最愛の男
『ーー私は最愛の男を飼っている』
ベランダの窓に沙織が近づくと彼が彼女を求めて、だんだんとガラスを叩く。右上の小窓から食事を投げ入れると、わし掴みにして貪りはじめた。
ぐちゃ、ぐちゃと音を立てて一心不乱に食べる姿がとても愛しい。双眸を細めて彼を見つめながら、沙織は血が滴る臓物を、再び彼にめがけてベランダへ投げ入れた。
***
木曜の朝、目覚めたら彼氏が横で冷たくなっていた。脈拍もなく、息もしていない。間違いなく死んでいる。
彼が死んだことに驚きも悲しみも感じない。それよりも彼がもう家に帰らなくて良いと思い、沙織は喜びで心が弾んだ。
冷たい彼の頬を優しくなでると、沙織はいつものようのテレビの電源を入れて身支度を始める。
『厚生労働省からのお知らせです。医師の立会いがない状況で在宅死した方については、必ず死亡六時間以内に警察に届けでをして下さい……』
ふと、テレビから流れる死亡届命令が耳に入り、沙織は嬉しそうにほくそ笑んだ。
「そっか、焼かないと生き返るかも知れないんだっけ……」
一年前に新型ウイルスで死亡した人達が生き返り、人を襲う騒動があった。感染力はあったが、致死率が低いウイルスで、大きな被害にはならなかった。
それでも国は対策と安全保持の為に、死亡届と火葬を義務付けた。
このまま人形のように寝てるだけより、動いてくれたら嬉しい。沙織はそう思いながらご機嫌に勤務先の病院へ向かった。
夕方、勤務が終わり必要な物を買い物を済ませ部屋に戻ると、彼はまだ布団に寝たままで、朝より顔が黒ずんで見える。病院では医師である彼が、今日無断欠勤した事で混乱して大忙しだった。
沙織は疲れた体に鞭打って、まずは重い彼氏の体を引きずり、ベランダに出した。生き返った時に暴れられると困るので結束バンドで両足を縛り、手すりにくくり付ける。窓ガラスは地震対策の合わせガラスだから、少しぐらい殴れてもたぶん大丈夫だろう。
一仕事を終えると、冷蔵庫からビールを取り出してぐびりと喉へ流し込み、横たわる彼をじっと観察した。
あと何時間で生き返るのだろう? そう思いながらベッドへ寝転ぶと、瞼が自然に重くなる。彼を手に入れた興奮と、慣れない力仕事で疲れて、沙織そのまま寝入ってしまった。