、「花円」なき世界にはある。
「大丈夫? 立ち上がれる?」
「うん何とか――」
よろめきながらも立ち上がり、鞄を持つ。
「生まれたての子鹿じゃんか政子~」
「そうだよ! 私は今、生まれたてなのよ!」
私なりに真面目に伝えたつもりなのに、さぁちゃんはシフォンのような嫌みのない柔らかさが健康的なお腹を抱えている。
「政子腕あげたねっ!」
違う! これは至って大まじめな話なんだよ。マジだぜっ!
「さぁちゃん~。もう一回チューとか、無理?」
せがんでみる。
「いやいやいや、あんな情熱的な感じで迫られたら一日二回は無理っしょ! あたしだよ。か弱きJKっすよ政子さん」
さぁちゃんは「花円」の扉に立っている。未来の扉がそこには本当にある。
今度のチューは叶わないけれど、私は、安には手に入れられないものを手に入れられた。
「政子。忘れ物はないよね?」
「うん」
恋人よ。
君を忘れない。
●
帰り道。
御殿山から見下ろした井の頭池にはところどころ雪洞のような明かりが咲いている。
「寒いね」
マフラーをさぁちゃんの首に巻いてあげる。
今度はさぁちゃんの首にだけ。
「あらら政子ありがと」
睫を瞬かせて、さぁちゃんは前だけを向く。
高等部の校舎が視界に入ると、私は急に思い出したようにスマホを確認した。岩上からの久々のメールは、前夜祭へのさぁちゃんの参加を促すものだった。
「そうださぁちゃん。岩上さんから卒業式の前夜祭のお誘いがあるんだけど、行かない?」
岩上からも誘うように言われてたんだ。
「んー。ちょっと時間がなぁ」
「ないの?」
「まぁ、そうだね。いつもは暇なんだけどね。今日だけはちょっと」
新しい世界のさぁちゃんは、振り向かない。
「やっぱりさぁちゃんは変わってるね」
「ふふ、ごめんね」
「さぁちゃんは、何者なの?」
振り向かないさぁちゃん。私の問いかけにも、やはり前を向いたまま呟いた。
「あたしが何者かって?
わかんないから、一緒にいるんでしょ」
さぁちゃんは、御殿山から夜空を見上げた。
「あたしは、世の中とズレてるわ。いくら友達が困っていても、欲情を受け止めたりはしないわ普通。でもね。それは普通の場合でしょ。全てにおいて普通なんかないわ。むしろ、心が動く時って、普通を越えるから、喜んだり、泣いたりする。さぁちゃんの言葉は意味わからないこいとも多かったけど、何かとにかく気迫があった。
あたしはね。いつか、政子だけど、死ぬんだ。
そしたら、普通のままだったら埋もれてしまう。
生きてることは、優しくいることじゃないわ。気持ちを越えること。
政子のことだって、安くんのことだって、普通拒否るわよ。でも。それじゃ普通じゃん。興味を持つって恐ろしいくらいエネルギーが必要よ。空から小石を投げて地上の小石にヒットさせるようなものよ。でもさ。あたしが空だったら、何だって、楽しめる――
それは安くんを見た時に感じたんだ。安くんはあたしから見てもまぁガレット屋さんの雰囲気に合ってなかった。マスターが追い出しても不思議じゃなかった。でも頑張ってたんだよ。輝いていた。あの時、閃いたんだ。空になれば良い。そしたら、全てが楽しくなる。良いことも悪いことも含めて、あ
たしは、好き。
空は何でも見えるから、視界に入った政子にも声をかけた。ほらっ、あたし、友達いないでしょ。つまんない奴なんだよ。だってあたし、自分で自分のこと、大嫌いだったもん。同じとこぐるぐるぐるぐる何も成長しない。だから天才にでもなればさ。てかあたしは天才なんだとは思う。誰のことも分からない、誰にも理解されなかったあたしは天才になりたかったよ。だってさ、悲しくてさ。あたしの人生のマイノリティさが。天才にでもなれば気にならない、そんなふうにね。
そんなあたしが一番初めて見た空が、政子だったんだ――
政子は楽しい。
――とか言ってるけどね。本当は違うかもしれない。好きだよ。政子」
ふと立ち止まり、肩に寄りかかる小さなさぁちゃん。私は受け入れる。
時間。止まってくれないかなぁ。
「さぁちゃん……」
安がいなければ、私達は結ばれていたのかもしれない。
でも安がいなければ、さぁちゃんに抱く気持ちに、名前をつけることができなかった。
さぁちゃんは綺麗だよ。可愛いよ。人を好きになった人は、心が明け透けになっていて、そこから愛の花が咲いている。その花を摘みたいのだけれど、それは深く根ざしていて、引っこ抜いても引き裂いても、心は動かない。彼女の軸はもうそんなところにはない。やがて明ける夜が終われば、太陽に向かって飛んでいく。太陽は、安――清楽館高等部の門を抜けると、私は明日の大きさに、なんだか泣けてきた。
「世の中にはない理由で、好きだよ」
「それどんな理由?」
「全部全部全部見せあってさ。これ以上の奥ってそうそうないよ。今更政子は何を隠してる? ないでしょ」
「うんー。ないと思う」
私の涙が治まったころ、さぁちゃんは急に振り向いた。
「政子。さぁー、どうかな?」
眼前には、朝さえ待てない安がいた。
「ええぇ」
「じゃっ! 生きろよ政子っ!」
井の頭池の向かい側にいる安に飛びつこうと、一気に加速を増していくさぁちゃん。自由への疾走。未来へと急ぐ。
「さぁちゃん! さぁちゃ~ん!」
「では、お元気でっ!」
手を振るさぁちゃん。
離れる私。
「えええ嘘でしょ!? 早すぎるっ! いきなりすぎる!」
心の動きが神経に伝わるのが一瞬だけ遅かった。バド部で一応走り込みとかやってたはずなのに、今日のさぁちゃんは無駄に早い。安と手を握って人混みの激しい吉祥寺駅のほうに走り去っていく。
でもねさぁちゃん。どれだけ人がいようが、この私だよ? 見つけ出せるに決まってんじゃん。行かせないよさぁちゃん。この私の胸の中で――
見つけたところで、何をすんのよ?
同じ時間が続いていくだけ。
同じ感情を、抱かれ続けるだけ。
私は同じ思いを繰り返すだけ。
また、さぁちゃんに焦がれるだけ。
焦がれ続けたらーー
立ち止まろう。
それは、私達の旅立ちだから。
永久なるエスに向かって。




