和やかな時間
トリア大陸。
砂で覆われる大地の中にありながら、いくつもの生命が息づいている太陽に守護された世界。
たとえば、人々から“耳長族”と呼ばれる種族もまたその一つ。
姿形は人ながら、頭の上には黒く長い耳があり、愛らしい容姿に大きく紅い瞳を持つ。
神々に愛された一族とされ、人よりも幾ばくか長命ではあるが、非常に繊細であり、それ故か警戒心が強く、小さな群れを作り他種族との交わりを好まない。
その土地で生まれ、その地の土に還る。
緩やかな平和の中で、細やかな生を全うする。
そんな一生を彼女もまた、当たり前のように受け入れ、一欠けらも疑うことがなかった。
そう、あの日までは。
「ラウラー!」
唐突に名を呼ばれ、フワフワと綿菓子のような髪に長く黒い耳を持つ少女は、キョトンとした顔で振り返る。
「ふわぁっ」
振り返った途端に、勢いよく抱きつかれ、危うく後ろへつんのめりそうになり、寸でのところで堪える。
「ラウル、苦し……」
「僕、人間を見たんだよっ。しかも言葉も交わした! すごいだろっ。いいだろー」
抱きつかれたままで息が詰まったラウラは抗議しかけたものの、従弟にあたる一つ上の少年が興奮気味に言う言葉に、違う意味で息を詰まらせる。
「本当に?」
ラウルの容姿はラウラとそっくりで愛らしく幼い。
だが、今のその表情は対照的だ。
怯えるように問うラウラに、ラウルは楽しそうに大きく頷く。
「怖くはなかった?」
「平気さ! 人間なんてみんなが言うほど恐ろしくなんてなかったよ」
「ま、お前は名を問われて、『ラララララウルです』って答えただけだけど?」
「ふふ。“ラ”を多く言いすぎて、聞いていた人間はとても驚いていたわよね」
「ははっ。『名はラララララウル君でいいんだね?』なーんて聞き返されてさ。どもりすぎだろ」
「ラウラの前だからってかっこつけちゃって可愛い~」
いつの間にか集まった面々が、得意満面のラウルに次々とツッコミが入る。
皆、黒く長い耳が頭の上にあり瞳は紅い。耳長族の少年少女たちだ。
末はラウラで一つ上がラウル。
その後は、十歳は離れているが、長命な耳長族では、皆まだまだ子供と言える歳だ。
同じ父母ではないが、少年少女たちは、本当の兄弟のように仲がいい。
「う、うるさいなっ。少し声が上ずっただけだろ」
真実を暴露され、ラウルはラウラを解放しバツが悪そうにそっぽを向く。
「兄様、姉様たち。どういうことなの?」
一人状況の飲み込めないラウラは、不安げにラウルと他の面々を見回す。
“人は危険な種族。決して近づいてはいけない”
それは、小さな頃から何度となく大人たちから言われ続けたこと。
曰く、人は争いを好み凶暴。
曰く、人は欲に目が眩みやすく冷酷。
曰く、人は嘘を吐きずる賢い。
だから見つかれば、身ぐるみをはがされ、その身すら売り物にされる。
そんな恐ろしい種族と接触したなど、聞いただけで血の気が引いていく。
「大丈夫。長老たちと砂漠に出た時に、道に迷った人間と遭遇したってだけ」
「そうそう。相手は一人で相当弱っていて。長老が仕方なく、水分けてやって、帰り道を教えてやったんだよ」
「こーんな人間の町から離れたとこで迷うなんて、本当に珍しいよな」
「人間って、案外間抜けなのかしら?」
怖がるラウラを宥めるように、皆口ぐちに軽口を叩く。
「ここには来ない?」
「ラウラは怖がりだなぁ。大丈夫さ。それに、もし来ても僕が守ってやる」
黒い耳をピンッと立てて、ラウルは大きく胸を張る。
「ふふ。ありがとう。ラウル」
ラウラの両親はすでに亡くなっており、ラウルの両親が親代わりとなっている。
そのためか、一緒に住んでいるラウルは何かと兄貴風を吹かせたがる。
それが頼もしくもあり、微笑ましくもある。
「僕たちが、だろ? 何一人で格好つけてるんだ」
途端に上の兄姉たちから、からかいの集中攻撃を受ける。
じゃれ合うように騒ぐその姿は、いつもと変わらない長閑で平和な光景。
(なんだろ? 胸がワサワサする)
そのはずなのに胸に渦巻く正体不明の不安。
「ラウラ? どうかしたの?」
「……ううん。何でもない」
言葉には出来ないおかしな胸騒ぎ。
姉の一人の問いに、大きく首を振りあやふやに笑う。
その不安が現実のものとなったのは、その夜のことだった。