私は彼の隣で(沙希)
目の前のこの人が私の“彼”だなんて、本当に良いのだろうか。
嬉しくて幸せで、いつからか願い始めた恋人にやっとなれたのに、胸の奥は驚く程に不安で堪らない。こんな事思わないって決めたのに。
私が竜胆さんの存在を知ったのは、入社2年目でLTPに配属されてすぐ。
1年目に受付嬢をしていた私は、その時点でこの500人程いる社員の全員の顔と部署は認識していた。名前まで分かっているのは半分位だけど。
だからSLP―School Life Producer〈学生対象〉―のブースで飛び抜けて背の高い彼を見た時、新入社員だってすぐに分かった。そして気になる存在として頭にインプットされた。
でも言っておきたい。別に一目惚れとか、そういうのじゃない。
気になる存在、というのは所謂イケメンレーダー的なもので。その中には立花さんだって当然いた。寧ろ立花さんの方が先だし。
竜胆さんは確かに格好良いし背が高いから目に付きやすかった。でもそれ以上に内面が素敵だと思った。
だから、好きになったんだ。
***
受付嬢の仕事は会社の窓口であると同時に社員の窓口でもあった。私が皆を知っている様に、皆も私を知っている。だからLTPに異動してからも聞いてもいない情報さえすぐに手に入った。最初の1ヶ月で、SLPのかの人はとても話題になっていた。
竜胆貴斗さん、私の2歳上。大学卒業後、経理事務所に勤めていたけどそこをやめてPartnerに。高校は野球部強豪校に通って、竜胆さん自身もその野球部でエースだったというかなりの腕の持ち主―。
噂には色んなデマも加わっていたから、真実だったのはこの位。本当、誰が調べてきたんだか。
イケメン、モデル体型、スポーツマン、そして謎の経歴で注目の的だった竜胆さん。
SLPにいる同期で同い年の紺野猛、通称こんちゃんと話をしていた時にもそんな話題になった。
「今年入ってきた人等、仕事が早すぎて困る。」
「それって噂の「竜胆さん」?」
「竜胆さんもだし、菅野さんって女の人も入ってきた。
美男美女が入ってきて、僕の存在が薄れる……。」
肩を落とすこんちゃんは別部署で同じく同期の柴田未奈が好きで、隠れアタック中。隠れすぎて気付いてもらえてないから、私からもみなにこんちゃんをそれとなく勧めている。
「弱気にならない!そういう話じゃなかったでしょー?」
「あ、そうだった。で、竜胆さんと菅野さんなんだけど。
めっちゃ仕事できるんだよ。要領が良いって言うか。」
入社したての1年目は基本雑用が多い。その1年でPartnerでの仕事の扱い方を勉強するためなんだけど、入ってまだ2ヶ月位でそれが分かるって相当だ。
「年上とは言え、入社してすぐの人にあんまりテキパキ
仕事こなされたら、2年目の僕の立場ないんだよ。
栗原さんも2人の事気に入ってるみたいだし。」
SLPリーダーの栗原朋恵さんは厳しい事で有名な社員さんだ。あの栗原さんに気に入られるとはやっぱりその2人、只者じゃない。
「仕事は早く済んで良いけどさ。僕の小物感が増幅してる
気がするんだよなぁ。」
「あのさー。」
ずっと聞いていたけど、どうしても言ってやりたい。
「自分が認められないのを人の所為にするのやめなよ。みなは仕事のできて男らしい人が好きです!!」
それだけ言って私は立ち去った。こういう言い訳がましいのがこんちゃんの悪いとこだ。
***
口をあんぐり開けたままのこんちゃんのあの顔は、今思い出しても傑作。
その頃から、どんな人なのかなぁって気になってはいたけど。ブースは端と端だし、企画課同士が仕事する事もないからあまり関わり合いになる事がなかったんだ。
すれ違いざまに挨拶したり、落とした書類を拾ってあげたり、経理課でばったり会ったり。
その位なもので、多分竜胆さんの記憶には残ってないんじゃないかな。
いつかちゃんとお話ししてみたいとは思っていたから、次の年に竜胆さんがLTPに来た時は本当に驚いちゃった。
「竜胆貴斗と申します。宜しくお願いします。」
異動初日の挨拶の時。
初めてちゃんと、真っ直ぐに見つめられて小さく胸が跳ねた。と言っても席がたまたま正面だっただけだけど。
でもあまりに顔の整った人と向かい合うのはなかなかどうして気恥ずかしいもので。立花さんで免疫がついたと思っていたのに、顔の系統が違うとだめなのかななんて場違いな事を考えていたのを思い出す。
少し緊張しているのか、昨年何度か見かけた笑顔をその日に見る事は出来なかった。
それから1週間で結構無口な人だと分かった。基本的に人の話を聞いている事が多くて、喋ったと思ったらすごく的を得た事を一言だけ落としていく様な、そんな感じ。
同じチームとして働いていくと、色んな部分が見えてくる。その人の癖とか好きなものとかが企画案から覗き見えたりする。
竜胆さんはと言うと、商品によって全く変わる柔軟な人だ。
ある時はからくりの様な綿密さがあったり、ある時は驚く程無駄を削った簡素なものだったり。でもそれが固定概念に囚われない新しい発想で皆を驚かせるの。
本当に頭の良い人なんだなって羨ましいし、ちょっとだけ嫉妬心もある。私だってLTPの一員だもん。才能に嫉妬したりもする。
とにかく竜胆さんは私に持っていないものを沢山持ってるすごい人なの!
あ、だから立花さんはあの時から、私と竜胆さんをペアにしてくれているのかな。私にないものを補ってくれるから。立花さんの采配がなければ今のこの状況って絶対なかったよね。
***
「竜胆は……金城とな。」
「はい。」
立花さんの決定と軽く返事をした竜胆さんに、私は間抜けな顔をしていたと思う。
だってだって。今まで二人一組での仕事の時はずっと瞳さん―田代瞳―としか組んだ事ないもん!私お喋りだけど竜胆さん口数少ないし、沈黙に耐えられる気がしない!!
竜胆さん、本当にいいんですか!?
「金城さん、お願いします。」
……そんな風に言われたら断れないじゃないですか、もう。
「……こちらこそ、お願いします。」
「じゃ、ペアでの本格始動は明日からって事で。
今日中に今やってるの終わらせるように。」
立花さんの言葉に、とりあえず目の前の書類を片付ける事に専念しようと集中する。でも本当に大丈夫か、心配でならなかった。
後日。
「金城さん?」
「へ?」
私とした事が何て失態。昼休みも惜しんで食堂でご飯を食べながら、2人で企画を練っているのにぼーっとしてしまうなんて。ちゃんとやんなきゃ!
「ごめんなさい。聞いてませんでした……。」
「いや、良いんですけど。やっぱり俺じゃ厳しいですか?」
「はい?」
「俺とペアでの仕事は、やる気起きないですか?」
この人は何を言っているんだろう?言葉の意味がなかなか理解できなくて頭をフル回転させながら、目は竜胆さんの切なげな瞳を見つめていた。こんな顔もするんだ。
「って、いやいや。全然そういう訳じゃないんですよ!
ただ、男性とのペアって初めてで、仕事のやり方を
探ってるって言うか、何て言うか……。」
「良かったです。嫌がられてるならどうしようかと。」
そう言ってふわっと笑ったその笑顔に目が釘付けになる。何気ない言葉にも気恥ずかしくなる。
「あ、あの!もう敬語いらないです!」
「え?でも先輩ですし。」
「いや、良いんです!あと名前も呼び捨てで良いです!」
何だか急に年上の人に敬語で話されているのが緊張の元だと感じて、やめてもらう様お願いした。竜胆さんは年功序列を重んじる人らしく、大分悩んでいる。
「敬語、緊張しちゃいますし。これから2人でやっていく
ならそういうのってない方が良いと思うんですよ。」
もっともらしい事を言ってみる。竜胆さんは少し驚いた様だったけど、私だってちゃんとする時はちゃんとするんだぞー。少しくらい好感度上がったかな?
「そうだな。じゃ、そうする。」
最後に竜胆さんがお願いを聞き入れてくれた。敬語がなくなっただけで何だか妙にしっくりきてほっとする。次いでにちゃんと話してみようと思った。
「竜胆さんは元は経理の仕事をしていたんですよね?
どうしてPartnerに来ようと思ったんですか?
あ、もしかして経理課に行こうと思って?」
「いや、最初から企画課を目指して来た。」
矢継ぎ早に問い詰める私に怒りもせず、しっかりと答えてくれる。無口な様だけど、結構話してくれるんだって分かった。
「経理の仕事は金と書類と向き合ってばかりで単調で、
俺には向いてなかった。もっと新しい事をしたかった。
たまたま同僚が読んでた雑誌に、社長のインタビューが
載ってて、それで興味を持ったんだ。
元いた事務所の所長も頑張れって送り出してくれた。」
向いてなかった、って言うけどそれでも懸命に仕事に励んでいなければ、応援なんてしてもらえなかった筈。やっぱりそれだけの働きをしていたって事なんだよね。
自分の考えの浅はかさを思い返す。
「新しい事をしたい、かー。良いですね、そういう気持ち。
私なんてただ、大きい会社に入るぞ!くらいにしか思って
なかったですよ。」
「別に、それも悪くないと思うけど。」
その言葉に、疑問符が幾つも飛び上がる。こんな単純な、子供じみた考えが?
「そうやって決断して、今後悔してるか?」
「してないです。この会社に来て良かったと思ってます。」
即答できる。今はこの会社の一員である事に誇りすら感じているから。1つ1つ仕事に向き合う度、成長させてもらっている様な気がするから。
「それで十分だと思う。
本当に大切なのは、理由じゃなくて結果だと思うんだ。
どうしてここに来ようと思ったのかよりも、行動して
あの頃の決断を今どう思っているかの方が重要だろう。
どんな理由であれ、後悔していないと即答できる今が
あるなら、それは正しい理由になるんじゃないか。」
不純な動機だってからかわれ、自分でも冗談を飛ばした過去が溶けていく。あの頃、そう思わなければここに来る事はなかった。単純で子供じみた考えでもそれが今を作っていると思ったら、よくやった!って褒めてあげたくなった。
「今、こうやって金城と仕事ができて俺は嬉しいよ。」
私が黙ったままでいるからまだ納得していないと思ったのか、そんな事を言う。それが喜ばすための社交辞令であっても、その言葉を受けてこの人が好きだなって思った。
自分でもやっぱり単純な奴だって思うけど、竜胆さんが私を肯定するために言葉をくれた事が幸せだって思ったから。
***
「金城。」
「うわっ!!」
いきなりドアップで名前を呼ばれてふんぞり返る。相手は勿論“彼”、竜胆さんです。驚いたおかげで回想脳から現実へ戻って来られた。
「ずっと呼んでたんだけど。」
「う、ごめんなさい……。」
「俺、まだ何か疑われてる?」
そう言われてはっとする。つい先日、この事は解決した筈だったから。
2年片思いをしていて、突然の竜胆さんからの告白。涙が止めどなく流れる程嬉しくて、好きだと言われた事が幸せだったのに、竜胆さんと自分の差を挙げていけばキリがなくて、どこを好きになってくれたのか見当もつかなくて。
2人きりになれば口篭ってしまう自分はすぐ飽きられるんじゃないかって、疑ってしまった。
竜胆さんの気持ちは見えにくくて、すごく悲観的になってしまったんだ。
だけどそれを、絶対ないって否定してくれた。一緒にいられるだけで幸せだから急がないで良いって言ってくれた。その目は少し寂しそうだった。
なのに私はまた不安になって、そうして竜胆さんも不安にさせている。
「疑ってる訳じゃ、ないんです。でも、ごめんなさい。
折角デートしてるのに。」
台無しにしてるな、私。これじゃもし飽きられても文句言えないよ。
「いいよ。もう出よう。」
竜胆さんが立ち上がって、レジに向かう。すたすたと歩いていく竜胆さんに、私はちょこまかと付いて行く。身長差はこういう所で如実に表れるから厳しい。珍しく置いて行かれそうで、怒ってるんだと思った。
「……なぁ。」
レストランを出た竜胆さんは、道の向かいにある公園に入ってベンチに座った。それに倣って恐る恐る隣に座ると、大きな右手でぎゅっと左手を握られる。心拍数急上昇の私を置いて、竜胆さんは正面を向いたまま話し出す。
「俺だってずっと、金城の事好きなんだからな。」
「え?」
突然の再告白にどぎまぎしてしまう。私の心臓を壊すつもりでしょうか……?
「多分、いや絶対。金城より長いから。
だから、好きでなくなる日なんて来ない。」
きっぱりとした宣言は力強くて、握られた手は心地良くて、泣きたくなった。
「だから……一緒にいよう。」
溢れる涙をそのままに、私は何度も頷いた。揺らめく視界の先の微笑みが優しくて、また涙が頬を伝った。
どんなに単純な始まりの「好き」でも、今の幸せがあるから、私は彼の隣にいるのです。