第二話:綺麗なオネエ系は好きですか
「……夢では、ございません」
召喚された勇者と、召喚したサーフィリザの面々。
質の違う困惑が混ざった空間を切り開いたのは、やはりというべきかサーフィリザの王女、フレドリカであった。
逃避を試みていた人々の意識が集まり、また──あちこちをせわしなく見回していた勇者の瞳も、フレドリカへと向けられる。
「あら、綺麗な金髪。外人さんかしら?」
フレドリカに呼びとめられた勇者は、頬に手を当て、フレドリカの星の河の様な金髪を褒めた。
絶世の美男子──そう表現してもなお足りないほどの男性に髪を褒められたというのに、フレドリカは貧血の様な症状を自覚する。
「(ああ……夢ではなかったのですね……)」
出来れば聞き間違いであってくれと思っていた勇者の女言葉。
しかし勇者の力強い声は、いま実感を持ってフレドリカを殴りつけた。
伝説に伝え聞く勇者。その姿を完全に重ねるような美しい少年はオカマだった。
この事実をどう受け止めれば良いのだろうか。
「あ、ありがとうございます……その、貴方様は今この状況に困惑しておられるように見受けられます。
よろしければ現状についてお話させて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
だが、まだ言葉づかいがちょっとアレなだけかもしれない。
一縷の望みをかけ、フレドリカは勇者との会話を試みる。
「それは助かるわ~、夢かと思ったんだけど夢じゃなさそうだし、アタシもちょっと混乱してるのよね」
幸いにして、言葉と会話は通じるようだ。
くねくねとした動きから言葉が発されるたびにフレドリカは意識を失いそうになるが、気を強く持った。
もし、失敗だったらどうしよう。少年を召喚した直後には霧の一粒ほどもなかった心配が、波の様に押し寄せてくる。
「先ず──ここは、サーフィリザと呼ばれる国です。恐らく貴方様は聞かれた事のない国だと思いますが、如何でしょうか」
「……ん、まあ……ないわね」
だが、今は心配よりも先にするべき事をしなくてはならない。
フレドリカは召喚者として最初の仕事をする決意を決める。
喩え……このオカマが本当の勇者で無くとも、無理やり呼びつけた侘びと礼は尽くさねばならない。
協力を仰ぐよりも、まずは少年のおかれた現状について話さねばならないだろう。
伝え聞くに、勇者はこの世界、エーフィルシアとは異なる世界から呼び出されているという。
であるならば、サーフィリザという国など聞いたこともないはずだ。
フレドリカの予想通り、勇者(?)は比較的友好的な態度を崩さずも、怪訝な表情を浮かべていた。
この事から、一応は彼が異世界の人であるという推測は立てることが出来る。
「一応の所は、サーフィリザはこの世界で一番の大国だという事になっております。
……ですが、貴方様はこの国の名をご存じない。しかしそれも無理はないのです。
この世界の名は、エーフィルシア。貴方様の住まう世界とは異なる場所にある世界なのですから」
世界の名を告げると、フレドリカは少年の困惑が強くなるのを感じた。
勇者の英雄譚をしるこの世界の人々からすれば、異世界が存在するというのは常識と言ってもいい。
だが少年は、その言葉に対し明らかな疑いの目を向けている。
「いや……異なる世界って言われても困るわよぉ。何これ、ドッキリ?」
「どっきり……というのが何かはわかりませんが、私共は真実を告げるのみです。
貴方様は、足元の魔法陣を用いて私が召喚いたしましたが故、この世界におられるのです」
少年にとって、フレドリカの告げる言葉は真実とは思えない様だ。
しかしフレドリカの真摯な態度によって、少年はフレドリカの言葉に疑いの言葉を返すことは出来なかった。
「……まあ、そういう事にしておくけど。じゃあなに? アンタ達が私をこの世界に呼んだっていうの?」
「正確には私がサーフィリザの王女として、お呼びさせていただきました。
申し訳ございません。突如の召喚に対する非礼を、遅れてお詫びいたします」
王女の名を出しながら下げられる頭に、少年は困惑した。
元々、性格は悪い方ではないのだろう。友好的な態度こそ消えているものの、少年はそれを責められずにいる。
複雑な顔をしてから、少年は一つため息を吐いた。
「はあ……まあなんか白い炎とか見た事ないし、一応は信じてあげるわ……
でもなんだってアタシを呼んだわけ? 用もなく呼んだって訳じゃないんでしょ?」
「それは……はい。実は、一つお願いしたい事がございます」
「やっぱりね。なんとなく予想はついてたわよ」
心の痛みを顔に浮かべるフレドリカを見て、少年はまた一つため息を吐いた。
半信半疑ながらも会話を続け、暗に「話してみろ」という少年の態度に感謝しつつ、フレドリカは顔を上げた。
「では、無礼を承知でお願いいたします。
……私共の世界は、いま大きな危機に瀕しています。
魔王と呼ばれる存在が蘇り、大地を闇に染め上げようとしているのです。
かつて魔王が現れた際、私達の祖先は異世界より勇者と呼ばれる存在を召喚し、この危機を打ち破っていただいたと伝えられています。
……貴方こそ、私の勇者召喚の儀によって呼び出された、勇者なのです。
どうか、この世界を御救い下さい……!」
勇者に、魔王。どちらも少年が信じられる言葉ではなかったが──懇願するように下げられた頭を見て、少年は喉を詰まらせていた。
聞けば女王だという少女。そして、彼女に習い下げられる四つの頭。
「(……所詮、お芝居はお芝居なのね)」
その真摯で切なる行動を見て、少年は向こうの世界で見たテレビの画面を思い出していた。
テレビで見た幾つかのお話。その中には頭を下げるシーンが幾つもあったし、こんな荒唐無稽なお話もあった。
かつてはそれらに胸を躍らせた事もあったが少年は、その全てが陳腐に思えていた。
現実に体験する、真実の光景。これに比べれば、画面の中の物語は、所詮『視て』いるだけの物語であると。
「……まあ、そう頼まれちゃアタシとしても断れないわね。
いいわ、暫くは貴方達の言う事に付き合ってあげる」
元々、性格の方は──口調に比べて──まともだったということもある。
少年は困ったような笑顔で、彼らの申し出を受け入れていた。
話の流れから、おそらくは命を賭す事になるとも分かっている。その重大さは日本という国に住んでいた少年には理解の及ぶものではなかったが──それでも、こんな無茶苦茶な話を引き受けてしまうほどには少年はお人よしだった。
「あ……ありがとうございますッ!」
花が開いたような笑顔を上げると、フレドリカの頭はもう一度驚くような速さで腰の高さまで沈んだ。
どうやら本当にせっぱつまっていた様だ。安堵と感涙が混じった声に、少年は苦笑した。
「アンタ達の期待に添えられるかは分からないけど、精一杯やらせてもらうわ。
……アタシの名前は篠宮千尋よ。あ、千尋が名前で篠宮が名字ね。
お姫さんの名前はなんていうの?」
「あ……申し遅れまして申し訳ございません! 私の名はフレドリカ=エルヴェスタム=ド=サーフィリザと申します」
「長いわねえ。フレドリカちゃんでいいかしら?」
「そ、それはもう! 恐縮の限りです!」
千尋と名乗った少年は、萎縮するフレドリカにまた笑みを向けた。
顔だけを見れば、花とも月とも例えられぬ美しさを持つ青年の笑みに、オカマとは分かっていてもフレドリカの心は躍る。
なんだ、言葉遣いがアレなだけで、良い人じゃないか。
つい安心してしまうような笑顔に、フレドリカの心は緩む。
「それじゃあ、自己紹介も済んだ所で……まずは何をすればいいのかしら。
いきなり魔王とやらに突っ込むわけじゃないんでしょ?」
「そうですね……まずは、魔法など闘う術を学びながら、この世界の常識などを学んでいただこうかと思っております。
ある程度は融通を効かせられる事が出来ますが、長くこの世界で過ごす上では必要になってくるでしょうし──」
……だが、この契約の上では、お互いの見解に相違があった事を無視してはならない。
「勉強って面倒ねえ。まあアタシも学生だし、ちょっと勉強の教科が変わるだけかしら~。
でもアタシ、そんな長くこの世界に居るつもりはないわよ? あっちの世界にはお気にの男のコもいるし……」
「……へ?」
「へ? って可笑しな事言った? ああ、男のコが好きって当たりかしら。
アタシもほら、心は女のコだから男のコの方が好きなのよ~」
両手を頬に添え、頭を振う千尋に僅かな吐き気を感じる一同。
野太い声と美少年の顔でクネクネと気持ち悪い事を言われれば、無理もないが。
……しかし、フレドリカが気になったのはそのくだりではない。
「あの……申し上げにくいのですが、元の世界にお帰りする為の魔法は……ありません、よ?」
冷や汗を浮かべ、遠慮がちに申しだされた言葉に、今回は千尋が固まった。
「え? あの……え? それマジ……?」
「は、はい……」
千尋の顔にも冷たい汗が浮かぶ。
今この少女は何と言ったのだろうか? 帰る為の魔法は無い?
「え、だって、アレじゃない、呼んだんだから返せるでしょう?」
「い、いえ……この魔法は一方通行で……千尋様の世界からお呼びすれば別ですが、千尋様の世界が何処にあるかもわかりませんので……
あ、あの! ですが衣食住などの環境や待遇は本当に、本当に力を入れさせていただいておりますので!」
これは不味いと思ったのか、フレドリカは両手をわたわたと動かしながら説得するような言葉を紡ぐ。
食べ物がおいしいとか、必要なものは極力そろえるとか……まるで営業の様な口ぶりだが、そのほとんどは千尋に届いてはいない。
ぷるぷると小刻みに震える千尋は、噴火寸前の火山の様だ。
そして、防ぐことの出来ない噴火の時はやってくる。
「ざっけんじゃないわよォ! 嘘!? アタシ死ぬまでこの世界で過ごすの!?」
「ひいいっ!?」
オカマの咆哮が薄暗い部屋に轟いた。
突然の爆発に、フレドリカが涙ぐんで頭を隠す。
「ちょっと答えなさいよ! アタシが元の世界に戻れなかったら翔太君はどうするのよっ!」
「ごめんなさいごめんなさい! 恋人様の名前ですか、それは!」
「違うけど! 狙ってた男のコの名前だけど!」
近くに居たフレドリカの肩をつかみ、揺さぶる千尋。
突然の事だったのと、勇者という存在が王族と同じ程度に重要な存在であるため、傍に控えていた従者たちは動けない。
ちなみに、元の世界からは千尋は突然消える形で此方の世界に召喚されている。
千尋が召喚される直前に追いかけまわされていた佐々木翔太君(バスケ部)は心の底からの安堵に溜息を漏らしていて、期せずしてフレドリカの魔法は一人の男の子を救ったのだがそれは別の話。
「嘘よー……もうパパにもママにも会えないの? ……流石にヘコむわー、泣きそ……」
かと思えば、項垂れて声のトーンを落とす千尋。
先ほどまで活力にあふれていた少年の弱々しい姿に、フレドリカも釣られて涙を浮かべる。
「うええ……申し訳ございません……」
「謝ってすむかあ! もうどうしたらいいかわからないわよ!」
召喚の部屋は、もはや地獄絵図だった。
国のトップとオカマが揃ってむせび無くこの部屋が、今この世界で最も重要な場所だとは夢にも思うまい。
だが、無理もないだろう。
一応は心は女子である千尋は、突如として二度と知り合いに会えぬ異界の地へと連れ去られた。
向こうの世界からすれば千尋は死んだも同然だろうし、千尋からしてもそれは同じだ。
対して、フレドリカは真面目な少女である。
聡明で美しく、国の期待を背負った少女。類稀なる才覚で国を治めてきたものの、その正体は一七歳の少女に他ならない。
そんな少女が故意ではないにしろ、一人の──少年? 少女? から全てを奪ってしまったのだ。
遅ればせながら気づいたその罪の重さに何を言っても、それはフレドリカにとって言い逃れに他ならない。故にフレドリカは謝る事しか出来なかった。
もはや阿鼻叫喚。
いつまで続くかもわからない泣き声の満ちた空間は、しかし一人の少女によって破られた。
「もし……どうか落ち着いてください勇者様、フレドリカ様」
話の行く末もなく泣いていた二人は、突然掛けられた凛とした声に意識を向ける。
そこに居たのは部屋に控えていた従者の一人──鎧に身を包んだ、青みがかった黒髪の少女であった。
「……誰よ、アンタ」
涙に膨らんだ声で、千尋は少女へジト目を向ける。
すると騎士風の少女は片膝をついて恭しく頭を下げた。
「失礼いたしました勇者様。私は女王直属の聖騎士団が長、イェルダ=オリアンと申します」
持てる全てを尽くした礼に、千尋は鼻をすすってから一先ずの体裁を整え、腕を組む。
どちらかと言えば威圧的な雰囲気だ。勇者が神聖な存在と伝えられるこの世界の教育を受けたイェルダは少し怯んだが、それでも言葉を続ける。
「度重なる無礼を先ずはお詫びいたします。突如見知らぬ土地に連れ去られ、元の地に帰れないとあってはその悲しみを推し量ることすら出来ません。
……ですが、ご理解ください。我が主も悪気があっての事ではないのです。
魔王の存在はこの世界に生きる者にとっては恐怖そのもの。この世界全ての民の命を天秤に乗せ、この選択をしてしまった事をどうかご理解いただきたいのです」
「……そりゃあ理屈ではわかってるわよ。でも、納得は出来ないし許す事も今はちょっと無理だわ」
「無論です。ですので──お望みとあらば、我が命でも差し出しましょう。
千尋殿が私の命を望まぬ事は知っております。ですが奪ってしまったものをお返しする事が出来ない今、私どもは全てを差し出す事も厭いません。
……どうか、我が主にご慈悲をおかけください」
胸に手を当て、先制するイェルダの言葉は、すぐにそれと分かるほど実直であった。
本当に命を差し出す覚悟も出来ている。千尋は決して正解とは言えない不器用なその言葉から、イェルダの誠意を感じ取る。
その言葉で全てを許す事が出来たならば、その人はきっと聖人と言ってもいいだろう。
だけど千尋は聖人ではなかったので、それだけで二度と元の世界に帰れないこの状況を許すことは出来ない。
だが、内心では焦っているのに平静を装うイェルダを見て、千尋の心は落ち着きを取り戻していた。
「……まあいいわ、とは言えないけど、ありがとう。ちょっとだけ落ち着いたわ」
もう一度鼻を啜って、フレドリカへと向き直る。
ぴくりと、フレドリカの肩が震えた。
「ねえフレドリカちゃん」
「は、はい」
剣呑なまなざしに、フレドリカの目に涙がたまる。
「もう泣きやみなさい。衣食住くらいは面倒見てくれるんでしょう?
お姫様なんだから、しゃんとしなきゃ。ね?」
優しく諭すようなその言葉に、フレドリカとイェルダは母という言葉を思い出した。
……惜しむらくはそれが男性の言葉であるという所だが、それでもフレドリカは涙を切ることができた。
「はい……申し訳ございませんでした」
「うん、今はそれでいいわ。暫く許すことは出来ないと思うけど、もう怒ってないから。
だから、これから仲良くしましょう」
オカマは、意外と包容力があったらしい。
差し出される手を取ると、フレドリカの目からまた涙が浮かんでくる。
だがその涙の色は、少しだけ先ほどとは違うものだった。
「さて、仲直りした所で……お腹が空いてきちゃったわ。面倒を見てくれるんでしょう?
何か食べさせてくれないかしら」
「よ、喜んで!」
涙をぬぐい、フレドリカはようやく笑みを浮かべた。
その笑みをみて千尋は満足そうに微笑む。
「では、料理長に夕食はとびきり豪華にするようにと伝えてまいります!
イェルダ、少し後を頼みますね!」
元気を取り戻したらしいフレドリカは、従者の制止を振り切って部屋から出て行った。
並び立つ千尋とイェルダが、同時に溜息を吐きだす。
お互いの溜息に気が付いた千尋とイェルダは顔を見合わせた。
すると、イェルダが再び頭を下げる。
「ありがとうございます、千尋殿。このお礼は何に代えてでも……」
「良いわよそんなの。……まあ、遠くに引っ越したとでも思うわ。
頭の上では分かってるのよ。アタシがあのお姫さんの立場だったら、同じ事をしてたってね。
でもちょっと取りみだしちゃったみたい。落ち着かせてくれて感謝するわ」
「いえ、感謝などと……」
イェルダは慌てて手を振った。
その様子を見て、千尋が小さく鼻を鳴らす。
「ふふっ、あのお姫さま、慌てん坊みたいだからしっかりと見ていてあげてね」
「それは──はい、確かに」
正確には姫ではなく女王なのだが、イェルダはあえてそれを訂正しなかった。
ただ、千尋の笑みはもう穏やかで──ぶっちゃけ、少し男にしておくのが勿体ないくらいにはサマになっていた。
「さてと、それじゃ新生活を頑張らないとね。このあとはどうすればいいの?」
「本来ならフレドリカ様が城内のご案内をさせていただく予定だったのですが……よろしければ、私が引き継がせていただいてもよろしいですか?」
「あら、じゃあお願いしようかしら」
こうして、少し変わった少年の物語が幕を開ける。
薄暗い部屋を出ると、そこには長い廊下が続いていた。
先は分からないけど、未来は明るいといいわね。
そんな事を思い、千尋は困った顔で息を吐くのであった。