はじめてのぶらっく
「はい、すいません。はい、はい。本当はこの娘のお姉さんと会うはずだったんですけど、ちょっと都合が悪くなったみたいで、少し僕が面倒を見ることになりまして。はい、はい、すいません」
店員には非常に怪しまれたが、久遠には『学生証』という切り札があった。身分さえハッキリ証明すれば、少なくとも犯罪の意図が無いことだけはアピール出来る。
「もう少ししたら注文しますので、またお呼びします。はい、すいません」
(……や、やれやれだぜ)
どうにか店員を説得して一端引いて貰ったが、ドッと疲れが出た。こんな針のムシロのような視線に晒されたのは生まれて初めてだ。
(……と、とにかく、早くメニューを決めてオーダーしないとな。何か飲ませれば落ち着くだろ。俺も喉が渇いた)
「璃梨ちゃん、何が飲み……」
「璃梨って呼んで下さい!」
「璃梨ッ! 飲み物を選べッ!!」
(……こうなったらもうとことん付き合ってやる! 早くしろッ!)
久遠はメニュー表を開いて璃梨に見せた。
「好きな飲み物はあるのか?」
「そうですね~。今日は大人な飲み物が良い気分なのです。コーヒーですね。じゃあ、私はエスプレ……えっ?」
「どうした?」
おそらくエスプレッソを頼もうとしたのだろうが、言いかけた途中で璃梨が驚いたような声を上げて固まってしまった。改めてメニューを上から見直し始めたようだが、段々と額に汗が浮かんでくる。そして。
「わ、私は、水で……」
「…………」
「…………」
「金が無いのか?」
「ううっ!?」
図星だったようで、すぐに璃梨は半泣きな表情を浮かべた。
「ちなみにいくら持ってるんだ?」
「三五○円です……」
(……駅ナカのコーヒーショップと同じだと思ってたんだな)
この店のように見合いで使うような喫茶店は高級店なので、コーヒー一杯でも八○○円くらいはするのだ。おそらく、コーヒー代と言って親からお小遣いを貰ってきたのだろうが、店によって値段が違うことまで頭が回らなかったらしい。
「いいよ。俺が奢ってやるから。エスプレッソだな?」
「そんなッ!! そんなの申し訳無いのです!」
「大丈夫だよ。結婚相談所から男が奢るように指示が来てるんだ。俺も最初からそのつもりで金持ってきてるし」
「ご、ごめんなさいです……」
このように、見合いの席では男が奢るように業者から指示が来る。デート代を男女どちらが持つかはデートする上での悩み所の一つであるが、見合いの席では『業者からの指示』という名目で男が金を払うように申し合わせが成されている。千円や二千円で見合いが円滑に進むなら安いもの、細かいことは言いっこ無し、という考え方なわけだ。なお、二回目以降のデート代についてはカップル毎の相談となる。
(……そもそも、こんなガキに金なんか払わせらんねーしな)
久遠が注文すると、すぐに飲み物が出て来た。璃梨は濃くて苦そうなエスプレッソ。久遠はアップルジュースだ。
「それにしてもお前、よくコーヒーなんか飲めるな。しかもホットだろ、それ。俺はコーヒーは苦くってどうもダメだ。それに熱い飲み物も苦手でな。冬でも冷たいジュースを飲んでるよ」
「婚活するくらいですし、璃梨はもう大人なのです! エスプレッソはコーヒーの中でも一番苦いのです。でも、璃梨は大人なのでこれくらいへっちゃらなのです!」
「はは、そうだな。俺よりも大人かもしれねえな」
(……やっぱり、落ち着いていれば可愛いヤツだな)
子供が背伸びする姿というのはいつ見ても微笑ましいものだ。大騒ぎの連続で流石に璃梨も疲れてきたのだろう。先ほどまでの狂騒はようやく沈静化し始め、久遠にも子供の遊びに付き合う心の余裕が生まれてきた。
窓から差し込んだ光が、ちょこんと子猫のように座る璃梨を明るく照らす。ニコニコと上機嫌なその様子は、まるで童話の世界のお姫様のようだ。
(……俺って休みの日はずっと家に籠もってゲームだったからな。偶にはこうやって誰かと喫茶店にでも行って、ジュースでも飲むのも悪く無いかもな。そう考えれば、俺をここまで連れてきてくれたコイツに感謝の一つもするべきか)
久遠は頼んだアップルジュースをストロー越しに口に含んだ。冷たく、甘く、なおかつ少し酸味の味が喉を通り、喉の渇きのみならず、体や心まで芯からリフレッシュされていく。
「ほら、お前も飲めよ。コーヒー。熱いから気をつけろよ」
「はい! 璃梨、飲みます!」
そう言うと、璃梨は勢いよくエスプレッソのカップを手に取り、その桃色の小さな口でフーッと冷ましてから一口含み、コクン、とそのか細い喉を小さく鳴らした。
「ブボゴッ!? ニガッ!? オゲゲゲゲッ!?」
苦さに気が動転してカップを取り落とし、零れた熱いエスプレッソがテーブルを伝わって久遠の足にかかる!
「うおおおおおおッ! お、お前、何やって!? うわっ、ちょ、熱ちちちちちちちちちちちちちちちッッッッ!?」