最大のピンチ(沙希)
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「お前らさ、喧嘩でもしてるのか?」
「違う、と思うんですけど……。」
「何だ、歯切れ悪いな。」
「だって、全然話ができないんですもん。」
「何だ、そりゃ?」
「……立花さん、聞いてもらっても良いですか?」
「仕方ないな。どうした?」
三日前から、貴斗は私に話し掛けてこなくなった。そして私が話し掛けても、黙って聞いてはくれるけれど返答はしてくれない。電話も留守電で、メールも返してくれない。原因が分からなくて不安でいっぱいで、私は立花さんに助けを求めた。
本当に突然だった。前日の金曜までは何ともなくて、いつも通り同じ電車で帰って私の降りる駅で手を振った。
いつもなら土曜にデートをするんだけどこの日はたまたま私の方に用事があって、会うのは月曜だね、なんて話をして別れた。
翌日用事が終わって何の気なしに夕方にメールをした。だけど日をまたいでも返って来なかったから、珍しいなと思って電話を掛けてみた。だけど留守電になって。しつこく電話するのも気が引けたし、その時はただ忙しいのかなって思っていた。
でも月曜の電車の中、どれだけ探しても彼はいなくて。不安に思いながら会社に来たら、何食わぬ顔で自分の席に座ってはるちゃん達とお喋りしている姿を見つけた。話し掛けても答えてくれなかったし、話し掛けてもくれなかった。そんな日を一日過ごして、今日もまた同じ様に一日が終わろうとしている。
「思い当たる節はないんだよな?」
「はい。でも自信をもって絶対とは言い切れません。
ふとした言葉がきっかけなら、もう分かんないです。」
今にも涙が溢れそう。目の前のパスタが霞む。私は何をした?何を言った?彼の好きなものを知りたがるばかりで、嫌いな事を知れていなかった事に気が付く。
「そうか……。」
「もう、だめなんでしょうか?嫌われたのかな……。」
「それはないだろう。」
確かに慰めて欲しかったけど、あまりにはっきり即答されて呆気に取られてしまう。こんな時でもパスタを口に運ぶ姿が綺麗で何だかむかつく。全く話ができない状況で、何を根拠に嫌われてないって断言できるのだろう。
「金城が竜胆に話し掛けた時、あいつ下向いてたよな?」
ずっとだ。貴斗が座っていれば私が視界に入るのも容易いと思って近付くのに、資料とか携帯を見るばかりで見ようともしてくれない。少し顔を上げるだけで、すぐにでも目が合う筈なのに。
「でも、金城が自分から離れた後、ずっと追ってんだよ。」
「追ってる?」
「金城の後ろ姿を。寂しそうな目で見つめてんだ。」
そんな。それならどうして。
「あいつ、器用なくせして変なとこ融通利かないし。
意外と子供っぽい所あるからな。どうしてなのか気付いて
欲しいって、思ってるのかもな。
気付いてもらえるまでは話さないつもりかもしれない。」
「……でも、何も思い浮かばないんです。」
前触れなんて何もなくて普通にまたねって別れたまま、こんなにも近くにいるのにひどく遠い。触れられる距離にいるのに手を伸ばす事すらできなくて。どうしたら良いんだろう。
「ちなみに、土曜の用事ってのは何だったんだ?」
「兄と会ってました。」
「へー、久しぶりだったのか?」
「はい。今アメリで薬の研究をしてて、1年振りに。」
大学時代に薬学部に通っていたお兄ちゃんは、教授の計らいで近くの研究室で働いていたんだけど、そこでアメリカのある研究チームと知り合いになって、どうしても来て欲しいって2年前に引き抜かれて向こうのチームで新薬の研究中。
1年前に一度帰ってきたきり、久しぶりに会ったお兄ちゃんは全然変わっていなくてほっとした。だけどたまにかかってくる電話に英語で応対しているのを見て、1年でこんなにも変わるんだ、と思って少し見直した。
「土曜しか会えなかったのか?」
「こっちに帰ってきたのも仕事でだったんで時間なくて。
確か今日の夜の便で帰るって言ってたなぁ。」
夜は知り合いと飲みに行く予定ばかりだと言っていたけど、日中は前の研究室に缶詰らしい。ちゃんと無事に帰れるかな。
「そうか。見送りは行かないのか?」
「行ったら絶対、帰りたくないって言われるんで。
うちの兄、かなりのシスコンなんです……。」
何度も恥ずかしい目に遭ってきた。年子だから学校内でいつも“金城兄妹”は有名だった。他に近くの高校がなかったとは言え、同じ高校に入ったのは間違いだったと思っているし、あの高校時代は悪夢と呼んでもいいと思う。
もうこの歳で周りから変な兄妹として笑われたくない。本気で。
「大変そうだな。顔、歪んでるぞ。」
「あ、すみません。」
「ところで兄さんと、どこで会ってたんだ?」
「え?空港まで迎えに行って、途中食事して、研究室に
送って別れました。」
珍しくあっさり見送られたから拍子抜けしたのを覚えている。やけににこにこ笑って気を付けろよ、なんて。
というか、これは何の質問?貴斗との事を話していた筈なのに。ふと見やると、立花さんは眉間に皺を寄せて何かを考えている様だった。
「研究室ってのはどこにある?」
「川上病院の近くです。」
「って事は、竜胆の家の最寄駅の辺りか。」
「あ、そうですね。」
そういえばそうだ。貴斗の家に行く事は殆どないからすっかり忘れてた。あの日、家を訪ねていたら、何か変わっただろうか。
「もしかして。」
「え、何ですか?」
立花さんが突然ぽつりと呟いた。聞き返しても答えてくれず、そんな偶然あるかな、なんて自問自答して教えてくれない。
「立花さん、何か分かったなら教えてください!!」
「あ、いや、その。兄さんが関わってるのかも。」
「お兄ちゃんが?」
「確証はないけど、兄妹だって知らなかったから2人を見て
勘違いしたとかそういう事かもしれない。」
まさか。私とお兄ちゃんだよ?……でも、私も来海さんの事、勘違いした。もしかしてそういう事?
「俺がそれとなく探ってみる。もしそれで合ってたら、その
方向で話をしたら聞いてくれるんじゃないか。」
「立花さん、すみません……。」
「何言ってんだ。どんな時でも助け合うのがチームだろ?
それに、金城には感謝してるからな。」
そう言って伝票を持って颯爽と歩き出す背中は、憧れを持ったその時のまま、私に力をくれた。
いつの間にか終業時間。覚悟を決めなきゃ。
立花さんからは、やっぱり兄さんの事だと思う、と言われている。ただいつのタイミングで行こう?会社の中だと流石に気まずいし、同じ電車で帰るのも無理そう。会社を出てすぐに声を掛けるくらいで行かなきゃ。
そんな事を考えている内に、貴斗は片付けを終えて足早に帰ろうとしている。
「お疲れ様です。」
「おう、お疲れ。……金城、早く行け。」
「分かってます!」
無造作に全てを詰め込んだバッグはパンパンだけど、そんな事は気にせず出て行った貴斗を追いかけてブースを飛び出す。少し時間がかかった。もう前のエレベーターで行ってしまったかも。そうだとしてもとにかく走る。あ、だめ、閉まっちゃう!
「乗りまーす!!」
殆ど閉まりかけていたエレベーターのドアが再び音を立てて開いた。気付いてくれて良かった。これで乗れなかったら、きっと完全に見失っていた。
「はぁ、は、ありがとうございます。」
久しぶりの全力疾走にもうヘトヘト。この距離で息切れするなんてだめだなぁ。動き出したエレベーターの中で苦しさに俯いていた顔を上げて礼を言うと、そこにいたのは彼だった。
「え?」
広い密室に2人。私の戸惑いの声と、エレベーターの微かな起動音だけが響いた。見つめても交わらない視線は、ただ光る数字を追っていた。
変わらず彼は優しくて、だから余計分からなくなる。私のどうでもいい話に付き合ってくれる彼は、肝心な事を教えてくれない。
「あのね、」
声を振り絞ったと同時に、エレベーターの扉が開く。貴斗は一瞬だけこちらを見るように視線を動かしたけどそれだけで、エレベーターを出て行った。
数人の社員が入れ違いにエレベーターに乗り込んで行く。後ろには戻れない。前に進むにも勇気がいる。どうしてだろう。いつもタイミングが悪い。運良く同じエレベーターに乗れたのに、何もできないまま終わってしまうの?
「しかし、今日はエレベーター遅かったな。」
「誰かが上で止めてたんだろ。」
「3階でな。」
「珍しい、」
そんな声が扉の隙間から漏れて消えていった。
本当は私を、待っていてくれたの?
私を、好きなままでいてくれているの?
また、元通りに一緒に笑ってくれますか?
追いかける、追いかける。
他の誰の事も、余所見する余裕なんてないの。貴斗じゃなきゃだめなんだよ。
受付の前を走り抜けて、入口へと突っ走る。
ガラス戸の向こうに見慣れた背中が見えた。
「貴斗!!」
「沙希~!」
驚いた顔で振り返った彼とは違う、だけど嫌に聞き慣れた声が私を呼ぶ。貴斗の向こうに、にへらと笑って小さく手を振る男が見えた。
大事な時をいつも邪魔するこの男には、もううんざり。
「こんなとこで何やってるの、お兄ちゃん!!」