第三話:獅子すら恐れる男(オカマ)
「……魔法学校?」
ピンクのシーツが掛けられたベッド。クマのぬいぐるみ。
そんな少女趣味な部屋で、高く歪められた疑問の声が、低く響いた。
多分にナヨっとしたイントネーションで言葉を発したのは、最近サーフィリザの城内でうわさになっている勇者、篠宮千尋のものである。
「正しくは魔術学校ですが……ええ、この世界には魔術を学ぶ学校があるのです。
千尋様には魔王が復活するまでの間、そちらでこの世界の常識や魔法について学んでもらおうかと思っています」
その傍らに立つのは、サーフィリザというこの国で女王を務める少女、フレドリカ=エルヴェスタム=ド=サーフィリザだ。
何時ものドレスよりもやや動きやすい服装に身を包み、教鞭を持っているフレドリカは、教鞭を立てながら千尋の疑問に答えた。
千尋がこの世界に召喚されてから、約一週間が経過した。
今千尋はフレドリカの指導のもと、エーフィルシアの歴史やサーフィリザの文字などについて学んでいる。
専用の教師を雇った方が良いのではと千尋は思ったが、代々勇者と王族の関係は親密なものであったようで、王女や王子が私生活に密着するのは通例らしい。
サーフィリザには現在後継ぎとなる子供がいないので、女王であるフレドリカが自ら教鞭をとっているという訳だ。
どうせなら素敵な王子さまだったらモチベーションも高かったのに。千尋がそう思うのは、これで何度目になるであろうか。
「ふーん……この世界ってそんなファンタジーなものもあるのねえ」
得意げなフレドリカには目もくれず、自らの下にある教科書とノートへ交互に視線を送りながら、千尋はそう漏らした。
「ふぁんたじー? ってなんですか?」
その言葉の中にあった単語が気になり、フレドリカは首をかしげる。
先生が生徒に質問をするのはどうなのか、と思いながらも千尋は答える。
「アタシ達の世界だと、魔法だの魔王だのはお話の中の存在だったからね。
ファンタジーってのはまあ、そういうお話のジャンルよ。恋愛とか、推理とか、その御仲間ね」
「へえ……千尋様の世界のお話がどのようなものなのか、少し気になりますね」
「アタシはあんまり本は読む方じゃなかったんだけどね。気が向いたら有名な本のあらすじくらいは教えてあげられるかもね……と、出来たわよ!」
会話の最中もせわしなくペンを走らせていた千尋は、元気よくそう叫んでペンを置いた。
代わりにいま綴っていたノートを手に取ると、突き出すようにフレドリカへと引き渡す。
「……うん、完璧ですね。文法も文字も問題ありません。千尋様は覚えが早いですね」
千尋が今していたのは、サーフィリザの言葉で文章を書く勉強であった。
漢字がないこの世界では、文字の習得難易度は平仮名に毛が生えた程度だ。
少し読みづらく感じる事は多いが、千尋はもう概ね読み書きが出来るようになっている。
「いやー、まあアタシこんなだから、色々人に負けない事を作る様にしてるのよね。
っていっても、今回は言葉が通じるから分かりやすかったってのもあると思うわよ」
「それでも早いです。勉学の方はそろそろひと段落を付けても良いかもしれませんね」
にこやかにやり取りを続ける二人の間には、もう溝は無い。
ここ一週間で、二人は既に友人と呼べるくらいの関係にはなっていた。
千尋にはやはり見知らぬ土地に急に連れてこられたという引っかかりがあるし、フレドリカにもその事に対する負い目はある。
しかし、基本的に千尋はさばさばとした人間だ。それを気にして関係に違和感を残すようなことは、しないというか出来ないのである。
「勉強もひと段落ついた所で、さっきの魔術学校とやらについて聞かせてちょうだいよ」
「ええ、そのつもりですよ。気になりますか?」
「そりゃ、折角ファンタジーな世界に来ちゃったんだから気になるわよ。
こうなったら楽しむくらいのポジティブさが必要なのよ、アタシ達みたいなのにはね」
アタシ達、という言葉にフレドリカは大量の千尋を想像した。
この世界にはオカマと呼ばれるような存在はほぼ居ない。居る所には居るものの、現代の日本と比べずっとマイノリティな彼らは、居ても多くの場合その心の本音を隠しているのだ。
だが魔術学校に興味を持ってくれるのは、フレドリカとしては嬉しい事である。
再び教鞭を立て、得意げに語る。
「ならばご期待に沿えられると思いますよ。千尋様に通っていただくサーフィリザ中央魔術学園は、世界でも有数の歴史を持つ魔術学校です。
設備や広さも、世界で随一と自負しております。私やイェルダも通っているのですよ」
「へえー。お姫さんやそのお付きの騎士様が通うとは、確かに格式高そうな学校ねえ」
感心するような息を漏らす千尋に、フレドリカは僅かに主張する双丘を前に突き出した。
ささやかとはいえ欲しくても手に入れ様のない存在が強調されたことで、千尋が舌を打った事に、フレドリカは気付かない。
「でも異世界に来てまで勉強する事になるとはねえ。これも学生の性かしら」
頬に手を当て、乙女な仕草で千尋は溜息を吐きだした。
しかし、その仕草に物憂げな様子はない。
「とは言うものの、意外と乗り気な様ですね」
明るい千尋に、思わずフレドリカの表情も明るくなる。
宝石を可愛らしくカットした様なその青い瞳が欠けた月を形作ると、千尋も頬から手を離して笑みを浮かべた。
「なんだかんだ言って学校は結構好きだったからね。
かわいい男のコもたくさんいるだろうし、楽しみだわ~」
だが、フレドリカの笑みも長くは続かなかった。
恥ずかしそうに小さくキャ、と言葉を切る千尋に対し、フレドリカは表情を暗くする。
どこか落ち込んでいるようにも見えるフレドリカの様子に、千尋は覗き込むように首を傾げた。
男のする仕草としてはあまり見たいものではない。
「……どうしたの? 急に黙っちゃって。もー、アタシが男のコを好きって分かってるんだから、そんなに沈痛な顔しなくてもいいじゃない」
「……いえ、申し上げにくいのですが」
あらやだ、と。どこか焦ったような笑みを浮かべる千尋に対し、フレドリカは眉間を抑えていた。
ただならぬ様子に、千尋はフレドリカへと全ての意識を傾ける。
緊張の中、フレドリカが紡ぎあげた言葉は──
「その……サーフィリザ中央魔術学園は……女子校ですよ……?」
千尋を固まらせ。
「はあ!?」
そして、驚愕させるに十分すぎるものだった。
「ひっ!?」
何時もは意識して高く上げられた声とは違い、素の男性の声に驚きすくみあがるフレドリカ。
しかし、気弱──というよりは、成功を重ねてきたために威圧される事に極端に慣れていない彼女も、今回ばかりは引けない理由があった。
「し、仕方ないではありませんか! 勇者様は王族と極力長い時間を過ごさねばなりませんし──
それに! あなたの近くに男性を置くなんて危険な事出来ないんですから!」
「なんでよ! アタシが何をしたっていうの!?」
「胸に手を当てて考えてみてください!」
珍しく強気なフレドリカに押される様に、千尋は困惑しながら胸に手を置いた。
「(何よフレドリカちゃんたら。アタシそんな悪い事──)」
フレドリカへの愚痴と共に、ここ一週間の生活を思い起こしていく。
一体自分の傍に男性を置く事の何が危険だと言うのか。
ここ一週間で千尋がした事と言えば──
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「あら、おはよう兵士さん! 今日も良い朝ね!」
「ち、千尋様でございますか。え……ええ、良い朝でございますな」
朝、朝食前の時間。
朝早くに目を覚ます千尋は、城内を歩く事を日課に加えていた。
広い城内にはまだまだ千尋が訪れた事のない場所も存在している。そうした場所を探して散歩する事が、所持物のスマートフォンの充電を切らせた千尋の暇をつぶす遊びの一つとなっている。
その最中では、城の警備にあたる兵士と出会う事も頻繁だ。4日目にもなれば、顔見知りも出来てくるというもの。
この兵士も、そんな顔見知りのうち一人だった。
明らかに困惑する兵士に近づいていく千尋は何処までもフレンドリーだ。
この国において勇者とは王族にも匹敵する存在である。そんな千尋に話しかけられた為か、兵士は萎縮していた。
「もー、いい加減慣れてくれても良いのに。千尋って呼び捨てにしてくれても構わないのよ?」
「いえ……例え千尋様にお許しを頂いても、畏れ多くてそんな事はできません」
「真面目なんだから。でもそう言う所は好きよ?」
──いや、違う。兵士はこの会話の後に待っているであろうある出来ごとに萎縮しているのである。
すなわち、それは──
「ふ、ふおっ……! お戯れはおやめ下され、千尋様……」
「やあねえ、ただのスキンシップよ。それじゃ、お仕事がんばってねえん」
過剰なスキンシップ。平たく言えばセクハラである。
尻を撫でられた──否、揉まれた兵士は恐怖する。
千尋はその人柄の良さで、城内でも基本的には評判が高い。勇者である少年に対し好意的な印象を持っているのはこの兵士も同じだ。
だが同時に──城内の男はすべからく、千尋に恐怖を抱いていた。
いつしか食われるのではないか──と。
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……やべえ、やったわ、悪い事。
千尋は自らの行動を鑑みて、フレドリカの心配も尤もだと思った。
だが、どうにもやめられない。兵士たちが尻を触られて背筋を冷たくしている事は、正直気付いていた。
しかし千尋の嗜虐的な部分がそれを辞めさせないのだ。むしろ、振えあがる兵士たちを愛おしくすら思う。
「城の兵士達から苦情がきているのです! 危機を感じると!
『暴れ獅子』と謳われる重騎士団長のベント=ディンケラまでもが『四半世紀ぶりに恐怖を感じた』と仰るのですよ!?」
獅子と言う単語を聞いて、千尋は一人の男性を思い浮かべていた。
分厚い筋肉の鎧に身を包み、獅子の様な髭を蓄えた中年の男性だ。
千尋の好みはどちらかと言えば線の細い、かわいいと思える『男のコ』である。
ベントと呼ばれる──所謂ガチムチな──男性は、そんな千尋から見ても城内でより気に入っている男性だったのだが、まさかそんな大層な戦士だったとは。
「ほ、ほんのスキンシップのつもりだったの! そ、それに一応は男のアタシが女子校に通っていいワケ?」
「本来は私が学校を移すことも考えていましたが──背に腹は代えられないというのが我々の総意です。
この国の未来を担う男児達を守るためですので、致し方ありません」
「ぬぐぐ……」
それでも千尋は抵抗を続けたが、フレドリカが必死に抵抗している様を見て、折れることにしたようだ。
一つため息を吐きだすと、肩を落とす。
「はあ、仕方ないわね……でもアタシだってそんなに見境なくないし、無理やり襲ったりはしないわよ?
……まあ? ちょびっと? 悪戯するくらいはするかもしれないけど?」
しかしそれでも諦めきれはしないようで、千尋はフレドリカへチラチラと視線を送りながら咳を払う。
腕を組んだフレドリカは、そんな千尋に対してジト目を向けた。
「……聞きたくはないですけど、その悪戯と言うのはどの程度のものですか?」
いやいや聞き返してきたフレデリカを見て、千尋は心中でガッツポーズを構えた。
ここで優良児を演じれば、男子校もワンチャンあるかもしれない。
まずは悪戯と言う言葉で心証を敢えてマイナスまで下げてから、ソフトな内容でプラスまで引き上げる。
その振れ幅の錯覚によって自由を勝ちとろうと言う寸法だ。
だが、それをするには千尋は──少しばかり、自分の欲望に忠実すぎた。
「可愛い男のコのおちんちんが見たい」
「おっ──!? ば、ばかですか千尋様は!」
「しまった! つい本音が……!」
「そんなだから不本意ながら私達の学校へお招きするんですっ!」
顔を真っ赤にして怒るフレドリカを見て、千尋はついにその欲望を諦めた。
グッバイエンジェル。女だらけの学園生活とか、嫌になるわ~。
可愛い男のコをゲットするため、千尋は自分磨きに余念がない。
それは女というスタートラインにおいて絶対のアドバンテージを持っている宿敵に打ち勝つためだ。
故に千尋は、基本的に何でもこなす事が出来るし──特に外見とコミュニケーション能力は重点的に強化してきた。
かたや、フレドリカは恵まれた立場と恵まれた才能を持って生まれてきた女王である。
対人関係においては常に気遣われる立場にあった彼女は、その実コミュニケーション能力は高くない。
にも関わらず、フレドリカは千尋に打ち勝ち、なんとか世の男子達の貞操を守り抜いた。
この戦いは、サーフィリザの歴史に残すべき偉大なものだろう。
しかしそれを知る者は、千尋とフレドリカ、そして護衛として傍に控えていたイェルダしか知らない。
「(あんなに楽しそうなフレドリカ様は久しいな。千尋殿には気を使わず会話出来ているようだ)」
また、従者がそんな事を思っていたのは──イェルダ自身の、秘密である。