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好餌

 どのぐらい時間がたったのだろう? けたたましく鳴り響く玄関チャイムとドアを叩く音で目が覚めた。


 まだ深夜ではないにしろ、近所迷惑な訪問者だと眉根をよせながらドアを開けると、彼の妻が般若の形相で佇んでいた。たっぷりと贅肉のついた体からは、怒気が立ち上る湯気となって見えるようだ。


「ここにいるのは分かってるのよ! あの人を出してちょうだい!」

 顔を真っ赤にしてがなる妻に、沙織はたじろくことなく、ただじっと見据える。若くもなければ美しくもない。この女のどこがよくて彼は結婚したのだろう? しかも私という美しい恋人を手にしたのに、ブタ女を捨てることもせずに傍に置いている。納得がいかないとばかりに、沙織は眉根を寄せて無言で妻を睨んだ。その目には明らかに侮蔑の色がにじむ。


「なによその目は! 文句でもあるの! 」

舐められていることへの苛立ちと怒りに、妻はふたたび喚き散らす。


「こんな夜分に非常識だと思いませんか? 迷惑なので帰ってください」

「ふざけるな! どろぼう猫のくせに、図々しい!」

痺れを切らしてた妻は沙織の体を強く押しのけ、部屋の中へ上がりこむ。廊下を抜けて部屋に入ると、ベランダに捜し求める夫の姿を見つけた。


「あ、あなた!?」

妻はすぐさま窓を開けて夫のそばに駆け寄る。

ゆらゆらと体を揺らしながら立ち上がる彼の姿が目に入り、沙織は胸を躍らせ息を呑んだ。

「なによこれは! 監禁するなんてありえない。警察に訴えてやる!」

 足首を結束バンドでベランダにくくりつけられる夫を目にして、妻は金切り声をあげながら沙織を睨みつける。すると彼は背後から妻を抱き締めて首筋に唇を寄せた。


 白く長い首すじに歯を立てて頚動脈を一気に噛み切る。悲鳴の代わりにひゅうっと空気が漏れる音がして、血しぶきが上がった。


 何が起こったかわからぬまま、彼の妻は双眸を見開いたまま、ほとばしる鮮血に染まり、だらりと体を投げ出すように横たわり力尽きた。彼はそのまま妻の体を抱え込むようにして、再び喉下に喰らいつくと、ぐちゃぐちゃ音をたてて血肉を貪る。


 ベランダは血の海に染まり、妻の顔はあっという間に醜い肉塊と化す。既に死んでいる彼が、いくら食べようと、消化など出来るはずもなく、喰われた肉は噛み砕かれて、粗いミンチとなって口から溢れていた。


いつも死ねばいいと思っていた女が、目の前で無残な屍となり沙織はほくそ笑む。

「妻の名で彼をいつもまでも束縛するからよ。いい気味だわ……」


 特別な日のために買っておいたワインを開けて、沙織は彼の食事の様子を楽しんだ。子供のように一心不乱に食べる姿が愛しく、目を細めて眺める。


 妻の顔を食い尽くした彼は、彼女の胸元を引き裂いて脂肪の塊のような乳房に歯を立てる。ぷつりと音を立てて歯が食い込むと、血があふれ出た。血肉と脂肪がぐちゃぐちゃと噛み砕かれ、ごくりと音をたてて旨そうに飲み込む。

 自分のことなど目に入らず、一心不乱に妻にむしゃぶりつく彼の姿を目にして、沙織の胸はちくりと痛んだ。

 妻をかき抱き、胸に顔を埋める彼の姿は、餌をほお張るのそれではなく、愛の営みに思えてくる。


 ーー餌になったあの女が羨ましい?


 グラスのワインを一気に飲み干すと、沙織はサッシの上に投げ出された妻の足首を掴む。すると彼が夢中で貪る妻の体を、一気に部屋の中に引きずり込んだ。


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