はじめてのゆうえんち
「何だこれ?」
翌朝、久遠が目覚めると愛梨からメールが来ていた。
『明日の集合は三十分繰り上げて、九時半よ。絶対遅刻しちゃダメだからね!』
今はまだ朝の六時だ。久遠は用事が無ければいつまでも寝ているが、今日のように用事がある時は必ず早起きする。時間に余裕を持つことは段取りの基本だからだ。
愛梨からのメールの送信時間を見ると、何と夜中の三時だった。
「いつまで夜更かししてるんだ、アイツ? まあいいか」
急に時間が変更になっても問題は無い。久遠は母親に朝食を作って貰ってから、指示通り九時半到着のペースで家を出た。
そして九時半の五分前。久遠は目的地である遊園地に到着した。
この遊園地は、名前をコスモスターズと言って、久遠の最寄り駅から電車で十五分の所にある街中の小型遊園地だ。遊園地と聞くとTVでCMが放映されているような巨大アトラクション施設を思い浮かべがちだが、そのような大規模な遊園地は遠くにしか無い。人も多くて広いため迷子の危険性も高く、小学生の璃梨を連れて行く都合上、そんな所に行くリスクは犯せないのだ。久遠が責任を持って璃梨の面倒を見る為には、このくらいの規模が限度であると判断したのだ。しかし、ここでも観覧車やジェットコースターなど人気のアトラクションは揃っているので、今日一日、十分に楽しく回れるだろう。
(……でも、姉も来るんだったら、気合い入れて遠くまで行っても良かったかもな。まあ、姉も来るって決まったのは昨日だし、仕方無いか。さて、姉と璃梨はどこだ?)
入り口の前についた久遠は周囲を見渡す。夏休みに入った為、この遊園地も大勢の客で賑わっているが、それでも某巨大遊園地のような歩くのも困難な程の大混雑ではない。入り口の隣で見覚えのある女子高生が待っていることにすぐ気がついた。
肩までしか袖の無い白い薄手のトップスに、ハーフパンツのジーンズ。靴は編み目のように縫い合わされて風通しの良さそうなピンクのサンダルだ。頭には日差しよけの大きな白い帽子を被っている。剣道で鍛えている為か背筋は芍薬の花のようにスラリと伸び、背も高いので健康美に満ちあふれている。ファッション雑誌にモデルとして出ていても不思議ではないような美少女だ。
「あれ? 璃梨はどこだ?」
「ち、違うでしょ! な、何か言う事があるでしょ!?」
「待たせたか?」
「そ、そうじゃなくって!」
にも関わらず、余り久遠が反応を示さないので愛梨は慌てふためいた。
「いや、マジで璃梨はどこだよ? まさか、さっそく迷子か!?」
あの慌て者の璃梨ならあり得る、と久遠も身構えたが、
「璃梨はまだ電車に乗ってるはずよ。今日、私も来ていることは璃梨には秘密なの!」
「は? 何で秘密にするんだ?」
「璃梨が私に遊園地に行くことは秘密にしてたってことは、璃梨は私に秘密であなたと二人でデートするつもりだってことでしょ? だったら私がノコノコと顔を出せるわけ無いじゃない! だから、今日は私はあなたたちをこっそり尾行して、何か問題が起きた場合だけ、私が出て行くことにするのよ!」
「そ、そうか……」
(……な、何でそんな面倒なことをするんだ?)
女の考えることは分からん、と久遠は内心思った。
「そ、それより、やっぱり三十分早く来て作戦タイムにして正解だったわ! あなた、やっぱり女の子の気持ちを全然分かってないわ! このまま璃梨と二人にしたら璃梨がショックを受けそうだわ。だから私が手短にレクチャーしてあげる」
「お、おう……」
何でそういう方向に発想が行くのかサッパリ分からないが、ともかくここは大人しく愛梨の指示に従った方が良さそうだ。
「いい? まず、最初はニコッと笑って挨拶するのよ! 優しくよ、優しく! 『おい』とか『行くぞ』とか、そんなんじゃダメ!」
「な、なるほど、確かにな……」
「次に相手を褒める! 女の子はデートの時は絶対にお洒落してくるんだから、ちゃんと相手の可愛い所を見つけて、可愛いって言葉で言わなきゃダメなの!」
「そ、そんなことイチイチ言わなきゃダメなのかよ!?」
「ダメよ! もちろん、今日だけでなくてデートの度に毎回、自然に言えるようにならなきゃダメよ!」
「や、やっぱり女と付き合うって大変なんだな……」
「男ならそれくらい出来て当然なの! じゃあ、練習よ。私を見て、どこが可愛いかちゃんと言ってみなさい!」
「そ、そうだな……」
改めて、久遠は愛梨の全身を見回してみた。やはり愛梨はどこを取っても非の打ち所の無い素晴らしい美少女だ。久遠の高校は男女共学だから同年齢の女子は見慣れているが、これだけの美少女は見たことが無い。顔もスタイルも良いし、ファッションセンスも良い。一人で渋谷とか新宿とかを歩いていたら頻繁にナンパされて大変なんじゃないかと思う。
しかし、残念ながら久遠はナンパとかするタイプではないのだ。どんなに可愛い子がそこに居たとしてもナンパなど絶対にしない。『可愛い子もいるもんだな』とちょっと思って通り過ぎて終了である。そういう男であるから、日頃から複数の女子を見比べるようなことをしておらず、いざ見ろと言われても、具体的にどこに着眼点を置けばいいのか分からないのだ。
ふと愛梨の整った顔を見てみれば、久遠に見られているせいか、愛梨は顔を赤くしてゴクッと喉を鳴らしていた。恥ずかしくて緊張しているのだろう。あんまり女の子をジロジロ見るものではない、という考えは久遠にもあるので、見るのは早急に切り上げる。
その結果、出てくる言葉はと言うと、
「うん、全体的に可愛いぜ」
「そんなんじゃダメ!」
「な、何がダメなんだよ! 全部可愛いってのが一番じゃねえかッ!!」
「ダメダメ! そんなの超適当じゃない! ちゃんとポイントを見つけなさい!!」
「む、難しいな……」
無理難題を言われて久遠は首を捻って考え込んでしまう。
(……でも、ありきたりな言葉じゃなくて、ちゃんと個性を見ろっていうのは妥当な意見だよな。じゃあ、コイツの個性って言うと……やっぱこれか)
「ちょっと手、見せてみろ」
「えっ?」
久遠は愛梨の右手を取り、その手を開かせて中を確認した。
「うん、やっぱりだ。お前、剣道やってるから掌の皮膚が硬くなってるな。昨日も超強かったし。相当頑張って練習しているんだろうな。俺は帰宅部で大したことは何もやってないけど、お前みたいに何かを一生懸命頑張っているヤツって可愛いと思うぜ」
「…………ッ……!!!!!!!!」
すると見る見るうちに愛梨の顔が林檎のように赤くなっていった。
「あっ!? これ、アタリだろ! どうだ?」
「ち、違います! そ、そ、そういうのじゃ無いの!」
「また違うのかよ! じゃあ何なんだ!? さっさと答えを言えッ!!」
「それを女の子に言わせずに察するのが大事って話なの! あっ!? ち、ちょっと待って」
愛梨は何かを思い出したように急ぎショルダーバッグからスマホを取り出した。
「璃梨がもう駅にいるわ!? 随分早いわね!」
「ああ、お前はGPSでアイツの場所が分かるんだっけ?」
「そうよ! これ使って私はあなたたちを尾行するから! いい? 絶対璃梨に変なことしちゃダメよ! じゃあ、私は隠れて見てるからね!」
それだけ言い残して、愛梨は一人中に入っていってしまった。
(……な、何だったんだ?????)
まあ、それはそれとして、間もなく璃梨が来るという情報はありがたい。愛梨がいることは秘密という申し合わせも了解した。後は何気ない素振りで璃梨を待つだけだ。
それから二分後。
「久遠さーーーーーーーーんッッッッッ!」
「おっ?」
遊園地の入り口正面にある信号を挟んだ向かい側に、黒猫のネコミミをつけた、これまたTVに出てくる子役のように愛くるしい女子小学生が自分の名を叫んでいた。
信号が青に変わると同時に子猫が全速力で走り込んでくる。
(……え~と、確か、最初は笑って挨拶しろって言ってたな)
愛梨のレクチャーを思い出す久遠だったが、しかし、こんな風に自分に懐いてくれる子猫が走って向かってきたら細かいことを考えずとも自然と笑みが零れるものだ。久遠の顔には考えるよりも先に自然で優しげな笑みが浮かんでいた。
「よお、璃梨。久しぶ……」
「おはようございますッ!」
ドゴッ!
「ゲボォッ!?」
そして、ミサイルのように突っ込んできた璃梨の頭突きが久遠の鳩尾を直撃した! 久遠の体が大きくくの字の折れ曲がる!
「きゃ~、久遠さん、ごめんなさい! 勢い余り過ぎました!」
「ゆ、油断した……。ゲホッ、ゴホッ……」
久遠と璃梨の二人から離れること数十メートル。建物の影からそんな二人の様子を伺う愛梨の姿があった。
「ほ、本当に大丈夫なんでしょうね、あの二人!?」




