第8話
リマジハ村を出立してから三人は馬車が行き交える程度の幅ののどかな道のりを歩いていた。特別に警戒する事もなく続く道の上の時間を潰すように三人は他愛ない会話をしていた。
「結構暑いよね、火の月辺りだっけ?私のとこでいう夏なんだろうね」
「愛の世界にも四季があるの?」
「んんとねぇ、世界中の国にあるってわけじゃ無い…はずだけど四季はあるよ。私のすんでた国はハッキリ別れてたけどね」
「そうなんだ。確かにこっちもデイキーユより北に行くと寒い期間が長いところもあるよね」
「そうですね。私が演習で行ったカコナルは随分と長い間雪が降るところでした」
「アルフア、カコナルに行ったの?すごいね、僕なんかリマジハ村以外は今から行く隣町までしか行った事ないや」
「そんな…騎士としての訓練や仕事関係で行っただけです。すごいなんて…」
「カコナル?そう言えばこの世界で言う国って沢山あんの?」
「えとね、確か…九つだったかなぁ?あってる、アルフア」
「そうですね。私もそう認識しています。ただエフガニダには特領などの自治区があったり、ティオレール等の島々はその島特有の習慣があるそうなのでもはや別国と言ってもよいので一概には言えませんね」
「ありがとう、アルフア。だって、愛」
「へぇ、アルフア、もっの知りぃ!そっかぁ、沢山あんだねェ」
「なんだ、愛。その顔は?何を企んでる?」
「べっつにぃ。たださ、なんとなぁくね」
「何?」
「んん。落ち着いたらさ、旅行してみたい…って思ってさ」
「お前…………何のために隣町でギルドを作ろうとしてるのかわかってるのか」
「わかってるってば。だから言ったっしょ?なんとなぁくだって」
「…でもさ。それも楽しそうだよね、三人でさ」
道が山を切り開いて作られた緩い坂に差し掛かった頃、三人は遅めの昼食をとった。ここなら木陰もあり、休息をとるのにもってこいだったからだ。
おばさんが旅立ちの話を聞いてから即座に作って持たせてくれた簡単な焼きパンの携帯食を広げた。さらに渇いた喉を水筒に入ったおばさんの手作りのフルーツティが潤してくれる。
残りの距離と頭上に昇る二つの太陽とを比べながら満たされた三人はまた町へと向かって歩き出した。
「そだ。さっきの話の続きなんだけどさ。アカサは行きたい国ってあるの?」
「僕か…僕はそうだね、シャイングに行ってみたい」
「兄様。随分遠くをご希望ですね」
「なになに、シャイングって国、遠いの?」
「ちょっとね。この東方大陸から東向きに旅船は出せないんだ。たからどうしても一度北に行って、そこで西経由の船に乗る事になるんだ。かなり遠回りになるよ」
「ふぅん。で、なんでその国行きたいのさ」
「大したことじゃないよ?」
「いいから言ってみ。それとも何?恥ずかしい理由があるわけ?」
「私も聞きたいです」
「………シャイングってさ、おじさんから聞いたんだけど……農業が盛んで色んな栽培方法をもっててさ、見てみたいなって思ってた」
「アっカサらしい理由。でもさ、いいね、候補に入れよう。アルフア、あんたは?」
「私か?そうだな、私は…兄様さえいればどこでもいいが…」
「おい、ブラコン。真面目に答えろっての!」
「何を愚かな。私はいつだって真面目だ。だが、強いて行きたくないところはあるな」
「どこ?」
「同じく兄様と同じ西方大陸になるのだが…エフガニダの東側。そこは極端に盗賊やらが多いと聞く。そんな場所に兄様を連れて行くわけにはいかん」
「ああ、そういう理由ね。参考にしとくわ。私もどんな国があるのか調べてみよ」
「でも愛。他国に行くの結構難しいよ」
「へっ?なんで。まさか戦争してるとか?」
「……いや、じゃなくて」
「お前の世界がどうか知らないが他国への入国はかなり資金が必要となるんだ」
「あとは言葉の問題だよね。僕達の世代なら統一言語を習ってるはずだけど…おじさん達くらいになると昔の里言葉使ってたりするからね」
「確かにそうですね。地方などの年配者ならば特に色濃く残ってると思います……で、何故お前は呆れ顔をしている」
「いや、なんてぇの。この世界がファンタジーじゃなくてリアリティー溢れる世界だなって…思い知らされてた。何?お金、何?言葉。どんだけだよぉってね」
「愛の世界では勝手に他の国に行けたりするの?」
「逆。こっちの世界ならできるって思ってた。言葉の壁もないの前提…」
「兄様、不法入国を企む輩がいますよ」
「不法入国…やな感じ。本っっ当に私、現実の中で生きてんだわ、って思うわ」
「まぁ、言葉は結構なんとかなると思うんだけど…それでもお金はさ」
「ににに兄様が望むのであればどうにか工面しようと思いますが…二人分くらいなら」
「うん、ありがとうアルフア。その気持ちが嬉しいよ」
「こら、ブラコン。私を除け者にすんな!」
未来への想像に華を咲かせ、三人の足取りは約四時間歩いたとは思えないほど軽かった。
緩やかだった上りはいつの間にか穏やかな下りへと変わり、視界の端を彩っていた木々達が消え山道の終わりを告げた。そのさらに下った先に広がる町こそが三人の目的地であった。
名を〃林応都市ベルホーミ〃。緑と水、自然と人工が交わる都市である。
眼下に広がるベルホーミを見た愛の第一声は…。
「めぇぇぇぇちゃくちゃ…でっかぁ!」
で、あった。アカサも何度目かになるが同じ感想だった。
林応都市ベルホーミ。
デイキーユ王国の中央から東方にかけ天高くそびえるナハロト山脈。その中腹部より流れ落ちるソーシェテの滝から始まる巨大なデェンセ川。途中三つに枝分かれし、このデイキーユを横断するように存在する。その分かれた河川の合流地点の近隣にあるのがベルホーミであった。それによりベルホーミにはそのまま三つの川が流れ、北、中、南に分かれる形となっていた。
川により三つに分断された場所はそれぞれノースベルホ、メインベルホ、サウスベルホと呼ばれ、それぞれが特徴的に機能していた。
まずサウスベルホはこの付近の村から続く道が集結しており、簡易的な即売所の貸し出しを行っている広場があり賑わっている。それと同時にその買い付けに来た村人達を目当てにした宿、食事処、雑貨屋等が点在する。
次にノースベルホ。ここには大陸縦断鉄道のベルホーミ駅が設置されている。王都、もしくは他の都市に移動目的のある人々が集まっている。ここにも勿論宿等があるが、サウスベルホに比べると観光客目当てになるので少し値が張る場所が多くなる。
最後にメインベルホになる。ここには都市の運営面を担う都市管理役所を始め、教養施設である初歩学舎、専門学舎が数多くあり、またギルドを管理・支援する民間総合組合もある。都市の心臓部分といっていい場所となる。
そして何よりベルホーミにて特筆すべきは「林応都市」の二つ名の由縁となる林業である。これはベルホーミより川沿いに西へ向かった先、ターズ隔離管理保護区域に由来する。
ターズ隔離管理保護区域。通称、ターズ大森林。ここはデイキーユ王国に存在する最も巨大な「モンスタースポット」である。モンスタースポットとはナリカケを必要とせず怪獣を突然に生み出す危険指定区の事をさし、ターズ大森林はその巨大過ぎる範囲にて怪獣を生み出し続けていた。しかしターズ大森林の一番厄介な点は〃木の成長に合わせてモンスタースポットが拡張されていく点〃であった。つまり怪獣そのものよりも木の侵略が恐ろしいのである。
この木にしても通常の植物とかけ離れた生命力を持ち、火で焼き払うにしてもうまくいかず、少しでも手間取っていると森の怪獣達の怒りを買い都市そのものが襲われてしまう。幾度となく繰り返したそんな経験から、侵略する森の頑丈過ぎる木々を一本一本切り倒すことが最善の策ということに至った…歴史があった。
これは悪いことばかりではなく、森の木々は伐採、加工が困難である代わりにとても品質が良く、ターズ木材として高値で取引され、都市を潤し、さらにはデイキーユを代表する特産物となった。
こうして森の侵略を林業によって応戦している都市、通称「林応都市」としてデイキーユに名を馳せた。
「木材がスッゴい有名な町だよ」
アカサは言うが、しかしそんな説明をざっくり聞いたところで愛の関心は別にあった。
「あーだぁ、こーだぁ聞いたところで良くわからん。けど、一つわかった!」
ベルホーミに近づくにつれてその活気溢れる雰囲気が伝わってくる。まだ昼を過ぎたにしても時間は充分にあり、三人が向かうサウスベルホの境界門も人の出入りがかなり行われている。それを見ながら、
「本っっっ当にリマジハ村って田舎だったんだね」
と愛は言った。アカサも「でしょ」と肯定し、
「やっぱりこういう都市と比べるとね」
ゲートに見える人の数を見て呟いた。
近づくにつれて、一望していた町並みが風景としてではなくハッキリと身近なものとして意識できるようになってきた。
さすがに境界門付近である都市内外の境界の造りは曖昧だったが一度完全にくぐり抜け、ベルホーミに足を踏み入れたのならばその「村」と「町」と呼ばれる違いが明るみになる。
歩道のほとんどは石畳で構成され、村にはない重厚感が溢れていた。建物は木材で造られた物もあればレンガや精製された石やそれらとはまた違った素材で建てられている物もありそれがより違いを際立たせていた。かと思えば境界門をくぐり、大通りと思われる石畳の道を真っ直ぐに足を運ぶと今度は人の集まる広場に抜け、村に似た独特の「人がいる温かさ」を持った賑わいのある一面も見せた。
そしてこの広場こそ、様々な即売所があり、アカサ達の本日の目的地となっていた。
「スッゴい人、ヒト、ひと」
愛は興味津々な様子で首を左右に揺らして瞳を輝かせている。町を闊歩し始めてからずっとこの調子だった。
「私さ、リマジハ村の住民がさ、一万人くらいって聞いたときもビビったけどさ」
ぐるっとその場一回転を決めてから、
「もうすでにそんくらいの人を見た気がする」
と二人に素直な感想を伝えた。アカサも「言い過ぎだとは思うけど…やっぱり多いよね」と同意した。
「町全体を合わせるならざっと数百倍はいるんじゃないかな」
はしゃぐ愛とはぐれないように視界に入れながらアカサは続けた。
「たっはぁ!そんなに…!ここ…王都とか言われても私ゃ信じるよ」
愛は額を一度叩いた。そんな愛に呆れたようにアルフアが話しかける。
「お前な…この規模の都市なら他にも幾つかある。そして王都ならばさらに広いし、人も多い」
「マジでっ!」
「う~ん、僕を見られても…。行った事ないから」
「それよりも兄様、さっさと探しましょう。無くなっては困ります」
「あっ、そうだね。愛、見学は後にして先に探さなきゃならない店があるんだ」
そう切り出して今度はアカサとアルフアが即売所を物色し始めた。愛としては何の店を探してるのか聞いてなかったためわからず二人を眺めていた。
「何探してんの?」
二人を見失わないように一定の距離を取りながら愛は尋ねた。アカサは振り向き、
「宿の案内を掲示してるところだよ」
と答えた。「宿の案内?」と愛がアカサの言葉に首を傾げていると、
「あ、ありました、兄様。こちらです」
先を行くアルフアから呼び声がかかった。アカサは「今行くよ」との返事と共に自然に愛の手を取った。
「あら、アカサったら大胆!」
「え?…えっ!あっ、ごめん。はぐれないように、って考えてたら…」
「わぁかってるって!ほら、早く行こ!アルフアが待ってる」
そう言うと今度は愛がアカサの手を引く形となって人波を通り抜けアルフアの元へと近寄った。そこには、
『宿の空き状況教えます(無料)』
と書かれた札の立てられた即売所があり、五十代と見受けられる細身のおじさんが一人座っておりアルフアと会話していた。
「どう?アルフア。いけそう?」
アカサが声をかけるとアルフアは頷き、
「大丈夫でした。三人が泊まれそうな宿の空きは幾つかあるようです」
と答えた。
「ここって宿の空き状況を教えてくれんの?」
「そうだよ。こうすれば宿の方は宣伝にもなるしお客さんを確保しやすくなるし、僕ら宿泊場を探す人間も探し回る必要がなくなるからね。便利だよ」
愛がアルフアと受付の男とのやり取りを見聞きして考えた結論を言葉にした。アカサはそれに返答してからアルフアと男の間に加わった。
「やっぱり二部屋かな?愛とアルフアが一緒で」
「…まぁ、それが妥当でしょうか。……わわわ私が兄様とどどど同室という手もありますが…」
「金額をお考えならこちらにもありますよ」
「ん…どうしようか。とりあえず数日は泊まれるようにしたいから安いのに越したことは無いんだけどね」
腕を組み、受付の男に見せてもらった宿の案内が書かれた冊子を見ながらアカサは考えた。アルフアはアカサの決定を待っているようで静かに立っていた。
そこで愛は閃いた。頭の中に浮かんだ事は恐らく今聞いていたアカサの金銭的な面も解決できる自信があった。
「ねぇねぇ、おじさん」
だから受付の男に話しかけた。アカサは愛が何を尋ねようとしてるのか気になったようで冊子から目を離した。
「三人一部屋で泊まれるようなやっすぅい宿ってある?」
もともとアカサがぶつぶつ呟いていただけで三人とも静かだったが、愛の言葉で一気に辺りがシン、と静まりかえった…ような気がした。
「な、何言ってるの、愛!」
「だぁってさ。一部屋の方が絶っ対、安いじゃん?」
「でも、それって…同じ部屋って事だよ?わかってる?」
「アカサこそ何言ってんの?んなの、当ったり前じゃん。ねぇ、アルフア?」
「わわわ私も問題は無いと…思いますが?」
「ほらね、決まり!おじさん、どこが安い?」
アカサは慌てているが受付の男の仕事は早かった。
「なら、ここかここ…後はここか。この三つになりますよ」
アカサが読んでいるのと同じような冊子の中に栞を挟み愛に手渡した。
愛はそれを受け取りアルフアと眺めて、
「おじさん、ここにして」
「はい、ありがとうございます」
今日の宿が決まった。
一応あれからアカサが駄々を捏ねるように「でも、やっぱり」と繰り返していたが、
「節約、節約」
と鼻唄混じりの愛の説得に渋々受け入れ、紹介された宿へと向かった。
向かった先の宿はサウスベルホでは一般的な宿で一階が食事処となっている、共同風呂、共同トイレの木造建築だった。
出入口の扉を明け、入ったすぐにある受付で今日の宿泊手続きを済ませる。
受付中、どうも何か気になる事があるのか、手続きをしてくれた恰幅のいい女性の視線がアカサとアルフアと愛を必要以上に見ていたような気がしてアカサはならなかった。
三人で一部屋。しかも若い男女が。だが仕方がなかったのだ。節約をしなくては。
そう自身に言い聞かせるように心の中で繰り返した。
説明を受けた部屋は三階の大部屋だった。六人までなら大の男でも大丈夫、と銘打っていただけにアカサ達三人の体型なら広すぎるくらいだった。
「ここなら布団を三つひいても問題ないね」
アカサは心の底からそう言った。
なんでもこの宿の仕組みとしては三階の大部屋は安い代わりに布団を自分達で必要な分借りだし、帰りに返却するという事だった。
一応案内のおじさんも「ここは三人一部屋でも差し障りは無いと思いますよ」と言ってくれてはいたのだが…それでも広さによっては寄らなければならない可能性を否めなかった。しかし実際に見た部屋は間隔を充分空けられる上、なんなら衝立で遮ってもいいくらい広かった。
さすが、六人までなら…ともう一度あの謳い文句を思い出していた。
「おお、確かに広いねぇ」
「そうですね、広いですね」
二人も同じように思ってくれたようでアカサに倣うように感想を溢した。
「じゃ、布団運ぼうか」
部屋を確認し気がすんだアカサはそう切り出した。しかし、
「いいよ、アカサ。私達でやるからさ」
「え?でも…」
「力仕事なら任せてください」
「だけど」
なおも食い下がろうとするアカサだったが「では兄様。私達の荷物を片付けておいていただけますか?」とアルフアに押しきられるかたちで圧倒的に少ない荷物を一塊に集めた整理することになった。…といったところであまり使う予定の物もなく、着替えもわざわざ出す必要がなかったためすぐに終わった。いまさらながら手伝おうかと部屋を出ようとしたが、
「たっだいまぁ!」
「借りてきました」
と布団を担いだ愛と枕、かぶり布団と枕を持ったアルフアの登場により遮られた。
このときアカサは、自分は男なのに力仕事は役に立たないな、と心で泣きそうになっていた。
それよりも。
「明日は二人とも早いだろ?今日はもう宿で過ごす?」
今後の予定のために二人に尋ねた。
明日は二人にノースベルホから鉄道を使い、王都に行ってもらう予定になっていた。通常ギルドの申請、登録だけならベルホーミでも出来るが「戦闘職業」が絡み「戦闘目的」を条件に入れたい場合、王都にある国営ギルドに確認のための申請が必要となる、とアルフアが言っていたからだった。
そのため明日は朝一番の鉄道を使い二人には移動してもらはないといけなかった。理由は簡単だった。そうでなくては明後日までに帰りつかないからだ。そこまで急がなくても…とアカサは思ったが二人が「そうしたい、そうするべきだ」と押すのでそう予定した。だから疲れないように、との気遣いのつもりだったが…、
「でも私、あの広場にもっかい行きたい!」
「私も手土産を一つくらい買っていかないといけない相手が一人居ますので…」
とのことだったので出かける事にした。
出掛け際、受付の女性が「…」と無言の視線をにやけながら投げ掛けたのが少しだけ気になったが、二人に急かされたため聞く事が出来なかった。ので、大したことはないだろう、そう割り切る事しか出来なかった。
三人で広場をうろうろした。
愛が綺麗な装飾品をアカサにねだってアルフアに怒られた。
アルフアが出来たら手土産を選んで欲しい、とアカサに頼むと愛がそれをからかった。
結局、夕食がてら即売所を見て回り、三人はそれで満足したようだった。
お腹も膨れ、それなりに楽しんだ三人は時間の頃合いもあり宿へと戻った。
一階の食堂は宿泊客と思われる人々以外にも使われているようで、数人ずつのテーブルはほぼ埋まっており各々食事や飲酒を楽しんでいた。
「外で食事を済ませてきて良かったですね」
予想以上の混雑にアルフアが言った。
「そうだね。あの焼鳥、スッゴク美味しかったよね」
「美味しかったぁ!帰ってきたらまた食べに行こぉ!」
話ながらアカサはそれを横目に通り過ぎようとしたのだが……今は受付を終え、給仕に精を出していたあの女性と目が合い、またも違和感を覚える視線をもらった。
あの受付以来、自分が何かしてしまったのだろうか。
不思議に思ったが「どうしたん、アカサ?」「兄様行かないのですか?」と二人が尋ね、女性もその一瞬のみの視線だったのでアカサは「いや、なんでもないよ」と気にしないことにした。気にしても仕方が無いと思ったからだ。
部屋に戻り、着替えを持って共同風呂に向かう。
「先に行ってなよ、アカサ。私達女子は準備があるんだから」
「あ…あぁ、うん。わかった」
「すいません、兄様。またあとで」
とアカサが先に風呂へと向かう。中は男湯、女湯に別れておりアカサは勿論男湯に入る。
そう言えば出る時、待ってた方がいいのかな。別に同じ部屋だし構わないかな、等と考えながら入浴していると、
「アッカサァ!」
と、壁向こうから愛の声が響いた。同じように男湯にいた男達は急に響いた女の声にかなり驚いており、向こうでも「ば、バカ者、やめろ、恥ずかしいっ!」と慌てたアルフアの声が聞こえた。
「いいじゃん、いい忘れてたんだし、ちょっとだけだからさ…って聞こえてる?アカサァ!」
と何も言えずただただ壁を眺めていたアカサに対する愛の声が聞こえる。
このままだと埒が開かない。そう思ったアカサは、
「な、何?」
と急いで返事した。そのとたん、お前がアカサか…と言わんばかりの視線を集めたのはとても恥ずかしかった。
「あ、んとさ。先に上がるんだったら一緒に部屋、戻ろう…って言ってなかったから!」
「う、うん。わかった、待ってるよ」
「オッケェ!ほら、アルフアもなんか言うことある?」
壁を隔てた向こう側からアルフアの「な、こんなところであるわけないだろっ!」という怒声が聞こえた。そんなアルフアに、お疲れさま、と言ってやりたいアカサだった。
が、アカサ自身も疲れてしまった。今の会話を聞いていた周囲から奇異の目で見られたからだ。誰かが言っていたのが聞こえた。
「わ、若い女の子の声だったぞ。しかも…二人…だと?」
何をどう意味しての発言だったかはわからなかったが、なんとなくアカサは居たたまれない気持ちとなり早々と入浴を切り上げ、風呂場を後にした。
待つこと暫し。
「お待たせ」
「お待たせしました」
宿で借りた黄色の前羽織式の寝間着姿に着替えた二人が出てきた。アカサは何気なく近づいた。その時、
「あ、あれが例の二人なのか?」
「二人共、可愛くないか?」
「同室?はぁ?」
そんな声が聞こえたような気がしてアカサは二人を急かすように部屋に戻った。
「何々、アカサったら。そんなに急いで部屋に戻りたいの?」
「に、兄様、まだ…心の準備が…」
「愛、なんか楽しそうだね?アルフアに至っては意味がわからないけど…?」
そして部屋の扉を開けた。
そこにはアルフアの言葉に至る理由があった。
大部屋の、ど真ん中。敷布団とかぶり布団の一式が綺麗に間隔を空ける事なく用意されていたのだ。…二組ほど。
「ちょい待ち!」
「どこへ行かれるのですか?」
扉を開け、僅かに硬直した後アカサは瞬間的に身を翻し踵を切ろうとした。それを身体能力では圧倒的に上回る二人にがっしり腕を掴まれる。どことなく向けられる笑顔も何故だろう…アカサにとってはそら恐ろしい気配さえ感じていた。
「い、いや…布団が足りないから借りてこようと思って…」
アカサは掴まれた腕を振りほどこうと力を入れるが…びくともしなかった。
「なんでさ?寝れるっしょ、三人でさ」
「いやいや、僕ら三人、布団は二組しか無いんだよ?」
「大丈夫ですよ。兄様が真ん中、私達がその両脇に隙間なく寝れば…問題はありません」
「な、なるほど…………って、なるわけないよっ!!」
満足気なアルフアの答えにアカサは思わず叫んだ。それを「アカサ、静かに」「シー…ですよ兄様、流石に声が大きいです」と叱責される始末だった。
アカサは「あ、ごめん…」と謝罪したが、
「いや、そうじゃなくて!」
と直ぐに切り返した。キョトン、とする二人に、
「わかってる?これ、この状況!」
あくまでも回りくどく伝えるアカサ。ニヤニヤ笑う愛はともかく、湯上がりではないであろう頬の染まり方をしているアルフアならば理解してもらえるのではないか…そう願っての言い方だった。
「兄様、シー…ですよ」
しかし現実は無理だったらしい。
頬を染めながらも片腕でアカサをしっかり掴みながら右手を自分の前に持ってきて人差し指だけを立てた。
「い、い、い、い、い、一緒に…」
「一緒に…?」
「どした?」
「同じ布団で寝るってことだよ!!!」
惚ける愛とアルフアにアカサは大きな小声と言う奇妙な叫びを浴びせた。それを聞き、愛は今気づきました…といわんばかりに、
「わぉ!本当だ!私達間違っちゃったみたいだね、アルフア」
「なんと、私がついていながら…すまんな愛」
打ち合わせていたかのような台詞を並べた。
「いやいやさっき、二組で寝れるって言ってたよね…気づいてたよね?」
二人の先程の言葉を思い返しアカサが言うが、
「確か貸出は七時まで…今は…なんと!もう半を回っているではないか。これは仕方がないな、三人で二組の布団を使うしかないな、愛!」
「だね、アルフア。ごめんね、アカサ。ちょっと狭くなるけど…いいよね」
なおも続く二人のやり取りと圧倒的な腕力に部屋に引き込まれるアカサ。子供のように首をぶんぶん振るが二人は止まってくれる様子がない。
「ねねね寝るだけですよ、兄様」
「当たり前だよ、アルフア!それ以外はないよっ!」
「ってか昨日言ってたよね。三つベッドがあるなら別々に。けど今日は仕方がないんだよ?」
「う、嘘だ!作為的だっ!」
もう布団まで連れてこられながらもアカサはまだ必死に宣う。
「明日は早いんだから…それに私も疲れたしもう寝よ?諦めてさ」
「私もその方がいいと思いますよ、諦めが肝心です」
二人の動きに倣うようにアカサも半ば強制的に横にさせられた。
左を見る。愛がニヤニヤ笑っている。
右を見る。アルフアが頬を染めながら見つめている。
真上を見る。見慣れない天井が映る。
「…………はぁ」
大きな溜め息をついた。何がどうしてこうなったかはわからないが…、
「確かに今日は僕も疲れたよ。それにね…」
「なんですか?」
「何さ?」
もう一度ずつ二人の顔を見てから、
「見慣れない天井で初めての場所でこれからのどうなるかわからなくて不安なはずなのにね…二人の体温が僕に伝わってさ…安心するんだ」
アカサは天井に視線を戻して言った。
「ろまんちすとだねぇ、アカサは」
愛はそう言って茶化したが、アカサが見るとウインクをして目を閉じた。
アルフアは何も言わずアカサを掴んでいる手に力を込めた。
「おやすみ、二人共」
「ん、おやすみぃ」
「おやすみなさい」
二人に掴まれた部分がひどく熱を持ち、とても緊張していたはずなのにアカサは何故か直ぐに眠りにつくことが出来た。