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いびつだけど、花になる

 受験で苦しむことを含めてみんなが夢を紡ぐ二月後半、私は清楽館の図書室や「花円」に一人で籠もりっきり。未来なんてありゃしない。清楽館の大先輩達から明葉家と武蔵野との関係について聞かされてなお、私のやることは変わらない。ここにいても良い間は、ここにいる。もうとっくに飽きているけど、それでも私はここにいる。

 バレンタインの日、行動した私はさぁちゃんに関する多くを失った。私がさぁちゃんにできることは傷つけること。そんなの、私がやりたいことじゃない。事実、あれからさぁちゃんからの連絡はない。その時点で私に与えられた答えが決まっている。

 そんな私が、今できること。


 それは例えば、こういうこと……図書室と「花円」を巡る際には、下級生達と被らない時刻に下校する。

 下級生達は期末テストの時期に差し掛かり、部活が禁止されているため昼に帰宅する。私は大体その後を狙う。卒業を間近に控えた三年生がほぼ毎日足繁く図書室に通っていることなんて、清楽館のような狭い学校は噂が広まるのは早い。別に自分の行為に誇りを持っておけばそれで良いっちゃ良いが。それでも気になってしまうパーソナリティ、鈴木政子のみで私を生きることの脆弱さよ。

 井の頭公園の冬枯れた木々と日差しを見つめ、さぁちゃんを憩う。「花円」じゃない公園は寒く、日本の女子高生文化が冬も生足を奨励する価値観が憎らしい。さぁちゃんくらいの羚羊レッグならまだしも、私だぞ私。

 水抜きを経て澄んだ色となった井の頭池を見渡すベンチに腰掛け、道行く人々を見つめる。マラソン人に犬の散歩人、フォークギターの練習に明け暮れるヒッピーに、ジャグリングで近所の子供達から拍手を受ける大道芸人。武蔵野に咲く文化の花は、明葉家が紡いだ幹によるものなのかな。

 さぁちゃんと歩いたこの道ももう、一人でしか歩けなくなっちゃった。

 ――私、安に負けてるよなぁ。

 さぁちゃんが作り上げた「花円」を知っているのに。知れば知るほど弱くなる。

 今のさぁちゃんは、「花円」よりも大切なものを見つけてしまった。さぁちゃんは今でも私を大切には思ってくれているだろう。でも私が大切さを感じるマックスの気持ちなんて、さぁちゃんにとっての平常運転。愛に纏わる私のレベルが低すぎた。

 私は誰のこともわかろうとしていない。

 私は、何者にもなれない。

 ごめんね。

 私が、優しくなれなくて。


 ……今の私は来るべき卒業式を待ちながら、そんな気持ちに苛まれることくらいしかできない。


不安のなか、自問自答を繰り返す。


さぁちゃんは変わってしまったのかなぁ?

 ううん。そんなことはない。あるはずがない。

 さぁちゃん自身言っていたじゃないか。

 私が気づかなかっただけ。

 私が何かを感じるのと同じ分、さぁちゃんも時を生きている。

 私とさぁちゃんは一緒ではないが、一緒だと勘違いしていた時期もあった。

 だが、もしこの勘違いに一つでも正当性があるならば、私は一つでも信じたい。

 私達は、エス。

 戦前の女学生じゃあるまいし、契りを交わすことも、心中することも必要はない。私達には私達なりの、二十一世紀にふさわしいエスがあれば良い。

 私はそのエスについて、一つの方向性を見いだした。私とさぁちゃんが互いに手を取り合えるように、私がさぁちゃんの人生を邪魔しないように。

 だがそれには、さぁちゃんの協力も必要なの。


  ●


 美しき昨日の岸辺から辿り着いた高校生活三十六ヶ月目。遂に最後の月。卒業式を明日に控え、再びの登校日を迎えた。


「おはよう、政子」

 いつもより早め、朝六時に起床した私は、アイランドキッチンのIHコンロに銅鍋を乗せて、鰹出汁に味噌を溶かしている父の姿を見た。

「お、おはよう」

 家族相手なのに噛んでしまった。

 医者として忙しい父は、人々の健康を守るのが仕事なのに、自身の健康までは手が回らないのか、家の中なのにマスクをしていた。

「政子も飲むか?」

 父の提案に、首を縦に振った。

 五十路の母は軽蔑の対象だが、父とは時間が合わないことから会話があまりなかった。

 ちゃんと父に朝の挨拶をしたのは高等部入学式の時以来だろうか。

「政子と一緒にいるのも久しぶりだな。なかなかちゃんと時間が作れなくてすまないな」

「良いのよ、そんなん」

 誰かのために働いている人はカッコ良い。

 それに引き替え、五十路の母は海外旅行に出掛けて、今日帰国予定だ。その間の朝食等は、コンビニに行くか、食パンを焼いているかしていた。

 父はお盆に私の分も津軽塗のお椀を載せて、お味噌汁を運んできた。

母が選んだただ豪華なだけの食卓テーブルに腰掛けると、湯気とともに心のこもったお味噌汁と白ご飯、鰯の丸焼きには大根おろしと大葉が添えられていた。

「いただきます」

 父が医者じゃなかったら、私と家族のコミュニケーションはもっと密着したものになっていただろう。

「離婚してよ」

 いきなり切り出した。

 離婚したら、五十路の母は法外な慰謝料と、養育費目的で私の親権を求めてくるかもしれない。それでも構わない。

「政子。ママの立場に立って考えなさい」

「じゃまお父さんの人生は何なの? 

 お父さんの優しさは、私を傷つけてるんだよ。お母さんのほうが大切なの!? ねぇ!?」

 私は怒っている。父にはそれを明かすことができる。母と違って。

「政子、やめなさい」

「私に優しさを求めないでよ。何でお父さんは怒らないんだよ!」

私、すっごくキツいこと言ってる……

「政子には、わからないしわからなくて当然なんだよ。足りないものはママの分も僕が何とか補う。そういう愛の形もある……僕にはそういうふうにしか、政子に説明できる術がないんだよ」

父の言葉に、私の胸はヒンヤリとした。

「『愛の形』かぁ……」

私がさぁちゃんを愛するように、父には父の愛の形がある。それは誰にも譲れないもので、誰に奪われることもない。もし失うことがあるならば、自分を見失った場合なのだろう。

 私がさぁちゃんの笑顔を見失った時、私が意識していたものは何だったんだろう? 

 思春期は反抗期とは言うものだけど、私は何に反抗していたのかなぁ? 月並みな答えだけど、自分自身ということになるだろうかなぁ? 


 やっと気づけたよ、さぁちゃん。


 さぁちゃんに出逢ってから、私の目に映る世界はお世辞抜きに変わっていった。今までの人生がまるで鳥籠にいたかのように。とりあえず反抗しておけば、自分自身への執着は減少する。大切なものから目を逸らし続けることができる。

 湯気が輝かしさすら魅せるふろふきの大根と関西を意識したのか青い葱が入った味噌汁にも、なかなか口をつけることができない。猫舌なんだけれども、それだけじゃない。私如きがこんな愛の塊をご馳走にあがって良いのだろうか。それも申し訳なくて。

 声を荒げることも、反抗ではないつもり。お父さんがどうするかは、お父さんが決めれば良い。

「いただきます」

 さぁちゃんはご飯を食べる前に必ずこの言葉を口にする。一人の時だって、私と二人の時も変わらずに。そんなさぁちゃんが口にするように、私も張り切ってみよう。

 お味噌汁は湯気とともに、箒雲のように広がる味噌とその香りが、私の朝に温もりを添えてくれる。大地の恵みを愛情とともに頂いている。何だそれ? 涙に溢れてもおかしくないくらいの目映さをお味噌汁に感じる私を与えてくれたのはさぁちゃん。このお味噌汁にも、さぁちゃんが溢れている。

 

 家の近所のコンビニでアルバイト情報誌を購入する。卒業したら仕事探そう。お金が貯まったら一人暮らししよう。母と違って、自分でできることを増やしたい。運だけでなく、自分で生きたい。理解できないものを越えるためには、自分であるしかない。さぁちゃんのことが大好きな私は、さぁちゃんに惚れられたい。安が辿ったストーリーを、今度は私が追ってやる。


 『さぁちゃん。こないだはごめん。もうあんなことはしない。さぁちゃんの未来を応援する。会いたいよ』

 メールを送った。

 思いのままの言葉をメールに(したた)めた。

 私が私であること、それもエスだから。

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